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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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宮川泰という人はすごい人だと思う。

ピーナッツの歌唱もさることながら、曲づくりの賜、それは最高のガールズ・ポップスだった。

アメリカン・ポップスのエッセンスを完全に昇華していた。

初めて聞いた時は、てっきりカバーだと思っていた。

62年、彼が作曲した「ふりむかないで」は

ピーナッツの初めてのオリジナル・ヒット曲となった。

双子の代名詞、ザ・ピーナッツは、

1959年、「可愛い花」でデビュー、

『ザ・ヒットパレード』や『シャボン玉ホリデー』のレギュラーとして、

多くのカバー・ヒット・レコードを出し続けた。

その中でも、「ふりむかないで」前の「悲しき16才」と、

「ふりむかないで」後の「レモンのキッス」が、ボクのフェバリット。

もちろん、すごい奴、宮川泰先生は、

デビュー曲を始め、その両方に編曲者として名を連ねている。

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哲学的で幻想的でロマンチックな歌詞と、

バッハの旋律をモチーフにした美しい美しいメロディをもったこの曲は、

67年、リリースされるやいなや2週間で38万枚を売上げ、

全英ヒット・チャートで6週間連続1位を獲得した。

音楽をジャンル分けすることは好みではないが、“プログレ”の先駆と言われる。

ジョン・レノンのフェバリット・ソングのひとつであり、

ユーミンはこの曲をきっかけにソング・ライティングを始めたことはあまりにも有名。

アメリカでは最高位5位に終わってしまったけれど、

音楽業界の歴史を変えた一曲だったのかもしれない。

レコード・コレクターにとっても、この曲は少々悩みの種。

67年の初回発売は、ドリーム・レーベルからの、通称“赤ジャケ”、

68年には、同じくドリーム・レーベルから、通称“青ジャケ”、

72年には、ポリドール盤が、76年にはフォノグラム盤が、

ボクが知ってるだけでもこんだけの種類のシングル盤が出ている。

ビートルズやストーンズには珍しくないが、

同じ曲だけに、コレクターにとっては本当に困りものである。

キリがないので、2種類だけでやめてしまったけれど、

まだ、多少迷っているボクなのであります。

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プロフィールにあるように、ボクは無類のラジオ好きです。

若かりし頃、深夜放送とともに育ち、社会人となってからはラジオCM作りで楽しみ、

今頃はホンの少し番組参加もさせていただいています。

もちろん、今も睡眠の友として、枕元で朝までかかっています。

だから一家言ありますが、そんなことを語りたいのではありません。

1938年に作られたこの曲を、72年にリバイバル・ヒットさせたのは

カントリー系スタンダード歌手(キワもの歌手という人もいるが)、レイ・スティーブンス。

「Turn Your Radio On」、邦題は「ラジオを聞こう」。

バート・バカラックは、『明日に向かって撃て!』の挿入歌「雨にぬれても」を

レイに歌ってもらうつもりだった。

レイは“自分がやりたいタイプの曲ではない”と断った。

それでおハチがまわってきたB.J.トーマスがレコーディングし、

70年1月、ビルボードNo.1に輝いた。

その後、レイは、70年5月「みんなビューティフル」で、74年5月「ストリーキング」で、

No.1を獲得するのだが、“ボクの集めたい曲ではない”ので持っていない。

どこかのラジオで聞いたことがあるような“ビルボートNo.1ストーリー”はともかく、

みなさん、もっともっとラジオを聴きましょう。

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ボクの記憶に残るアイドル・ポップスを紹介するシリーズの2回目。

言い訳ではないのですが、

記憶に残る“アイドル”ではなく、記憶に残る“アイドル・ポップス”ですから、

その辺、お間違えなきよう、よろしくお頼み申し上げます。

さて、今日のひとり目のアーティスト(?)は、恵とも子。

恵は、keiと読む。

スクール・メイツ出身で、ハーフ・タレントのハシリかも知れません。

65年、プロマイドの売れ行きに便乗して出したレコードは、「ピンクの口紅/なぜか教えて」。

続けて、「大人の匂い/花のおしゃべり」。

両A面扱いのダブル・ジャケット、プロマイド扱いだったのだと思います。

ふたり目は、久美かおり。

GSタイガースの映画『世界はボクらを待っている』で、ジュリーの相手役としてデビュー、

68年、「くちづけが怖い」は割りとヒットした。

ジュリーの映画を観に行った高校時代のガールフレンドによると、

映画の中で、ジュリーと「星のプリンス」をデュエットしたらしい。

歌の上手さは?だけど、

メロディといい、声といい、レコード・ジャケットといい、

やっぱり可愛いいですネ!

