FC2ブログ

BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

img272


ゴルフの話、先日のマスターズを征したトレバー・イメルマンは南アフリカのプロ。

ゲーリー・プレーヤー、アーニー・エルス、レティーフ・グーセンと有名プロ花盛り。

オールディースの世界でも1人と1グループ存在する(ボクの知る限り)。

その1グループは、フォー・ジャックス・アンド・ア・ジル、女性ひとりと4人の男性グループである。

前身は、グレニス・リンとゾンビースだったらしい。

もちろん、「好きさ好きさ好きさ」のゾンビーズとは同名異グループ。

67年「ティモシー」のヒットの後、68年この「マスター・ジャック」が米英日で大ヒット。

その人気の頂点でリーダー(クライヴ・ハーディング)とグレニスが結婚、

まるで、どこかの国のチェリッシュというグループのよう。

さて、もう1人の南アフリカ出身はミリアム・マケバ。

黒人人権運動家と結婚したために反アパルトヘイト活動家の側面が注目されたけれど、

彼女の大ヒット曲68年「パタパタ」は、日本ではフォークダンスの定番曲、

レコード・ジャケットにも踊り方が写真入りで紹介されている。

大学生の時、ボクもそこここで踊ったものでした(恥ずかしながら)。

img273
img268


ハモンド・オルガン(?)をフィーチャーした軽快なメロディと

喉に何かひっかかってるような独特のダミ声とクリアーな裏声を駆使したこの曲は

61年4月、ビルボードのトップの座を射止めた。

レノン&マッカートニーの曲を初めて全米ヒットチャートに送り込んだとして有名なこの人の名は、

デル・シャノン、No.1ヒットは「Runaway」、邦題「悲しき街角」。

本人は知ってか知らずか、この後彼は、日本では“街角男”という異名をとる。

その噂の張本人は、たぶん漣健児。

「Hats Off To Larry」は「花咲く街角」、「So Long Baby」は「さらば街角」、

「Little Town Flint」は「街角のプレイガール」、だいぶ無理がある。

「Stranger In Town」は「街角のストレンジャー」、そのままジャン!

というわけで、もちろん日本語のカバーバージョンも紹介しなければなるまい。

超有名な「悲しき街角」は飯田久彦、「花咲く街角」は坂本九、

その他の“街角シリーズ”はもう要りません。

img269

img270

img271
img266


アメリカでは、しっとりとした甘いハスキー・ヴォイスのジャズ・ボーカリスト。

日本では、ボーイッシュな魅力の可愛いアイドル歌手。

彼女のイメージはさしずめそんなところ。

彼女の名前は、ジョニー・ソマーズ。

ボクの好きな「すてきなメモリー」は、その両方のイメージを満足させてくれる。

63年、アメリカでもシングル発売されたがヒットせず、

日本でのみヒットパレードを席巻した。

もちろん、その頃ボクは小学生だからそんなこと知る由もなかったけれど、

60年の『バイ・バイ・バーディー』の挿入歌「ワン・ボーイ」と、

62年の大ヒット曲「内気なジョニー」、

やさしい英語歌詞は、両方とも日本の高校生が歌うのにはぴったり。

この2つのヒット曲のカップリング盤を買ってきて何回も何回もかけながら歌ったものだ。

日本人のボクには、いつまでもボーイッシュな可愛いアイドルでいてほしいと思う。

img267
img265


オリコン最高位83位、2.6万枚しか売れなかったけれど、

毎日毎日テレビに出ていた。

13、4歳だったと思うが、歌は上手だし、名前はユニークだし、フリが印象的。

78年、天馬ルミ子、「教えてください、神様」。

イントロは30秒、いつになったら歌うねん!

ポップでいい感じ、さすが都倉俊一!

まるで礼拝堂で祈るかのように膝まずいて歌う、

      おまえは「エメラルドの伝説」のショーケンか!

