FC2ブログ

BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

img688

“まるで”シリーズ(そんなん、いつデキたん?)第2弾は、

ディメンション・ドールズ。

この女子プロレスのチームのような名前は、

キング&ゴフィンのレーベルだといっても過言ではない“ディメンション”の看板3組、

キャロルとリトル・エヴァとザ・クッキーズをフィーチャーした名盤。

ブレル・ビルディングのシンガー・ソングライター、キャロル・キングと

彼女の元ベビー・シッター、リトル・エヴァと、

その姉貴分で、キャロルにエヴァを紹介したといわれているガールズ・トリオ、クッキーズ。

それぞれ4曲ずつを収録した、大好きなアルバムのひとつである。

まずは、キング&ゴフィン作、62年全米No.1「ロコ・モーション」と「Up On The Roof」を収録、

リトル・エヴァのフランス盤シングルを紹介しました。

そして、クッキーズはアルバムの1曲目を飾る63年の代表作、キング&ゴフィンの

「Don’t Say Nothin’ Bad About My Baby」、彼の悪口なんて言わないで、かな?

ついでに、クッキーズのリード・ヴォーカル、Earl-Jean(アール・ジーン)の名曲、

「I’m Into Somethin’ Good」、もちろんこれもキング&ゴフィン、63年の発売、

ハーマンズ・ハーミッツの「朝からゴキゲン」のUSオリジナルなのです。

本当に、キング&ゴフィンって最高ですね。

LP6 img689 img690
img685

70年頃(だったと思う)、ラジオの深夜放送で聞いた曲は、

まるでビートルズのスタジオ録音の新曲のようだった。

タイトルは「GOOD BYE」、アーティストはジャスティン・ヒースクリフ。

DJは「ブリティッシュ・ビートだけれど、正体不明のアーティスト」と紹介していた。

シングル盤を買ったけれど、英語の詞以外は何の情報もなし。

B面の「YOU KNOW WHAT I MEAN」もビートルズっぽい。

まもなく、彼の正体が、あの憎っくき喜多嶋修だと知った。

ボクのアイドル“白馬のルンナ”内藤洋子と結婚したヤツ、なのであった。

ジャスティン・ヒースクリフは、今でこそ、

彼が、大瀧さんでおなじみのミキサー吉野金次と組んだプロジェクトだとわかっているけれど、

本当に神秘なアーティストだったのである。

喜多嶋修と言えば、ランチャーズ。

加山雄三さんのバックバンドとして誕生したけれど、

彼は高校生だったためにまもなく脱退している。

だから、「霧雨の舗道」や「ブラック・サンド・ビーチ」のレコード・ジャケットに彼はいない。

そして、67年、大学に進学した彼はグループに復帰し、加山さんから独立し、

GSの名曲のひとつ「真冬の帰り道」をヒットさせるのである。

img686 img687
img681

本人たちには迷惑だろうが、“アイドルのその後”は、ファンにとっては興味の対象。

伝説になった人、普通の女性になった人、晩節を汚してしまった人・・・。

彼女は、晩節を汚してしまった人のひとりかもしれない。

ボクは、桜田淳子の隠れファンだった。