いや、いい曲ですネ!

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Cherish、って“大切にする”とか“やさしくする”って意味です。

今日、松山の中古店でそれとなくシングルを見ていたら、

ジャケ買い、してしまいました。

パートリッジ・ファミリーのデビッド・キャシディーのソロ、71年の「チェリッシュ」。

本当に“大切にしてくれそうな”やさしい眼差しの好青年ジャケットである。

もちろんカバー、オリジナルはソフトなハーモニーを聴かせてくれる、アソシエイション。

66年秋、彼らにとって最初のビルボードNo.1ソング。

アソシエイションにはもうひとつの勲章がある。

67年、かのモンタレー・ポップ・フェスティバルのトップバッターを務めたこと。

この曲を引っ張り出したら、ボクには忘れられない思い出がある。

高校3年生の秋、深夜放送でスパイダースの「黒ゆりの詩」を聴いた時の衝撃、

そんな大袈裟なものでもないけれど、

てっきりアソシエイションのカバーだと思ってしまった。

「チェリッシュ」、かまやつさんは本当に知らなかったのでしょうか?なんてね。

でも、今聴き比べてみると、スパイダースも結構いい。

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人気のグループからリード・シンガーが抜けて、残ったメンバーで成功した、

という、数少ないグループの代表が、このグループ。

63年に、コントゥアーズの「ドゥ・ユー・ラブ・ミー」のカバーをイギリスで大ヒットさせた

ブライアン・プール&ザ・トレメローズからブライアンが独立、

残ったトレメローズが選んだのは誰も予想しなかった曲であった。

64年ビルボードNo.1ヒット、フォーシーズンズ「悲しきラグ・ドール」のB面曲、

邦題「沈黙は金」、「Silence Is Golden」であった。

67年、イギリスでは1位、アメリカでも最高位11位を記録、

ミリオン・セラー・ヒットとしたのである。

こんな“ヒット曲つながり”こそが、オールディーズ・ファンの醍醐味、

少なくともボクにとっては大きな魅力のひとつなのです。

「悲しきラグ・ドール」の大ヒットの陰で、ほとんど注目されていなかった名曲を

見事に甦らせたトレメローズのメンバーとスタッフの“仕事”に憧れる。

ビートルズに始まるシンガー・ソング・ライターの魅力とは別の

こんなヒット・ストーリーに魅せられているボクなのであります。

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ボクが大学を卒業する頃、女子プロ・ゴルフの世界に突然登場した女の子がいた。

愛くるしい笑顔と、キュートなスタイル、たどたどしい日本語、

優勝したという記憶こそないけれど、いつも上位でプレーしていたような気がする。

“グリーンの妖精”と呼ばれ、ミニスカートでプレーする彼女は、

今の女子プロ・ゴルフの先駆であったような気もする。

今のナタリー・ガルビスやポーラ・クリーマーのように、

水着でグラビアに登場したり、テレビCMに出たり、カレンダーが飛ぶように売れたり、

特に日本で大活躍であった。

彼女の名は、ローラ・ボー。

76年、ついにはレコードまで出してしまった。

「ラブリー・ローラ」、決して上手いとは言えないけれど、

ただのアイドルものではない、“時代の徒花”と片付けられない、

数年前、そんな思いでこのシングル盤をゲットしてしまいました。

その頃のボクは、ゴルフに興味はなかったし、

音楽的価値も認めていたわけでもないけれど、

女子ゴルフ華やかな今の時代だからこそ、

思い出してあげたい1枚なのです。
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GS、60年代後半、一世を風靡したグループ・サウンドの多くは、

ビートルズよりもローリング・ストーンズが好きだった。

「テル・ミー」は、64年8月、ビルボード24位にランクされ、

日本でストーンズをポピュラーにした1曲である。

GSの多くが、挙ってライヴでこの曲をカバーし、

オックスは多くの失神者を出し、社会問題にまでなった。

ボクの大好きな「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」は、

64年12月、ビルボード第5位まで上がる大ヒットを記録した。

ライナー・ノーツによると、ストーンズがアメリカでトップ10入りした初めての曲らしい。

この曲は、ストーンズのオリジナルではない。

最初にレコーディングしたのは、63年、トロンボーン奏者のケイ・ウィンディング、

その後、アーマ・トーマスなど多くのR&B系アーティストにカバーされた。

GSではタイガースがカバーし、ジュリーの持ち歌のひとつにまでなった。

タイガースやオックスを始め、テンプターズに至っては“大宮のストーンズ”の異名をとっていた。

なぜ、こんなにストーンズが?

