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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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ボクにとってはあまりに当たり前の話だから、今頃になってしまいました。

シングル・レコードを集め出したきっかけのお話。

田舎の中学校から奈良市内の高校に進学したボクはレコード店通いを始めた。

そして、「キューティー・パイ」を聴いた時、ジョニー・ティロットソンの大ファンになった。

一連の日本語シリーズで、ジョニー・ティロットソンは知っていたけれど、

彼の洋楽との出合いはこれが最初であった。

その昔、伊東ゆかりが歌っていた曲の原曲だと知って即購入。

ジョニーは58年のデビューだというから、ボクが7歳の時、だから知る由もない。

この「キューティー・パイ」はアメリカでは61年の発売、

ビルボード最高位7位の「ウィズアウト・ユー」のB面曲、

日本では63年A面での発売、紛れもなく日本のみのヒット曲なのです。

ちなみに、この曲は彼の作詞作曲。

彼の最大のヒット曲は、60年最高位2位の「ポエットリー・イン・モーション」。

邦題は、シンプルに「ポエトリー」。

日本では64年の発売であった。

高校生になって市内に下宿した67年以降、奈良中のレコード店の

ジョニー・ティロットソンのシングル盤はすべて買った。

今思うと、これがレコード・コレクターへの第一歩だったように思う。

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OLDIES、ボクがこの言葉を初めて知ったのは高校一年生の時、

66年、ビートルズのベストアルバムのタイトル、であった。

ただ単に、そのLPだけに収録されているジョンの「バッド・ボーイ」が聴きたくて。

(ラリー・ウイリアムスのオリジナル・シングルは最近ようやくゲット)

それから数年間は、オールディーズのレコードを集めている、なんて気持ちはさらさらなく、

好きなレコードを買っていただけ。

それをオールディーズ・コレクションと感じ始めたのは、映画『アメリカン・グラフィティ』以降、

社会人になった頃であった。

学術的(?)には、オールディーズという言葉の起源は1961年、

アメリカで発売された『OLDIES BUT GOODIES』というコンピ・アルバムにある、という。

だから、オールディーズとは、50~60年代前半のドゥーワップ・ナンバーをいう、

というのが定説。

そんなブームを象徴する曲を紹介します。

まずは、61年最高位9位の「Those Oldies But Goodies」、

リトル・シーザー&ロマンズのドゥワップ・バラード。

もう1曲は、63年のアンソニー&ソフォモアーズのゴキゲンなナンバー、

「Play Thoes Oldies, Mr. Dee Jay」、

こちらは残念ながら“コレクタブル・シリーズ”のシングル盤。

さて、そんなOLDIESの起源話はさておいて、

オールディーズ・バット・グッディーズ、“古いけど、ええ音楽やん!”

そう思える音楽でさえあれば、何年のどんな曲でも“ええやん!”

そんな気持ちで、これからもコレクションに邁進するボクなのであります。

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ボクのとっておきの1枚は、

大好きなキャロル・キング作品であり、DJに捧げる曲。

全米チャートに登場したのは、61年9月18日のみ、95位、

ティナ・ロビン嬢の「Play It Again」、

一般的には「Dear Mr.DJ Play It Again」。

親愛なるDJ様、もう一度かけてくださいね!

今頃は、DJといえば、キュッキュッとお皿を回したり戻したり、クラブの人気者、

なんでしょうけれども、

この頃のDJは、ラジオのディスク・ジョッキー。

そもそも・・・(長くなるゾ、この話をし出したら)、

シングル盤は、DJにラジオでかけてもらうことがヒットの生命線だったのだから・・・。

そんな肝いりテーマで、

なおかつ、キング&ゴフィンに加えて

ニール・セダカの相棒グリーンフィールドまで加わって創り上げた作品。

もちろん、オールディーズの、

ガールズ・ポップスの魅力いっぱい、

大切な大切な1枚なのです。

マーキュリー・レーベルのスリーブ付きでゲットしました。

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1966年のビルボード年間No.1は、モンキーズの第2弾シングル「アイム・ア・ビリーヴァー」。

