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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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82年3月、見本盤としてプロモーション用に配られたシングル盤、

その歌を聴いただけでは、まったくあばけませんでした。

ELLEの「夢で逢えたら」。

ELLEって一体誰?

そして、3月21日、キャッツ・アイをはずしたけれど、

彼女だ!とわかっても、そんなにびっくりしませんでした。

だって、君はそんなに有名でもなかったのですから。

正体は、大橋恵里子。

『スタ誕!』出身、まさにボクの好きな“B級アイドル”。

78年、「経験シーズン」でデビュー、

ボクの好きなレパートリーは、79年の「サンシャイン・ラブ」、

今でも、夏になったら妙に聴きたくなる。

男性3人組のアイドル・グループが歌ったら、きっともっとヒットしただろう。

ともあれ、「夢で逢えたら」は大瀧さんの名曲、

ELLE盤は、かつての僚友鈴木茂さんのアレンジ。

このブログを始めたばかりの頃、最高傑作シリア・ポール盤を紹介したけれど、

こんなに多くの人にカバーされた和製ポップスは数多くない。

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パット・ブーンの異色のヒット曲、62年全米6位「スピーディ・ゴンザレス」。

スピーディ・ゴンザレスとは、ソンブロハットを被ったメキシコのネズミのキャラクター、

チーズが大好きなお調子者、稲妻のスピードで走る正義の味方。

これが“アメリカの良心”パット・ブーン?

と思えるような、ファルセットがすばらしいノベルディ・ソングである。

懐かしいジャケットの国内盤と、音圧が高く原曲を楽しめる輸入盤を揃えてみました。

But!、今夜本当に紹介したかったのはこのレコードにあらず。

この「スピーディ・ゴンザレス」を下地に、あの「ロコ・モーション」コーラスをドッキング、

そんな大胆な発想に、初めて聴いた時思わずニヤニヤ、大の感動ものであった。

タイトルは、「Tia Juana Ball」、「ティファナ・ボール」。

オリジナルは誰だかしらないけれど、

ラリー・ムーンって何者かは知らないけれど、

62年にスウェーデンで大ヒットしたらしい。

作者のクレジットは、Kaye-Hill-Leeとなっているから、

「スピーディ・ゴンザレス」のアレンジ盤という立ち位置なのでしょう。

女性コーラスが素敵なティーン・ポップ・ノベルティ・ソングに仕上げています。

この曲を初めて知った19歳の時から、ずっとボクのウォンツ・リストにあった。

eBayで、シンガポールのショップからの収穫でした。

聴いてみたくなりましたか?

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職業柄入手したニッポン放送開局55周年特集号のタイムテーブルに見つけた記事、

『オールナイトニッポン、間違えてかけた曲がテーマソングになった説の真相はいかに?

