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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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61年3月、アネットの「パイナップル・プリンセス」をカバーしたのは、

12歳、小学校6年生の田代みどり。

当然“日本のアネット”と呼ばれているはずなのだが、

彼女のニックネームは、“和製ブレンダ・リー”。

彼女が、ブレンダの「スィート・ナッシンズ」でデビューしたからなのだろう。

第一、誰もPP(パイナップル・プリンセスの略)がアネットの曲だなんて知らなかった。

みどりちゃんのオリジナルだと思っていたし、

ブリンダ・リーの方が抜群にネームバリューがあったのだから。

みどりちゃん(ボクより年上なのに)の、このレコード、もうひとつ希少価値がある。

なんと、歌詞カードに“草野昌一・作詩”とある、

漣健児、ではなく、本名でクレジットされているのである。

みどりちゃん(峰竜太の嫁ではない)は、その後、

72年、ご主人の三原綱木さんと、つなき&みどりを結成し、

ヒデ・ロザ風の「愛の挽歌」を小ヒットさせる。

不思議とコレクションにありました、たぶん家内がもっていたのだと思う。

現在も、新しいご主人のもと、歌手活動を続けられていると聞いている。

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梅雨時でなんとなく気分が晴れない今日この頃ですが、

ボクのコレクションの中で、一番夏が似合う女性を見つけました。

夏の女、いわばサマー・ガール、というわけで、

思い出して引っ張り出したのは、「サマー・ガール」、スパイダースでした。

オールディース界でのサマー・ガールは、ダントツでアネット、

本名、アネット・ファニセロ。

42年10月22日生まれ。

彼女が本格デビューしたのは57年、ディズニー・プロのアイドルとして

59年「トール・ポール」をヒットさせ、

60年にはポール・アンカの「恋の汽車ポッポ」をリリース、

その冬、「パイナップル・プリンセス」で日本デビュー。

そして、62年を最後にヒット・パレード・シーンから姿を消したけれど、

63年から青春映画に転身、

これ以降の活躍がボクたちにサマー・ガールのイメージを植えつけた。

64年の「ビーチ・パーティ」と、

65年、ビーチ・ボーイズがバック・コーラスをやっている「モンキーズ・アンクル」こそが、

サマー・ガールの象徴なのです。

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ビーチ・ボーイズの「サーフィンUSA」?、ジャン&ディーンの「サーフ・シティ」?

もちろん否定はしないけれど、やっぱり、「Summer Means Fun」。

直訳すると、夏は楽しいを意味する、なんですから。

今度、ジャン&ディーンのシングル盤「青春の渚」を手に入れました。

でも、オリジナルのブルース&テリーの方が最高に好きです、

64年全米72位の小ヒットなのですが。

ブルースは、

一時期ブライアンの代役としてビーチ・ボーイズに参加したブルース・ジョンストン、

テリーは、

あのドリス・デイの息子、後に不幸な運命を辿るテリー・メルチャー。

この曲の作者は、

後にグラス・ルーツをプロデュースするスティーヴ・バリと

「孤独の世界」の大ヒットを放つフィリップス・スローン(P.F.スローン)。

彼ら自身もファンタスティック・バギーズとしてセルフカバーしている。

そして、日本でのカバーは、早瀬雅男くんを加えた3期スリー・ファンキーズ。

この珍しいシングル盤も先日晴れてゲットできたので

満足、マンゾク、の某レコード・コレクター氏なのであります。

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ボクが大学生の頃、時は1970年代初め、

アイドル3人娘と言えば、小柳ルミ子、南沙織、天地真理。

作家や映画監督やアナウンサーやアーティストなどに

絶大なコアなファンが多かったのが、南沙織。

挙句の果てに超有名カメラマンの奥様になってしまった。

その後も、歌手として活躍するわけでもなし、かたくなに出演を拒否するわけでもなし、

本当に自然な形を堅持している姿には大いに好感をもっている。

なぜ、多くの“玄人(くろうと)”ファンがいるのか?