知名度やアイドル人気がレコード売上げに結びつかなかった70年代、

でも、『レッツ・ゴー・ヤング』は毎週見ていた。

あの頃の国営放送の音楽番組、質が良かったですよね。

彼女の本名は、天間館(てんまだて)という珍名さん、

今はガラス屋さんの奥様として幸せに暮らされているようです。
img264


’60年代のマイナー・ガールズ・ポップスを集めた『Dream Boy』というコンピレーションCDの

Vol.1、Vol.2、Vol.3とも1曲目は彼女の歌から始まる。

そのおしゃれな曲調と可愛い声が、このCDを象徴している。

彼女の名は、Miss Cathy Brasher、ミス・キャシー・ブラッシャー。

日本盤にはMissはついていないけれど、CD表記にもついているし、原盤にもついているらしい。

1950年4月生まれだから、64年当時14歳(ちなみにボクと同学年)。

たぶん当時、同性同名の奥様アーティストがいたのだろうと、まったく勝手な想像をしている。

さて、ここ数年、彼女のシングル盤を探していたけれど、

全国の中古店はいうまでもなく、ネットでも、ニューヨークの中古店でも出合わなかった。

ところが、つい先日突然、定期的に配信される中古店のオークションに国内盤を見つけた。

いやぁ~、その時はもう、びっくり!驚き、桃の木、山椒の木(古い!)、

もちろん、大枚をはたいて見事落札、となった次第。

CDにある4曲のうち、3番目に好きな65年の「Sh・・Listen」、「涙のロンリー・ガール」。

そして、うれしい付録はそのB面、晴れて彼女の5曲目のゲットとなった。
img261


1964年1月、ビートルズの「抱きしめたい」がビルボードHOT100デビューしてから

アメリカのヒット・チューンはイギリスのグループで溢れかえった。

世に言う“ブリティッシュ・インベイジョン”。

ロック時代が始まって(55年)以来63年まで年間チャートに入った曲は8枚、

なのに、64年には年間トップ100中27曲を数えた。

ビートルズの10曲に続いて2番目に多かったのが、

4曲のデイヴ・クラーク・ファイヴ。

一曲を選ぶならば、やっぱり日本で最も人気の高かった「ビコーズ」ということになる。

DC5は、本国イギリスよりもアメリカで人気のあったグループで

ついに65年12月、「オーバー・アンド・オーバー」で唯一のビルボードNo.1を獲得した。

日本では「ビコーズ」以外いまひとつ人気がなかったのが残念である。

今年2月28日、デイヴ・クラークとともに多くのヒット曲を生み出したマイク・スミスが亡くなった。

彼のシャウトが聴ける「カム・ホーム」を聴きながら冥福を祈ります。

img262

img263
img258


広島の中古店でオリジナル盤をゲットした。

オークションに再々出てくるけれど、ボクの欲しさ加減と金額がマッチしなくて買えなかった代物。

ご覧のように、ジャケットの状態は非常に悪い。

この様子からみると、きっとラジオ局からの放出品だと思う。

多くの局はCDに入れ替えるために、大量にシングル盤を処分した時期があるという。

でも、レコードの盤質はGOOD、あまりかけていないのだろう、ラッキーである。

65年、トーイズの「ラバーズ・コンチェルト」。

バッハが妻のために作曲した「メヌエットBWV.114」を元ネタにした曲。

日本で最もヒットしたのは、66年のサラ・ヴォーンのカバー。

トーイズは素朴に、

サラ・ヴォーンは荘厳に、

そしてシュープリームスはポップに、

三者三様すばらしいと思う。

以前から持っていたサラ・ヴォーン盤、シュープリームス盤(共に再発盤ですが)も

合わせてアップしました。

img259

img260
img257


1959年2月3日、ものすごく寒い日だったという。

若い3人のロッカーが次のコンサート会場へ移動するために小型飛行機で飛び立った。

そして、3人は若くしてこの世を去った。

バディ・ホリー22歳、ビッグ・ボッパー24歳、そしてリッチー・ヴァレンスは17歳だった。

“オールディーズの巨匠”ポール・アンカはバス移動にしたために難を逃れた。

ホリーをアイドルとして青春時代を過ごした青年ドン・マクリーンは