ものすごく可愛い、わけでもなかったけれど、魅力的な声とユーモアあふれる演技が好きだった。

73年14歳でデビューした彼女の21歳の時のシングル、「MISS KISS」、

彼女のほとんどの作品を作詞している阿久悠さんが、彼女に提供した最後の作品。

この曲の発売当時、靴屋さんの広告を担当していたボクは、

その靴屋さんのイメージ・チェンジの表現プランに苦慮していた。

そして、このレコード・ジャケットに触発され、初めて女性をモデルに写真撮影することにした。

“婦人科”カメラマンに依頼し、堀江の海岸での撮影となった。

その思い出のレコード・ジャケットである。

さかのぼって、桜田淳子20歳の「リップスティック」は、彼女唯一の松本隆作品。

19歳の「気まぐれヴィーナス」、18歳の「夏にご用心」は、

ともに、阿久悠・森田公一さんによるヒット曲。

ボクが持っている彼女の15枚のシングルを久しぶりに聴いてみた日曜日です。

img682 img683 img684
img678

今夜は久しぶりに、麻雀なんてゲームをやってしまいました。

その昔は毎週毎週だったのに、なんと3~4年ぶりだったものですから、

ブログに取り掛かった頃には日付が替わっていた次第。

さて、今夜は特別に超貴重盤を紹介します。

「You’ve Got To Hide Your Love Away」、

邦題は「悲しみはぶっとばせ」。

ボクならさしずめ、「胸に秘めた恋」なんてタイトルにしたでしょう。

ご存知、ビートルズの65年の『ヘルプ』の中の一曲で、

ジョンがボブ・ディランに触発されて書いた曲だ、というのが定説。

ジョンはボブ・ディランになりきったように歌っているのだけれど、

この女性1人と男性3人のグループ、シルキーはおしゃれに爽やかにポップに仕上げている。

65年全米10位というヒットを記録した。

彼らのLP、あいにくボクは持っていないけれど、

全12曲中8曲はディランのカバーだという。

それ程のディラン・フリークらしいのに、この曲はまったくディランらしくない。

このシングル盤のライナー・ノーツによると、

ポールがギターで、ジョージがタンバリンでレコーディングに参加したらしい。

もちろんジョンも立ち会った、とのこと。

シルキーも、ジョンも、どちらも趣があって好きですよ。

ビートルズ盤は、45回転なのに4曲入り、珍しいフランス盤を紹介します。

アーティスト名も、LES BEATLESとなっています。

img679

<追伸>

中古店で漁っていて、タイトル買いしてしまったレコード、

80年、先日のブログに登場したレイジーの「悲しみをぶっとばせ」。

曲調自体はまったく違うのですが・・・、

こんなタイトルの曲を作るとき、「悲しみはぶっとぱせ」を知らないで作るのでしょうか?

img680
img675

世界中でビートルズ旋風が吹き荒れていた1964年、

イタリア語の歌が初めて日本で大ヒットした。

イタリアン・ポップスはそれ以前にも日本でヒットしてはいたけれど、

そのすべては日本語のカバーや映画の主題歌などであった。

日本での原語直輸入カンツォーネ第1号は、この「夢みる想い」である。

その年のサンレモ音楽祭優勝曲で、歌っているのは、16歳の新人、

“こんなにきれいな女性なのに、チンクェッティ!”

