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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、坂本九、オーティス・レディング、


そして、リック・ネルソン。


彼は、リッキー・ネルソンとして、58年に「プア・リトル・フール」で、


61年に「トラベリン・マン」で、全米1位になった。


この前後、アイドル・スターとして数多くのヒット曲を出した。


そして、66年を境にスランプに陥った彼だったが、


72年、この「思い出のガーデン・パーティー」で戻ってきた。


トップ1にはなれなかったけれど、彼はストーン・キャニオン・バンドを率いて


まさに彼の人生そのもの、このロックへの鎮魂歌を自作自演した。


彼の大ファンだったボクはこのレコードをオン・タイムで手に入れた。


最近手に入れたDVD『Ricky Nelson Sings』、


このリック・ネルソン・ヒストリーの最後で、


彼の3人の息子たちが「思い出のガーデイ・パーティー」を歌っている。


深夜にひとりで見ていたら、不覚にも涙が出てきた。


昔テレビドラマ『陽気なネルソン』で見ていた彼の両親オジーとハリエット、


そして、リッキーと妻クリス、3人の息子と1人の娘、


3世代の家族愛にアメリカの幸せなファミリーを見た。


こんなことで涙とは、歳のせいだね、きっと。

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それって誰?


小さい頃、テレビで見ていた『サンセット77』。


覚えているのはもしかしたら再放送だったかもしれないけれど、


“セブンティ、セブン、サンセット!”のフレーズが口をつく。


そのドラマの思わぬ人気者が、ディーノズ(だったと思う)というレストランの駐車場係、


お客さんの車を預かる仕事をしている“クーキー”。


いつも櫛を片手に髪をかきあげている伊達男、


彼の本名が、ジェラルド・ロイド・クックスン3世だった、と思う。


その“クーキー”役のエド・バーンズのデュエット相手に抜擢されたのが、


ボクの大好きなコニー・スティーヴンス。


その「クーキー・クーキー」の再発盤を手に入れた。


コニーはその後、『ハワイアン・アイ』の“クリケット”役でブレイク、


そのルックスと声(水垣よう子)にしびれた。


アイドル歌手としての「Sixteen Reasons」や


「Why’d You Wanna Make Me Cry」、「Mr.Songwriter」も最高。


これらの初回発売のシングル盤はオークションでものすごく高くて手がでない。


とりあえずLPでお茶を濁している、くやしいボクなのである。

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ボクがシングル盤を集中的に集めていたグループのひとつが


スリー・ファンキーズ。


オリジナルメンバーは、長沢純、“うっかり八兵衛”高橋元太郎、高倉一志。


その後、高橋元太郎さんが抜けて、“矢車剣之助”手塚しげお。


またその後、高倉一志さんが抜けて、“ビーバーズ”早瀬雅男。


03年3月、松山でのあるイベントで長沢純さんと名刺交換した。


「涙の日記」にサインをもらって、市内のライブ・ハウスへ。


携帯電話で手塚さんとも話させてもらった、彼が亡くなるちょうど1年前。


それから、岡山でのコンサートに行ったり、東京で会ったり。


4ヵ月ぐらい経ったある日、ボクの携帯電話が鳴った。


電話の向こう側で“Wow,wow,yay,yay”、突然歌いだした。


“レオ・セイヤーの「More Than I Can Say」、持ってる?


歌詞カードが欲しいんだけど。”


“あいにくレオ・セイヤーは持ってないんですけど、


オリジナルのボビー・ヴィーを持ってますから、歌詞カード送ります。”


田園調布の隠れ家みたいな焼肉店でご馳走になった思い出とともに


注目していなかったB面に光が当たった一瞬であった。

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中学2年生、東京への修学旅行から帰った日、


心臓がドキドキして止まらなかった。


旅行中に同級生の女の子を好きになってしまった。


その後、ふたりは同じ気象部で、


毎日昼休みになると、校庭の向こう側にある百葉箱までデータチェックに。


雨の日なんかは相合傘で、


2階の窓からのみんなのひやかしに手を振って応えながら・・・。


そんな思い出に似合うBGMは、ジョニー・ティロットソン「ユー・アンド・ミー」。


作詞のJohnny Woodmanはニッポン放送のDJ高崎一郎さんのペンネーム。


たどたどしい日本語で歌うハマクラの「涙くんさよなら」に始まり、


国産シリーズ2曲目がこの曲。


ひとしきり国産シリーズを集めたのち、


高校生になってから彼のシングル盤をあさり始めた。


「恋はつらいね」、「恋のカウント・アゲイン」、「キューティ・パイ」、「涙ながらに」、


「ポエットリー」、「プリンセス・プリンセス」、「ハロー・エネミー」・・・・


だから彼のシングル盤はものすごくある。


彼女とは別の高校に進学、しばらくは文通していたけれど、


いつの間にかとぎれてしまって・・・フェイド・アウト。


ジョニーの甘い歌声とともに浮かんでくる甘い思い出、


この甘さは、血糖値の高い今のボクには毒である。

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フランスの美少女、シェイラの66年のヒット曲「いつも青空」。


