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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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ピアノで3つの音を同時に弾いて、“これ、どの和音?”って訊かれても、

絶対音感のないボクには判るわけない。

でも、楽譜を見て、転調とか移調とかは完璧にできる。

だから、中学生の時の音楽の成績は、いつも4か5(5段階評価ですよ)。

そんな理屈先行で音痴なボクですから、

小学校6年生の時、村の集会所の2階で、ひとつ上の先輩が

エレキ・ギターで、♪~テケテケテケ~♪って弾くのを見せてもらっても、

特に興味を示すこともなかった。

でも、テレビで観る『エレキ合戦』でギターを弾くグループはカッコいいな、と

憧れたものである。

まもなく愛媛にやってくるベンチャーズだけれど、

90年代初めに広島で知り合ったベンチャーズ・マニアのふたりのおかげで

ベンチャーズは身近な存在となった。

ひとりは、ドラマーで、今もベンチャーズ公認のHPをやっているコレクター氏、

もうひとりは、メンバーと仲良しのベンチャーズのコピーバンドのバンマス氏。

彼らのナンバーで、ボクが一番好きなのは、やっぱり「10番街の殺人」。

そして、『エレキ合戦』の定番曲「ウォーク・ドント・ラン」、

邦題「急がば廻れ」だなんて、英語のお勉強ソング。

これに習って、この頃、日本のことわざの英訳に凝ったことがあったっけ。

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今や、“ディオン”と言えば、セリーヌ・ディオン。

ネットで検索してみれば一目瞭然!あとは、自動車の名前ぐらいなもの。

でも、ボクにとってみれば、“ディオン”は苗字ではなく名前。

フル・ネームは、ディオン・ディムーチ。

そして、ディオンと言えば、バッキング・コーラスはザ・ベルモンツ。

♪~ へッ ヘッ トンデヘレヘレヘッ ~♪

で有名な、61年のビルボートNo.1「Runaround Sue」。

この曲は、彼がソロとしてベルモンツから離れた直後(2曲目)の大ヒットで、

バック・コーラスは、デル・サテンズ。

61年、日本でのレコード発売時は、おなじみのジューク・ボックス・ジャケットで、

ダイオンが歌う「悲しい恋の物語」、だったけれど、

R&Rリバイバル華やかな73年発売時には、

ディオンが歌う「浮気なスー」。

ちょっぴり不思議な曲ではある。

73年のカップリングは、「恋する十代」、

こちらは、59年全米5位、正真正銘のディオン&ベルモンツのヒット曲である。

いずれにしても、ボクの勝手な解釈によると、

ホワイト・ドゥワップ歌手が、ヒット・ポップスの雄としてメジャーに駆け上がる、

そんな時代の幕を開けたのは彼の最大の功績だと思う。

後のフォー・シーズンズの成功を予感させる、このふたつの曲が大好きである。

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アメリカ人は“16才”に特別な思い入れをもっている、ってことはおわかりですね。

じゃ、日本人は?ってことで・・・

答は、17才。

70年代になれば、南沙織や桜田淳子でゾクゾクなんだけど、

60年代で考察しないと意味ないんじゃないですか、

それも、ボクの狭いコレクションの範囲内で。

というわけで、引っ張り出したのは、64年のヒット曲、高田美和「十七才は一度だけ」。

“二度あったら、おかしいやん!”というツッこみにも負けずに語るのであります。

往年の時代劇スター高田浩吉さんの娘で、

時代劇や青春映画の清純派スター。

80年代になって、にっかつロマン・ポルノに出演し、そちらの記憶の方が強いかもしれないけれど、

ボクにとっては、記憶に残る大好きな“17才ソング”である。

そして、65年、“リトル”のとれたペギー・マーチの日本語が魅力的な「夢みる17才」、

西ドイツの歌謡祭優勝曲の日本語版だから、ちょっとビミョー。

そしてもう一曲、64年の大ヒット曲、レスリー・ゴーア「恋と涙の17才」。

それって、アメリカでのヒット曲やろ!って声が聞こえてくるけれど、

原題は「You Don’t Own Me」、

それを「恋と涙の17才」って、勝手に17才ソングにしてしまったところに

日本人の思い入れがある、とは言えないでしょうか。

すばらしい評論だ、と自己満足で・・・、本日は御機嫌よう。

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アメリカ人にとって特別な思い入れがある年齢16才。

“16才ソング”のひとつ、ビキニ坊やブライアン・ハイランド、61年夏のヒット?曲、

「Sixteen Cubes Of Sugar」、邦題「16個の角砂糖」。

♪~16才の誕生日に、角砂糖16個をドレスに付けた彼女を見て

   もう2個増えれば、ボクたちは結婚できるのに・・・ ♪

ボクにとっては、結構好きなレアなコレクションである。

角砂糖をなぜドレスに付けるのか、どのようにして付けるのか、

よくわからないけど、それはともかく、

数年前、中古店で偶然見つけた1枚のレコードに、思わずツッこんでしまった。

あの西村知美のアイドル時代、86年発売のレコードのタイトルは、

「16粒の角砂糖」!“おいおい、それはないだろう!”