今もステージで歌い続けるストーンズの姿に、

彼らが感じた魅力を理解できるような気がする。

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高校2年生の秋、その番組はスタートした。

その春からひとり暮らしを始めていたボクは、部活もそこそこに下宿に飛んで帰った。

『ザ・モンキーズ・ショー』。

大して内容のないドタバタだったけれど、アメリカのカッコよさに溢れていた。

吹き替えのコメントもおしゃれだった。

デイビーは、元スリー・ファンキーズ、後の“うっかり八兵衛”、高橋元太郎、

ミッキーは、元ロカビリー歌手、民謡歌合戦の司会、鈴木ヤスシ、

マイクは、元スリー・ファンキーズ、ちょっぴりおつきあいのある、長沢純、

ピーターは、“時間よ、止まれ!”のサブタン、後のお寿司屋さん、太田博之、

といった豪華メンバー。

ドラマの中で、彼らがはいていたズボン(スラックス?、いまならパンツ)、

裾の前の部分が切れていて、それがブーツの甲で左右に分かれて、カッコイイ。

早速、愛用の別珍(ベルベット)のズボンを切って、ヘリをまつり縫いする。

別珍素材は、繊維がすぐにバラけてボロボロ、

それにもめげずに、なんとか完成。

編み上げブーツにモンキーズ・パンツのボクが出来上がりました。

レコード紹介は、その番組のテーマ「モンキーズのテーマ」、

(B面、デイビーのバラード「自由になりたい」も大好きです)

どこかの国のGSが「タイガースのテーマ」なんてカバーした以外は、カバーなんて存在しない!

って、思っていたのですが、見つけてしまいました、

アル・ハートのトランペットのインスト「(Theme From)The Monkees」。

ティファナ・ブラスの(ハーブ・)アルパート、とはまったくの別人、

ニューオリンズ出身のトランペットの名手なのだそうです。

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今から25年前、日本を代表する企業が取り組んだプロジェクトに参加した。

『感性のマーケティング』という、当時としては時代を先取りするテスト・プロジェクトだった。

今流行っているモノからその理由をキーワードで抽出し、

これから流行る商品やサービスを推論から開発してゆこう、というもの。

そのプロジェクトで出会ったのが、当時は社会学部研究者だった稲増先生。

どこから見ても“オタク”のヘンな奴にしか見えない風体、

GS(ガソリンスタンドではない)や歌謡曲のレコード・コレクター、ということで興味をもった。

直接深いお付き合いをはじめたわけではないけれど、

氏の『アイドル工学』の影響を受けて、

当時のアイドルのレコード・コレクションを充実させていった。

あげくに、いろんなところで、アイドル論のお話(講演)をさせていただいたりもした。

1980年、人気絶頂で引退した山口百恵路線の「セクシー・ナイト」でデビューした三原順子は、

落ち目だった桜田淳子路線の「裸足の季節」でデビューした松田聖子に、

このデビュー曲対決では勝利したものの、

聖子ちゃんが3曲目「風は秋色」で初のオリコン1位を獲得して以来

大きく水を開けられてしまったのはなぜだったのか?