ボクにとっては特別なレコードなんだけど、


そのわけを言えばボクの正体がわかってしまうから、言わない。


シェイラ、という名前は、


彼女のデビュー曲が、トミー・ロウの「シェイラ」のカバーだったから、


って聞いたけど、真偽のほどは知らない。


さて、この曲のオリジナルは64年、クリフ・リチャードとシャドウズ。


彼らが主演したミュージカル『アラジンと魔法のランプ』の挿入歌。


クリフは、58年から07年の現在まで


約半世紀にわたってヒット曲を出し続ける数少ないアーティスト。


つい先日も来日してコンサートをやったよね。


この曲の作者は、シャドウズのメンバー、Marvin-Welch-Bennett-Rostill。


クリフとシェイラ、甲乙つけがたい一曲である。

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一番好きだったGSは?


“コスモ石油の・・・”って、それはガソリンスタンドやろ!


と、いつもの“のりツッコミ”をかましながら・・・。


彼らを初めて見たのは、通学前にいつものようにかけていた


朝のテレビ「720(セブン・ツー・オー)」だった。


楽器を持っていないボーカルがいるのに、なんでお前が歌うねん!松崎さん。


でも、涙を浮かべながら歌う「忘れ得ぬ君」は新鮮だった。


小泉元首相じゃないが、“感動した!”


ボーカルのお前は何してんねん!萩原さん。


でも、彼が歌った「今日を生きよう」(グラス・ルーツのカバー)の声に感動again。


「神様お願い」の大ヒットを経て、


ボクのカラオケのオハコ、「エメラルドの伝説」は最高。


「おかあさん」も「純愛」も大好き。


松崎さんは地元ですし屋をやっている!?


高久さんはあのタカキューの親族だ!?


あるやなしやの噂。


大口さんはウォッカ・コリンズで、


ショーケンはソロで、


活躍したり不祥事があったり、


波乱の人生を送っているようだけど、


ボクは今でも彼らの大ファンである。

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若乃花より栃錦が好き。


王さんより長嶋さんが好き。


ポールよりジョンが好き。


三枝より仁鶴が好き。


ラインバックよりブリーデンが好き。


フランシスよりスティーブンスが好き。


そして、


「真夏の出来事」より「フレンズ」が好き。


「涙の太陽」より「夢みるマイ・ボーイ」が好き。


全国の中古レコード・ショップを回っていると


エミー・ジャクソンのレコードは


洋楽コーナーにあったり、邦楽コーナーにあったり。


今も活躍されている安西マリアさんの「涙の太陽」は


もちろんエミー・ジャクソンのカバー。


この安西マリア「涙の太陽」のレコード・ジャケットについて


昔、深夜放送で、“日本で初めてのパンチラ・ジャケット”かどうか


激しい論争(?)があって、


結果、パンチラ・ジャケットとして認定された、って。


まぁ、平和なイイ時代だんたんでしょうね。

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大学4回生、単位取得が終わっていたボクは、


ユースホステルでヘルパーをしていた。


旅行者の受付をしたり、食事を作ったり、掃除をしたり、


ミーティングをしたり、多くの人たちと触れ合えた楽しい日々だった。


いろいろと新しいコトにチャレンジした中のひとつは


起床時刻や就寝時刻にかける音楽を変えたこと。


コレクション枚数は今ほど多くはなかったけれど、


レコード・コレクションという趣味を生かして(?)


毎朝6:20だったと思う、起床時刻に各部屋に一斉放送する曲は、


「グッドモーニング(Good Morning)」。


歌っているリーピー・リーって何者か知らなかったけれど、


深夜放送で見つけた曲。


ちょっとマイナーな曲だったけれど、曲調も歌詞も朝にはぴったり。


目覚めのいい選曲に、鼻高々、悦に入っていた。


ちなみに、22:00頃だった(?)就寝の曲は何だったかわかりますか?


