FC2ブログ

BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

img592

最近いつもお世話になっている輸入盤の中古店、

いつもはネットで検索しているのだけれど、初めて店舗へお伺いした。

輸入盤というやつにはレコード・ジャケットがないから、探すのがタイヘン!

最近は、アーティストやタイトルの英語表記に慣れてきたのでそれほど苦にはならないけれど、

1年前ニューヨークでは、チェックする気にもならなかった。

その大阪の中古店で、探していたレコードとは別に、聞いたことのない1枚を買った。

作者が、バリー・マン&ハワード・グリーンフィールドという組合せ。

いつもは、バリー・マンはシンシア・ウエイルと、

グリーンフィールドはニール・セダカと、コンビを組んでいる。

おまけに、タイトルが「Girls,Girls,Girls」、

もうひとつおまけに、歌っているのがスティーヴ・ローレンスと来りゃ、買わねばなるまい。

家へ帰って、早速聴いてみた。

なにやら女の子の名前がいっぱいで、アップ・テンポの明るい曲、嫌いなわけがない。

すぐに思い浮かんだのが、64年、ジョニー・ティロットソンの「すてきなガール・ハント」、

女の子の名前がいっぱいで、アップ・テンポで、同じじゃないかぁ~い!

同じく64年、舟木一夫、「花咲く乙女たち」、またまた、同じじゃないかぁ~い!

世の中は不景気で大変だというのに、本当に能天気な男たちである。

家内は年末の大掃除だというのに、本当に能天気なボクでもある。

img593 img594
img590

ボクの洋楽コレクションは基本的には1975年頃まで。

だからといって、それ以後の洋楽に気に入ったものが1曲もない、わけではない。

だからといって、ボクのコレクションに存在していること自体、ちょっと引っ掛かっている。

そんな、いわば“異端児”を紹介します。

まずは、ワケアリの1枚。

数年前からボクのGジャンやジャケットの襟に輝くピンバッジ、

大阪の中古店で、それと同じデザインのレコード・ジャケットに出合った。

もちろんアーティスト名は知っているけれど、彼らの曲にはまったく興味がなかった。

KISS、キッス。

79年最高位11位、「ラビン・ユー・ベイビー」、一種のジャケ買いである。

聴いてみたら、なかなかじゃないか!許せる、ということでコレクションに加入。

もう1枚は、アーティストのキャラが好き、

そして、この曲は大好き、

シンディ・ローパー、84年最高位2位、「ハイ・スクールはダンステリア」。

ボクの大好きな、オールディーズ・テイストをもった1枚である。

でも、この辺までコレクションを拡大してゆくと、経済的に問題が出てくる。

というわけで・・・

年末に当たり、あまり深入りしないように、あらためて心に深く誓うボクなのであります。

img591
img585

60年代前半に花咲いたガールズ・ポップスに魅せられて40年。

当初は有名なアーティストのものしか手に入らなかった。

コンピレーションCD全盛の時代になって、

知らなかったアーティスト、知らなかった曲に出合うことができ、

その曲たちのシングル盤を求め始めて20年、輸入盤がその宝庫だった。

そんなに有名でもなく、多くのヒット曲があるわけでもなく、

特別に歌が上手というわけでもないのだけれど、

こんなにチャーミングな曲があったのか、なんて魅力的な声なんだろうか、

そんな驚きに満ち満ちた楽曲の数々。

既に何曲かは紹介済みだけれど、今夜引っ張り出したのは4曲、

61年最高位29位、ジェイニー・グラントの「トライアングル」。

つづいては、リンダ・ローリーの「オール・ウィンター・ロング」。

3枚目は、63年最高位63位、アリス・ワンダー・ランドの「ヒーズ・マイン」。

そして、今夜の最後は、65年、エイプリル・ヤングの「ゴナ・メイク・ヒム・マイ・ベイビー」。

輸入盤の画像は味気ないのですが、

ボクは彼女たちの画像を諸方面からピックアップして、

自家製のレコード・ジャケットを作成しています。

彼女たちそれぞれに、歌と同様、チャーミングで魅力的なルックスなのです。

img586 img587 img588
img582

昔と違って、クリスマス・イブに何かイベントがあるわけでもなく、

いつもと変わらない普通の夜です。

昔は、子供たちのために、会社でサンタクロースの衣装に着替えて帰路に、

車が信号で止まる度に、向こうや隣のドライバーがニコニコ、クスクス、

家へ帰ってドアを開けたら、子供たちから

“お父さん、何してんの?”

