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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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今日は、毎年お誘いいただいている『新酒初しぼり』で今治へ。

今治駅から歩いて20分程の並木道、

口をついて出たBGMは、66年ホリーズの「バス・ストップ」。

バスの停留所で傘を振り回したりして、アンブレェラ(危ねぇなぁ)!

その昔、Umbrella、という単語はこうして覚えた。

ボクはこの歌で覚えた。

バスを待っている女の子に傘を貸して恋が芽生えた、なんて、さだまさししか歌わない展開。

B面の「アイ・キャント・レット・ゴー」も彼らの代表曲で、

むしろこっちの方が好き、という友人もたくさんいた。

「バス・ストップ」といえば、多くの人には平浩二である。

数年前、ディナー・ショーで生歌を聴いたけれど、なかなかの名曲でした。

同名異曲、同じタイトルの違う曲、

そんなものはいっぱいあるけれど、残念ながらボクのコレクション・テーマではない。

ついでにもう一曲、浅野ゆう子「セクシー・バス・ストップ」、

同名ではないけれど、言うならば親戚筋の一曲ということで・・・。

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大、大、大好きな68年の「マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」、

“泣き”のジョージの魅力いっぱい、クラプトンの参加はあまりにも有名な一曲。

そのシングル盤のカップリング曲が、よりによってこの曲だとは!

ナイジェリア人のコンゴ奏者から訴訟を起こされたり、

レコーディングの時、ジョンやジョージがポールに何回も録り直しをさせられたことから

シングル・カットを拒否したとか・・・。

そんなあまりうれしくない逸話を残している「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」。

このビートルズらしくない(ボクにとって)曲だけれど、

多くのアーティストにカバーされた。

なのに、オリジナルは英米ではシングル・カットされず、日本でのみシングル発売された。

そこまでは許せるのだけど、よりによってそのカップリング曲が・・・。

ちょっとした怒りにまかせて、このブログ用にカバー盤を買ってしまいました。

ボクと同い年で誕生日も11日違いのアイ・高野くんのカーナビーツ盤。

デズモンドとモリーの物語を、太郎と花子の物語にしてしまったという、

「勇気あるもの」、by吉永小百合とトニーズ。

ちょっとした“おやじギャグ”を交えながら、

まるで夢の遊民社のようだね、と悦に浸りながら、

Ob-La-Di,Ob-La-Da、Life goes on、人生は続く。

ブログもつづく。

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“悪魔”と違って、“天使”の歌は本当にいっぱいあるのですが、

ボクのコレクションの中から、大好きな4枚を紹介します。

まずは、クリフ・リチャードの「ぼくのエンジェル」、65年のヒット曲。

61年のプレスリー「ぼくの天使よ」のカバーなのですが、

シャドウズをバックに、プレスリー盤よりも明るくリズミカルに歌っている。

2曲目は、今ワールドシリーズを戦っている“フィラデルフィア”のセクシー・エンジェル、

日本でも人気のスリー・ディグリーズ、74年「天使のささやき」。

原題は「When Will I See You Again」、何処にも“Angel”は入っていないけれど、

最初に聴いた時、シュープリームスの曲だと思ってしまった、というエピソード付。

3曲目は、こちらにも登場のウォーカー・ブラザーズ67年作品「天使のカンタータ」。

バッハのカンタータに題材をとった、スコットの作詞作曲、ソロ・ボーカルのひとり舞台。

そして最後は、ボクの自慢のコレクション、

“天使の歌声”と異名をとるシェルビー・フリントの61年の名曲、

「Angel On My Shoulder」、邦題は「私のエンジェル」。

最近はCD化されたために入手できるようになったけれど、

このシングル盤はとても大切にしているレアな1枚なのです。

その他にも、ボクのレコード棚には天使がいっぱいいるのですが、またの機会に・・・。

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1968年、高校3年生の時、GS華やかなりし頃、

スウェーデンのグループのGSスタイルのポップスがリバイバル・ヒットした。

レーンとザ・リー・キングスの「ストップ・ザ・ミュージック」。

ダンスの相手の女の子を他の男に取られた、なさけない男の歌。

その割には、エレキ・ギターの魅力いっぱいで、めちゃくちゃカッコイイ!