単なるアイドルとしてではなく、女性アーティストと呼びたくなるスタイルだったのだと思う。

73年発売の6枚目シングル曲「早春の港」を聴いて

吉田拓郎が「シンシア」を作った、というのはウソかマコトか、あまりにも有名。

“シンシア”が彼女のクリスチャン・ネームであることも

今さら記するのもはばかられるくらいに有名。

ついでに、“シンシア”は蟹座の守護神だから、

デビュー曲「17才」のレコード・ジャケット写真で蟹座のTシャツを着ているというのもオシャレ。

この頃のボクは、

下宿に大きな大きな「虹をわたって」のポスターを貼っていたくらいの

天地真理ファン。

当然のことながら、ボクは今も昔も誇り高き“素人(しろうと)”なのです。

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涙を隠して、笑いを届ける。

悪い自分を演じて、同じ彼女を好きになった友人に彼女を譲る。

高校生の頃は、これが美しい物語で、そんな自分に酔ってしまったりした。

まさに、哀しくも美しい物語なのであった。

残念ながら、今頃は、美学でもなんでもない、って言うだろうね、若い人たちは。

オールディーズにはそんな曲がある。

まずは、おなじみゲイリー・ルイス&プレイボーイズ、

65年のヒット曲「涙のクラウン」、原題は「Everybody Loves A Clown」。

お次は、3年さかのぼって、62年の「悲しきクラウン」、原題は「King Of Clowns」、

こちらも、おなじみニール・セダカのヒット曲。

どっちも原題に忠実な邦題ではないけれど、

当時流行りの“悲しき”と“涙の”タイトルだから、許してやってね。

70年にスモーキー・ロビンソン&ミラクルズが

「The Tears Of A Clown」を全米No.1ヒットさせたけど、

この邦題は、本当の「涙のクラウン」(シングルは持っていない)。

日本のオールデイーズの中にも、知られざる名曲がある。

泉谷さんが作った、カメカメ合唱団の「あいつはピエロ」。

何回か書いたけど、本当にいいLPなのです(初めてこのブログでLPをアップしました)。

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高校生になって、彼のヒット曲を知った。

それから1年もしないうちに、彼が亡くなったというニュースに出合った。

彼、ジョニー・バーネット、30歳の夏であった、と記憶している。

カルフォルニアの湖で釣りをしていて舟の衝突事故で溺死したという。

日本では、「片目のジャック」で有名になったけれど、

ボクのフェイバリット・ソングは、

60年にヒットした「夢にみる恋(Dreamin’)」と、

60~61年のヒット曲、「ユー・アー・シックスティーン」。

この「ユー・アー・シックスティーン」は、その後ビルボードのNo.1を獲得する。

74年1月、リンゴ・スターによってであった。

リンゴのために、解散したジョン、ジョージ、ポールが協力しての結果であった(らしい)。

つい最近、このリンゴの珍しいシングル盤を入手した。

なんと青緑色のカラー・レコード、MADE IN GT BRITANと表記されているけれど、

出品者によるとベルギー発売だとのこと。

発見した限りは入手しなければならない、

バーネット・ファンの悲しくも楽しい“性”(世良公則ヒット曲)なのである。

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♪~ 遥かな尾瀬 遠い空 ~♪ ではない。

67年、サム&デイヴ、「Soul Man(ソウル・マン)」。

このブログに書きたくて、近くの中古店で買ってしまいました。

音楽のジャンルって、誰が分けたか知らないけれど、

ものすごくファジー。

Shopによって、微妙に分類が違ったりする。

本当は、どうでもいいことかもしれないのに・・・。

サム&デイブは比較的分かりやすいけど、『ソウル』だったり、『R&B』だったり。

とにもかくにもボクのコレクションには非常に少ないジャンルなのです。

だから、もちろん曲は知っているけど、レコードなんて持ってなかった。

でも、いいですよね、「ホールド・オン」ともども

サムの高音とデイヴの低音のかけあいが絶妙で、音楽の漫才師のよう。

と、本論に戻って、

なぜ、夏になると思い出す、のかって?

聴いてみればわかりますよ、

♪~ ソーメン ~♪ なんてね、

お後がよろしいようで。
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モンキーズのことではありません。

64年、「ハウンド・ドッグ」や「監獄ロック」を作ったリーバー&ストーラーが

新しいレコード会社を設立した。

そのRed Birdレーベルの第1弾シングルは、

ニューオリンズ出身の女性3人組、ディキシー・カップスだった。

「Chapel Of Love」、邦題「愛のチャペル」は、

64年6月、ビートルズの登場で英国勢が席巻するヒットチャートから

No.1の座を奪還した。

この曲のライターは、ジェフ・バリー&エリー・グリニッチの名コンビ+フィル・スペクター、

もちろん、プロデューサーはリーバー&ストーラー、

といった超豪華な布陣。

この曲はロネッツのために書かれ、すでに録音も終わっていたが、

スペクターの思いつきで、この新人グループのためにシングル・カットした。

結婚するふたりの、幸せの絶頂を、

シンプルに、素朴に、歌い上げる、力強いコーラスは必聴の価値アリ、なのです。
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小学校の遠足旅行はいつも、観光バスに乗って出かけることになる、

