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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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いつの間にか、目的のレコードが探しにくくなったボクのレコード棚、


1枚ずつ探していると、『なぜボクのコレクションにこんなものが?』思うものがある。


佐々木つとむ「佐々木つとむの麻雀教室 スター編」とか、


小松みどり「ゴルフ小唄」とか。


同じレコードも何種類か出てくる。


中古店で、持っているのか持っていないのか定かでない時の諺、


『迷ったときは、必ず買う』、がそうさせたのか。


そして、記憶にないレコード、


例えば、ポール・セバスチャン「シカゴのミセス・ジェーン」。


針を落としてみて、思い出した。


大学生の頃、『オールナイト・ニッポン』が局アナからタレントに替わる少し前、


後にニッポン放送社長になる“カメちゃん”こと


亀渕昭信さんがかけていたので、買ったような気がする。


♪~A Chicago dear Mrs. Jane~♪のリフレインで始まるけど、


後はフランス語。


哀愁をおびた見事なフレンチ・ポップス。


ああ、買っといて良かった!


自分のコレクション、再発見に満足なのでありました。

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レコードはいっぱいあるのに、特に語りたい曲がない、


そんな日は、レコード棚からランダムに1枚取り出して、


そのレコードについて語ることにする。


よりによって、選び出したのは、オールディーズの帝王、プレスリー。


それも、そんなに好きではないコミカルなミリオンセラー「心のとどかぬラブレター」。


この曲を聴いて、タレント“せんだみつお”のテーマだと思った人は


余程のテレビ通、それもボクと同年代。


あの『ナハッ、ナハッ』や『せんだ偉い!』のつまらないギャグでおなじみの人。


なぜって?


この歌は、♪~リターン トゥ センダ、リターン トゥ センダ~♪で始まる。


スリーファンキーズや、伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズのカバーが有名。


プレスリーの映画「ガールズ!ガールズ!ガールズ」の挿入歌。


Return to sender=発信人に返送、


恋人に喧嘩の謝罪の手紙を出したのに住所不明で戻ってきた、


って内容の歌。


邦題の「心のとどかぬラヴ・レター」、センスいいネーミング。


まぁまぁ、プレスリーに失礼のないように語れたかな!