で、おなじみの、ジリオラ・チンクェッティ。

原題は「Non Ho L’eat Per Amarti」、「あなたを愛するには若すぎる」、

邦題にハタと迷った。そして、その前年にヒットしていた曲の邦題をパクった。

その曲は、「ボビーに首ったけ」のマーシー・ブレーンの「夢みる片想い」。

もちろん、この曲もボクの大好きなガールズ・ポップスのコレクション・アイテム。

本題に戻って・・・、

「夢みる想い」は、♪~ノン オ レタ~、 ノン オ レタ~ ペル アマルティ~♪で大ヒット。

このカタカナで、メロディが浮かんだ人は、ひとりしかいなくても“ツウ”(通)。

彼女は、この後21歳の時(69年)、今や“雨の歌”のスタンダードとなった

「La Pioggia」、「雨」をヒットさせることとなるのである。

img677 img676
img671

♪~If you still want me~♪、もし君がまだボクを必要なら、

♪~Tie a yellow ribbon round the ole oak tree~♪、

  樫の木に黄色いリボンを結んでおいてくれ。

73年4月下旬から4週間連続全米No.1ヒットを記録した、ドーンの「幸せの黄色いリボン」。

どこかで聞いたような物語、

ハッピーエンドで終わる実際にあった物語を、有線放送で聞いて楽曲に仕立てたもので、

77年、健さんの『幸せの黄色いハンカチ』は、この物語をモチーフに作られた。

この曲は、ロック時代において2番目に多くカバー・レコーディングされた曲なのだそうだ。

ドーンは、かつてのアイドル歌手トニー・オーランドとテルマとジョイスのトリオだが、

70年最初のヒット曲「恋するキャンディダ」(全米3位)、「ノックは3回」(全米1位)の頃は

レコード・ジャケットのように男性4人組だと言われていた。

トニーは覆面ボーカリストで、

このレコード・ジャケット裏にSpecial Thanksとして紹介されているだけ。

次に出した「拍手はいっぱい」では、なんと全員メンバー・チェンジしたと紹介され、

トニーはリード・ボーカリストとして、5人編成のグループになっている。

曲を聴く限りは、いずれも、トニーのソロ・ボーカルと女性ふたりのコーラスなのに。

この女性コーラスとて、本当にテルマとジョイスなのかさえ定かではない、らしい。

何はともあれ、トニー・オーランドの歌声を聴くとハッピーになれる、

ボクの大好きなボーカリストのひとりである。

img674 img672 img673
img669

ボクが広告屋だから、というわけでもないのですが、

CMソングって、とても好きです。

CMソンク゜ばかりを集めたLPレコードやCD、結構持ってます。

テレビやラジオで繰り返しオンエアーし

その映像とリンクして素敵なイメージが広がる。

アーティストにとっては、いわば“プロモーション・ビデオ”の役割を果たすし、

クライアントにとっては、商品名のマインド・シェアのアップに効果的。

楽曲先だったり、CM先だったり、どちらにしても双方に大きなメリットが発生する。

だから、特に化粧品や菓子・飲料などには不可欠なタイアップだと言える。

おいおい、広告論文じゃないぜ!

というわけで、バレンタイン・デーにちなんで、チョコレートのCMソングを。

ずっと前から歌い継がれて、定番ソングとなった「小さな瞳」、

♪~小さな瞳 夢みるチョコレート 昨日の海へ 二人をつれてゆく~♪

作詩・作曲は浜口庫之助、宣伝用非売品、しばたはつみ盤。

B面は、英語詩版「LOTTE CHOCOLATE」、おもしろい。

もう1枚は、タイガースの「落葉の物語」。

あの「君だけに愛を」のB面。

♪~長い 坂道の 落葉の 丘に(歌詞カードでは、岡)~♪

50台の女性の皆さんにはおなじみ、なのではないでしょうか。

今年のバレンタインは土曜日、義理チョコの枚数が減りますね、きっと。

img670
img665

ボクのコレクションの年代から外れているけれど、

曲が気に入って買ってしまったアイドル・グループのレコード。

レイジーの6枚目のシングル、78年の「ハローハローハロー」。

1枚持っていると、そのアーティストへの興味も湧いてくる。

何曲か聴いたけれど、興味深く買ったのは後2枚。

その1枚にはまたの機会に触れるとして、

デビュー曲は、77年の「Hey!I Love You!」、

レイジーのロゴ“LAZY”はご覧のようにアイドルっぽくない。

それもそのはず、彼らはハードロック志向の実力派バンド、

だからそのネーミングもディープ・パープルの楽曲から、らしい。

なのに、なぜかアイドル路線で売り出すことに。

各人にニックネームとお揃いのユニフォームが与えられた。

まるで、ヤング・ラスカルズのようなストーリー。

彼らもやはり例にもれず、路線変更し、方向性の違いで解散し、再結成し・・・

おもしろく、悲しく、劇的なストーリーを展開する。

ボーカルの“ミッシェル”は、先日松山にも来た影山ヒロノブである。

コレクターのもうひとつの習性(ボクだけかも)は、同じタイトルの曲に興味をもつこと。

というわけで、買ってしまったのはイギリスのグループ、ストーミー・ペトレル、

71年の「ハローハロー」、原題「Hello,Hello,Hello」。

どんな曲だか知らずに買ったけれど、これが中当たり!