この曲を彼らがリリースしたのは64年、スウェーデンで大ヒットした。

ボクは、高校生の時にリー・キングスの再発盤を買ったけれど、

後に、この曲はイギリスのディック・ジョーダンという人の63年夏のヒット曲だと知った。

探し求めること20余年、ついに国内盤を手に入れたのでした。

ジャケット写真はなぜか女性の写真、これはいったい誰や?

早速、針を落としてみたけれど、リー・キングスの方がカッコイイ。

オリジナルであることの価値観でナットク。

けど、ついでにかけてみたB面の「夢みるボク」に笑顔あふれたボクなのでありました。

ボクのコレクションにジャスト・フィット、

まさに哀愁のスロー・バラード・ティーン・ポップ、

タイトルも「夢みるボク」だなんて、イイじゃないですか。

これだからコレクターはやめられない、とご満悦の“夢みるボク”なのでありました。

ではまた・・・。

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ボクの記憶に残るアイドル・ポップスを紹介するシリーズの3回目。

この企画、意外と大好評なのです。えっ!誰に?

大学生の頃、本屋で何気なく手に取った週刊プレイボーイのグラビアに、

『放課後』というエッセイ付きの篠山紀信氏の写真があった、

トップ・ページは神社の参道に立つセーラー服の中学生の女の子。

別にヘンな趣味はないけれど、ものすごく新鮮で斬新なグラビアであった。

モデルの名前はフィーチャーされていない、最後に小さく“モデルは栗田裕美クン”とある。

その後、表紙やグラビアに再々登場、ナショナル自転車とのタイアップもあった。

彼女、栗田ひろみは、時を同じく、73年、「太陽にくちづけ」でデビューした。

彼女の写真の切り抜き、まだ何処かにあると思う。

ふたり目は、小畑ミキ。

エレキのビートにのって歌うマイナー調のせつないメロディ、

GS時代のガール・シンガーの代表。

彼女は、ファッション・モデルでもあり、ポップス歌手でもあった。

6~7枚のシングルをリリースしたと思うけれど、

ボクが大切にしているのは、2枚目、67年の「ジェーン・ジェーン(愛してる?)」。

ジャケットには何処にも書いていないが、バッキングはGSのアウト・キャスト、

キュートなソフト・パンクといった趣。

いつの間にか消えてしまった、心に残る“時代の徒花”だったのでしょうか。

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先日、CSの深夜映画で『天使にラブソングを2』を観た、2001年の作品。