「アメリカン・パイ」の中で、この日を♪~The day the music died~♪と書いた。

繰り返し歌われる♪~This’ll be the day that I die.~♪は

ホリーのヒット曲「That’ll Be The Day」のもじりだと思う。

72年1月、長い長い歌詞のこの曲はついにビルボードNo.1に輝いた。

演奏時間8分36秒、あまりにも長くてシングル盤に納まらなくてAB両面に分けられた。

そして、多くのラジオ局は両面をオン・エアーしたという。

この曲を紹介する限りは避けては通れない有名な話である。
img254


シャ・ナ・ナは、1969年、コロンビア大学の学生を中心に結成された。

リーゼントに金ラメのコスチュームあり、タンクトップにジーンズあり、皮ジャンありの

テディ・ボーイ・ファッションの12人組、グループというよりチーム。

50年代のロックン・ロール・ショウを彷彿とさせるように

オールド・ロックン・ロール・ナンバーを歌い踊る彼らのステージこそが最大の魅力。

ヒッピーやドラッグの『ウッドストック』の時代、

サイケデリック・ロックやブルース・ロック全盛の時代に

Oldies but Goodiesをパフォーマンスした彼らの心意気や如何に!

当然、シングル曲を楽しむよりLPやライヴ盤の方が楽しいに違いない。

でも、例によってシングル盤こだわりのボクが選んだ1枚は「リメンバー・ゼン」。

デビュー・アルバムの1曲目で、59年ジ・アールズのカバー、

この曲は単独でも存在感いっぱい、

彼らのオリジナルだと言っても通用する、とボクは思う。

もう一枚、ドゥ・ワップの名曲「イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト」のカバーと、

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「スモーキン・ブギ」のカバーを含むベストCDを紹介します。

img255

img256


img253


竹内まりやがオールディーズのカバー・アルバム『ロングタイム・フェイバリッツ』を出す時、

録音したけれどオクラ入りにしてしまった曲、

それが、この「悲しきハート」だという。

弘田三枝子のカバーを上回る出来にならなかったから、とのこと、本人がFMでそう語っていた。

それほど弘田三枝子のカバーは素晴らしいと思う。

オリジナルを超えた!というより自分のオリジナルにしてしまった。

1963年、当時10代とは思えない歌のうまさ、個性であった。

図らずもオリジナルを中傷するかのようなコメントになってしまったけれど、

オリジナルはスーザン・シンガー、

当時16才、かの有名なヘレン・シャピロのいとこ。

弘田三枝子が英語で歌っているのかと思うような声、

いえいえミコちゃんが彼女の声までカバーしてしまった、歌にパンチを加えて。

そして日本語の歌詞がその魅力を一層引き立てたのだと思う、

作詞は、みナみカズミ、後の安井かずみさんである。

竹内まりやの「悲しきハート」、ぜひ聴きたかったと思う。

img252
img249


シリーズ?いったいいつからシリーズになったのか、

という声も聞こえてきそうな今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

前回に引き続いて、今夜も前から持っていた曲の国内盤と輸入盤を聴き比べてみました。

この曲は輸入盤の方がホンの少し音圧が高いかな?って程度の違い。

よ~く考えてみたら、この輸入盤はアメリカ発売のもの、

でもこのグループはリバプール出身の“マージービート”、

やっぱりイギリス発売のものと比べなくては意味がないのかな、なんて思ったりして・・・。

こんなことばかりに興味がいってしまうと、大好きなこの曲を楽しめなくなってしまう。

いやはや困ったものだ。

ジェリーとペイスメーカーズ、63年のデビュー曲「恋のテクニック」。

数年前、CM曲として使われていたことがあるから、

きっと“ああ、聴いたことある!”という曲。

ちなみに、マネージャーはビートルズと同じブライアン・エプスタイン。

ところで、

アメリカ盤のレーベルはオールディーズ・ファン垂涎のLAURIEレーベル。

オイ!今度はレーベル比べかい!

