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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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先月、太田裕美のことをブログに書いた頃、

このコンサートが松山に来ることを知った。

すぐに行こうとは思わなかったのは、

ボクの中でイメージの違う太田裕美に出会うことを恐れたから(そんな大げさな!)。

しかし、まもなくしてチケットを買ってしまった。

「22才の別れ」の正ヤンと、ガロの“ボーカル”大野さんとの、なごみーずライブ。

昨夜、会社を早退して行ったのです。

前のブログで予告したように、

今日は、ボクの人生に再び登場した太田裕美について書こうと思う。

高音の美しさに魅せられて、デビュー以来ファンだったけれど、

77年のコンサートの後、久しく彼女の楽曲に出会うことはなかった。

それは突然の再会であった。

81年、今では伝説のアルバム『A LONG VACATION』の「さらばシベリア鉄道」が、

前年に太田裕美が出したシングルのセルフ・カバーであることを知った。

もちろん、すぐにレコード店に走った(本当は車で行った)。

そして、続いて出していた大瀧作品「恋のハーフムーン」も買った。

この曲はボクの永遠のフェバリットとなった。

蛇足ながら、大瀧さんの「A面で恋をして」のB面「さらばシベリア鉄道」も

まもなくボクのコレクションに加わったことは言うまでもない。

当然のことながら、「恋のハーフムーン」は昨夜登場することはなかったけれど、

「シベリア鉄道」は3曲目に歌った。

寒い夜、理想的に歳を重ねた3人の姿、

ほのぼのとしたぬくもりを感じさせてくれたひとときに、感謝。

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59年、世界中で大ヒットしたカテリーナ・ヴァレンテの「情熱の花」。

67年、アングラ・フォークの走り、フォークルの「帰って来たヨッパライ」。

81年、ボクが大好きなコニーさん率いるヴィーナス「キッスは目にして!」。

この3曲に共通するものは何でしょう?

非常に簡単な問題で失礼しました。

このどれもが、ボクのプログで、独立して語りたい程の曲ではあるけれど、

成り行きでこんなテーマになりました。

答は、ベートーヴェンの「エリーゼのために」。

というわけで、このテーマのために、69年のコロネードスの「エリーゼのために」を入手、

晴れて書くことができました。

高校2年生の秋(だったと思う)、コタツの中で英語の予習をしながら、

ラジオ関西の夜の電リクで初めて「ヨッパライ」を聴いた。

この曲は関西人のボクたちだけの自慢だったのに、

いつの間にか日本中に大ヒット、急におもしろくなくなってしまった。

曲のエンディングで、お経から「ハード・デイズ・ナイト」へ、

そしてバックに流れるのが「エリーゼのために」。

そんな“隠し味”がとてもうれしかった青春の思い出である。

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前にも書いたが、ブログを書く時、必ずそのレコードを聴きながら・・・

が、ボクのスタイルである。

でも、今夜のレコードたちは、何と申しましょうか~(小西得郎さんのモノマネで)

ご近所さんや家族の手前、少々かけにくい。

ボクの大好きなフランス・ギャルの生みの親セルジュ・ゲーンズブールが

ジェーン・バーキンと歌った(?)、69年の「ジュ・テーム~モア・ノン・プリュ」。

どんな曲かは書くのもはばかられるので、ライナーノーツから引用する。

“セクシーすぎるほどセクシーな歌で、男と女の営みをそのまま歌にしたもので、

 二人の熱いため息がふんだんに入っている”