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64年2月、ビートルズのアメリカ上陸に端を発し、


多くのUKバンドがヒットチャートを席巻した。


ビルボード、2月1日から7週間「抱きしめたい」、


続いて、3月21日から2週間「シー・ラヴズ・ユー」、


4月4日から5週間「キャント・バイ・ミー・ラヴ」と、


なんと連続14週間もNo.1をビートルズが独占。


その上、その4月4日には、1位から5位まで独占するという、


驚異的な記録を打ち立てた。


その後も2年間に渡り、ビートルズをはじめ、


ピーターとゴードン、アニマルズ、マンフレッド・マン、フレディとドリーマーズ、


ハーマンズ・ハーミッツ、ローリング・ストーンズ、デイヴ・クラーク・ファイヴと


No.1ヒットを連発。


ピーターとゴードン、No.1ヒットは、レノン&マッカートニーの「愛なき世界」だけど


ボクは、65年のデル・シャノンの「アイ・ゴー・トゥ・ピーセス」の方が好き。

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♪~I started a joke~♪


ロビンの美しい高音が会場に響き渡った。


1989年12月7日、県民文化会館、


『BEE GEES one fof all tour 89』 コンサートは始まった。


と、記憶しているが、本当に1曲目だったかどうかは定かではない。


67年デビュー以来、ヒットパレードの上位を走り続け、


78年「Stayin’ Alive」、「Night Fever」で再ブレイク、


バリー、ロビン、モーリスの3兄弟を軸に、別れたりくっついたりを繰り返しながら、


この年89年、「One」を全米7位に送り込んだ。


そして、7月のミネアポリスを皮切りに、9月のサンフランシスコまでの


全米ツアーの流れで来日、なんと松山でコンサートしてくれるとは。


途中でバリーの息子が登場したりして、ほほえましいいいコンサートだった。


そのコンサートで買ったTシャツは、今でも夏になったら1回は着る。


買ったばかりの頃は、安物のインクの臭いがとれなくて困ったけれど、


何度も洗濯を繰り返し、今ではあの臭いは思い出の中に残っているだけ。


「One」のLPはすぐに買ったけれど、そのシングル盤には未だに出合えていない。

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ボクのコレクションの最終目的は、


国内発売の初回盤のシングル盤を集めること。


なにぶん古いが故に、これがそんなに簡単なことではない。


まず、気に入った曲をリストしたら、


第1段階は、音源の確保、CDでもLPでも、とりあえず曲をゲットする。


第2段階は、シングル盤の確保、再発盤でもコンパクト盤でも、まずは7インチ盤を。


そして、第3段階が、国内発売の初回盤のシングル盤を手に入れること。


63年8月31日、ビルボードNo.1ヒット、エンジェルス「あたしのボーイフレンド」。


原題「My Boyfriend’s Back」、


寄せ集めのコンパクト盤、第2段階のコレクションである。


第3段階への障害はいくつかある。


まず、“なかなか見つからない”(スリー・ファンキーズのヒット曲)こと。


次に、見つけたとしても値段が高いこと。


既に音源を持っているのに、それでも買いたいの?


この金額を出してでも、そんなに欲しいの?


今回見送るともう二度と出合わないかも・・・。


自問自答、そんな葛藤が始まる。


果たしてボクはどんな結論を出すのだろうか?


次回に続く・・・。

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コレクションの動機はさまざまである。


一番オーソドックスなのは、好きなアーティストの曲を集めること。


同じ作者の曲を集めたり、同じプロデューサーの曲を集めたり、


同じアレンジャーの曲を集めたり、・・・だんだんマニアックになってくる。


ある時期、単純に、“雨”の歌を集めようと思い立ったことがあった。


というより、偶然何枚かあったものだから、


ラジオ番組で“雨”の特集をできるくらいは揃えてみようかな?って。


歌詞の中に“Rain”が入っている曲、なんて集めだしたらキリがない。


というわけで、タイトルに“雨”“レイン”が入っていて、雨の日に似合う曲を、


というわけで、思いつくまま有名どころを・・・。


「悲しき雨音」、byカスケーズ。


「雨に歩けば」、byジョニー・レイ。


「クライイング・イン・ザ・レイン」、byエヴァリー・ブラザーズ。


「雨のフィーリング」、byフォーチュンズ。


「レイン・ドロップス」、byロイ・オービソン。


「雨のささやき」、byホセ・フェルシアーノ。


「雨」、byジリオラ・チンクェッティ。


「雨を見たかい」、byCCR。


そして、一番のお気に入りは、「雨に消えた初恋」、


DJ曰く、by“牛も知ってる”カウシルズ。


6月に限らず、雨の夜に聴く、雨の歌は最高である。

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1963年4月27日、ペギー・マーチはビルボードNo.1の最年少記録を更新した。


15歳と1ヵ月余り、だから、名前に“リトル”が付いていた。


「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」は、


「愛のシャリオ」というタイトルで、ペェトラ・クラークがフランスでヒットさせていた。


作者のひとりとしてクレジットされているデル・ローマは、


後のポール・モーリアその人である。


ペギー・マーチは、後に大の親日家となり、日本語のヒット曲を連発するのだが、


それはまた別の日に語りたい。


ラジオで初めてこの歌を聴いた時、ボクには別の感動があった。


小さい時、テレビ番組「陽気なネルソン」の後タイトル・バックで、


リック・ネルソンが歌っていた「ラブユー・ラブユー・ラブユー」が


この歌のカバーであることを知ったからであった。


まずは、ペギー・マーチのオリジナル盤を購入、


そして、その日から、発売されているのかどうかもわからないまま、


リックのこのカバー曲をリストの最上段に載せた。


大学生の時、大阪の中古店で見つけた時のうれしさは今も忘れない。


オリジナルも、アレンジされたカバーも、両方ともとてもいい!


