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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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ニューヨーク・マンハッタンからフリーウェイを北へ3時間余り行ったところに

ウッドストックの小さな町がある。

懇意にさせていただいている方のご自宅は、このすぐ近くの自然の中。

一昨年の冬、ご自宅へお伺いした時、この町を通った。

これが、あのウッドストック・フェスティバルの町なのか、と感慨深く、興味シンシン。

実際には、69年8月の3日間、この町から少し離れたベセルの農場がその会場であった。

30組以上の出演者と、40万人以上の観客、伝説の野外コンサートである。

このことを書こうかと思って、ハタと困った。

ボクのコレクションには、出演アーティストの曲がほとんどない。

辛うじて引っ張り出したのは、その名も「ウッドストック」。

クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングそのものにはあまり興味なし、なのですが、

ホリーズのグラハム・ナッシュのファンなのです。

そして、この曲は、「青春の光と影」の作者ジョニ・ミッチェルの名曲。

さて、今夜の付録は、ウッドストックとは関係ないのですが、

ボクが泊めていただいた世界的デザイナーA先生がデザインしたアルバム、

その存在を奥様に教えていただいてから1年余りかけて、ようやく見つけました。

元ニューヨーク・ドールズのシルベイン・シルベインのソロ作品。

ボクの守備範囲ではないのですが、持っててうれしい記念の1枚です。

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2日に一度のブログ更新、選曲、結構タイヘンです。

今夜はブログ主導ではなく、気分主導で・・・。

というのは、突然ですが、賑やかなヤツを聴きたい気分なのです。

ハードな、やかましいヤツではなく、賑やかなヤツ、の気分です。

ボクのレコード棚の分類は、まずは洋楽と邦楽に分かれていて、

洋楽は、グループ、男性、女性に分類、それぞれアイウエオ順、といった次第。

レコード棚の前にしゃがみ込み、洋楽男性にアタリをつけて、

ペラペラとチェックしながら、気分にピッタリ来るヤツを引っ張り出しました。

どれもこれも、長らく聴いていないもの。

まずは、65年、フレディ・キャノンの「アクション」。

初めてB面にも針を落としたけれど、「ビーチウッド・シティ」、これがまたGoodでした。

お次は、59年全米14位、フランキー・フォード「シー・クルーズ」。

船に乗ってる気分でウキウキ・ロックンロールです。

最後の1枚は、トミー・ロウ、70年全米8位「ジャム・アップ」。

大好きなトミー・ロウのマイナーな1枚でした。

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子供の頃、ボクの田舎は有線放送という電話回線で結ばれていた。

毎朝一斉にラジオ体操が流れたり、農事通信の一斉放送があったり、

ウチに電話がかかってきた時には、番号で呼び出される。

ボクん家の番号は、57番。

大ファンだった南海ホークスの広瀬選手の前の背番号だったから、とてもうれしかった。

さて、今夜は36番の話です。

36番といえば、巨人の国松か、会員番号36番・渡辺満里奈。

ソロ・デビューは、86年10月「深呼吸して」、もちろんオリコン1位。

バックに工藤静香と生稲晃子を従える、今思うと超豪華メンバー。

「深呼吸して」の裏ジャケットをアップしました、当たり前のことながら、全員若いですね。

そして、3曲目は、彼女のテーマ・ソングのような「マリーナの夏」。

♪~ も一度 マリーナの恋 ひと夏の淡い思い出 ~♪

サビだけなら今も歌えます。

彼女のオリコン連続1位は、4曲目で止まってしまったけれど、

ボクはシングル盤をずぅ~と買い続けていました。

ところがですよ、まもなくして、世はCDの時代に!