もちろん放送禁止になったけれども大ヒット、ポール・モーリアまで取り上げたというもの。

次は、結構有名なマリリン・モンロー、59年サウンド・トラックより「お熱いのがお好き」。

誰もがきっと1回は聞いたことがある、モンローの定番ソング。

歌いだしの♪~I wanna be loved by you~♪と、

“pooh-pooh-bee-doo!”が、心癒す。

もう一枚は、ちょっとマイナーですが、

以前に紹介したニノ&エイプリルのエイプリル・スティーヴンスのソロ作品、

59年の「ティーチ・ミー・タイガー」。

まるでモンローのようなセクシー路線で、もちろん放送禁止の勲章を持つ。

などと言いながら、後半の2曲は聴きながらの執筆となりました。

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正確な年は忘れてしまったけれど、

彼の「帰らない」がヒットの兆しをみせていた頃だから、77年春だったと思う。

営業担当だった靴屋さん恒例のタレント・ショー招待セール、

タレント・ショーを主催して、その入場券を販売促進に利用する、といった

今思えば、バブリーな時代、広告が大きな効果を発揮した時代。

そのタレントは、当時人気絶頂の清水健太郎。

昨年秋、久しぶりに名が出たと思ったら、なんとひき逃げ報道。

あまりよろしくないニュースとVシネマでの復活とまたまたよろしくないニュース、の繰り返し。

そんなことになろうとは、想像だにできなかったあの頃。

デビュー曲「失恋レストラン」は、77年2月から5週連続オリコンNo.1、

2曲目の「帰らない/恋人よ」も、5月から2週連続のNo.1、

両方とも、あの、つのだ☆ひろ、の作品。

その年の最優秀新人賞、紅白出場、

彼のヘアスタイル“健太郎カット”まで流行した。

なぜかコンサートのことは特に覚えていないけれど、

招待セール用に、彼の似顔絵入りの紙バッグを作ったことをよく覚えている。

本人に似させるために何度か書き直したと思う。

同じデザインの大きな看板を店頭に掲げたこともよく覚えている。

彼の似顔絵入りの紙バッグ、押入れのファイル・ケースをひっくり返したら出てきた。

もの持ちのいい、捨てられない性格のボクならでは。

イラスト、彼に似ていますか?

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輸入盤にはレコード・ジャケットがないものが多い、ことは何度も書きましたが、

紙のレコード袋、スリーブといいますが、これもまたコレクションの対象。

ボクにはそんな気持はありませんが、写真はマーキュリー・レーベルのスリーブです。

今日は、ブログを始めてから2回目のボクの誕生日ですので、

ピック・アップしたのは、63年、ピクシーズ・スリーのデビュー・シングル

「バースデイ・パーティー」。

紹介したマーキュリーのスリーブの中身です。

ボクぐらいになると、誕生日といっても特別なこともなく、

娘からお祝メールが来たことと、

夕食がちょっと豪華なことと、

日頃控えさせられている甘い物が許されることぐらい。

十分じゃないカ~ィ、という声も聞こえてきそうですが・・・。

2006年、「ジャケガイノススメ・シリーズ」という紙ジャケCDの企画がスタートして

その時に買った1枚が「PARTY WITH THE PIXIES THREE」。

ご覧のように華やかな素敵なジャケットです。

もちろん「バースデイ・パーティー」も収録された彼女たちのベスト盤。

その他にも欲しいものがいっぱいあるのですが、

レコード・コレクター故に、ガマンガマンのボクです。

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90年代初めに、当時未CD化だった珍しいオールディーズ作品のコンピレーションを