もちろん、92年の『天使にラブソングを』も、何度も観たけれど、

今日はその、痛快で感動的なミュージカル・コメディーについて語ろうというのではない。

この映画を観るたびに思い出すのは、63年のビルボードNo.1ヒット曲である。

初めて聴いた「ドミニク」は、中学2年生の頃、64年、ペギー葉山さんのバージョン。

初めて買った「ドミニク」は、高校生の時、66年、デビー・レイノルズのだった、

映画『歌え!ドミニク』のサウンド・トラック。

誰がオリジナルなのか?なんて、あまり考えたこともなかったけれど、

大学生になって、コレクションの整理をしていて、オリジナルとそのヒット・ストーリーを知った。

62年、ベルギーでレコーディングされた、美しい歌声のこの曲は、

フランス、オランダ、ヨーロッパ諸国でのヒットを経て、

アメリカに渡り、シンギング・ナン名義でシングル・カットされ、

ついに63年12月、フランス語であるにも関わらずNo.1に上り詰めた。

オリジナルのフランス語盤、日本語のカバー盤、サウンド・トラックの英語盤、

いずれも、“ヒーリング・オールディーズ”、

清涼感あふれる、癒しのオールディーズなのである。

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久しぶりに、キャロル・キングです。

今年の夏、BS放送でキャロルの来日記念特番を見ていたら、

ピアノの弾き語りで、「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」を歌っていた。

この曲は、キャロルがソングライターとして初めてNo.1になった記念すべき作品。

61年1月、シレルズはこの曲で、ビルボードNo.1を獲得した最初の女性グループとなった。

つい最近のディスク・マーケット(イベント)で、

偶然、モンスター・アルバム『タペストリー』から4曲を集めたコンパクト盤を見つけた。

収録曲は、71年6月、彼女自身のNo.1シングル・ヒット「イッツ・トゥ・レイト」、

68年、アレサ・フランクリンに提供した「ナチュラル・ウーマン」のセルフ・カバー、

71年7月、ジェイムス・テイラーがNo.1を獲得することになる「きみの友だち」、

この時点では、「友」という邦題がついている。

そして、待望の「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」、と超豪華盤。

ボクは元来、60年代のキャロルのファンですから、

基本的には70年代のキャロルにはあまり興味がなかった。

でも、No.1ヒットの「イッツ・トゥ・レイト」のシングルだけは持っていた。

そこで、あらためて見てみると、このB面が「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」、

ええっ!って感じ、不覚にも今頃になって気づいた次第です。

持ってるだけではなく、もっともっと丁寧に聴かなくては・・・、

今夜は反省しきりのボクなのであります。

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異論もあるかもしれませんが、

学術的には、“アイドル”の元祖は天地真理(あまちまり)である。

テレビの『時間ですよ』のオーディションに落選するも、

森光子さんの眼力で、71年“隣のまりちゃん”としてデビュー。

番組の中で歌った「小さな私」は「水色の恋」とタイトルを変えてレコード・デビューした。

IDOLとは、実力のあるなしにかかわらず、自分自身の意志とは関係なく、

商品として、作られた人格をもつ人、とはボクの定義。

だから、時代を反映する存在であると言える。

大学時代、ボクの下宿にはパネルに貼ったB全サイズの彼女のポスターが飾ってあった。

あのポスター、その後どうしたのか、覚えていない。

彼女は71年から83年まで22枚のシングルをリリースした。

ボクが持っている20枚の中から4枚をピックアップしてみた。

71年10月、デビュー曲の「水色の恋」、

72年6月、レコード・セールスが一番多かった(60.1万枚)3曲目「ひとりじゃないの」、

74年9月、11枚目、ボクの一番のフェバリット・シングル「想い出のセレナーゼ」、

76年7月、18枚目、実質的にはこれで終わってしまった、弾厚作作曲「愛の渚」。

アイドルの栄光と悲哀のすべてをみせてくれた“まりちゃん”を、

ボクは忘れない。

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1年あまり前、『ジャケガイノススメ・シリーズ』というCDの1枚を買った。

何回か書いたように“ジャケ買い”はボクの得意技だったから、

いくらLP嫌いのボクでも、買わずにいられなかった。

ブランアン・ハイランド『STAY AND LOVE ME ALL SUMMER』。

中身の曲もすべて気に入って、車の中での愛聴盤になった。

その中の1曲、「Devil Or Angel」、56年クローヴァーズ、60年ボビー・ヴィー、

そのカバーではあるけれど、負けず劣らず素敵に仕上げている。

というわけで、まず今夜は“悪魔”の歌をピックアップ!

