
61年3月、アネットの「パイナップル・プリンセス」をカバーしたのは、
12歳、小学校6年生の田代みどり。
当然“日本のアネット”と呼ばれているはずなのだが、
彼女のニックネームは、“和製ブレンダ・リー”。
彼女が、ブレンダの「スィート・ナッシンズ」でデビューしたからなのだろう。
第一、誰もPP(パイナップル・プリンセスの略)がアネットの曲だなんて知らなかった。
みどりちゃんのオリジナルだと思っていたし、
ブリンダ・リーの方が抜群にネームバリューがあったのだから。
みどりちゃん(ボクより年上なのに)の、このレコード、もうひとつ希少価値がある。
なんと、歌詞カードに“草野昌一・作詩”とある、
漣健児、ではなく、本名でクレジットされているのである。
みどりちゃん(峰竜太の嫁ではない)は、その後、
72年、ご主人の三原綱木さんと、つなき&みどりを結成し、
ヒデ・ロザ風の「愛の挽歌」を小ヒットさせる。
不思議とコレクションにありました、たぶん家内がもっていたのだと思う。
現在も、新しいご主人のもと、歌手活動を続けられていると聞いている。