正解は、ジャックス「時計をとめて」。


今考えても、センス抜群!Self-praise自画自賛。


いい気になるなよナ、ボク。

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バリー、ロビン、モーリスのギブ3兄弟を中心に編成されたグループ、


ビージーズ。


彼らは、これまで幾度かのイメージチェンジを重ねてヒット・チャートに君臨してきた。


ボクが好きなのは、もちろん第一期。


68年、「マサチューセッツ」で日本デビュー。


なんと洋楽で初めてオリコン1位を獲得した。


オーストラリアからイギリスへ、「ニューヨーク炭鉱の悲劇」でブレイク、


「ホリデイ」、「ラヴ・サムバディ」、「マサチューセッツ」、「ワールド」ときて


次のヒット曲、ちょっぴりマイナーな「ワーズ」をボクはCMに使った、


今から約30年前。


♪~Smile,an everlasting smile~♪


「住まいる」、ミサワホームの家づくりは住む人を笑顔にします。


微笑みのあふれる住まいづくりを!ってね。


ローカルでは、当時のCMはテロップ(静止画)だったけれど、


ナレーションはテレビ局のスタジオで音録りするから


レコード音源もOKだった(と思われていた)時代。


自分の好きな音楽をBGMに、


テレビやラジオのCMを企画していた。


永遠の広告人としては、最も楽しい時代だったと思う。

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季語辞典は持っていないけれど、


“小春日和”は秋の季語だったと思う。


夜中にふと目が覚めて、


つけっぱなしで眠ってしまったのか


ラジオから流れる歌に聴き入ってしまった。昨夜の話。


山口百恵「秋桜(コスモス)」。


ボクのレコード・コレクションの多くは、


リズムとかメロディとか、声とか雰囲気とかが気に入ったもの。


だから、歌詞なんてそんなに気にしない。第一、英語だってわからない。


なのに、この歌の詩に、ジーンときてさぶいぼ(鳥肌)が・・・。


娘を嫁に出す年頃のせいなのか、


百恵ちゃんの歌い方のせいなのか、


くやしいけれど、やっぱりさだまさしの詩だと思う。


確か、レコード棚の片隅の“未整理”の棚にあったと思う。


夜中にゴソゴソ、あった!おニャン子のソロに紛れて。


この曲、今日からは“アイドル”のインデックスをつけて


コレクションの1枚に昇格。


おめでとう。

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洋楽で集めたいレコードが少なくなってしまった頃、


ボクが始めたのは、


80年代のアイドルの曲の中でオールディーズのテイストをもった曲を集める事。


そのきっかけとなったレコードが、


これダ!(1、2、3、ベストハウス図鑑に載せましょう。)


目黒ひとみ「私のシュガーボーイ」。


彼女は『スター誕生』出身、


その後、同じスタ誕出身の黒木真由美、石江理世と3人で“GAL(ギャル)”を結成、


お馴染み(ボクには)の「薔薇とピストル」「マグネット・ジョーに気をつけろ」を


小ヒットさせた。いや、レコード発売した。


GALの作詞は両方とも阿久悠(祈・冥福)。


なぜ、ブレイクしなかったのでしょうね、目黒ひとみもGALも。


ともあれ、ボクはいつの間にか“B級アイドル評論家”としての素質を開花。


この時代の素敵なステキな曲の数々を集めることとなったのです。


家内や娘には“アイドル評論家”なんてイメージは顰蹙かもしれないけれど、


音楽的な、歴史的な研究家としての側面、理解できるかな?


一連のコレクション、いつか公開したいな。

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デイブ・ディー・グループ、


67年「オーケイ!(Okay!)」で日本デビュー。


日本ではGSカーナビーツがカバーした。


彼らの正式グループ名は、


Dave Dee,Dozy,Beaky,Mick&Tichという


メンバー全員の名前を羅列した長いもの。


その彼らの日本での3曲目の大ヒット曲が、


「キサナドゥの伝説」。


こちらはジャガーズがカバーした。


ラジオ大阪の深夜放送『夜明けまでご一緒に』(27:00~29:00)、


パーソナリティの笑福亭仁鶴さんの


ダジャレで曲を紹介するコーナーで、


遅刻してきた生徒に先生が「“貴様、どの電鉄”で来たんじゃ~!」


(貴様、どの電鉄=キサナ、ドゥーの伝説)


って、リクエストはがき紹介が今も忘れられない。


オヤジギャグ、との誹謗中傷にも負けず、


“ダジャレを言うのは、だじゃれ?(誰じゃ?)”