洋楽同士のカバー・ヒット・コレクションに夢中になるきっかけとなったレコードである。


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1970年代後半、松山・大街道に、


当時としては流行の先端をゆく、女の子のための小さな靴屋さんがあった。


その名も、ブティック・ピエ。


ピエは『PIED』、フランス語で『足』のこと。


このおしゃれな店のテレビやラジオCMのBGMを統一したくて、


コレクションの中から、フランスのヒット曲を選ぼうと思った。


シルヴィ・バルタン、フランス・ギャル、マージョリー・ノエル、シェイラ、


フランソワーズ・アルディ、ダニエル・ドナン、ダニエル・ビダル、


ミッシェル・デルペッシュ、ミッシェル・ポルナレフ・・・・・


ひと晩中、ストップウォッチを片手に、聴きまわった。


そして、選んだのは、オーソドックスすぎるアダモだった。


サルバトーレ・アダモ、63年の「サン・トワ・マミー」のヒットを皮切りに、


「雪は降る」、「ブルー・ジーンと皮ジャンパー」、「インシャラー」など、


特に日本では大人気の歌手である。


でも、選んだ曲は、「小さな幸福」。


タイガースのジュリーがカバーしたことでおなじみの69年のヒット曲、


「ヘイ・ジュ・テーム」のB面収録曲である。


歌の始まりからカット・イン、15秒(TV用)にも、20秒(ラジオ用)にも、


30秒(テレビ、ラジオ用)にも対応OK。


自慢の選曲であった。

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レコードなんて出ていないだろうな、と思いつつも、


40年もかけて、何十軒もの中古店を探し回って、ようやく探し当てた曲がある。


2002年、インターネット・オークションでアラート登録して、


メール配信があった時の驚き、喜びは如何ばかりか!


その曲は、「名犬ロンドンの歌」。


関西では、日曜日の夕方6時からの放送だったと思う。


毎週、夕ごはんを食べながら必ず見ていた。


テレビ番組『名犬ロンドン物語』は、


孤独と自由と正義を愛するシェパード犬“ロンドン”がひとり(一匹)旅する物語。


常に弱い者の味方、ヨーロッパ中を放浪する冒険と探索の一話完結の30分ドラマ。


この歌を歌っていたのは、田辺靖雄。


元パラキンで奥様の“初代コメットさん”九重佑三子さんとコンビで、


国営放送の『思い出のウエスタン・カーニバル』なる番組の常連。


彼はその昔、梓みちよさんとの“マイ・カップル”で、


ポールとポーラの「ヘイ・ポーラ」や「けんかでデート」をカバーしていた。


ソロとしての最大のヒット曲は、「二人の星をさがそうよ」。


手に入れたこの音源は、かける度に磨り減る、なつかしのソノシート。


今までに針を落としたのは一度っきり。


今夜も聴いてみたいけど、それは危険極まりない暴挙かもしれない。


かけてみようか、やめようか、


♪~ここが思案のしどころよ~♪(橋幸夫「恋のインターチェンジ」より)

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5月、『母の日』が近づいてくると必ずといっていいほどCMに使った曲、