彼女のシングルは、アナログEPと同時に8cmシングルCDでの発売が一般的になり、

ボクはアナログEPをすべて揃えることを決意。

8枚目までは普通に買えたのですが、

ちょっとよそ見をしている間に、9枚目と最後の10枚目を買い逃してしまったのです。

2曲ともあまりヒットしなかったものですから、またCDの時代になったものですから、

なかなか見つけることができなかった。

特に89年の10枚目、最後のシングル「虹の少年」のアナログEPは超レア盤。

今では10枚揃えてご満悦のボクなのであります。

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63年2月全米3位、「The Night Has A Thousand Eyes」、

邦題「燃ゆる瞳」以来、長い間、トップ10から遠ざかっていたボビー・ヴィーは、

67年9月、「Come Back When You Grow Up」で全米3位に帰ってきた。

邦題は、文字通り「素敵なカム・バック」、

やや出来過ぎた話である。

曲そのものも、ボビー・ヴィーらしい軽快な軽妙なポップス。

どんな世界でも、かつての世界に戻ってくるのは並たいていのことではない。

ファンにとっては、これほどうれしいことはない。

あの、カバーバージョン時代のパンチ娘、弘田三枝子は、

見違えるような美人になって、69年11月「人形の家」で戻ってきた。

時を同じくして、あの、カヨちゃん森山加代子も、70年3月に

早口言葉のように歌う「白い蝶のサンバ」で戻ってきた。

ふたりとも歌謡曲ではあったが、オリコン1位を獲得、

ボクの好みの曲ではなかったけれど、ふたりに敬意を表して購入。

一度も聴いていなかったものだから、今も新品同様、

顔は変わっても、声は昔と同じ、素敵なカム・バックである。

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ボクは彼のベスト盤LPを持っているけれど、

ソニー・ジェイムスといえば、断然「ヤング・ラヴ」である。

同じ曲を、同じ時期に、違う人が歌ってヒットを競う、これを競作といいます。

ソニーは、56年にこの曲を歌い、57年2月ビルボード2位まで駆け上った。

少し遅れて発売した俳優タブ・ハンターの「ヤング・ラヴ」は、

急激にソニー盤を追撃し、57年3月2日、遂にビルボードNo.1に輝いたのである。

この日、ソニー盤はまだ4位に位置し、トップ5に「ヤング・ラヴ」が2曲の偉業を達成。

なんと、ソニー盤は200万枚以上も売れるという大ヒットとなったのである。

ボクの持っているシングルは、61年の再録盤。

女性コーラスが、♪~あなた、あの歌を覚えてる?~♪

ソニーが、♪~覚えているとも!僕たちが愛し合うようになったのはあの歌のおかげだもの~♪

というリードが付いている。

そして、オールディーズのカバー大好きのダニー・オズモンドは、

73年、この曲をカバーして、ビルボード最高位25位、イギリスでは1位に輝く。

結論!いろいろありましたが、「ヤング・ラヴ」はやっぱりソニーのものですね。

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63年全米2位「エンド・オブ・ザ・ワールド」、邦題「この世の果てまで」、

でおなじみの、スキーター・デイヴィス。

突然話は脱線しますが、この曲、日本では誤解されているようです。

本当は、愛する人を失った悲しみの曲なのに、結婚式で流されたりしていた。

まるで、死に直面した人が人生を振り返っている「マイ・ウェイ」が、

日本では、強く生きてゆこうとする出発の歌だと思われているように。

さて、本編に戻って、

多くの人は、スキーター・デイヴィスのことを、

最大のヒット曲「エンド・オブ・ザ・ワールド」のイメージで理解しているけれど、

ボクにとっては、まるっきり違うイメージのアーティストなのである。

ずっと前に紹介した、ボクの最大フェイバリット、63年全米7位「恋はいじわる」こそが

彼女の魅力である。

コンピCD『キャロル・キング・マスターピース2』と『3』で、

「恋はいじわる」に続く、キング&ゴフィンの別の2曲を発見。

64年「ドント・レット・ミー・スタンド」と

同じ頃だと思われる「レット・ミー・ゲット・クロース・トゥ・ユー」。

両方ともヒットしなかったものだからか、邦題さえない。

この2曲を聴いていて、

スキーター・デイヴィスの声がキャロル・キングに似ていることに気づいた。

この2曲のシングルをようやくeBayでゲット。

あらためて聴いてみて、ボクは、今日も夕陽に向かってこう叫ぶのである。

“やっぱりボクは、キャロル・キングの曲が、スキータァ~(好きだァ~)!”

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皆さんは、フィリップ・フリップ・スローンという人を知っていますか?