帰って針を落としてみて、ちょっと満足。

壮大で美しいバラードであった。

でも、これ以上追求するのはやめよう、キリがないからね。

img667 img666 img668
img663

50年代後半から60年代前半にかけては“ロックンロール創成期”、

その時代のアメリカ、エルビスの物語に代表されるように、ロックは不良の音楽だと見られていた。

それはまるで、60年代終わりの日本におけるGS時代のよう。

そんな時代に、アメリカの親たち公認のロックンローラーがいた。

まさにアメリカの青春のシンボルであった、と言っても過言ではない。

彼こそは「ティーン・エイジ・アイドル」、リッキー・ネルソン。

正確には、その頃の名はリック・ネルソン。

61年にリッキーからリックに変更するも、日本では、相変わらずリッキーのまま。

日本での最大ヒットは、同じ頃62年の「ヤング・ワールド」。

ボクの最大フェバリットは、やはり同じ頃の「恋のアイドル」。

3曲ともティーン・ポップ然とした最高の出来映えである。

この「恋のアイドル」、原題「It’s Up To You」のものすごいカバーがある。

カバーしたのは、再々登場する「キッスは目にして」のヴィーナス。

歌うのは、いつものコニーさんではなく、ベースのジョニー・リードさん。

かつて一世を風靡したケントス・スタイルのオールディーズ・バンドである。

彼の声は最高だし、なんといっても訳詞がなかなかのもの。

♪~Well,you know how I feel, So I’m leaving it up to you~♪が、

♪~君だけに贈るよ, Diamond ring to you~♪というわけ。

意味とは関係なく、心地よいリズムでとてもすばらしいセンスだと思う。

やっぱり聴いてもらわないと伝わらないよね。

img664 img662 LP2
img659

79年デビュー、『スタ誕!』出身のアイドル、井上望って、知ってますか?

デビュー曲「ルフラン」は結構好きでした。

ボクが出会ったアイドル、前回と同じパターンで、彼女ではない。

彼女のご主人、エド山口。

昨年ブレイクしたエドはるみとは、まったく無関係。

確か、山口県出身の江戸っ子、という意味のネーミング?

ボクがエドさんと出会ったのは大昔、放送局の忘年会であった。

忘年会に来たゲストは、その頃そんなに有名ではなかったエドさん。

持ちネタは、ドラムやベースを録音したカセットをかけて、

それに合わせてリードギターを弾きながら歌う、という一人バンド。

彼はGSネタをやるというので、GSフリークのボクが呼び出された。

彼の生ギターで「長い髪の少女」を歌ったけれど、出だしがわからずメロメロ、

ちょっと恥をかいてしまった。

その時のトークで、“弟が・・・”ってよく弟さんの話題が出てくるのだけれど、

ボクたちは誰のことかわからず、山口冨士夫(ダイナマイツ)じゃない?とかなんとか。

なんとそれは、モト冬樹のことだった。

弟の方がめちゃくちゃ有名だった。

それから何年もして、井上望ちゃんがエド山口と結婚!って聞いた時は、

えっ、ナンでぇ~、って感じだったのもむべなるかな。

でも、82年に彼が出した「フルスロットル」は初期加山雄三みたいで結構いい。

平成になって広島に転勤した時、懇意になった飲み屋は

エド山口スタイルの一人ベンチャーズの店。

ベンチャーズのメンバーや加山さんや今は亡き「初恋」の村下さんも時々来るという有名店。

今度広島に泊まる時には絶対行こうと、今決心したボクなのであります。

img660 img661
img655

初めて聴いた「ネイビー・ブルー」は“初代コメットさん”九重佑三子。

ドリーミーなガールズ・ポップ・オールディーズの定番、

漣健児さんの♪~あたしの彼は~♪って、ワタシではなくアタシがとても印象的。

金髪の可愛い子ちゃん(死語?)、ダイアン・リネイのオリジナルは

64年、最高位全米6位。

中学3年生(65年)で初めて聴いた時、

歌詞の中に“Tokyo”が出てきて、なんだか嬉しくて、何度も繰り返し聴いてしまった。

と、思い出す曲は、♪~東京へは、もう何度も行きましたね~♪、

マイ・ペースの「東京」。

突然話はそれてしまいましたが、本題に戻して・・・

Navy Blueってどんな色か知ってますか?