おばあちゃんが漬けていた梅ぼしを臍に当てて(車酔い防止のまじない)。

その行き帰りには必ずマイクが回ってくる。

今頃のようにカラオケがあるわけはないから、

みんなが素歌(アカペラ)で好きな歌を歌う。

小学校6年生から中学校にかけてのボクの愛唱歌のひとつが

竹田公彦の「若い炎」。

毎週水曜日の6時過ぎからのテレビドラマの主題歌だった。

自動車会社のテストドライバーの物語だったと思う。

♪~ 真っ赤な太陽を がっちり抱きしめて ~♪

この“抱きしめて”が、その頃の小学生には衝撃的なフレーズで

バスの中は大ウケ、先生はニガ笑い、なのである。

そんな歌が急になつかしく感じて、レコードを探し始めてから7年、

ようやくオークションでゲットした、その額16,000円。

久しぶりに聴きながら、思い出したのは・・・

同じ頃見ていた、待田京介の『月曜日の男』JJ(持統院丈太郎)。

最近CSで『キーハンター』や『ガードマン』を見るけれど、

今の感覚だとなんともチンケなアクションで、シラジラしく映る。

たぶん『若い炎』も『月曜日の男』もそうなんだろうなぁ~。
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甘く、膨らんで、ポップに弾ける!

“バブルガム・ミュージック”とは、うまいこと言ったものだ。

音楽的実力があるのかどうかわからない、とにかく売れればイイ、という狙い。

だから、アーティスト的にはちょっと下に見られがち。

そんな“ふうせんガム音楽”の第1人者は、その名も、1910フルーツガム・カンパニー。

68年、「サイモン・セッズ」で

明るく軽やかに、ローティーン向きのハッピーなサウンドで飛び出し、

69年、「トレイン」で、ちょっぴり高度な音楽性を見せつけた。

そして、メンバーの大半が入れ替わったとはいえ、

このグループのラストを飾るのにふさわしい転身を見せてくれた。

69年末の「愛の設計」、原題は「When We Get Married」。

これまでのハッピー・ゴー・ラッキー・サウンドではなく、

聖歌かと思わせるようなスローなロッカ・バラード。

これがあのフルーツガム・カンパニーかと、当時我が耳を疑った(とは、大袈裟な!)。

アメリカでは大したヒットにならなかったが、日本でも小ヒット。

モータウンのガールズ・グループにカバーして欲しかったと思う。

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第1弾がいつだったのか、忘れてしまったけれど、

オールディーズにカバーは付き物ですから、聴き比べる曲は沢山ある。

そんな中から取り出したのは、「Sealed With A Kiss」。

オリジナルは、62年全米3位、“ビキニ坊や”ブライアン・ハイランド「涙のくちづけ」。

ボクが好きなのは、68年全米19位、“お坊ちゃま”ゲイリー・ルイス「ハートにキッス」。

そして、日本人が大好きなのは、65年発売、レターメン「涙のくちづけ」。

65年アメリカで発売されたけど、まったくヒットせず、

日本では69年にリリースされて大ヒット、

今や、「涙のくちづけ」と言えばレターメン、ということになってしまった。

夏休みの間、逢えなくなる彼女に、毎日キスで封印をして手紙を送る、という歌詞。

これを“レター”メンがヒットさせたなんて、まるで郵便局のCMのよう。

レターメン盤はオリジナルよりちょっとテンポを早くしたアレンジで、

いかにも日本人ウケするという感じで、脱帽です。

ボクの好みは、いつもと違うバラードに挑戦したことと、

「ハートにキッス」という邦題で、ゲイリー・ルイスに軍配なのですが・・・。

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今頃のラジオはちょっとつまらない。

昔から聞き続けている深夜放送はいつの頃からかトーク中心のバラエティになってしまったし、

早朝の放送は宗教とサプリメントの通販番組ばかり。

古き良き時代のラジオの中心は音楽だった。

洋楽も邦楽も、ステキな曲をボクらに教えてくれた。

オンチなボクにも音楽を楽しむ方法があることを教えてくれた。

そんなラジオの良き時代を象徴するレコードを引っ張りだした。

少し前TVに不本意な形で毎日出ていたカメちゃんと、

今も深夜放送で良き時代のラジオの砦を守っているアンコーさんの

「水虫の唄」&「海は恋してる」。

そして、カメちゃんが頑張るカメカメ合唱団の「少年探偵団」&「赤胴鈴之助」。

そしてそして、カメ&泉谷さんの名曲ギッシリ、LPすごろく付き『人生はピエロ』。

今のラジオがダメだなんて言わないけれど、

古いボクには、Oldies But Goodies なのです。

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63年全英4位、クリフ・リチャード、「ラッキー・リップス」。