 初代パーソナリティーの高崎一郎が間違えてかけたものが番組にはまり採用した説や、

 誰かがレコードのA面とB面を間違えてかけた説など、

 諸説あるが、いまだに真相は不明だ。』

なんていう記述に目が留まった。

1967年の番組開始以来、タイトルは知らなくても反射的に番組を思い出す、傑作選曲。

ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス、「ビタースウィート・サンバ」。

ボクがこのレコードを手に入れた69年から、

『2年前、この番組がスタートした時、

 パンチのあるこの曲がテーマ音楽として満場一致で決められた。

 その瞬間から、この番組は史上最高のプログラムであることを約束されたようなものだ。』

という、糸居五郎さんのライナーノーツのコメントを覚えていた。

おいおい、いったいどっちなんだ!って感じで、妙に気になる。

90年代になって発売されたCD『オールナイト・ニッポン』で、

時々聴く、糸居さん、カメちゃん、アンコーさんのスタイルに若かりし頃を思い出す。

A&Mレコードの創設者であり、トランペット奏者であり、プロデューサー、ソングライターと

多彩な顔をもつハーブ・アルパート率いるティファナ・ブラスの好演。

66年全米38位「ティファナ・タクシー」や18位「ワーク・ソング」よりも

ボクは、70年の「マルタ島の砂」が好きだった。

彼のもうひとつの顔についてはまたの機会に!話したくてしょうがないのです。

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1977年10月15日、

21歳のデビー・ブーンは「You Light Up My Life」でビルボートNo.1に上り詰めた。

直訳すると“あなたは私の人生を明るくする”、付けた邦題は「恋するデビー」。

この曲は、なんと10週間もNo.1の座に居座り続けた。

もちろん、この年の年間トップ1の栄光をも獲得したのであった。

そして、全米No.1を勝ち取った2組目の父と娘となったのである。

彼女の父は、いうまでもなく、パット・ブーン。

彼の最初のNo.1は、1957年6月3日、「砂に書いたラブレター」。

ボクは長年、彼に対して偏見をもっていた。

人種差別の顕著だったこの頃、彼は黒人の歌をことごとくカバーし、

白人たちの支持をうけて、ヒット・チャートを席巻していたから。

後に、彼が語ったところによると、

“白人が黒人の曲を歌って広めることは意義のあることだと思うよ”。

ともあれ、「砂に書いたラブレター」も、カップリングの「アイル・ビ・ホーム」も、

日本人好みのとてもいい歌だと思う。

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例によって、今夜もボクにはうれしいeBayからの収穫の話題です。

ある時はプロデューサー、ある時は人気デュオの片割れ、

そしてまたある時は、“6人目のビーチ・ボーイズ”。

しかしてその実態は・・・、ブルース・ジョンストン。

彼の77年のソロ・アルバム『歌の贈りもの』、原題『GOING PUBLIC』、

もちろんLPを買いました、そして、ドライブ用に同じCDも買いました。

タイトル曲「歌の贈りもの」、原題「I Write The Song」は

バリー・マニロウをはじめ、多くのアーティストにカバーされた超名曲なのですが、

ボクが虜になったのは「Rendezvous」、邦題「2人のランデブー」。

この曲だけが欲しかったのです。

オリジナルは、この曲をブルースと共作したハドソン・ブラザーズ、75年の「月夜のランデブー」。

ブルースも参加したという、バック・コーラスのファルセットが素敵な1曲、

まるでビーチ・ボーイズのようです。

eBayからの“贈りもの”は、ブルースのオランダ版シングルと、

ハドソン・ブラザーズのオリジナル・シングル。

ついでに、ずっーと前から温めていた1枚、

ブルース&テリーの、テリー・メルチャーの若かりし頃、

テリー・デイの63年のソロ・デビュー・シングル「That’s All I Want」も紹介しちゃいます。

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ボクのブログに時々登場する“全米○○位”というのは、Billboard-Hot100のこと。

もうひとつの全米チャートには、CashBoxというのがありました。

歴史はビルボードの方が古いのですが、

順位の決定が個人責任者の裁量に大きく依存していたことから、

当初は1950年からスタートしたキャッシュボックスの方が支持されていました。

キャッシュボックスは、世界の主要通信社やメディアに採用されていましたが、

アメリカの人気ラジオ番組がビルボードを採用したことで、96年には休刊に追い込まれたのです。

さて、そのビルボードは、

1940年7月20日、初めて『ミュージック・ポピュラリティ・チャート』を発表。

最初の1位は、トミー・ドーシーの「アイル・ネバー・スマイル・アゲイン」。

それから毎週毎週チャートを発表してきましたが、

1955年7月9日、初めて、チャートのトップにロックン・ロール曲がついたことで、

チャートが一変した。

その曲こそ、ビル・ヘイリーと彼のコメッツ、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」なのである。

当時、ロックはアメリカの保守的な人々にとっては“好ましくない音楽”だったために、

ビルボードはチャートの再編成を計画し、

1958年8月4日、シングル・チャートにHot100を導入、

最も売れている曲、最も放送されている曲、の総合によって順位を決める方針に変更したのです。

この“新チャート”の初代1位に選ばれた歴史的1曲が、

ホーム・ドラマの人気アイドル、リッキー・ネルソンのカントリー・ポップ

「プア・リトル・フール」だったのです。

まずは、めでたしめでたし・・・。

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“女性なのに、アルマ・コーガンとはこれ如何に!”