66年12月31日から67年2月11日まで、7週間に亘ってNo.1を記録した。

以前に紹介したデビュー曲「恋の終列車」のリード・ボーカルはデイビーだったけれど、

この「アイム・ア・ビリーヴァー」はミッキーが歌っている。

彼の特徴的な声と、軽快でポップな曲調に、

発売前から予約殺到、予約だけで105万8千枚、ミリオン・セラーになってしまった。

作者は、後にNo.1シンガーとなるニール・ダイヤモンド。

彼もまた、ブリル・ビルディングのソング・ライターで、

この曲も、ジェフ・バリーの仲介でモンキーズに提供することとなった。

そして、彼もこの曲をセルフ・カバーしている、というより、

彼の方が先にレコーディングしていたのである。

ボクの得意な聴き比べによると、

若きアイドルと大人のシンガー・ソングライター、甲乙つけ難し。

ニールは続いて、モンキーズに第3弾シングルも提供している。

今度はデイビー、「恋はちょっぴり」、大好きなタイトルである。

原題は「A Little Bit Me, A Little Bit You」、

67年ビルボード最高位2位ながら、キャッシュ・ボックスではNo.1を記録している。

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「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」、いったい何のこっちゃ!

例によって、ブリティシュ・インベイジョンとアメリカン・ポップスが凌ぎを削る64年、

ビルボードNo.1を獲得したイギリスのグループ、マンフレッド・マンのヒット曲。

Do wah diddy, diddy dun diddy do と歌いながら、

指をパチパチ鳴らし街を歩いているきれいな女の子を見て、

すっかり惚れちゃったよ、という歌(らしい)。

いつも登場するブリルビルディングのジェフ・バリー&エリー・グリニッチが、

63年、女性3人+男性1人のエクサイターズというグループに書いた曲。

エクサイターズ盤は、69年リバイバル・ヒットを狙った再発盤をゲット、

マンフレッド・マンの男声ボーカルに慣れたボクには、逆にこの女声ボーカルがやけに新鮮で、

今では、エクサイターズ盤ばかり聴いている。

雨が降ったりやんだり、空がどんよりとした日曜日、

急に聴き比べたくなった一曲である。

ついでながら、マンフレッド・マンでこの時リード・ボーカルをとっていたポール・ジョーンズは、

その後ソロ・デビューし、67年には映画に出演、

その主題曲「傷だらけのアイドル」のヒットをとばす。

確か、日本でもジュリーがカバーしたりして、話題になったことを覚えている。

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前回の九重佑三子さんで思い出して、今日引っ張り出したのは・・・