66年に「孤独の世界」を日本中でスマッシュ・ヒットさせたアーティスト。

♪~ From a distance,from a distance・・・ ~♪

50歳以上の方なら、きっとこの曲を聞いたことがあるはずです。

しかし、この曲は例によって、日本でのみのヒット曲なのです。

彼自身、もちろんアーティストとしての活動もしてはいたのですが、

目立ったヒットを記録できなかったのです。

彼を最も有名にしたのは、

このシングルのB面曲としてセルフ・カバーしている「明日なき世界」のソングライターとして。

65年9月、スローンがデモ・テープとしてラフ・ミックスした演奏に、

バリー・マクガイアがラフ・ボーカルを重ねたこの曲が、

完成品を作ることなく、ビルボードNo.1に輝いてしまったのである。

彼、P.F.スローンは、スティーヴ・バリとコンビで多くのアーティストに曲を提供した。

ボクが持っているシングルの中で探してみただけでも、

ベンチャーズの「秘密諜報員」、ハーマンズ・ハーミッツの「あの娘に御用心」。

というのは、P.F.スローンを語る上での一般論である。

ボクにとってのスローンは、もう少し違った側面をもっている。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ではないが、“To Be Continued”ということで・・・。

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『コッキーポップ』のパーソナリティとして今もラジオ史にその名を刻む大石ゴローさん。

今も俳優としてご活躍中で、今の名前は大石吾朗。

この番組が始まった頃にはもう松山に居たものですから、

また、ポプコンにあまり興味がなかったものだから、聞いた記憶がない。

だから、彼の名が吾郎だったのか吾朗だったのか、考えた事もない。

ボクには、72年「花のある坂道」の大石悟郎さんなのである。

大ヒット、というわけにはいかなかったけれど、阿久悠-都倉俊一の名曲。

そして、その昔、彼は別の名でGSファンのボクらの前に登場していた。

初めて彼の存在を知ったのは、66年12月、バニーズのサイド・ギタリストとして、

明石秀之という名前だったと記憶していたが、本名の輿石(こしいし)秀之だったみたい。

デビュー曲「テリーのテーマ」のレコード・ジャケットの左から2人目。

半年ほどでバニーズを脱退、すぐに自分のグループを結成した。

伝説のB級GSのひとつ、ジ・エドワーズ。

トレードマークは中世英国調のエドワーズ・ルック、

合言葉は、“初期のビートルズにかえろう”。

そして68年2月、待望のレコード・レビュー、「クライ・クライ・クライ」。

初期のビートルズにかえれたかは疑問が残るけれど、なかなかのB級ぶりである。

もちろん写真の真ん中が輿石秀之さん。

エドワーズは68年10月に解散した。

文字通り、レコードに記録された素敵なヒストリーである。

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堀ちえみの“ドジでのろまなカメ”の『スチュワーデス物語』は、ボクには新し過ぎます。