から始まる、約2年前のブログの続きです。

あの頃は、レコード・ジャケットの掲出は1枚だけ、って決めていたものだから、

紹介できなかった分をこの機会に・・・というわけ。

アルマ・コーガンの「恋の汽車ポッポ」は60年、

そして、日本での最大ヒット曲は、61年「ポケット・トランジスター」。

“多くの女の子を知っているけれど、彼女が一番好き、

 だって、彼女はトランジスター・ラジオを持っているから・・・”

という、ソニーのCMソングのような歌。

以前に読んだ『Sony History』を思い出してしまった。

当時、トランジスタは、小型、軽量、低消費電力の代名詞だった。

小柄だけどスタイルのいい女性を“トランジスタ・グラマー”なんて言ったりして。

この曲を日本でカバーしたのは、我らの加代ちゃん、森山加代子。

もちろん、バックはダニー飯田とパラダイスキング。

そして、前に紹介した「恋の汽車ポッポ」のオリジナルと

B面「いつもアイ・ラヴ・ユー」のカバー・レコードを紹介します。

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先週のある日の真夜中、ふと目覚めたら、ラジオからこの曲が流れていた。

まだハッキリしない意識の中で、想い出が駆け巡る。

高校2年生の時の遠足、青山高原から長谷寺へ。

この曲を口ずさみながら山道を歩いた。

♪~ 野バラ咲いてる 山路を 二人で 歩いてた ~♪

市川染五郎作詞作曲、67年の「野バラ咲く路」。

歌舞伎界のプリンスの自作自演、シンガー・ソング・ライター。

この市川染五郎さんは今の松本幸四郎さん、松たか子のお父様なのである。

この頃のボクのスタイル、もちろん学生服なんだけれど、

ノーベントのストレートの学生ずぼんに編み上げブーツ。

このブログの『禁』を破って、探し出した写真を掲出します。

学生服を着ているからって、決してU2のボノではありません(再び登場)、

高校2年生のボクなのでごじゃりまする。

ひとつの音楽に触発されて、本当に久しぶりに昔のアルバムを見てしまいました。

この頃、他にどんな歌を歌っていたっけ、

66年全米No.1、「ウインチェスターの鐘」(ニュー・ボードビル・バンド)。

67年全米No.1、「ペニー・レイン」(もちろん、ビートルズ)。

あれ?

直感的に浮かんだ2曲が共にイギリスの地名を歌ったものとは、これ如何に!

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♪~ フーステー パパパパッパー フーステー パパパパッパー ~♪