普通のリアクションに、この企画も水の泡・・・。

思い出話はさておいて、

和洋を問わず、有名なアーティストのほとんどは、クリスマスソングをリリースしている。

いや、クリスマスソングを出してこそ一人前!なんて言われた時代もあった。

ボクのフェイバリット・クリスマス・コレクションの中から、

今年はピンとキリのシングルをピックアップしました。

ピン・キリというより、この守備範囲の広さをご披露、の次第。

まずは、ゴスペル界の最高峰、マヘリア・ジャクソンの「きよしこの夜」&「もろびとこぞりて」。

まずはこの定番ソングの基礎を確認するわけです。

もう1枚は、おニャン子の河合その子&国生さゆり&城之内早苗&渡辺美奈代、

そしてボクの大好きな36番・渡辺満里奈の「Merry X’mas for You」、

なんと5分46秒、片面のみのプレス、NOT FOR SALEです。

ちなみに今日一日、ボクの頭の中を駆け巡っていたクリスマスソングは、

チャック・ベリーの「ラン・ルドルフ・ラン」でした。

img583 img584
img580

全米のヒット・チャートで、異なったアーティストによって10度もランク・インした曲、

「アンチェインド・メロディ」。

と聞けば、多くの人はライチャス・ブラザーズの曲だと思ってしまう。

確かに、ライチャスBro.は、65年にビルボード最高位4位、

そして、映画『ゴースト』で有名になった90年には最高位13位、

おまけに、同年には再録音でチャート・インと、計3度もヒットを記録している。

元々は、55年の映画『アンチェインド』の主題曲として書かれたもので、

エルヴィスやディオンヌ・ワーウィック、トゥイッギーまでもがカバーしている。

ボクの手元にあるシングルは、いずれもライチャスBro.のものばかりだけれど、

音源は、DOO WOP BOXで、ヴィト&サリュテイションズのバージョンと

「I Remember」のファイヴ・ディスクスのCD音源がある。

最も完成度が高いのはライチャスBro.盤だと思うけれど、

ボクのフェイバリットは、ファイヴ・ディスクスのもの。

まだまだ聴いたことのないバージョンがいっぱいだけど

この曲、まさに名実ともに“Unchained Melody”だと思う。

img581

12/27 ヴィト&サリュテイションズのシングルをゲットしました。

img589
img577

10年に1度はカバー・ヒットを記録する、

そんな多くのアーティストが憧れる名曲のひとつが、

「ALL I HAVE TO DO IS DREAM」、邦題は「夢をみるだけ」。

オリジナルは、58年5月ビルボードNo.1、ドンとフィルのエヴァリー・ブラザーズ。

作者のブライアント夫妻によると、この曲はわずか15分で出来上がったという。

この“15分の夢”は、その後も多くのアーティストに歌われることとなり、

10年に1度はヒットを記録している。

63年に、『ドクター・キルデア』・リチャード・チェンバレンが14位、

70年には、大御所同士グレン・キャンベルとボビー・ジェントリーのデュエットで27位、

81年には、アンディ・ギブとヴィクトリア・プリンシパルのデュエット(持っていない)で51位。

ボクの自慢のレコードは、英国初回発売、三角センターのエヴァリー盤なんだけど、

絵になりにくいので、トップ掲出はグレン&ボビーのデュエット盤。

日本でのカバー、お薦めはやっぱりモコ・ビーバー・オリーブ盤、

オリーブことシリア・ポールのリードと、間奏に入るビーバーのセリフは必聴ものです。

とはいえ、聴き比べれば聴き比べるほど、

エヴァリー・ブラザーズの輸入盤は、オリジナルとしての自信と誇りにあふれていて

最高の趣なのであります。

img578 img579

リチャード・チェンバレン盤、邦題「夢に追われて」が見つかりました。(1/1)

img595
img574

昨日は大阪出張でした。

ゆっくり考えてみたら本当に久しぶり、

最近は素通りばかりで、街を歩いたのは2年ぶりでした。

アメリカ村から心斎橋筋を通って難波へ、

平日だというのに、世の中は不景気だというのに、ものすごい人波、

派手でガラも悪そうなのですが、街も人もやさしそうで、癒されてしまいました。

というわけで、今日の愛聴盤は、「若い二人の心斎橋」。

64年秋の新曲、ボクの中学生時代の観光バスの中での持ち歌です。

橋、舟木、西郷との四天王の末っ子、三田明と、吉永小百合のデュエット曲。

さかのぼること5ヵ月前、

雑誌『平凡』募集当選歌つながりでカップリングになった縁でのデュエット企画だったのだろうか、

その「ごめんねチコちゃん」は結構ヒットした。

その後65年春には、デュエット第2弾「明日は咲こう花咲こう」をリリースした。

そんなことを思いながらの大阪の街を“元気の素”にして、

また今日から正義のために戦いつづけるボクなのであります。

(おまえは、スーパーマンか!)