そのドラマからさかのぼること4年前、

当時はオンチの代表のように言われたアイドル歌手がデビューした。

能瀬慶子、79年のファースト・シングル、そのタイトルは「アテンション・プリーズ」。

作曲は浜田省吾、彼ならちゃんと歌えたのでしょう。

さらにさかのぼること9年前、

毎週欠かさず見ていたテレビドラマ『アテンションプリーズ』。

こちらは、元祖『スチュワーデス物語』。

ボクは、主人公の紀比呂子より、敵役の皆川妙子さんが好きだった。

主題歌の「アテンションプリーズ」は、バーズが歌っていた。

レコード・ジャケットにあるように日本航空とのタイアップだったようだ。

半年ほど前、中古店で偶然見かけて買ってしまった。

さて、さらにさかのぼること6年前の64年、

全日空とタイアップしたヒット・ソングがあった。

♪~ 北の端から 南の端から 夢のジェット機727

    恋をしました お相手は 紺のスーツに 紺キャップ ~♪

橋幸夫と吉永小百合のデュエット・ソング、「そこは青い空だった」。

このレコード・ジャケットの小百合さんのようなスチュワーデス、

元へ!キャビン・アテンダントがいたら、

その便を探してでも乗りたい、と思うのはボクだけでしょうか。

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このブログを始めて2周年。

我が息子がベースを作ってくれたのですが、このデザイン、結構気に入ってます。

この記念の日には、「青春の光と影」のカバーを紹介する、って決めていたのですが、

ハーパース・ビザール盤を紹介しようとして、

彼らのシングルで大好きな1枚を紹介していなかったことに気がつきました。

68年の「チャタヌガ・チュー・チュー」。

彼らは、誰もが何処かで聞いたことがあるこのスタンダード・ナンバーを

印象的に効果音を使ったアレンジと、甘くドリーミーなハーモニーで、

自らのオリジナル曲のようにしてしまいました。

その彼らが歌う「Both Sides Now」も、

すばらしいハーモニーでソフトに仕上げた最高の出来。

そして、ついでにもう1枚の「青春の光と影」も出しちゃいましょう。

68年、アラン、ウェイン、メリル、ジェイ、ダニーのオズモンド・ブラザーズ盤。

こちらはウェインがメインをとっていますが、ちょっぴり物足りなさが残ってしまいました。

さて、今夜はもう一度、ハーパース・ビザールを楽しんでみることにします。

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大滝さんのナイアガラ・マニアのことを、ナイアガラーと呼ぶことは御存知ですよね。

だから、彼のプロデュースした「夢で逢えたら」のシリア・ポールさんのマニアの人たちは、

シリア・ポーラー、だなんて、何処かの化粧品メーカーのようですね。

77年6月に発表されたアルバム『夢で逢えたら』の収録曲の中で、

大滝さんが歌っている曲が2曲あります。

もちろん、シリアさんとのデュエットなのですが、

オリジナル曲に勝るとも劣ることなく、この2曲に魅せられていました。

その1曲「The Very Thought Of You」のオリジナル・シングルをeBayで遂にゲット。

(LPを渋谷の中古店で見つけた時の感動も思い出しました。)

オリジナルとはいっても、この曲はスタンダード曲なので、

正確には大瀧さんが参考にした、という意味でのオリジナル曲、

我らのリック・ネルソン、64年全米26位。

彼は61年に、名前をリッキーからリックに変更しましたから、ここはあえてリックなのです。

もう1曲は、ニノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンス、

64年全米11位、「Whispering」。

ビルボードNo.1に輝いた「ディープ・パープル」の次のシングル曲です。

昨年8月、ボクのブログで、このふたりを姉弟と書いたのですが、

今回ビルボードの資料を検索して、兄妹であることが判明。

この機会に、お詫びして訂正させていただきます。許してね!