“フーステー”って何だ?と思いながらも、いつも口ずさんでいた。

スティーヴ・ローレンス、60年全米7位ですから、ボクは9歳。

テレビで歌うダニー飯田とパラダイスキングの佐野さんの歌で覚えた、といっても、

翌年だから、当時10歳、小学生だったわけです。

“フーステー”が“Footsteps”だと知ったのはずっーと後になってから。

“ホニオリン”が“From New Orleans”だと知ったのと同じ頃。

でも、そんなことはどうでもいい、

何のことかわからなくても、そのフレーズだけを繰り返し繰り返し歌っていた。

ボクらの好きなオールディーズにはそんな魅力もある。

この曲は、ちょっとおネエ系みたいな佐野さんの声の魔力で、彼のオリジナルのようだった。

竹内まりやは、03年『ロングタイム・フェイバリッツ』でこの曲をカバーした。

ライナー・ノーツによると、彼女もまたパラキン・バージョンでこの曲を知ったという。

それゆえか、付録のスペシャル・ボーナスCDで日本語版を聞くことができる。

とてもおしゃれで、心遣いがうれしい企画だと思う。

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去年の今日、我が家に“ゆうゆう”がやってきました。

一年前にも書きましたが、前のうさぎが“ゆうゆう”だったものですから、

本当は、“ゆうゆう”の2代目、U2、ってことで“ボノ”って名前にしたかったのですが、

雌雄がわからなかったので、本名を“夕顔”にしました。

最初は400gだったのですが、今では2,600g、

ボクが携帯の待受画面にしている800gの頃の写真をアップします。

というわけで、今夜の1枚は、「ホワイトラビットからのメッセージ」。

87年1月、渡辺満里奈のオリコンNo.1。

この頃は、おニャン子系のシングルが1位を交替で獲っている間に他の歌手が混ざる、

といった状態だったものですから、ほとんど1週のみ1位の繰り返し。

そんな中にあって、この曲は前年の4月以来の2週連続No.1。

ボクは渡辺満里奈ファンなものですから、彼女の話は次に譲るとして、

もう1曲、ウサギ絡みで紹介するのは、「ホワイト・ラビット」。

ジェファーソン・エアプレイン、67年全米8位、サイケデリックな難解な曲です。

同じアルバムからのシングル・カット、67年全米5位「あなただけを」はポピュラー、

グレイス・スリックの声に魅せられています。

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ボクたちの大好きなオールディーズは、ビートルズの登場で終わってしまった、

なんて言うのが、ある意味での一般論なのですが、

ビートルズの楽曲の中でも、この曲はオールディーズとして認定しています、ボクが。

「フロム・ミー・トゥー・ユー」。

英国では、63年4月、3枚目のシングルとして発売、5月に1位。

米国では、63年5月、2枚目のシングルとして発売、ヒットチャートに乗らず、

64年1月5枚目「プリーズ・プリーズ・ミー」のB面として発売、4月に41位。

でも、米国では、ビートルズに先立って、デル・シャノンが63年7月に77位を記録した。

この曲は、レノン&マッカートニー作品の米国初のチャートイン曲となったのです。

もちろんビートルズ盤もですが、デル・シャノンのカバーもとてもステキです。

♪ウ~!♪のファルセットが大好きです。

ちなみに、この日本盤は64年4月5枚目のシングルとして発売されたものです。

「From Me To You」、「私からあなたへ」、

で、思い出した曲を紹介します。

ビューティ・ペア「かけめぐる青春」。

♪~あなたから 私へ 私から あなたへ 送る言葉は 悔いのない青春~♪

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カロリー制限の関係で、クッキーはそう頻繁に食べられませんが、

こちらのクッキーたちは大好物です。

The Cookies、前にも紹介したキング&ゴフィンのお墨付きガールズ・グループ。

1950年代から、コニー・フランシスやニール・セダカ、ベン・E・キング、イーディ・ゴーメたちの

バック・コーラス・グループとして活躍、グループとしても数枚のシングルを出している。

彼女たちの最後のシングル、64年の「I Never Dreamed」を手に入れました。

このシングルは、2005年発売、かの有名なライノの企画盤、プロモーショナル・オンリー。

うれしいことに、おしゃれなピクチャー・スリーブ、

その上、カップリング曲は、同じく64年シンデレラズの「Baby,Baby(I Still Love You)」。

実は、このシンデレラズはクッキーズの変名グループ、

なんと、他にも、ハニー・ビーズ、パリセーズ、カップケイクス、ステッピング・ストーンズなども

彼女たちの変名グループ、らしい。

ついでに、またまたeBayで

クッキーズのリード・ボーカル、アール・ジーン嬢のソロ・シングル「ランディ」をゲット。

カップリングは、コニー・スティーヴンスの「恋のジェラシー・ゲーム」のオリジナル。

もちろん、2曲とも、メチャクチャ素敵なキング&ゴフィンのコレクションです。

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ストリート・コーナー・シンフォニー、ドゥワップ・スタイルの曲が