img575 img576
img570

60年代後半には、ひとつのテレビ番組だけで突然人気が沸騰し一躍アイドルになってしまう、

そんな現象があったようだ。

その代表選手のひとりが、サジッド・カーン。

67年、テレビ番組『巨象マヤ』に出演するや、主役を喰ってしまって一躍人気者に。

レコード・ジャケットでみるように、

日本人にとってもアメリカ人にとっても、“エキゾチックな”魅力をたたえた少年である。

主役を喰ってしまったところは、『ナポレオン・ソロ』のマッカラムと同じパターン。

とはいえ、68年の「愛と平和」も、70年の「ドリーム」も

歌か語りか、まがりなりにもヒットしたのは彼のビジュアルとコーラス隊のおかげ。

もうひとりは、ボビー・シャーマン。

彼も、68年『略奪された100人の花嫁』で人気者になった、

とはいえ、その甘い歌声とルックスで曲も大ヒットした。

69年ビルボード3位、ミリオンセラーの「リトル・ウーマン」、つづいて「ラ・ラ・ラ」、

70年「イージー・カム、イージー・ゴー」、「ミスター・サン」とたてつづけにヒットを記録した。

古き良き時代、そんなアイドルに夢中になった女の子たちが、

40年を経て、『冬ソナ』のペ・ヨンジュンに夢中になったのではないだろうか。

彼らのレコードを聴きながら、そんな社会学的考察を展開するボクなのであります。

img571 img572 img573
img567

72年、大学3回生の秋、「ウララカ」にイカれたボクは、『大瀧詠一』を買った。

そこに6月にシングル発売されたはずの「空飛ぶくじら」は入っていなかった。

大瀧さんの初シングル「恋の汽車ポッポ」はLPに収録されていたからパスしたが、

入っていないから、仕方なく買った「空飛ぶくじら」だったけれど、

今では1万円以上の高値がついているから、買っておいて正解だったと思う。

当時は、バージョン違い、なんて特に気にかけていなかったから、

「恋の汽車ポッポ」だって買っておいたらよかったなあ、って、今になって・・・。

手書きの歌詞カードによると、作詞は江戸門弾鉄、松本隆の別名、

作曲は、ご存知、多羅尾伴内、大瀧の別名である。

さて、82年、あろうことか、この曲を堺正章先生がカバー。

マチャアキ・ファンのボクではあるけれど、これはいけません、似合いません。

ついでに、74年、みなみらんぼう作、同タイトルの「空飛ぶ鯨」をちゃんちゃこがリリース、

これはこれでアリだと思う。

違ったご意見もおありだと思いますが、

独断と偏見のブログだから、どうぞお許しあれ。

img568 img569
img564

トミー・ジェイムスとションデルス、「ハンキー・パンキー」、

この1966年7月のビルボードNo.1ヒットを作り出したのは

ピッツバーグのラジオDJだった。

2年も前のローカル・ヒット・シングルを見つけ出してきて

自分の番組で流していたものが、メジャー・ヒットにつながった。

トミーがションデルスとレコーディングしたのは高校生の時、

そして、ヒットの兆しが見え始めた頃にはションデルスのメンバーは辞めていた。

新しいションデルスを編成したけれど、再レコーディングすることもなく

昔のマスターのまま発売し、全米No.1を獲得したのだった。

まあ、オールディーズの世界ではよくある話なのではある。

オリジナルは、

ブリル・ビルディングのゴールデン・コンビ、ジェフ・バリーとエリー・グリーンウィッチ、

エリーの妹と3人で結成したレインドロップスで63年に発表したもの。

彼らにとっては、“お遊びの曲”だったというから、

彼ら自身さえビックリのNo.1ヒットだったそうなのである。

久々に語ってしまいました、資料Bookからのうけうり、

No.1ヒット・ストーリーなのであります。

ちなみに、ボクのフェイバリットはレインドロップス盤!趣が違います。

img565
img560

広告会社へ入社して4年目の頃、

担当していた靴屋さんが、タレント・ショーを主催した。

その年の歌手は、太田裕美。

74年のデビュー曲「雨だれ」から、75年、作詞家松本隆を有名にした「木綿のハンカチーフ」、

翌年の「赤いハイヒール」「最後の一葉」と、大のファンだったから、ボク大喜び。

当時の一押し曲は「しあわせ未満」、