二代目コメットさん、大場久美子ちゃん。

77年、キャッチ・フレーズは“一億人の妹”、

デビュー曲は「あこがれ」。

ボクは今でもこの曲が一番好きである。

そして、78年から二代目コメットさん、その主題歌が「キラキラ星あげる」。

彼女のレパートリーの中では唯一の平尾昌晃作品。

♪~Twinkle Twinkle コメットさん~♪

当時ボクは立派な(?)社会人で20代後半、なのに、このフレーズは口についている。

次に出したシングルは「ディスコ・ドリーム」、

この曲で、踊ることを覚えた彼女は、

79年、「スプリング・サンバ」の大ヒットをとばす。

この曲は今でも彼女の代表曲として、『懐かしの・・・』番組で取り上げられる。

1拍遅れたようなステップが魅力的。

アイドルは誰でもそんな代名詞というべきヒット曲を持っている。

でも、ボクの好きな曲は、多くの場合、その曲ではない。

“オールディーズの香り”という視点、聴点から視る、

そんなこだわりが、ボクの姿勢なのである。

大して自慢にもならないけれど・・・。

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ホンの短い期間だったけれど、

ボクは開局間もないラジオ局にオールディーズのレコードを提供していたことがあった。

まだオールディーズのCD音源が少なかった頃、

リクエストのあったオールディーズの曲名が毎週FAXで送られてきて、

ボクが持っているレコードを貸し出していた。

そのディレクターが企画していたオールディーズ番組があった。

縁は異なもの、まもなくその番組のスポンサーをボクが担当することになった。

その番組のパーソナリティは、ケントスのボーカルの女の子(当時は)。

彼女の歌っていた曲で、ボクが最も気に入っていたのがこの曲。

直接聞いたことはなかったけれど、テレビのドキュメンタリーでの練習風景で歌っていた。

64年、コニー・フランシスの日本独自のヒット曲、「ロリーポップ・リップス」。

この曲をカバーしていたのは、九重佑三子をフィーチャーしたパラダイス・キング。

どちらかといえば、ボクは九重佑三子の声の方が好きだ。

パラキンは、水原弘、坂本九とリード・ボーカルを替えて、次に入ってきたのが九重佑三子。

63年、彼女の最初のヒット曲こそが、フォー・シーズンズの「シェリー」のカバーであった。

パラキン大好き、だから、熱く語り出しそうなので、本題に戻そう。

ボクが趣味と実益を兼ねて、長年90秒のCMを作り続けていた、

そのオールディーズ番組『アット・ザ・ホップ』のような番組の復活を望む。

そして、自由にCM作りをさせていただいた紳士服チェーンに、今も感謝している。

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久しぶりに、このシリーズですが、

今日のテーマは、この中でビルボード最上位はどれ?って企画です。

ビートルズが、このバカラックの名曲をカバーしたのは63年、

アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』の収録曲としてでした。

シングル発売はしなかったために、ビルボードのシングル・チャートの記録はなし。

オリジナルは、62年、シレルズ、当時日本ではシャイアルズなんて表記でした。

曲名を書くのを忘れてましたが、もちろん「ベイビー・イッツ・ユー」の話です。

このシレルズ盤は最高位8位。果たしてこれを超えるカバーは出たのでしょうか。

お次は、69年、一発屋スミス、

ハードなロック・ナンバーに衣替えして、ゲイル嬢がソウルフルに歌い上げて、5位を記録。

74年、あのレターメンがカバーするも、たぶん日本のみのシングル・カットで、記録なし。

そして、ついに、95年、ビートルズがBBCスタジオ・ライヴをシングル・カット、

箱入り、写真集付きの4曲入りCDのタイトル曲としてリリース。

ビルボード・シングル・チャートに登場するも、最高位67位。

その他にも多くのアーティストにカバーされているけれど、

順位とは関係なく、やっぱりビートルズは秀逸。

とはいえこの企画、ボクが持っている中では、意外な結果に。

なんとスミスが最上位に輝くこととなってしまいました。

チャンチャン!

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♪~君を好きだなんて言ったりすると・・・♪

タクローさんの『元気です。』の中の一曲を口ずさみながら、初めて「高円寺」に行きました。

小雨の中、たった一時間余りしかいなかったのですが、なんか、いい感じの街でした。

銀座で息子夫婦と食事をして、中古店を6軒廻る、という強行軍。

それにしても、東京へ来ると歩くこと歩くこと、健康にいい都会です。

本日の成果は13枚。

ブログを書き始めて、ピックアップの仕方が変わりました。

ジャケットがきれいなものを補填したり、プログに使えるかな、って買ってしまったり・・・

ちょっと困ったものです。

ということで、その成果の中から、2枚のコンパクト盤を紹介します。

まずは、ハーマンズ・ハーミッツ、

先日紹介したフレディとドリーマーズのカバー、「アイ・アンダスタンド」と、

スローン&バリの「あの娘に御用心」のお得盤。

もう一枚は、おなじみポール・アンカ、

「史上最大の作戦」と、大好きな「あなたの肩に頬うめて」のお得盤。

あとの11枚は、今後おいおいに登場させます。

初めて、JALのちょっと広めのクラスJの快適な空の旅を経験しました。

そんな“非日常”が明日への鋭気を養ってくれるのでしょう。

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ボクの大学でのゼミ、専攻は『社会思想史』、トーマス・モアのユートピアの研究。

だから、というわけでもないけれど、今日はユートピアの登場です。

ビートルズのようで、ビートルズでない、ベンベン・・・

天才ミュージシャン、トッド・ラングレンが制作した驚異のビートルズ・パロディ、

似ているようで違う、違うようで似ている、

この微妙なセンスで創り上げたアルバムは、

全曲、ビートルズ・パロディ・オリジナル。

そのアルバムからのシングル・カットが、80年の「抱きしめたいぜ」。

ご覧のように、スタイルだってお約束の襟なしスーツ。

「I Want To Hold Your Hand」に対して、「I Just Want To Touch You」、

この微妙なこと!