まずは、63年全米3位、プレスリーの「悲しき悪魔」、原題直訳は「みせかけの悪魔」。

中学生の時、ギターを弾けもしないのにシンコーの楽譜全集を買ってしまった。

ボロボロになってしまったけれど、今でいうオールディーズ63曲分の楽譜が今も手元にある。

次の“悪魔”は、ニール・セダカ、61年全米11位、「小さいあくま」。

♪~ ウォウ ウォウ ウォウ ウォウ イェ イェ イェイ ~♪のポップなナンバー。

3つ目は、ウォーカーズの「やさしい悪魔」、買ったのは67年だったと思う。

珍しく、スコットも作者のひとりとして名をつらねた、映画『キッスは殺しのサイン』の主題歌。

ここまで来たら、同タイトルの77年オリコン年間27位、キャンディーズ「やさしい悪魔」、

またまた吉田拓郎の名曲である。

“天使”の歌も近々に紹介しようと思いますが、いっぱいあり過ぎて・・・、

♪困っちゃうな~♪(by山本リンダ)。

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ジャン&ディーンは大好きなデュオのひとつです。

63年28位と、彼らがリバティに移籍してようやくメジャーヒットさせたのは、

44年にジャック・ローレンスが書いた「リンダ」。

この曲のモデルとなったのは、ローレンスの友人の娘リンダ・イーストマン、

後のポール・マッカートニー夫人なのである。

日本ではシングル・カットされていないようだったが、

リバティのベスト・カップリング・シリーズの1枚として発売されたものをゲット。

このブログのために、リンダが大きく写ったウィングスのシングルまで買った。

彼女がモデルとなった44年といえば、リンダ3歳、

だから、この曲のポップな、明るく可愛いイメージはリンダとダブルはずもないけれど、

まさに不思議な“えにし”を感じる。

“リンダ”といえば・・・、数日前、竹内まりやの『エクスプレッションズ』という3枚組を買った。

その中にもセルフ・カバーが収録されているのが、80年アン・ルイスの「リンダ」。

竹内まりやが初めて他の人のために書いた(作詞作曲)曲だそうだ。

アンのミドル・ネームをタイトルにした、

オールディーズ・テイストのゴキゲンなロッカ・バラードです。

いつか、竹内まりやが他の人に提供した曲のことを書いてみたいと思う。

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この曲は、ボクだけでなく、多くの人たちをフレンチ・ポップスに誘ったはずだ。

64年のヒット曲、シルヴィ・バルタンの「アイドルを探せ」。

ボクが最初に買ったレコードのジャケットはこれではなかった。

後に紹介するバルタンひとりの上半身写真のものだった。

でも、もう1種類、それも先に出たジャケットがあると知って入手したのが、

ジョニー・ハリディやシャルル・アズナブールの写真を配したこのジャケット。

大好きなジャケット・デザインの1枚である。

63年の同名の映画の主題歌だと知って、

楽しみにテレビの深夜映画を見たけれど、

シルヴィ・バルタンの出演シーンは歌っている部分だけ、

ものすごくガッカリした記憶がある。

原題は「La Plus Belle Pour Aller Danser」、

翻訳サイトで直訳すると、「踊りに行くために最も美しい」と出た。

踊りに行くために精一杯美しくおしゃれをしたお嬢さん、ということだろう。

それを、「アイドルを探せ」としたセンスは抜群だと思う。

日本でのカバーは、中尾ミエ。

歌いだしを、♪~恋のよろこびにかがやいている~♪としたことや、

最後のタイトルのリフレインを、♪~いつまでも愛して~♪としたセンスも抜群。

作詞は安井かずみさん、後の加藤和彦さんの奥様である。

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♪~ 赤い自転車 止まる度に 階段をかけおりてったあの頃 ~♪

大学時代の愛唱歌、『かぐや姫さあど』より「そんな人ちがい」のように

郵便屋さんを待ちかねた“あるある”の代表曲が、

オールディーズの名曲、「プリーズ・ミスター・ポストマン」。

オリジナルは、61年ビルボードNo.1ヒット、マーベレッツ。

リードシンガー、グラディスが戦地に赴いた恋人からの手紙を待つ様子を歌ったと言われている。

この曲をポピュラーにしたのは、ご存知ビートルズ、

63年セカンド・アルバムでカバー、英米ではシングルカットしなかったので順位なし。

この曲に再びNo.1の栄光をもたらしたのは、75年、カーペンターズ。

三者三様、いずれも魅力的に仕上がっている。

ここまでは、とてもオーソドックスなコメントになってしまったけれど、

ぜひ紹介したいのは、日本語でうたう「プリーズ・ミスター・ポストマン」。

64年のカバーだから、

カバーしたのがクール・キャッツだから、

明らかにビートルズのカバー。

残念ながら、ちょっとがっかり!の出来なのですが、

レコードとしては貴重品、ということで満足しましょう。

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何のワケもなく、何のギャグもなく、なぜか秋になったらまずこの曲をかける、