レコード・ジャケットは、テレビの広告素材として使ってしまっていたので

ボクのコレクションには最近までレコード盤だけしか無かった。

別会社がプロモーターをしていたために、直接接する機会はなかったけれど、

今でも覚えているのは、

リハーサルの時、音取りを間違えたバンド・メンバーに向かって発した一言、

“てめぇ、違うだろ!”。

そのアイドルらしくない言葉にビックリ、彼女はプロ意識をもったアーティストだった。

もうひとつは、前座を務めた3人組の真ん中の女の子の可愛いかったことと、そのやさしい歌声。

グループ名を忘れてしまって、先日当時の元部下にTEL、彼も忘れていたけれど、

その後資料をひっくり返して、ようやくそれらしいグループ名が判明した。

アトリエ、その時に歌った曲は・・・、

タイトル名は「北鎌倉にて」だったような気がするけれど、

レコードを入手して聴いてみると、「暮れなずむ街」だったような・・・。

なにせ30年も前のことですから。

太田裕美は、その後ボクのコレクションにもう一度登場することになるのですが、

その話は、いずれまた。

img561 img562.jpg img563
img558

昨夜は久しぶりのライヴ体験でした。

12月8日はジョンの日、

愛媛が誇る(埃る?)4人のミュージシャンによる恒例『ビートルズ祭り』。

ストレスがダウンしての帰り道、思い出したのは、こうして夜な夜な繰り出していた日々。

松山の飲み屋街、確か『LAパニック』というお店だったと思うけれど、

外国人のバンドが出ていたライヴ・ハウスがあった。

なぜか、外国人のバンドは雰囲気があって、メチャメチャかっこ良くって、

最後のナンバー、「ジョニー・B・グッド」に合わせて、頭がクラクラになるくらい踊る、

革靴の踵と爪先はすぐにボロボロになった。ツイストだもの。

オリジナルはもちろん58年のチャック・ベリー。

85年の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマイケル・J・フォックスもカッコ良かった。

チャック・ベリーと言えば、ロックの神様のひとりでありながら、

ビルボートNo.1は、72年の「マイ・ディンガリン」の1曲っきり。

『THE LONDON CHUCK BERRY SESSIONS』というLPには

このNo.1曲と一緒に、「ジョニー・B・グッド」のライヴ・バージョンも入っているので

シングル・コレクターの汚名になることを承知で買った。

ジョニー・ウィンターさんには失礼ながら、

70年のカバー「ジョニー・ビー・グッド」も、ついでに買った。

レコード棚をあさっているともう1枚、64年のディオンのバージョンを発見した。

この曲を聴くとすぐにハイになれる、

年齢は重ねても、

場所と形(ファッション)を変えれば、テンションを変えられるボクなのであります。

LP5 img559 img566
img555

ボクが大学生から社会人になる頃だから、70年代前半の頃、

松山の千舟町に『ガール』という喫茶店があった。

店頭正面の壁面に、真っ赤なテント地にビートルズの「ガール」の譜面が刻んであった。

「ガール」は、ジョンのしゃがれ声が魅力的なミディアム・バラードの隠れた名曲である。

大学生の時、ゼミの友だちに連れて行ってもらったのがきっかけで、

社会人になってからも、仕事中に時々行っては、リフレッシュしていた。

そして、レコード・コレクターのボクは、“GIRL”の付くレコードを集めようと決心した。

“GIRL”さえ付けば何でもいい、のではなく、もちろんステキなオールディーズを。

既に紹介済みの「カーニバル・ガール」、「ヤング・ガール」、「カバー・ガール」の他に、

お気に入りは、「モデル・ガール」。

オリジナルは、61年、クレスツを脱退したジョニー・マエストロの全米20位。

LPでしか持っていないものですから、坂本九ちゃんのカバー盤でお目見えします。

お気に入りをもう1枚、64年、バーナデット・キャロル嬢の全米47位、「パーティ・ガール」。

可愛い彼女の写真も、お見せできないし、

典型的なガールズ・ポップスの名曲も、お聴かせできないのが

とても残念な、輸入盤でゴメンなさい。