img250

img251
img246


またまた念願の国内盤をゲットしてしまいました。

「The End Of The World(この世の果てまで)」でおなじみのスキーター・デイヴィス、

63年、キング&ゴフィン作品の「恋はいじわる」、

原題は「I Can’t Stay Mad At You」、

ニール・セダカの「悲しき慕情」や「かわいいあの娘」スタイルの大好きな一曲である。

もちろん、輸入盤はもう何年も前から持っていたのだけれど、

ようやく、レコード・ジャケット付の国内盤が手に入って、

めでたくブログへのお目見えと相成った次第。

と、思い出したのは、西新宿の中古店のマスターのひとこと。

輸入盤を持っている曲の国内盤を探している、というボクに、

“輸入盤の方が音がいいから、私らにはうらやましい限りだねェ”、

えっ!そうなの、って感じで、あらためて聴き比べてみた。

本当に違いがはっきりしている、

輸入盤の方があきらかに音がいい、というか音圧が違う。

他の曲もすべて聴き比べたわけではないけれど、

ジャケットなしの輸入盤も大切なコレクション・アイテムになりそうだ。

img247

img248
img243


昨日、今日とつづけてルーベッツのLPを2枚買ってしまいました。

1974年、初めて「シュガー・ベイビー・ラヴ」を聴いた時、

どのグループのカバーだろう?と思った。

リズミカルなドラム、ドゥ・ワップ調の“ワッチュワリワリ”コーラス、高音のきれいなファルセット、

ビートの効いたメロディ、ちょっと気取ったセリフ入り、

オールディーズの魅力をすべて網羅した曲だったから。

ところがこの曲、彼らのオリジナルだと知ってびっくり、

2曲目の「トゥナイト」も、3曲目の「恋のジューク・ボックス」も

期待を裏切らないオールド・ファッションド・ドゥ・ワップだった。

グループ名のRubettesは、ダイヤモンズをヒントに、ルビー(Ruby)をもじったのだとか、

カタカナ表記も2曲目以降はルベッツとなってしまった。

アメリカのシャ・ナ・ナや、日本のヴィーナスのように

オールディーズに触発されたグループはいくつかあるけれど、

ルーベッツのようにオリジナルで勝負するのは珍しい。

今夜から2枚のLPを楽しもう。

img244

img245
img242


先日、初めて、東温市の“坊ちゃん劇場”でミュージカル『龍馬』を観ました。

誰もが知っている坂本龍馬の幕末ストーリー。

オープンして1年以上も経つのに今頃の観劇、誠に面目ありません。

ボクのもっていた先入観、イメージはおおはずれ、

脚本も楽曲も俳優も舞台セッティングもライティングも、実に素晴らしいものでした。

“芝居”というイメージで、何となく後回しにしていたのですが、

“トンでもHappen!駅まで10分”(とんでもない)、

あえて“ミュージカル”と言わせていただきます。

ニューヨークで観た『ジャージー・ボーイズ』と比べながら観てしまいました。

というわけで、レコード紹介は、

『ジャージー・ボーイズ』のフォー・シーズンズとエンジェルスの珍しいカップリング盤。

フォー・シーズンズの「悲しき朝やけ」は有名、

エンジェルスの「抱きしめたい」はビートルズのカバー、

ただそれだけなのですが、思わず買ってしまいました。

『龍馬』、キャスティングが代わった時、もう一度行きますよ。
img239


スリー・ファンキーズは、1960年にデビュー、

今のSMAP以上の人気アイドル・グループだった。

初代メンバーは、長沢純、高橋元太郎、高倉一志。

高橋元太郎さんは、後に『水戸黄門』の“うっかり八兵衛”として大活躍する。

彼は62年ソロ歌手として独立、

代わって二代目メンバーに加わったのは、“矢車剣之助”手塚しげお。

そうして、63年、オリジナルの代表曲「ナカナカ見つからない」が大ヒットした。

この曲、作詞は後の東京都知事、青島幸男、

作曲はクレージー・キャッツのピアニスト、桜井千里、

当時としてはモダンでおしゃれな曲であった。

次に独立したのは高倉一志、確か俳優に転向したんだと思う。

代わって三代目メンバーに入ったのは、アイドル候補生、早瀬雅男。

66年解散後に、GS(繰り返し言うがガソリン・スタンドてはない)ビーバーズへ。

ビーバーズについては、いつか語りたい。

さて、2003年、長沢純さんと会った時、

ボクが“矢車剣之助”の大ファンと知って、携帯で手塚さんに電話していただいた。

その楽しい出会い(会話)の11ヵ月後(だったと思う)、彼は帰らぬ人となった。

寂しく、悲しく、残念な思い出。

長沢さんは今も企画会社社長として、時にはアーティストとして大活躍されている。

また田園調布の焼肉屋さんでおいしいカルビをご馳走になりたいと思う。

どうぞ、よろしくお願いします。

img240

img241