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先日の『全米チャート・ヒストリー』の続編です。

“好ましからざる音楽”ロックン・ロールが全米チャートを席巻してきたために、

ビルボードはチャートを再編成を計画したのは58年3月。

“好ましからざる音楽”の大スター、エルヴィスの兵役に合わせて、であった。

エルヴィスは、生涯17曲のNo.1を記録したけれど、

そのうち、兵役前のものは10曲。

いわば、“鬼の居ぬ間の、なんとか”を画策したのであった。

しかし、58年6月、休暇でナッシュヴィルに帰った時、2日間で5曲レコーディングした。

その中の1曲「A Big Hunk O’Love」、邦題「恋の大穴」は1年後にリリースされ、

59年8月にビルボードNo.1の座に着いた。

そして、60年3月、退役後のレコーディングでNo.1を獲得した曲は「Stuck On You」、

邦題「本命はお前だ」。

このブログの『全米チャート・ヒストリー』を完結させたくて、

eBayからこの2枚をゲットしました。

2枚とも再発の赤盤、5000万人の世界中のファンのためのニュー・レコーディング盤。

兎にも角にも、ビルボードの画策は、若者や大衆の人気を操作できるはずもなく、

アメリカのヒット・チャートは、ロックの時代を謳歌することになるのである。完。

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約35年間、日本中探して見つからなかったレコードが、

ここ2ヵ月余りの間に、世界中探して見つけることができました。

なにせ輸入盤なものですから、色気のないことこの上ありませんが、

本日は、60’sガールズ・ポップス編です。

まずは、オールディーズのレコード・コレクターのテーマソングのような1枚、

64年、ジュディ・トーマスの「ゴールデン・レコード」。

おなじみのオールディーズの名曲のタイトルやフレーズが次々と飛び出してくる、

ノスタルジックな、哀愁が漂う、名バラードです。

お次も待望の1枚、ジーン・ピットニーの61年「ぼくと月とキューピッド」のカバー、

明るくリズミカルにアレンジしたアイドル・ポップスに仕上がっている。、

63年、パティ・コギンの「私と月とキューピッド」。

3枚目は、eBayでどなたかと競り合いました。

そして、ガッツ・ポーズをしてしまったくらい探し求めていた1枚。

64年、ヴィッキ・サリーの「ジミー・ダーリン」と「ワイルド・エンジェル」のカップリング。

いずれも、ヒットこそしなかったけれど、

ブリティッシュ・インベイジョンとモータウンの嵐が吹き荒れる音楽業界の片隅に

美しく可憐に咲いた一輪の花なのであります。

いつか聴いていただく機会を作りたいものです。

ボクのウォンツ・リストにはまだまだ在庫があります。

これからも世界中を旅しようと、決意も新たにしている今日この頃です。

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クラスや会社で、メンバーの名を順に挙げていった時、

いつも名前が出てこない、忘れられがちな人って必ずいるものです。

決して、存在感がない、とか、印象が薄い、とかではないのです。

そんな、控えめで、静かで、雰囲気に溶け込んでいるポジションをもっている人なのでしょう。

80年代アイドルの中で、そんなポジションを持っていたのが彼女だと思います。

ボクがそう感じているだけなのですが。

82年、「マイ・ボーイフレンド」でデビュー、北原佐和子。

この曲は、“オールディーズの香りをもったアイドル・ソング”最高傑作のひとつです。

しかも、このレコードは透明な黄色盤。

続く2曲目は「スウィート・チェリーパイ」、今ならさしづめ、欧米か!(ちょっと古い)

器用さ故に、アイドル業のかたわら、ドラマ出演が多かったことも災いしてか、

その後の楽曲は印象になかったけれど、

84年、突然、ボクの腕の中に、ボクのコレクションに、戻ってきたのです。

大瀧さんの「夢で逢えたら」をカバー、なかなかよろしいですよ。

そして、あげくの果てに、「砂に消えた涙」&「レモンのキッス」のカップリングを発表。

なんて真剣さのない、お手軽なプロモーションでしょう。

彼女は決して悪くない、

もう少しスタッフに恵まれていたら、彼女の人生は変わっていたでしょう。

なんて、スタッフの皆さんゴメンなさい。

「マイ・ボーイフレンド」は、きっとアイドル史に残ります。残してみせよう、ホトトギス。

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「ポプシクル&アイシクル」、邦題は「恋のドライヴ・イン」。

せつなく、キュートで、メロウで、ノスタルジックで、ドリーミーなこの曲こそは、

60’sのガールズ・ポップスの象徴ともいえる。

その昔、ボクが中古店で出合って最初に入手したこのシングルは、ブラジル盤。

だから、音圧は国内盤と同じく多少低め、

けれど、それがこの曲にはぴったり。

63年9月にリリース、14週に亘ってチャート・インし続け、

翌年1月最高位3位を記録したマーメイズのデビュー曲である。

彼女たちはそれ以後目立ったヒットを出すことができなかったけれど、

この曲の作者デヴィッド・ゲイツは、70年8月全米No.1を獲得する。

ブレッド「二人の架け橋」、だけどボクはアーティストとしての彼には興味ナシ。

ソングライターとしての彼は、既に紹介済みのアン・マーグレット「ヘイ、リトル・スター」や

ガールフレンズの「マイ・ワン・アンド・オンリー、ジミー・ボーイ」などを提供してくれた。

さて、マーメイズはこの曲だけの“一発屋”といってもいいけれど、

最近彼女たちのアップテンポな楽しい1枚を見つけた。

「Wild And Wonderful」、

輸入盤なので詳しい情報はありませんが、大好きなテイストです。

こんな曲を見つけた時の喜びも、コレクターの楽しみのひとつです。

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