♪~16才の女の子が失恋して、

   16粒の角砂糖を涙の海に沈めて、哀しみを甘くして・・・♪

作詞は松本隆先生、

調べたら、『シュガー』というラジカセのCMソングだったらしい。

タイトルは著作権の対象外だから問題はないのだけれど・・・。

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昨夜はホテル・ニューオータニのレストラン・バーで地震を体験しました。

その紀尾井町は、その昔、徳川紀州家と尾張家、

そして桜田門外の変で有名になった井伊家があったことから町名になった、

って教えていただきました。ナルホド・・・と妙に感心してしまいました。

さて、東京から帰ってきたから“トーケンズ”(苦しい・・・)、

というわけでもないのですが、有名な「ライオンはねている」です。

ツイスト・ブームに沸く62年末のビルボードNo.1。

原曲は南アフリカ民謡の「ウィモエ」、ズール語でソロモン・リンダやミリアム・マケバが発表。

そして、アメリカのフォーク・グループ、ウィーヴァーズが、歌っていたものを

歌詞を書き換えて、ホワイト・ドゥアップのトーケンズがリメイクした。

その10年後、トーケンズのプロデュースで、ロバート・ジョンがカバー、

こちらも最高位3位と大ヒットさせている。

ボクの大好きなファルセットとカウントを刻むようなバック・コーラスは頭に残る、口に付く。

ところで、先日、朝倉紀幸&GANG名義の「ライオンは起きている」という

レコードを見つけて、買ってみた。

ディスコティックにアレンジされた同曲のカバー、

オールディーズ・ファンのボクとしては、失礼ながら、後悔している。

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日本のソフトロックの名曲、ユキとヒデの第2弾、67年の「スノー・ドルフィン・サンバ」。

作曲・編曲、そしてバックを務めるのは、“世界のナベサダ”!

3の倍数と3のつく数字でバカになる“世界のナベアツ”ではない、

世界的なジャズ奏者の渡辺貞夫、その人である。

そして、どこかで見たような、レコード・ジャケットのタイトル文字を手懸けたのは、

あの“世界の”岡本太郎、その人である。

そして、アーティストであるユキとヒデ、

ユキは佐藤由紀、2年後に、ボクたちに漢字を教えてくれたアン真理子、

♪~ 明日という字は、明るい日と書くのね ~♪

♪~ 若いという字は、苦しい字に似てるわ ~♪

彼女自身の作詞、「悲しみは駈け足でやってくる」。

ヒデは加藤英男、翌年にはヒデとロザンナを結成し、「愛の奇跡」をヒットさせる。

そして、この「スノー・ドルフィン・サンバ」は、

三浦雄一郎主演のスキー映画のために作った、というのだから恐れ入る。

というわけで、大切なコレクションのひとつなのである。

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8月12日、松山まつりの野球拳おどりを終えて、喫茶店でお茶してた時、

テレビは異様な放送になっていた。

前にも書いたけれど、その日、ボクのアイドル坂本九は帰らぬ人となった。

戦争を知らないボクには、終戦の記憶はないけれど、

毎年、夏になれば思い出す悲しい出来事である。

その九ちゃんの曲で、マニアックな魅力をもっていた「カマ・カマ・ベイビー」。

今ならさしずめ、おすぎとピーコやカバちゃんやIKKOさんのテーマソング。

その頃には想像もしなかった!これも時代の流れなんでしょう。

『おネエ★MANS』、結構おもしろいですね。

もちろん、この曲、決してそんな歌ではありません。

“さあ、ボクのもとへおいで、恋人同志になろうよ・・・”

大好きなファルセット・ナンバーの代表曲なのです。

長い間探してやっと見つけたオリジナルは、

62年、トニー・アーレンとトワイライターズ。

ドゥワップ・スタイルのティーン・ポップの名曲だけれど、

誰がなんと言ったって、九ちゃんの方が上だね。

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前回のデュオ紹介に続いてのデュオ・シリーズ(いつシリーズになったの?)第2弾。