次々と発売していたことで有名なエーサイド・レコード(東京)。

この会社、今はもうなくなってしまったけれど、

その中の1枚、待望のナンシー・シナトラ盤「tonight you belong to me!」を

ようやくゲットしました。

62年のデビュー曲「カフス・ボタンとネクタイ・ピン」からシングル連続10枚分20曲、

ナンシー・シナトラがアメリカで本格的にブレイクする前の

まだ可愛らしさと清純イメージで、日本でのみ人気者だった頃の楽曲コンピ。

2枚目のレモンと、3枚目のイチゴは既に紹介済ですが、

4枚目の「フルーツ・カラーのお月さま」(シングル探索中)と、

5枚目の「リンゴのためいき」(原題「Think Of Me」)の“フルーツ・シリーズ”、

原題とはまったく関係なく、勝手につけた邦題。

作詞者もナンシーも、いい迷惑かもしれないけれど、

ボクたちオールディーズ・マニア、ガールズ・ポップス・フリークには大ウケ、

琴線にふれて、大枚をはたくハメになっているのです。

ちなみに、ナンシーのデビュー曲をカバーしたのは中尾ミエ、

なぜかタイトルはひっくり返って「ネクタイピンとカフスボタン」なのです。

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若い頃はトンガっていた。

社会に対して、許せないことがあった。

会社や上司に対して、言いたいことが山ほどあった。

自分の存在を皆に認めても欲しかった。

だから・・・

英語が堪能だったら、きっとボブ・ディランが好きだったと思う。

英語の歌詞がよくわからなかったから、

ボブ・ディランのレコードはこの1枚しか持っていない。

「風に吹かれて」、「ライク・ア・ローリング・ストーン」、

「ミスター・タンバリンマン」、「時代は変わる」、

ジャケットの素晴らしさに魅せられて買ってしまったけれど、

ボクにとっては、この4曲で十分。

いつの間にか歳をとって

マルくなってしまった。

社会に対しても、会社に対しても、部下に対しても、結構許せる。

自分の存在だって、認めてくれる人だけが認めてくれればいい。

決して枯れてしまったのではない。

自分の意見や、自分の主張はいつも持ち続けているのだから。

ボブ・ディランは、今どうしているのだろう。
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ようやくシングル盤をゲットした。

75年、深夜放送で密かにかかったマイナーなグループの曲に、耳がくぎづけになった。

まぎれもなく、“日本のビーチ・ボーイズ”だ!

日本の「サーファー・ガール」だ。

目が冴えて眠れなかった。

愛奴(アイドと読む)、「二人の夏」。

数年後に、この曲の入ったLPを手に入れた。

メンバーの中に、浜田省吾の名を見つけた。

この曲の作詞作曲も浜田省吾であることを知った。

けど、歌っているのは青山徹&町支寛二、

出だしのファルセットはどっちなんだろう?

ずっと後になって、浜田省吾がセルフ・カバーしたCDシングルも手に入れた。

そして、愛奴「二人の夏」のシングル盤、

オークションではものすごく高値で、思い切れないでいたけれど、

昨年末、中古店で比較的安く手に入れることができた。

愛奴のLPを全曲聴いてみて、

愛奴が“日本のビーチ・ボーイズ”でないことはわかったけれど、

「二人の夏」は、まぎれもなくビーチ・ボーイズである。

LPの中の「あの娘は僕の大事なべぇぃびぃ」と「恋の西武新宿線」もなかなかいいね。

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シンガーであり、ソングライターであり、専業主婦である、竹内まりや。

1978年、「戻っておいて・私の時間」でデビューした頃は、

間違いなく、アイドル歌手であった。

ボクは現体験で知っている。

デビュー以来、加藤和彦夫妻や松本隆・林哲司らが提供するアイドルソングを歌っていた。

まもなく、自ら作詞作曲するようになった。

このいずれもが、ボクの言う“オールディーズ・テイスト”のある楽曲であった。

また、その多くがCMやドラマのタイアップであったりもした。

さてさて、今日引っ張り出したのは、

この元アイドルが、アイドルに提供した楽曲コレクション。

以前に紹介したアンの「リンダ」はここでは省略。

まずは、今は亡き岡田有希子、84年3枚目のシングル・ヒット「恋はじめまして」、

デビューから竹内まりや楽曲で売り出した超アイドル、ボクはこれが一番好き。

そして、“秀樹の妹”“ジャッキーの恋人”河合奈保子、82年「けんかをやめて」。

超大物アイドル、中山美穂、86年「色・ホワイトブレンド」。

この2曲は、セルフ・カバーでもお馴染み。

今日はここまで、レコード時代の3曲で札止め。

彼女自身のシングル盤コレクションについても、いつか紹介したいと思う。

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高校一年生の時の『現代国語』の先生は川端康成の大ファンで、

先生の口ぐせは、“いい人はいいネ!”。

というわけで、(どういうわけやねん!)

ソウル・ミュージックってそんなに好きでもないのだけれど、

モータウンはちょっと好き!シュープリームスは大好き!

64年から69年の5年6ヵ月の間に、12曲の全米No.1を記録したシュープリームス。

66年9月、7枚目のNo.1は「恋はあせらず」、

この曲をカバーしたのは、83年2月最高位10位、フィル・コリンズ。

66年11月、8枚目のNo.1は「恋はおしまい」、原題「You Keep Me Hangin’ On」、

この曲をカバーしたのは、68年8月最高位6位、バニラ・ファッジ。

趣は大きく変わっても、いずれも大ヒット、

モータウン・サウンドを作り上げたブライアン・ホランド&ラモント・ドジャー&エディ・ホランドの

すばらしいソング・ライティングとプロデュースの賜物である。

いつ聴いても、どこで聴いても、何度聴いても、

本当に、“いい曲はいいネ!”