アストラッド・ジルベルトの「ママと歌おう」。


彼女は、言わずと知れたボサノバとジャズのボーカリスト。


その彼女が自分の息子マルチェロ(だったと思う)くんと歌った曲、


本当にホンワカと幸せな気分にさせてくれる。


この曲の作者は、ジョン・セバスチャンとスティーヴ・ブーン、


ラブィン・スプーンフルのオリジナルである。


「You Didn’t Have To Be So Nice」、邦題は「うれしいあの娘」。 


もちろん同じ歌詞なんだけど、雰囲気はまるで違う。


この曲をカバーしようと思ったジルベルトのセンスに感心する。


3日前に田舎の母が亡くなった。


そこで、記念(?)に選んだ曲がこれ。


田舎の陽気な“おばちゃん”の母とはまったく雰囲気は違うけれど、


ボクに童謡や演歌は似合わないから・・・。


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今や、飛ぶ鳥を落とす勢いの“ジャニーズ”。


そのジャニーズ事務所から一番最初にデビューを飾ったアイドル・グループ、


その名も、ジャニーズ。


メンバーは、リーダー真家ひろみ、飯野おさみ、中谷良、青井輝彦。


写真は、64年の彼らのレコードデビュー曲「若い涙」。


真家ひろみは、67年解散後、俳優や司会などをしていたが


その後タクシー運転手に転職し、2000年に53歳で逝去。


飯野おさみは、踊るアイドルとして『劇団四季』でミュージカル俳優として活躍。


中谷良は、歌がうまかったのでソロ歌手として活動していたが鳴かず飛ばす。


青井輝彦は、あおい輝彦として、「二人の世界」「あなただけを」「Hi-Hi-Hi」を


ヒットさせ、テレビの『水戸黄門』の助さんとしての活躍は記憶に新しい。


デビュー曲の他に、「泣いていたジェニー」「太陽のあいつ」などとともに、


67年、解散前のアメリカでの実況録音盤


LP『ジャニーズとアメリカ旅行』はボクの自慢のレア・コレクションである。


この年、全米デビュー用に「Never My Love」という曲をレコーディングしたけど、


結局はお蔵入り、同年この曲はアソシエイションによってリリースされ大ヒットした、


という話を聞いたような気がするが、定かではない。

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B級コレクターのボクにも、誰にも負けていないと思う(思うだけ)コレクションがある。