『華麗なる賭け』の主題歌、「風のささやき」。

映画は、スティーブ・マックイーンとフェイ・ダナウェイの名作。

曲は、ミシェル・ルグランの作曲。

歌っているのは、ノエル・ハリソン。

名優レックス・ハリソンの長男の彼が、

冬季オリンピックにスキー選手としてイギリス代表になった彼が、

こんな歌を歌うことになるなんて!想像もしていなかった。

ノエル・ハリソン君(ボクより17才も年上)は、ボクにとっては“0014マーク・スレート”、

高校2年生の頃見ていた『0022アンクルの女』で、

“エイプリル・ダンサー”ことステファニー・パワーズの相棒として活躍するエイジェントである。

という話になると、放っておけないのが、元祖、『0011ナポレオン・ソロ』。

主人公ソロは、名優ロバート・ヴォーン。

この番組でソロの相棒として、主人公をくってしまったのが“002イリア・クリアキン”、

彼、デビッド・マッカラムもレコードを出している。

彼が作曲し、オーケストラを指揮したインスト曲「月の裏側」、

クラッシック・テイストの大変美しい曲なのである。

今夜は、ふたりのエイジェントのレコードを紹介しました。

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日曜日のお昼は、家でカレーを食べながら『吉本新喜劇』を見る。

高校生の頃、町に下宿していたけれど、日曜日は田舎の実家で過ごす。

大阪ガス提供(だったと思う)の『みんなの広場』(だったと思うagain)を見ながら、

上の畑から採ってきた野菜とシイタケで肉なしカレーを作る。

この番組のレギュラーは、ジャズ・ギターリストの加藤ヒロシさん。

彼は、ラジオ大阪の深夜放送『夜明けまでご一緒に』のパーソナリティで、

寺山修司の詞に彼が曲をつけた「ギター子守唄」を加賀テツヤが歌ってヒットさせた。

同じくこの番組のメイン司会者は坂本スミ子さん。

やはり彼が作曲した「たそがれの御堂筋」をヒットさせた。

余談だけど、彼は翌68年に関西GSザ・リンド&リンダースとして

「銀の鎖」をヒットさせるのである。

さて、話は戻って、

カレーが出来上がるのは決まって12時ジャスト、

洋皿にいっぱいの大盛りカレーを片手に、弟とテレビの前に陣取る、

『吉本新喜劇』を見ながら、フォークでカレーを食べる、

関西の少年たちの典型的な日曜日だったのである。

もしかしたら、ウチだけだったのかもしれないけど・・・。

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広島から最終便のスーパー・ジェットで帰ってきたものですから、

お風呂に入って、メール確認をしていたら、日付が次の日になってしまいました。

だから、ブログは手抜きすることにしました。

♪~ ワン・ツー・スリーで恋をしよう 君となら 恋をするのはABCよりやさしい ~♪

と歌うのは、65年ビルボード最高位2位、レン・バリイの「1-2-3」。

ノリのいい、ポップなラヴ・ソングです。

ブログを書く時って、必ずレコードを聴きながら・・・というのがボクの信条。

聴いていたら、次の曲が浮かんできました。

70年、彼らにとっては第2弾のシングル・ディスクにして2曲目のNo.1、

あまりにも有名な、ジャクソン・ファイブの「ABC」。

マイケル坊やはなぜあんな風になってしまったのでしょうか?

またまた浮かんできました。

次は邦盤、吉田拓郎の名作のひとつです。

彼女たちにとっては15曲目のシングル、

77年、キャンディーズの「アン・ドゥ・トロワ」。

この曲の主旋律を歌う、ちょっぴり太めのスーちゃんが好きでした。

手抜きのつもりが、またまた3曲になってしまいました。

今夜の選曲はいかがでしたか?

“3曲なのに、千曲(選曲)!”、などと言ったりして・・・。

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