けど、楽曲はただのパロディではない、れっきとしたオリジナル。

ボクがトッド・ラングレンを知ったのは、ナッズでデビューした68年、

『ミュージック・ライフ』では、アイドル系のグループだった。

でも、デビュー曲「オープン・マイ・アイズ」はアート・ロック系、そのギャップが魅力だった。

76年の絵にはならないジャケットのアルパム『faithful』では、

ビートルズやビーチボーイズやヤードバーズやディランやジミヘンをカバーしている。

過去の偉大なアーティストに憧れた天才、

それがトッド・ラングレンなのである。

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ボクの中で一番有名なJIMMYは、『スーパーマン』のジミー・オルセンくん。

デイリープラネット社のカメラマンである。

次に思い出すのは、ジミー・オズモンド、オズモンド・ブラザースの末っ子。

♪~ボックはキィミを キィミはボックを ホントにスッキと カンじていたね~♪

70年、「ちっちゃな恋人」で日本でひっぱりだこの大人気。

他に、ジミー・ペイジやジミー大西、そんな名も頭に浮かぶけれど、

今日の本論は、タイトルにJimmyの付くオールディーズ。

最も有名なものは、一昨年の8月に紹介した、ケイシィ・リンデン、

59年7月ビルボード最高位11位、「グッドバイ・ジミー・グッドバイ」。

ボクの一番好きなのは、ウキウキ気分、ガールズ・ポップスのエッセンス溢れるこの一曲、

64年2月の最高位49位、ガールフレンズの「My One And Only, Jimmy Boy」。

次の1曲は、キャシー・キャロル、61年の「Jimmy Love」。

これも以前に紹介した、キャロルの姓をもつ女の子の曲を集めたコンピCD、

『MEET THE CARROLL GIRLS FAMILY』に未収録の一曲。

ごく最近、ようやくゲットできました。

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昨年12月に、坂本九ちゃんのカバー盤を紹介した、待望の「モデル・ガール」、

ようやく、国内盤オリジナル・シングルをゲットしました。

61年、全米20位、クレスツから独立してのジョニー・マエストロのソロ。

オリジナルのクレジットは、Johnny Maestro The Voice Of The Crests。

しかし、この国内盤のクレジットは、The Crests featuring Johnny Mastro。

注目してほしいのは、MaestroではなくMastroとなっているところ。

だから、レコード・ジャケットにもジョニー・マストロ、となっている。

この時代にはよくある間違いかもしれないけれど、

いったい誰の責任なんでしょうね。

クレスツは、ふたりの黒人とふたりの白人のドゥワップ・グループ。

最大のヒット曲は、以前に16才シリーズで紹介した「Sixteen Candles」、

邦題「16本のローソク」で、58年~59年の全米2位。

今日は、ボクの持っている輸入盤から他の2曲を紹介します。

59年、全米22位の「The Angels Listened In」と、

大好きなアップテンポなナンバー、60年、全米14位「Step By Step」。

ハーマンくん、早く元気になって、レコード・コンサートでかけさせて!

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ビートルズが一世を風靡していた64年のイギリス、突然に現われたビート・グループ、

「ハヴ・アイ・ザ・ライト」でデビューしたハニーカムズ。

今、あらためて聴くと、その曲調は後のホリーズのよう。

曲を聴く限りはまったくわからないけれど、このグループのドラマーはなんと女性、

21歳になったばかりのハニー・ラントリー。

66年、ボクが高校一年生の頃来日、テレビで見た時にはもう輝きを失っていた。

キワものGSって感じでガッカリした、そんな記憶がある。

このデビュー曲とそれに続く「アイ・キャント・ストップ」、今は魅力的に聴こえる。

ハニーカムズ、ハチの巣、ってグループ名は、彼女を女王蜂に見立てたネーミングかな?