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今朝、新聞の国際面で見つけた訃報、

デービット・ハーマン氏、65歳。

カーナビー・ファッションに身を包んだ5人のガイのリーダー、デイブ・ディーさんである。

たぶん、ラジオのDJたちでさえ、彼の死を悼んでレコードをかけてくれたりしないだろうから、

ボクのブログで、語りたいと思う。

デイブ・ディー・グループとの出会いは、67年の深夜放送、「オーケイ!」。

時を経ず、「好きさ好きさ好きさ」のカーナビーツが彼らの3曲目のシングルとしてカバーした。

実はこのデイブ・ディー・グループの「オーケイ!」は、

68年に正式スタートする『オリコン』が、実験的にスタートしていた67年11月に

第3位にランクされている。

ちなみに、『オリコン』のチャート1位第1号は「ラブユー東京」だけれど、

実験的スタートしていたチャートで2週連続で“幻の1位”となった曲がある。

ブルー・コメッツの「北国の二人」。

奇しくも、カーナビーツの高野さん、ブルコメの井上さん、そしてデイブ・ディーと

それぞれのフロントマンが3人とも故人になってしまった。

“あの人は今”、報道で懐かしい名前に出会った時は訃報、

そんな残念な現実に出合うことが増えた今日この頃である。

心から冥福をお祈りします。

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今は昔、

CMナレーションはテレビ局のスタジオで音録りするから、

レコード音源をBGMに使うのもOKだった(と思われていた)時代。

営業担当だった靴屋さんの本店リニューアル・オープンのテレビ・スポットのBGMは、

いつものように、出だしにアテンションのある曲を探すこと一昼夜。

コレクションの中から選び出したのは、シルヴィ・バルタン、68年の「あなたのとりこ」。

晴れやかなイントロと、誰もがいい気持になるような、耳に残る曲、

まさに、リニューアル・オープンにぴったりのイメージだった。

時は70年代後半、この曲が数々のCMに登場する何年も前のこと、

クライアントは当然この曲を知らなかったけれど、

集中スポットをオン・エアーしてまもなく、

視聴者から、あのCMのBGMは何という曲か?という問い合わせがあった。

それを機会に、以後のCM制作に全幅の信頼をいただいた、と記憶している。

もう1曲は、紳士服店の恒例イベント、お正月の早朝バーゲンのCMの選曲、

毎年年末年始に集中的に流すものだから、というわけで

BGMと早朝バーゲンを一元化させたい、と選び出したのは、

おなじみ“街角男”デル・シャノン、61年のヒット曲「花咲く街角」(2度目の登場)。

今は逆に、これらの曲を聴く度に、CMのことを思い出す。

地方の広告業界の“古き良き時代”のお話です。

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1960年~65年、日本の音楽史上に輝く“カバーポップスの時代”、