リーバー&ストーラー作品で、オリジナルは言わずと知れた“R&Bの女王”ルース・ブラウン。

“R&B”とは、Rhythm & Blues の略ではなく、Ruth Brown の略、

とまで言われた大御所の作品を、恐れ多くも、明るく軽くポップに歌ってしまった。

これに先立つ62年、クリフは、

前年公開の映画『若さでぶつかれ!』の主題歌を大ヒット(全英1位)させ、

日本での人気を不動のものにした。

その「ヤング・ワン」をカバーしてしまったのは、キャシー・キャロル嬢。

クリフは今やSir.の称号がつく存在なのだから、

これもまた、恐れ多くも、と言うべきか!?

コンピレーションCDでしか持っていなかったキャシー嬢のシングルをゲット、

ノイズにもめげずにカバー・ナンバーを楽しんでいる今日この頃です。

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オールディーズ・ファンですから、昔の歌謡曲も好きです。

歌謡曲は、歌手というより、曲優先のコレクションですが。

♪~ おさななじみの君だから 言いたいことを言えばいい ~♪

通っていた中学校から一緒に歩いて帰る道すがら、

他に好きな女の子がいたけれど、

そのことは幼なじみの彼女も知っていたけれど、

“大きくなって、お互い結婚してなかったら、結婚してやるでェ~”

なとどと言いながら、寄り添って歩いた・・・。

ボクにだって、そんな思い出もありますよ、そら。

そんな思い出の曲、「僕のそばには君がいる」。

橋、舟木、西郷の御三家につづく、第4の男、三田明、65年のヒット(?)曲。

63年、「美しい十代」でレコード・デビューした、ビクターの秘蔵っ子。

洋楽オールディーズ・ファンのボクですが、

そんな歌謡曲のコレクションも大切にしています。

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いかりやさんのドリフターズでもなく、

シャドウズの前身ドリフターズでもなく、

オールディーズの世界でドリフターズと言えば、彼らのことである。

1960年10月、「ラスト・ダンスは私に」、原題「Save The Last Dance For Me」を

ビルボードNo.1にした時のリード・シンガーは、Benjamin Earl Nelson、

あの「スタンド・バイ・ミー」のベン・E・キングであった。

このドリフターズというグループ、通算すると30人もの歌手がメンバーに加わったことがある。

別のグループだったり、リード・シンガーはくるくるネコの目のよう。

“栄光のR&Bグループ”“R&Bグループのお手本”などと言われているが、

また、魅力的な多くのヒット曲を生み出しているが、

そのそれぞれのヒット曲のメンバーは誰だったのか、調べ出すとキリがない。

本当に不思議なグループだし、不可解な業界だったのだろうと思う。

ボクの大好きなサーチャーズがカバーした「スウィート・フォー・マイ・スウィート」の

リード・シンガーは、ベン・E・キングの後をうけたルディー・ルイスらしい。

とはいえ、雨の日の夜に聴く、ドリフターズのヒット曲集は最高である。

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6月になりましたから、テーマは“雨”でしょう。

ラジオのリクエスト番組、昔は必ず雨の特集をしたものです。

オールディーズにはそれに耐えうる雨の歌って、名曲がいっぱいあります。

でも、昨今はそんなベタな企画はやりません。

いまさら紹介するつもりもありませんが・・・、と言いながら・・・、

ベタな1曲を手にとってしまいました。

71年、全米15位、日本・オリコン31位、フォーチュンズ「雨のフィーリング」。

ジョニー・レイの「雨に歩けば」と並んで、雨の日が楽しくなる曲。

「雨のフィーリング」のレコードを買った時、

そのレコード・ジャケットに“久々に放つフォーチュンズのニューヒット”ってあったけど、

その前のヒット曲を知らなかった。

65年に「You’ve Got Your Troubles」という曲をヒットさせてるって言うけど興味なし。

ボクにとってはこの曲のみの一発屋=ワン・ヒット・ワンダーズなのである。

ちなみに、これらの曲を作ったクック&グリーナウェイは

72年、ニューシーカーズのヒット曲「愛するハーモニー」の作者としても有名である。

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