日本にファンクラブまであった日本贔屓のオズモンズ、

その最年少のダニーオズモンドが、妹のマリーとデュエット発売したのが

ビルボードNo.1曲、「ディープ・パープル」。

オリジナルは、ニノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンス、

63年11月、デール&グレイス「さよならデート」に先駆けてNo.1を獲得。

よく夫婦に間違えられるが、ふたりは兄弟、

正確には姉エイプリル、弟ニノのデュオ。

ボクはこのふたりのデュエットが好きで、コンピCDやLPまで持っている。

でも、彼らの代表曲「ディープ・パープル」だけは、

ダニー&マリーのカバーの方が好き。

ほんの少しPOPだから、というのがその理由。

そもそもヒット・ランキングなんてその時々の相対的評価で、絶対的評価ではないし、

ましてや、好き嫌いはボクたちの自由なんですから。

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1963年11月22日、テキサス州ダラス。

ディック・クラークのコンサート・ツアーに参加していたふたりは、

ホテルから大統領のパレードに拍手喝采をしていた。

その目の前で大統領は暗殺され、コンサートは中止になった。

彼ら、デールとグレイスの「さよならデート」はその翌日付のビルボードでNo.1になった。

中学1年生だったボクは、ケネディ暗殺をテレビで見ていたけれど、

何年も後になってこんなエピソードを知った。

また、当初デールのソロで録音する予定だったけれど、

何か物足りなさを感じたプロデューサーが、グレイスとのデュエットでレコーディング。

ヒューストンでのローカル・ヒットから全米No.1へ、大成功を修めることとなった。

ヒット曲にまつわるエピソードの数々、

そんなストーリーを思いながら、ヒット曲を楽しむのも一興である。
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浪人時代は奈良のガソリン・スタンドでバイトをしていた。

そのGS(グループ・サウンドではない)は、南京終町にあった。

南京終町、ミナミキョウバテと読む。

時々、道を尋ねる人がやってきて、“ナンキンオワリマチって、どこですか?”、

なつかしい思い出である。

そんなある日、高校時代昼休みにいつも行っていたお好み焼き屋で、

浪人仲間と会った時のこと、

友曰く、“きのう、京都タワーのサテスタでエエ感じの新人歌手見たでェ~”。

彼女の名は、辺見マリ。

友人が、その場で歌った、

♪ ダニエル、モンシェリ~、やさしい~だけじゃ や~よ ♪

音痴で歌はよくわからなかったけれど、早速レコードを買ってきて、

この同い年の新人歌手を応援することに決めた。

69年、デビュー曲、「ダニエル・モナムール」。

そして、ボクたちが大学に進学した頃、

彼女は、♪ やめて~ ♪(「経験」)で大ブレイク、

応援の必要もなくなったので、応援隊は即!解散。

今でも、ボクたちにとっての辺見マリは、ダニエル・モナムールなのである。

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このブログを始めて、今日で1周年。

ゴルフにはつきものの“タラレバ”で、

もしブログをしてなかったとしたら・・・、って、考えてみたら、

続けるのはタイヘンだったけど、

おかげでコレクションが充実したし、たぶん人生も充実したものになっている、と思う。

胸をはって、ボクの趣味は“オールディーズのレコード・コレクションです”って言える。

というわけで、1周年のブログは、やっぱり「青春の光と影」、

夜の友、クローディーヌ・ロンジェのバージョンで。

前にも紹介しましたが、彼女の歌うヒット曲の数々は、

オリジナルとはちょっと違う、不思議な魅力を醸し出している。

ビージーズの「ホリデイ」、S&Gの「スカーボロ・フェア」、

ジョージの「サムシング」、ヴィッキーの「恋はみずいろ」、

挙句の果てには、「五木の子守唄」までカバーしている。

電気を消して聴くウィスパー・ヴォイスに、

今夜も、傷ついた?心を癒されるボクなのであります。
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わずか1時間にも満たない仕事の合い間を見つけて、