英米仏伊のヒット曲を発掘し、日本語の訳詞をつけてアイドル歌手に歌わせる。

そんな曲に魅せられて、原曲を集めたい、

それがボクのレコード・コレクションのルーツである。

と、えらい大上段に構えてしまったけれど、

今夜引っ張り出してきたのは、その逆、

日本のヒット曲に英詩をつけて歌ってしまった曲、を探してみた。

大滝詠一さんの一連の曲を英語カバーした『CANARY ISLANDS』や

竹内まりや作品を英語カバーした『Sincerely』シリーズは、ボクの車中の愛聴盤だけど、

レコード棚から真っ先に出てきたのは、レスリー・マッコーエン。

78年“タータン・ハリケーン”ベイ・シティ・ローラーズを脱退したレスリーが、80年に発表、

もちろんタイガースのカバー、「銀河のロマンス」&「花の首飾り」。

そして、思い出して探し出したのは、64年ジョニー・シンバル「明日があるさ」、

原曲は、青島幸男作詞、中村八大作曲、前年の坂本九ちゃんのヒット曲。

ふたりの珍しいコンパクト盤(7インチ33回転4曲入りのお得盤)を揃えてみました。

そして、もう一枚の珍品は、89年、大御所レイ・チャールズがサザンをカバーした

「エリー・マイ・ラヴ」、いうまでもなく「いとしのエリー」である。

ウィスキーのCMで全国一斉オンエアーされた有名なものだけど、

このレコードは、片面のみのプレス、おまけに非売品のプロモ用、ノン・レーベル、

どこから出てきたのか、東京の中古店で見つけたもの。

馴染みの曲を有名アーティストが英語で歌う、これもまた、楽しからずや。

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若かりし頃、

ボクの愛すべき後輩は、カラオケタイムになると、

おもむろに、ポケットから白い手袋とサングラスを取り出す。

歌うは、シャネルズ「ランナウェイ」。

彼は上手い、フリも堂に入っていた。

基本的に歌が下手なボクのレパートリーは、飯田久彦かGSと決まっていたが、

タマには違う曲も歌う。

お気に入りは、その頃体型の似ていた渡辺徹の「約束」。

でも本番は歌い終わった後。

この日のためにポケットに忍ばせていたアーモンド・チョコレートを取り出し、

かじるフリで、“カリッ、と青春!”。

歌の不十分さをカバーするのである。

歌というやつは、長い間歌っていないと声が出なくなる、らしい。

もうひとつのレパートリーだった、「ルイジアンナ」のシャウトは今でもできるだろうか?

「虹とスニーカーの頃」の高い声は出るだろうか?

本当にカラオケに行かなくなった今日この頃である。

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一富士二鷹三茄子、一般的には1月2日の早朝に見る夢を初夢というらしいけれど、

ボクの今年の初夢は、ニッティー・グリッティー・ダート・バンドのコンサートの夢だった。

確か、73年大学4回生の夏、彼らは松山にやってきた。

そんなに彼らのファンではなかったけれど、

なぜ行ったのか、細かいことは忘れてしまったけれど、

今も覚えているのは、金だらいに箒の柄を立てたウォッシュタブ・ベースを弾いていたことと、

アンコールで「ゲット・バック」をやったこと、

そのコンサートでNGDBを好きになって2枚組のLPを買ってしまったこと。

なかでも、「ジャンバラヤ」のシングルB面曲「ディギー・リギー・ロー」が大好き。

ところで、カントリーの定番曲「ジャンバラヤ」って何のことか、知ってますか?

いわば“アメリカ風の炊込みご飯”、パエリアみたいな料理、だと知ったのは後のこと。

オリジナルは、52年、ハンク・ウィリアムス。

NGDBは71年、そして73年にはカーペンターズでヒットした。

それぞれに甲乙付けがたい名盤である。

話は逸れてしまったけれど、

今さらなぜそんなNGDBの夢なんか見てしまったのだろう?

もしかしたら、ブログ・ネタのことが頭から離れなくなっているからかもしれない。

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Together、は大好きな英単語のひとつである。

高校2年生の時、深夜放送で「ハッピー・トゥゲザー」を聴いた時から、

大好きな言葉のひとつとなった。

67年、タートルズ、初めてにして唯一のビルボードNo.1ヒット。

英語なんてよく判らなくても、“君と僕、一緒にいられて幸せだよ”っていう雰囲気が伝わってくる。

楽曲のすばらしさと、彼らのコーラスの魅力にやられた。

このシングルのレーベルは、ごらんのようにLONDONだったけれど、

なぜか、70年の再発盤はオリジナルのWHITE WHALEだったので、買った。

ジャケットは、なぜかアナグリフ、赤青メガネをかけたら立体画像になるというやつ。

そして、Togetherではずせないのが、69年、ジョンの歌う「カム・トゥゲザー」、

♪~ Come together, Right now over me ~♪

今すぐ私を超えて一緒においで!、今すぐみんなで私を超えて行け!そんな意味?

大学生になって少しして、「ミスター・マンデー」のオリジナル・キャストのシングル盤で

「カム・トゥギャザー」というのを見つけた。

てっきりビートルズのカバーかと思って買ったけれど、まったく別の曲。

途中まで聴いたっきり、聴いたことがない。

そう言えば、日本語タイトルが、トゥゲザーではなくトゥギャザーだったというオチがついている。

“トゥギャザーしようぜ!”なんて、

大好きなTogetherという単語が台無しになってしまった昨今、

タートルズのコーラスだけが今でもボクを癒してくれる、そんな1枚なのである。

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