そんな稲増氏の理論のウケウリに、

広告人らしい見解をミックスして話したりしていたのでした。

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64年に始まるブリティッシュ・インヴェイジョンの時代、

本国アメリカのヒットチャートを死守したグループの代表が、

シュープリームス。

64年8月、「Where Did Our Love Go(愛はどこへ行ったの)」を皮切りに

12曲のビルボートNo.1ヒットを出し続けた。

その最後のNo.1は、69年12月、奇しくも60年代最後のNo.1曲となった、

「Someday We’ll Be Together」、またいつか一緒にやりましょうね、とは・・・。

この後、ダイアナ・ロスはソロに転向することとなるのだが、

キャンディーズの「微笑がえし」や

おニャン子クラブの「じゃあね」のような解散ソングではない。

ものの本によると、この曲はすでにダイアナのソロ・シングルだったらしい。

マリーとシンディはコーラスには加わっていなかった。

それにしても皮肉なタイミング、皮肉なタイトルになってしまったのも不思議な現象。

邦題は「またいつの日にか」、

曲そのものもさることながら、オールディーズ・ストーリーとして

最高の、コレクター心をくすぐる1枚なのである。

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最近では、そんなコメント聞いたことがない。

その昔は、“どんな女性が好きですか?”って聞かれて、

“瞳のきれいな女性”って答える歌手や俳優がいっぱいいた。

マンガに出てくるヒロインの目は、やたら大きくて綺麗で輝いているし、

表情がイキイキしていて素敵だと思う。

というわけで、魅力的な瞳を歌ったオールディーズを紹介します。

まずは、60年のビルボード年間28位、最高位9位、

スティーヴ・ローレンス「恋のブルー・アイズ」、原題「Pretty Blue Eyes」。

歌手としての成功に見切りをつけて、ソングライターとして成功したテディ・ランダッツォの作品。

次は、61年のビルボード年間99位、最高位7位、

カーティス・リー「Pretty Little Angel Eyes」。

こちらは、フィル・スペクターのプロデュースで

カーティス・リーと、後にモンキーズで有名になるトミー・ボイスの作品。

さあ、ボクも、せっせとブルーベリーを食べて

“瞳のきれいな男”をめざすことにでもしましょうか(笑)。

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“記録より記憶に残る人になりたい”

負け惜しみのようにも聞こえますが、ボクもそんな人が好きです。

長嶋さんや清原が好きです。

もしかしたら、記憶に残る生き方をした人が記録に残ってしまうのかも知れませんが、

記録に残った時点で人々の記憶に残らなくなってしまうのかも知れませんが、

そんな難しい話はともかく、

大して売れなかったけれど、

いつの間にか視界から消えてしまったけれど、

ボクたちの(ボクの)脳裏に鮮明に残っているアイドル・ポップスを紹介します。

まずは、CMつながり。

グンゼのタイツかパンストのCMだったと思うけれど、

♪ 気ままなすがたでゴメンナサイ~ 空から突然 ゴメンナサイ ~♪

71年、松尾ジーナ「気ままなジーナ」。

お次は、伝説のCM、リメイクまでされてしまった、丸善石油“Oh!モーレツ!”

69年、小川ローザ「風が落とした涙」。

歌の上手さはイマイチだけど、

メロディといい、歌詞といい、レコード・ジャケットといい、すべてイイですよね。

さて、久しぶりに聴いてみますか・・・。

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ある事情があって“星”“Star”の付く曲を探してみた。

あるわあるわ、日本にはまさに“星の数ほど”あるのですが、

洋楽は?となれば、特にボクのテリトリーにはそんなに多くない。

まずは、58年ビルボードNo.1ヒット、“伝説”の、エレガンツ「リトル・スター」。

何が“伝説”なのか、

アリゾナのラジオ局のディレクター(占星術師)によると、

“自分が生まれた日にNo.1になっていた曲が、その人の運命に多大な影響を与える”のだそうだ。

「リトル・スター」がNo.1だった58年8月29日に生まれた“リトル・スター”こそ

あのマイケル・ジャクソンだった、とのことだ。

そして、2曲目は、お星様のつく曲をいっぱい出しているリンダ・スコット、

61年全米3位のデビュー・ヒット「I’ve Told Every Little Star」、

邦題は「星に語れば」。

3曲目は、60年全米3位、キャシー・ヤング「A Thousand Stars」、

邦題は「お星さまがいっぱい」。

彼女は後にイギリスに渡り、あのジョン・ウォーカーと結婚した。

今日はすべて輸入原盤、地味な画像で失礼しました。

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毎週月曜日、『あんどーなつ』を見ています。

そして、少し前までは『はみだし刑事情熱系』が好きでした。

それもこれも、風吹ジュンが好きだったから。

かれこれ35年前、日曜日の11時からの『スター誕生!』を必ず見ていました。

目的は、三ツ矢サイダーのCM。

大滝詠一さんのCMソングにのせて弾ける、名も知らぬ女の子、

その音楽と彼女の爽やかできれいな瞳にイカれていた。

その女の子が風吹ジュン。

最高の“ア・ピース・オブ・ライフ”、三ツ矢サイダーが大好きになった。

彼女のデビュー曲は、74年「愛がはじまる時」、

舌ったらずで、ハスキーな歌い方は、いつの間にかボクのモノマネ・レパートリーだった。

さっき久しぶりにやってみたけれど、もうダメだね。

続けて出した「涙に微笑みを」も、ジャケット写真に魅せられて買ってしまった。

でも、あの頃、30年後にこんな素敵な女性になるなんて想像していなかった。

三ツ矢サイダーのあのCMシリーズ、どこかで見れないかなあ~。

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