それは、60年代の日本のポップス歌手の洋楽カバー作品と


その洋楽のオリジナルを揃えること。


日本で流行りそうな曲を見つけてきて、日本語の歌詞をつけて歌わせる、


その最大の功労者(とボクは思っている)は、訳詩家:漣健二(後に健児)さん。


本名:草野昌一さん、ボクのかつての愛読書『ミュージック・ライフ』元編集長。


さて、その訳詩作品(作詞と言った方が適切な作品もある)の草分けが、


ダニー飯田とパラダイス・キング、坂本九ちゃん歌うところの「ステキなタイミング」。


オリジナルは、ジミー・ジョーンズの「グッド・タイミング(Good Timin’)」。


その昔、西新宿の有名な中古レコード店で見つけた。


このシングル盤は6,800円、同タイトルのLPは1,200円、


退屈そうにイライラする同行の部下を尻目に、


どちらにするか迷うこと45分、シングル盤を買った。


1週間後再び東京へ、かまち潤さんのライナー・ノーツが欲しくてLPも買ってしまった。


業務出張中でありながら、わがままな上司の趣味につき合わせてしまった元部下に


この場を借りて、心よりお詫び申し上げます。


今もときどき一緒にゴルフするけど、覚えてなさそう。


今頃お詫びするのは、まさにBad Timin’。

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NHK衛星第一で、大リーグ放送を見る。


今年、松坂登板試合を見ていると、8回の裏レッドソックスの攻撃、


突然、球場はこの歌とともに大いに盛り上がる。


「スィート・キャロライン」、ニール・ダイアモンド69年のミリオン・セラーである。


ボクが、ニール・ダイアモンドを知ったのは、


66年12月31日、モンキーズ2曲目「アイム・ア・ビリーバー」が全米1位になった時。


ビルボード№1・連続7週間というこの曲の作者としてであった。


早速、「アイム・ア・ビリーバー」のセルフカバーをしているLPを買う。


この『カレント・ヒット集』というベスト盤は今もボクの宝物。


そして、69年に「スィート・キャロライン」がヒット。


この曲こそ№1になれなかったけど、


70年、「クラックリン・ロージー」で、


72年、「ソング・サング・ブルー」で、№1を達成。


POPS歌手というより実力派のシンガーソングライターである。


ちなみに、ボクは、彼がモンキーズのために作った2曲目、


TVの『モンキーズ・ショウ』でよくかかっていた


「恋はちょっぴり(A Little Bit Me,A Little Bit You)」も大好き。

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ボクの手元にある、伊東ゆかりの「恋する瞳」、


確か70年代に大阪で手に入れたもの。


この曲は、65年の『第15回サン・レモ・フェスティヴァル』入賞曲で、


ブルーノ・フィッリピーニとの競作。


ボクは、伊東ゆかり盤が好きだったから、このレコードを買った。


数年前、竹内まりやが、


60年代POPSのカバー・アルバム『Longtime Favorites』でこの曲をカバーした。


その時のプロモーションで、


この曲にはイタリア原盤と日本再録盤があることを知った。


両方とも65年発売だけど、


タリア原盤には、イントロに「上を向いて歩こう」のメロディが入っているとの話だった。


アレンジャーが日本人歌手が歌うということで、こんなアレンジをしたらしい。


早速、ボクの持っている「恋する瞳」を聴いてみた。


「上を向いて歩こう」が入っている!それは貴重な(?)イタリア原盤だった。


喜びもつかの間、日本再発盤も欲しくなるのが“コレクター気質”、


というより、ボクの気質。


そして、この度、念願がかなって日本再発盤をゲット!


確かに、イントロが違う、レコード会社が違う、カップリング曲が違う、定価も違う、


何よりもレコード・ジャケットが違う。


いやぁ、マンゾク!まんぞく!満足!


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ケーシー・リンデンの「悲しき16才」と「グッドバイ・ジミー・グッドバイ」、


テリー・スタッフォード「サスピション」、


マーシー・ブレイン「ボビーに首ったけ」。


このコンパクト盤は、ボクの“お気に入り”ではなく、記念盤。


レコード収集を決心したのは中学3年生の頃、


高校時代はお金がないから、自由にレコードを買うわけにはいかない。


深夜放送や音楽誌を情報源に、欲しいレコードのリストを作っていた。


そして、大学生になって松山に来た1970年、


浪人時代のレコード貯金とレコード番号を記した80曲程のリストを持って、


一大決心で、銀天街のレコード店(今はもうない)へ。


その時初めて、“廃盤”というのがあることを知った。


リストのほとんどは“廃盤”になっていて、


再発盤でもOK!ってことで注文。



リストの中で入手できたレコードはわずか40枚足らず。


その最たる例がこのコンパクト盤。


リストの3曲が1枚のレコードに!最大の妥協の産物であった。


その日を境に、ボクの“全国中古レコード店めぐり”の人生が始まった。


大学時代は入手よりリストが増え、


社会人になって、休みと出張を利用してコレクションが増え続けた。


そして、2002年、コレクション革命が起きる。


インターネット・オークションは


コレクションをマニアックな世界へといざなうことになるのである。


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オールディーズのレコード収集って、例えばどんな曲を集めているのですか?


そんな時、必ず紹介するのがこの曲。


ニール・セダカ「可愛いあの娘(Next Door To An Angel)」。


ダーツの「ケメコの唄」の元ネタとおぼしき曲である。


「悲しき慕情」「カレンダー・ガール」「すてきな16才」「恋の日記」


「おお!キャロル」「恋の片道切符」といった彼の代表曲ではないけれど、


「恋の一番列車」「小さい悪魔」「悲しきクラウン」「ドリーマー」などと並んで


脇をかためるヒット曲。


妙なことにこだわるコレクター族は、こんなん大好き。


1989年5月27日、ニール・セダカが松山にやってきた。


コンサートがある、というので信じられない気持ちで


いつも宿直室で麻雀をしていた仲の良いラジオ局に言って、急いでチケットをゲット。


でも開催日近くになっても売れ行きが悪く、チケット代をダンピングして売ることに。


早く買った人が損をする、典型パターン。


当時の彼はもう、背の低い、さえない歌の上手なおじさんだったけど、


ボクにとっては憧れの大スター。


けど、一緒に行ったラジオ局の女の子は、思い入れがない分シラケ気味。


観客も600名ぐらいで、会場はガラガラ、


愛媛を代表して、“恥ずかしかった”。


だけど、彼は、今でもボクの中では東の横綱なのである。

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超有名な、ジョージ・ハリスン「マイ・スウィート・ロード」の裁判沙汰。