もちろん、まだまだボクのレコード棚には“女の子”がいっぱいなのですが、

おいおいに紹介してゆきたいと思います。

img556 img557
img551

漫談の牧伸二さんは、♪~フランク永井は低音の魅力~♪と歌った(?)、けれど、

低音の魅力、と言えば、ボクにとっては、スマイリー小原。

ジャズ・ミュージシャンで、渡辺プロでスカイライナーズという楽団を率いた。

指揮者の常識を破って、“踊る指揮者”として、

『ザ・ヒットパレード』や『シャボン玉ホリデー』でステップを踏む姿が目に浮かぶ。

洋楽のカバーで、歌手と絡んで、低音部は彼の出番。

まず思い出すのは、「ミスター・ベース・マン」の♪~バーバボ バーボ・・・♪。

原曲は、63年ジョニー・シンバルくんの大ヒット曲、

クレジットはされていないけれど、低音部の担当はロニー・ブライト氏。

続いて、翌年の♪~モンモモモモ マシュマロ~♪、「僕のマシュマロちゃん」、

こちらは、日本でのみのヒット曲。

スマイリーさんのシングル盤への登場は、ピーナッツの「スク・スク」、

レコード・ジャケットのピーナッツの後にいるのが若き日の彼。

そして、彼のためにあるような曲が、デイヴ・ペル・シンガーズの「マナ・マナ」。

この曲をかけていると、ニコニコとステップを踏み、

演奏の切れ目に、スタンド・マイクに口をよせて、♪~マナ マナ~♪、

そんなダンディでシャイな彼の姿が、今でも目に浮かんでくる。

img552 img553 img554
img548

61年のサンレモ、アドリアーノ・チェレンターノとリトル・トニーの競作は、

「24,000回のキッス」。

リトル・トニー盤は英語だから、原題は「Four An’ Twenty Thousand Kisses」、

チェレンターノ盤はイタリア語だから、たぶん「24 Mila Baci」。

たぶん、というのは、チェレンターノ盤は持っていないけれど、

先日紹介したコニー・フランシスの「想い出の冬休み」のB面曲よりの推定。

これ自体は特別問題ではなく、とっても大好きなイイ曲である。

問題は、日本語カバー盤。

小学生の頃、結構ヒットしていたものだから、いつも口に着いていた。

♪~ 1秒のキッスを 1日つづければ 24,000 イェイェイェイェィ ~♪

どう計算しても合わないでしょうが!

60秒×60分×24時間で、86,400回ということになる。

雰囲気だからまあいい、としても、子供心には疑問だった。

この歌詞のおかげで、算数がわからなくなった奴も居たりして・・・。

時は移り、72年、なんでもかんでもカバーしてしまった、あのゴールデン・ハーフさえも、

そのままの歌詞で歌ってしまった。

ちょっとは、反省せい!

そんなに強く言って、関係者が出てきたらどうするのかって?

謝ったらエエやろ。

img549 img550
img545

前にも書いたけれど、ボクは大滝詠一さんのフリークである。

『大瀧詠一』、通称“ファースト”以来のファン、

だから、ある意味では駆け出しのフリークである。

たいていの音源は持っているけれど、彼の場合、同じ曲でも多くのバージョンがあるから

すべてある、とは言い難いのが、いまひとつ胸を張れない理由。

そのボクのちょっとした自慢は、未発売の2曲の音源を持っていること。

確か、98年の新年に『サンデー・ソング・ブック』でオン・エアーされたもの。

「私の天竺」は、「My Blue Heaven」、邦題「私の青空」のカバー。

ボクのレコード棚には、ボビー・ビントン盤しかありませんが・・・。

もう1曲は、「陽気に行こうぜ!」、

こちらは、「リップ・イット・アップ」と「オール・ショック・アップ」のミックス・カバー。

たぶん、彼の元ネタはプレスリーだと思うけれど、

これもボクのレコード棚にあるのは、リトル・リチャードとプレスリーの輸入盤。

カセット・テープからCDに落とした『Niagaraレア音源集』には、その他にも

「ハッピーエンドで始めよう・草津バージョン」(大滝詠一)、

「ガラスの少年(セルフカバー)」(山下達郎)、

「MajiでKoiする5秒前(セルフカバー)」(竹内まりや)、を収録。

個人で楽しむだけだから、何の問題もないですよね、著作権協会さん。

img546 img547