などと定番ギャグを大切に、逞しく生きてゆきたいと思う。

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高校生の時、ボクのファッションの先生は


スコット・ウォーカー。


当時、大人気のウォーカー・ブラザース。


不二家のCMで、“メロディ?ダ~イ好き!”


毎月、星加ルミ子さんが編集長だった『ミュージック・ライフ』を買ってきて、


スコットの写真を見つけては、そのファッションをマネた。


古い鍵をコール天(当時はそう言った)のジーンズのベルトからぶら下げたり、


フジテレビのジャンバーそっくりの作業着を探し回ったり、


白のボタンダウン・シャツに茶色のマフラーを合わせたり、


JUNのえび茶のダッフル・コートを買ったり、


買ってきたシャツの襟やズボンの裾を切ったり縫ったり。


ちなみに、中学生の時の家庭科の成績は5。


今よりやせていて、結構二枚目だったから、女の子にもてていた。


ような気がする。(思い過ごしも恋のうち)


“いやぁ、ホントにスコット・ウォーカーってカッコいいですね!”


by水野晴郎。


レコードは、日本でブレイクした最初のヒット曲「孤独の太陽」と


海外でも代表作だった「太陽はもう輝かない」を含んだコンパクト盤。



PS:不二家、頑張れ!!ウォーカー・ブラザーズも応援している。

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高校2年生の時、同じ映画を何回も何回も見に行った。


舟木一夫&内藤洋子の『その人は昔』。


そんなに名作ではなかったけれど、


その主題歌が、かの有名な「白馬のルンナ」。


でも、ボクがそれよりも好きだったのは


このレコードのB面「雨の日には」。


“ひと粒で二度おいしい”AB面ダブル・ジャケットである。


今でも目をつぶれば、彼女が寂しくしみじみと歌うシーンが


走馬灯のように・・・・・よみがえらない!


思い出だけがよみがえる。


今、もう一度見たいと思う。


彼女はランチャーズの喜多嶋修と結婚して完全引退、


百恵ちゃんの先輩である。


彼女の娘、喜多嶋舞もデビュー当時は可愛かった。


彼女の歌う「Dear Daddy」も持っている。


内藤洋子は、今でもボクの中では一番のアイドルである。

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“女性なのに、アルマ・コーガンとはこれ如何に!”


でおなじみの、60年代初期のイギリスのポップ歌手。


入院中に外出許可をもらって家に帰ったときに入札、


手術の日に落札した。


なにもこんな時に入札しなくても!


家内に非難されたけど、


「ポケット・トランジスター」や「グッドバイ・ジョー」の出品は多いのに、


このデビュー曲はもう2年間近くも出品されなかったものだから、強引に。


家内に出品者との連絡や振込を携帯電話で苦しい声で指示し、


ようやく入手した。


この曲「恋の汽車ポッポ(The Train Of Love)」は、


ポール・アンカが、当時の恋人アネットのために書いたと言われている。


日本では、アルマのハスキーな歌声がウケて、こちらの方がヒット。


ボクも、ポールのセルフカバー、アネットと聴き比べてみたけれど、


ちょっとアップテンポな軽い歌い方のアルマに軍配。


そして、B面の「いつもアイ・ラヴ・ユー」は


森山加代子&坂本九のデュエット曲のオリジナル。


もちろん、このレコードもボクの大切なレア・コレクションである。

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休筆中、実は入院していました。


入院中に考えたこと。


愛読書『レコード・コレクターズ』誌の企画に


『無人島レコード』というのがある。


“持っていけるのは1枚だけ!無人島に行くとしたらどのレコードを持って行くか?”


シングルレコード・コレクターのボクとしては


やっぱりシングル盤で、ということで・・・考えた。


レコードを持って行く、ということは、プレイヤーも要るなぁ、とか、


無人島なのに電気は来ているの?電源はあるの?とか、


いらんことを考えてしまったけれど、


ボクが持って行くレコードは、なぜかこれ!


ボビー・ヴィー「サヨナラ・ベイビー(Take Good Care Of My Baby)」。


61年9月の全米ナンバー1ヒットで、作者はキング&ゴフィン。


これならたぶん何度聴いても飽きないし、歌えるまで頑張れそう。


退院して見るレコード棚の健在さに、ホッとひと安心、


こうしてこのブログは復活するのであります。