シフォンズの「イカシタ彼(He’s So Fine)」のパクリって認定された。


そして、後にシフォンズは「マイ・スウィート・ロード」をカバーした。


粋なはからい。


歌詞の類似は少々問題あり、だと思うけど、


メロディはね、“オマージュ”だとか“リスペクト”だとか“インスパイアされた”だとか、


いいんじゃないの(個人的意見)。


スパイダースの「黒ゆりの詩」は、アソシエイションの「チェリッシュ」みたいだし、


ダーツの「ケメコの唄」は、ニール・セダカの「可愛いあの娘」そっくり、


大滝さんの「君は天然色」は、ピクシーズ・スリーの「コールド・コールド・ウインター」似、


そして、松田聖子の「風立ちぬ」(大滝作曲)は、


ニール・セダカ作品、ジミー・クラントンが歌う「ブルー・ジーン・ビーナス」に似ている。


気のせい、なんてものを含めると、探し始めたらザクザク、いっぱいあるよ。


“マネされるくらいなんだから、ボクの作った曲、ものすごくイイ曲なんじゃないの!”


って、大きな気持ちで、笑って済ませてほしい。


ボクらコレクターはとても楽しいんですから。

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日本では森山加代子や伊東ゆかりのカバーでおなじみ、


シェリー・フェブレーの「ジョニー・エンジェル」。


59年から63年まで日本でも放送された「うちのママは世界一」の挿入歌。


ドナ・リード主演のホーム・コメディで、シェリーは長女メアリー役。


彼女は嫌々のレコーディングだったらしいけれど、


バックを務めるのはグレン・キャンベルやハル・ブレイン、


コーラスはダーレン・ラブとブロッサムズ、という超一流どころ。


なんと、62年4月、ビルボード№1に輝いてしまった。


まあ言うなれば、天地真理や浅田美代子といったところ。


ところで、彼女の後のヒットソング「悲しきテレフォン・デイト」のジャケット写真と


比べてみると、この顔写真は同一人物ではないような気もする。


一説によると、レコード会社が他の女性の写真と間違ったらしい。


そんなことって、ある?


ここで、ちょっと余談。


「うちのママは世界一」の長男役だったポール・ピーターセンと、


ジェームス・ダーレンの3人で出した『Teenage Triangle』というLPは


大滝さんの『ナイアガラ・トライアングル』の元ネタ。


半年ほど前にこのLPをゲットしたけれど、まだ聴いていない。

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ボビー・ヴィー、ボビー・ビントン、ボビー・ダーリン、ボビー・ソロ、