って、そんなことを考えていたら、頭に浮かんだのは、「冷たい女王様」、

ありましたよ輸入盤が。

原題「Her Royal Majesty」、

ドラム・ロールで始まるこの曲は、62年最高位全米6位、

後に日本でも『タイム・トンネル』で有名になる俳優のジェームス・ダーレンのヒット曲。

いやはや、今夜はまとまりのない話になってしまった。

ほんなら、いつもはまとまってるのか?

そんな声を遠くに聞きながら、“記事を保存”のボタンをクリックするのであります。

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いつか紹介した「サイレンス・イズ・ゴールデン」の日本版、

B面に素敵な曲を発見するボクの真骨頂、と自慢したいのがこの曲。

75年、アグネス・チャンの「冬の日の帰り道」の、当時は誰も注目しなかったB面、

A面曲にも負けない本当にいい曲なのに・・・。

そんな気持を証明してくれたのは、柏原よしえ、

81年、7枚目のシングルA面に選んだのがこの曲、「ハロー・グッバイ」。

♪~紅茶のおいしい 喫茶店、 白いお皿に グッバイ・・・バイ・・・バイ~♪

大ヒットを記録してしまった。

ボクはいまでも、アグネスの方がいいと思っているのですが、

ヒットさせてくれたことには感謝感激なのです。

ついでに、柏原よしえ、82年の11枚目のシングル「あの場所から」は、

73年、朝倉理恵のカバーである。

(オリジナルは、Kとブルンネン、未だ持っていない)

柏原よしえ「あの場所から」のレコード・ジャケットは、

アイドルのレコード・ジャケット・ベスト20(まだ全部は決めていないけれど)の1枚である。

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1965年4月、ブリティッシュ・インベイジョンの波に乗って、全米No.1になったのは、

イギリスのコミック・バンド、フレディとドリーマーズであった。

足を蹴り上げて歌う独特のスタイルが、アメリカのローティーンの心をとらえた。

とはいえ、このNo.1ソング「好きなんだ」は、決してコミック・ソングなどではない。

ゲーリー・ルイスとプレイボーイズ張りのティーン・ポップスである。

そして、このレコードのB面、「アイ・アンダースタンド」も大好きなナンバー。

おなじみの「蛍の光」をバックに恋を歌うバラードである。

GS時代にタイガースがカバーしたことでも有名な曲。

この1枚を聴く限りでは、コミック・バンドだとは想像できない。

クレージーやドリフのように、本当は実力のあるミュージシャンの集まりなのだろう。

ところで、この「蛍の光」は、スコットランド民謡で、『久しき昔』というタイトルだそうだ。

日本では、卒業の、この季節の定番なのだけど、

アメリカでは、大晦日のカウントダウンで歌われるという。

正調「蛍の光」アメリカ版は、

ロック時代の伝統的な白人社会のアイドル、パット・ブーン盤で聴くことができる。

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今日は、いや!正確には昨日は、部下の結婚披露宴で門司へ日帰り。

とてもおしゃれな式場で、男性スタッフは、初期のビートルズのような襟なしスーツ。

それを見た瞬間から、ボクの頭にはこの歌が駆け巡ってしまった。

♪~襟なしスーツで キメてたあの頃 

         毎晩女の子から キッスの贈り物 輝いてた リヴァプール~♪

84年、竹内まりや11枚目のシングル「マージービートで唄わせて」。

竹内まりやの楽曲の中で、ボクが最も好きな一曲である。

マージービートとは、イギリスのマージー川沿岸の町リヴァプール出身の音楽の総称。

ご存知ビートルズ、マイ・フェバリットのサーチャーズ、

ビリーJ.クレイマーとダコタス、スウィンギング・ブルージーンズなど、

そして、忘れてはならないのが、ジェリーとペイスメーカーズ、

タイトルもそのものズバリ、「マージー河のフェリー・ボート」、

65年、彼らの日本での最大のヒット曲である。

話は戻って、

式場に着くのが早かったものだから、結婚式にも参列。

月並ではありますが、半年前の我が娘の式を思い出してしまったのであります。

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