ボクは広告屋なんですから、もちろん知ってます。

でも、多くの人は、空色に近い明るいブルー、だと思っているらしい。

本当は“濃紺”、イギリス海軍の制服の色からのネーミングなんだそうです。

というわけで、ダイアン嬢の次のヒット曲「キス・ミー・セイラー」のジャケット写真は

ネイビー・ブルーのセーラー服姿での登場となりました。

さすがに二番煎じが災いしたのか全米29位止まりとなりました。

けどでも、ボクの中ではもうちょっと上かな。

img656 img658 img657
img652

1969年、小川知子さんは当時恋人だったカーレーサーを事故で失った。

『夜のヒットスタジオ』で泣きながら「初恋の人」を歌っていたのを覚えている。

恋人の名は「サチオくん」、

若かりし頃のいしだあゆみさんが

64年に同名タイトルの歌を歌っていたことが話題になったりしていた。

と、書き出してはみたが、

ボクが仕事で出会ったアイドルは、小川知子さんでも、いしだあゆみさんでもない。

77年に小川知子さんと結婚した林与一さん。

林与一さんは、“おばさまたちのアイドル”である。

往年の二枚目、長谷川一夫さんの弟子で、彼自身も時代劇の二枚目スター。

ボクが仕事でご一緒したのは85年3月、

あの池田高校で有名な徳島県池田町での『きものお見立て会』のゲストとしてであった。

まだ高速道路がなかった頃、田舎道の国道を彼を乗せて徳島から送り迎え、

当時はもう小川知子さんと別れていたと思うが、

もちろんそんなことには触れられない、小川知子さんの話なんてできない。

与一さんは当時43歳、普段はスターらしくない“普通のおじさん”だったけれど、

カメラを向けた瞬間、ピタッと顔とポーズがキマる、プロ中のプロ。

徳島の夜、串カツを出してくれる洋酒の店へご一緒したが、

肉ものはボクにくれて、“ボクは野菜しか食べないんですよ”。

2泊3日のおつきあいであったが、印象深いスターのひとりである。

先日中古店で「与一風流」というシングル盤を見つけたので、ブログ用に買った。

まだ聴いていない。

img653 img654
img649

男性アイドル・グループからグループ・サウンズへ、夢を求め続けた男がいた。

67年、高校2年生の時、スパイダースの弟バンドとして

「初恋の丘」でデビューした時は気づかなかったけれど、

数ヵ月後、2曲目の「君なき世界」がヒットした時、ボーカルの早瀬さんに気づいた。

彼は、前年までスリーファンキーズのメンバーだったはず、

いわゆる第3期スリーファンキーズで、

ボクは、以前にも紹介した「青春の渚」「オン・ザ・ビーチ」は好きだったけれど、

その後は歌謡曲路線だったから、少しの間ご無沙汰していたら、こんなことになっていた。

確かボクより3つ上だったから、この時二十歳前。

このビーバーズは、実力派GSと言われ、

“七色の音を出す男”石間秀樹のギターが注目されていたけれど、

ボクには早瀬さんしか見えなかった。

ちなみに、「初恋の丘」の作曲は大野克夫さん、

「君なき世界」の作詞作曲は醐樹弦(ごき・げん)さん、正体はかまやつさんである。

早瀬さんは、「初恋の丘」や「君なき世界」の左から二人目、

「オン・ザ・ビーチ」では一番左、

その後のスリーファンキーズ同窓会の「スターズ・オン」のレコードでは一番右。

あいにく、今どうされているかは知らないけれど、

ボクの印象に残っているアイドルのひとりである。

img650 img341 img351