初めてポップ・チャートにランクされたのは、

56年4月全米6位、フランキー・ライモン&ティーンエイジャーズの

「Why Do Fools Fall In Love」、邦題「恋はくせもの」だったと思う。

ドゥワップがストリート・コーナーからラジオへ、日の目を見ることとなるのである。

フランキー・ライモン、当時14歳、

声変わりする前の伸びやかな高音が魅力的である。

余談だが、彼はドラッグに溺れ、68年25歳の若さでこの世を去った。

もうひとつ、56年、ドゥワップ・バラードの最高傑作が登場した。

ファイヴ・サテンズの「イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト」。

56年24位、60年81位、61年99位と3度に亘ってランク・インしただけでなく、

その後、ものすごく多くのアーティストにカバーされた。

ボクはある時期、ドゥワップの魅力に取り付かれたことがあって、

4枚組のCDセット「DOO WOP Box」と「DOO WOP BoxⅡ」を揃えてしまった。

合計202曲、長距離ドライブには欠かせない“出張のお友”である。

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カスタネットの乱れ打ちに始まり、鐘をたたく音、

突然♪~アー ヤヤヤ ヤー~♪のファルセット、

低音のバック・コーラスが重なる。

少しコミックソングっぽくって、軽快で楽しいノリ・・・

まさに、ストリート・コーナー・シンフォニーの名にふさわしい、ドゥワップの代表曲である。

ダイヤモンズ、57年全米2位、「リトル・ダーリン」。

ボクがこの曲を最初に聞いたのは、伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズだったと思う。

そして、そのオリジナルがダイヤモンズだと知って、レコードを買ったのは高校生になってから。

実は、この曲を作ったモーリス・ウイリアムスのグループ、グラジオラスがオリジナルだ、

と知ったのは、ず~っと後になってからのこと。

ダイヤモンズは、このストリート・コーナーの音楽を見事に磨き上げ、

後世にまで残るオールディーズの代表曲に仕上げたのである。

リリオ・リズム・エアーズ盤が欲しくて、40年来探しているけれど、

入手できたのは、

伊藤素道さんの芸能生活33周年記念盤として81年に発売された、

ブレッスン・フォーを従えたシングル盤と、

『ベスト歌謡曲100ザ・ヒットパレード』というコンピCD収録曲としての音源だけである。

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一昨日(おととい、と読んでね)は東京へ、昨日と今日は鳥取へ出張。

一昨日、松山空港の待合室で島英二さんに会いました。

もちろん、声をかけて、ちょっとだけお話ししました。

飛行機に乗ってみたら、加瀬さんや植田さん、ボクのかつての上司に顔が似ている鳥塚さんも。

前日のコンサートからの帰りだったようです。

というわけで、今夜はワイルド・ワンズです。

月並ですが、島さんといえばやっぱり、♪アニタァ~♪でしょう。

それゆえ、5枚目のシングル「愛するアニタ」は、今では彼らの代表曲になってしまった。

この曲は最初タイガースが発売する予定になっていたことは有名な話。

ラジオでタイガース・バージョンも聴いたことがあるけれど、やっぱりワイルド・ワンズでしょう。

前奏なし、というのもユニークなレパートリーである。

彼らのデビューは、66年「想い出の渚」、

今も永遠の湘南サウンド、リード・ボーカルは鳥塚さん。

3枚目の「夕陽と共に」からは、リード・ボーカルは植田さん、

ドラムを叩きながら歌うことのカッコ良さを知った。

アイ高野さんよりちょっとだけ先だった。

そして、68年からはボクと同い歳の渡辺茂樹くんが加入、

「バラの恋人」で甘えた声のボーカルを聞かせてくれた。

現在、加瀬さん66歳、鳥塚さん62歳、植田さんと島さんは61歳、

今も変わらぬGS魂を魅せてくれる永遠の若者たちである。

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