昔何回か行ったことのある中古店へ。

コレクションが次第にマニアックになっていることもあって、

レアなものは見つけることができなかったけど、

待望の、大きな収穫があった。

LPがあまり好きではないボクですが、

サイモンとガーファンクルのLPはたくさん持っている。

ふたりのもの6枚と、アートのソロ1枚、そしてポールのソロ3枚、

その中で、発売を待ちかねて買ったのが、ポールのソロ、73年作品『ひとりごと』。

中でも好きな3曲が入っているコンパクト盤を見つけた。

ジャケット・デザインはLPと同じ、原題『There Goes Rhymin’ Simon』。

シングル・カットされた「僕のコダクローム」、

NHKではかからない商品名タイトルだが、S&Gタッチの名曲。

「アメリカの歌」は、71年の「アメリカ」の続編かと勝手に思っていた作品、

ローリング・ストーン誌人気投票第1位の大作である。

そして、何よりもボクが大好きな「夢のマルディ・グラ」、

ポール・サイモンらしくないと言えなくもない、軽妙な曲。

特に特に、終盤の40秒、

デキシーランド・ジャズ・バンドがニューオリンズの街を行く姿が目に浮かんでくる。

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ビーチ・ボーイズの「バーバラ・アン」。

歓声やコーラスが絶妙、フリーにセッションしている感じは演出や否や、

彼ら5人が、友人たちやガール・フレンドと、

自由に歌い、きままにプレイしている姿が目に浮かぶ。

実況録音LP『ビーチ・ボーイズ・パーティ』からのリカット。

66年2月、キャッシュ・ボックスでは1位になったものの、ビルボードでは2位どまり、

この曲もよくあるカバー・リバイバル・ヒット曲である。

61年、白人の5人組レジェンツのオリジナル、

メンバーのフレッド・ファサートが、彼の妹をモデルにして書いた曲だそうな。

ビーチ・ボーイズは大きくアレンジすることなく、本当に楽しくコーラスしている。

♪~ バーバーバー バ バーバラアン ~♪

曲は知らなくても誰もが口ずさめる、コーラスできる名曲だと思う。

突然ですが、

赤塚不二夫さんが亡くなった。

彼が作詞し、加藤和彦さんが作曲し、クニ河内さんが編曲した名曲がある。

以前にも紹介したカメカメ合唱団の『人生はピエロ』の一曲目、

タイトルは、「ココロのシャンソン」、

赤塚さんらしくない?美しい曲である。

「バーバラ・アン」との共通点は、アーティストたちが音を楽しんでいる姿、かな!

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リトル・リチャードよりもPOPで、

ジェリー・リー・ルイスばりに、ピアノをたたきながらシャウトする。

どこかで聴いたことがあるような、懐かしさを感じるリズムとメロディ、

本当にシンプルで、みんながハッピーになれるロックンロール。

エルトン・ジョン、73年2月、彼にとって初めてのNo.1ヒット、「クロコダイル・ロック」。

ボクのもっている資料によると、

彼は、ビル・ヘイリーの「シー・ユー・レイター・アリゲイター」をヒントに、

「リトル・ダーリン」や「おお!キャロル」やビーチ・ボーイズやエディ・コクランを

組み合わせたのだと言う。

ボクは、この曲の間奏が大スキだ。

何度聴いても飽きない。

そして、とてもおしゃれなカバー・バージョンを見つけた。

NHK教育の『ハッチ・ポッチ・ステーション』の人気コーナーで取り上げられた、

グッチ裕三の「おおブレネリ~クロコダイルロック」。

絶妙のセンスと力技で強引に1曲にしてしまった傑作。

モト冬樹ともども、この人たちのセンスには恐れ入る、

歌う姿をぜひテレビで見たかったものである。

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2泊3日の青森出張でした。

どこの都市に行っても必ず中古店めぐりをするのが慣例になってしまいました。

2店行きましたが、そんなにレアなものはありませんでした。

それでも、8枚ばかり買って帰りました。

その中の1枚が、シャングリラスのゴールデンカップリング再発盤。

明るい、可愛い、甘い、そんなガールズ・グループの中にあって、

珍しく、暗い、ドラマチックな曲調の4人組なのです。

なのに、ほとんどの写真は3人しか写っていない。

ベティ&メアリーのウェイス姉妹と、メリーアン&マージのガンザー双子姉妹。

ベティが舞台恐怖症で出なかったり、マージが写真撮影に出なかったり、

自由きままなグループだったようですね。

64年11月のビルボートNo.1「リーダー・オブ・ザ・パック」、

邦題「黒いブーツでぶっとばせ!」は、

女の子のおしゃべり、エンジンを噴かす音、あぶない!という叫び声、

そして、バイクがぶつかる音、などSEやセリフを使ったドラマ仕立て、

ジェフ・バリー&エリー・グリーンウイッチの名作です。

話は変わりますが、

小雨の中でしたが、“青森ねぶた”は壮大で盛大なお祭で、とても楽しい出張でしたよ。