ボビー・ライデル、ボビー・ゴールズボロ、ボビー・シャーマン・・・


ボクのコレクションにはたくさんのBOBBYがいる。


アメリカのテレビ映画に出てくる『ボビー』は、たいていが次男坊で二枚目半。


62年、18歳の少女マーシー・ブレインが


そんなBOBBY賛歌「ボビーに首ったけ(Bobby’s Girl)」でデビュー。


その曲を、かの有名な漣健児さんの“作詩”でカバー・ヒットさせたのが、


後藤久美子チャン。


80年代後半の“美少女ブーム”を作った、今やジャン・アレジの奥様とは


もちろん別人。


当時5歳、“世界最年少のジャズ・シンガー”と言われ、


将来は美空ひばりクラスの大物になること確実、と評判だった。


昭和31年6月29日生まれだから、51歳になっているはずだけど


その消息は聞こえてこない。


“あの人は今”、どうしてるのかなぁ。

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レコード・コレクター、理想の姿は、


一定のジャンルやアーティストのレコードを全て網羅している、


そして、その関連知識に通じていること。


翻って、ボクはと言えば、


自分の好きなものだけ集めて、


知識は集めている出版物の受け売り。


だから、ボクは自慢のB級コレクター。


ラジオや音楽誌で得た情報をもとに、欲しくなった曲を集める。


まずは、音源の確保。


コレクターズCDでもLPでも、再発盤でもとりあえず買う。


そして、目標はレコード・ジャケット付の初回国内発売盤を入手すること。


もちろん、お金と相談しながら・・・。


というわけで、今夜紹介するのは、


長年CMを担当していたラジオ番組のタイトル曲で、


58年1月ビルボード№1ヒット、


ダニー&ジュニアーズ「踊りにいこうよ(At The Hop)」。


ちょっとおちゃらけで買ってしまった、ピクチャー盤。


もちろん音源はいっぱいあるし、「Back To The Hop」も持っているけど、


初回発売の国内盤は持っていない。

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スティーヴ・ローレンスとイーディ・ゴーメ。


このふたりはPOPS歌手ではなかったけれど、


ブリル・ビルディングものの多くのヒット曲をもっている。


スティーブは、59年、テリー・ランダッツォの「恋のブルー・アイズ」を、


60年、♪~フーステー、フーステー~♪でおなじみバリー・マンの「悲しき足音」を、


62年には、キング&ゴフィンの「かなわぬ恋」を、ヒットさせた。


イーディは、63年にマン&ウェイルの「恋はボサ・ノバ」をヒット・チャートにのせた。


この曲にはちょっとした思い出がある。


大学生の時、フォークダンスで「マイム・マイム」が終わったと思ったら


突然この曲が流れて、もうびっくり!


ボクの大切にしていた秘蔵のコレクション・ナンバーが・・・。


踊り方を教えられて、ハニカミながら、踊ってしまいました。


さて、話は戻って、


究極は、64年にスティーヴ&イーディで夫婦デュエット曲をヒットさせた。


知る人ぞ知る(知らない人は知らない)「I Can’t Stop Talking About You」


これまたキング&ゴフィンの隠れた名曲である。


半年ほど前にようやく英国盤を手に入れた。


もちろんジャケットはないが、ボクには大切な1枚である。

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初めて映画を見に行ったのは中学生の時、


『史上最大の作戦』。


ポール・アンカが出演している、と聞いて、


彼の顔を見たくて見に行ったけど、結局はわからず。


でも、映画のすばらしさを知った。


「ダイアナ」は山下敬二郎の歌だと思っていたけれど、


オリジナルがポール・アンカだと知った時から、


いったいどんな顔をした人かを知りたかったのに・・・。


今話題の角界に倣って、オールディーズ番付を作ってみると、


彼は“西の横綱”。


彼の多くのレパートリーの中で、ボクの今一番のお気に入りは「シンデレラ」。


この曲、決して彼の代表曲とは言えないけれど、


ちょっと“ひねり”をつくるところが、コレクターたる所以、


♪~ユエン・ナスバラ・ハウンド・ドッグ~♪(byプレスリー/2度目の登場)。


ところで、“東の横綱”は誰?


それは、「またいつの日か」(byダイアナ・ロス&シュープリームス)。

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口笛ジャック(Whistling Jack Smith)の「口笛天国」。


世の中には変り種の“企画もの”が数多くある。


「上を向いて歩こう」のように口笛をフィーチャーした、というレベルではない。


この曲には歌詞がない、なんと全部口笛だけのインストメンタル(?)。


66年、ザ・カーナビー・ストリート・セットと“本命盤”争いを繰り広げたが、


なんとなくこちらが勝利した感じでヒット。


もう20年以上も前に、


某お味噌メーカーがお昼前のラジオ番組の提供につくことが決まった時、


BGMと企業のCMイメージを結びつけること、


そして、どんなナレーションにも邪魔にならないこと、を条件に


ボクのコレクションをひっくりかえして、選び出したのがこれ。


ボクが担当をはずれた後もずっと使われていた。


当時は、文化放送の『走れ!歌謡曲』のテーマ曲だったことなど知る由もなく、


まったく口笛が吹けないボク故に、とても気に入っていた。


誰か、口笛の吹き方を教えて!

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あまりウケなかったねシリーズ、その2。


やっぱり元部下の結婚式、披露宴の二次会での話。


二次会は、なんとケントスを貸切。


その頃、ボクがCM制作を担当していたラジオ番組のDJが


ケントスのバンドのボーカルの女の子(女性)で、


何日も前から企画して、


放送局のスタジオでカセットテープを準備して、


これはウケるぞ、と自信マンマン!


元ネタは、第1回キリン・フォーク・コンテスト優勝曲


朝香ふみえ&中島文雄「ある日渚で」。


レコード・ジャケットにあるように、


“ある夜のある渚である二人のふだけた会話!”


♪~愛してるって言って~♪ (愛してるよ)



♪~もっと心をこめて~♪ (愛してます)


♪~とてもきれいな海ね~♪ (きれいだよ)


歌につづいて、合いの手にカッコ内のセリフが入る。


このセリフを新郎に言わせよう、という企画。


こんなチャラチャラしたセリフが延々と3分30秒あまりつづいて、


最後は、


♪~とてもきれいな海ね~♪ (君の方がもっときれいだよ)


(え!なんて言ったの?) (知ってるくせに、いじわる)


って、オチ。


やさしいふたりは一生懸命やってくれたけど、


準備にスタジオで2時間、本番で10分間、壮大なひとり芝居に終わった。


曲があまりにもマニアックすぎたかな?


今では広告会社の部長になっている彼に、


“あの時はゴメンね。”


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広告屋生活も10年ぐらい経った頃、


部下の結婚式の司会を頼まれた。


しゃべりは完璧だった(と思っている)けど、


強引に、自分の趣味で選んだBGM、


お色直し、和装で、相合傘でふたりが再入場するシーンで、


梓みちよ「お嫁さん」。


“わからないの 教えて ルルルー、いけないとき 叱ってね ルルルー


ためいきがでるほど やさしいあなた”


作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、アレンジは森岡賢一郎、


67年、フジテレビ『お嫁さん』の主題歌。


ヒットパレードには登場しない、隠れた名曲。


ボクってセンス抜群!やったね、って。


でも、みんなの反応はイマイチ、誰も感心してくれなかった。関心なさそう。


ちょっとマイナーすぎたかな?


今ではお茶屋さんの社長におさまっている彼に、


“あの時はゴメンね。”



*この時の反省は生きることなく、同様の体験を繰り返すボクなのでありました。

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コンパクト盤。


大きさはシングル盤と同じ17cmだけど、


33回転で4曲入り、お得なレコードである。


でも、4曲も入っていると、中には好きでない曲もある。


これがボクには困りもの。


そもそもシングル盤が好きな理由は


好きな曲だけ買えるから。


でも、カスケーズのこのレコードは完璧。


梅雨の時期には必ずかかる雨の定番「悲しき雨音」。


63年3月の彼らのオリジナル・ヒット曲。


そして、続いてのヒット曲「悲しき北風」。


木枯しのSEが抜群で、よくCMに使った。


原題は「The Last Leaf」、オー・ヘンリーか太田裕美か。


3曲目は、「エンジェル・オン・マイ・ショルダー」。


60年シェルビー・フリントのカバー。


1年ぐらい前にようやくオリジナルの輸入盤を手に入れた。


そして4曲目は、61年ジョニー・バーネットのカバー「夢見る恋(Dreamin’)」。


何度聴いても飽きない大切な大切な1枚である。

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ボクが今までの人生で一番多く歌った曲は?


飯田久彦「ルイジアナ・ママ」。


若い頃は、素歌(すうた)で。


まぁ言うなら、素うどんの友達(?)。


なぜって?オンチでカラオケと合わないから。


でも、ツイストを踊りながら歌う「ルイジアナ・ママ」は、


それはそれ、いいギャグのひとつで、ボクの夜の代名詞だった?


ジーン・ピットニーにもチャレンジしようと思ったけれど、


英詩には早くてついていけなかったから、断念。


「悲しき街角」も「小さい悪魔」も歌えるよ。


「恋のハッスル」も「コーヒー・デイト」も「トランジスター・シスター」も歌えるけど、


カラオケがない。


日劇ウェスタン・カーニバル時代のアイドル、


後に、ピンクレディーのレコーディング・ディレクター、


そして、現テイチクエンターテイメントの社長、となる


“チャコさん”こと、飯田久彦さんの若き日の大ヒット曲である。