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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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やっと待望のオリジナルを入手したものですから、

62年、弘田三枝子のカバー・ヒット「カモン・ダンス」のことを書き始めたのですが、

頭に浮かんでくるのは、なぜかジョージの「すてきなダンス」。

64年の『A Hard Day’s Night』からのシングル・カット、

ジョンが作ってジョージが歌う、素朴な新鮮なHappy Song。

何より気に入っているのは、レコード・ジャケットのロゴ・デザイン。

“す”と“な”の真ん中の穴がハートで、“ダ”と“ン”の点もハート。

このさりげない“お遊び”がうれしいではないですか!

さて、本題に戻しましょう。

「カモン・ダンス」のオリジナルは、61年、モーリン・グレイ、当時13歳の天才少女。

レコードに針を落として、弘田三枝子と聴き比べてみると、

なんと、その歌唱力といい、パンチ力といい、本当にそっくりなのです。

でも、モーリン・グレイを聴いて、イメージしたのは、さくらまやちゃん。

ジャンルは違うけど、一度歌わせてみたいね。

なお、このレコード、珍しいH.M.V.の非売品の見本盤、

思わず、レーベルのコレクションをしたくなりました、注意注意!

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キング&ゴフィン作品はいっぱいあるけれど、

それをすべて集めるのがボクのコレクションの本意ではありません。

その中から、自分の気に入ったものしか要りません。

そんな意味での“激レア・コレクション”、

まずは、ロネッツがキング&ゴフィンを歌っている!

彼女たちの最後から2番目のシングル、

65年全米75位、「Is This What I Get For Loving You?」。

一般的に言って、ベロニカの声は、フィル・フペクターのアレンジは、

キング&ゴフィン作品にはフィットしないと思っていました。

だから、この曲を聴いていると、これがキング&ゴフィン?、という感じ、

とても不思議な感じのする1枚です。

お次は、これこそキング&ゴフィンの名盤!、という2曲です。

2曲とも、歌うはスティーヴ&イーディの夫婦デュエット。

63年9月全米28位、「I Want To Stay Here」、邦題「お部屋でデイト」。

64年2月全米35位、「I Can’t Stop Talking About You」、

こちらの邦題は、「噂のうわさ歌っちゃお」。

イーディ・ゴーメのちょっとハスキーな声と、スティーヴ・ローレンスの声量あるまろやかな歌声、

絶妙なデュエット作品です。

息子の結婚式で東京に行った時に、行きつけの中古店で

「お部屋でデイト」の国内盤を見つけたのですが、あまりに高くて決断できず、

ようやく、輸入盤でコレクションに加えることができました。

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今夜は、ボクの大好きなジャン&ディーンの物語。

昔むかしの58年、LAのハイスクールに、ジャン・ベリーという青年がおったそうな。

彼は、友人のディーン・トーレンスくんと組んで、学園祭やダンパで活躍していたそうな。

まもなく、ディーンは6ヵ月間陸軍に入隊することになったそうな。

合縁奇縁、その間だけアーニー・ギンズバーグくんとコンビを組んで録音した

ジャン&アーニー「ジェニー・リー」が全米8位の大ヒットを記録したそうな。

59年、ディーンの除隊を待って、ジャン&ディーンに改名、

早速、「ベイビー・トーク」を全米10位に送り込んだのであった。

この頃の彼らは、サーフィン&ホットロッドというより、ビーチの若者が歌うホワイト・ドゥワップ。

はてさて、物語はつづく・・・。

ある日、ふたりが、ブライアン・ウィルソンに曲を頼みに行った時、

彼はピアノでチャック・ベリーの曲を弾き、違う歌詞で歌っていた。

それを気に入ったジャンは“それ、チョーダイ!”と言ったとか言わなかったとか。

その曲の代わりにブライアンがくれた曲こそが、

63年、彼らの初めてにして唯一の全米No.1、「サーフ・シティ」。

そして、ブライアンの弾いていた曲が、ビーチ・ボーイズ、63年全米3位「サーフィンUSA」。

以上、まるで見てきたかのような話の情報源は、

ライナー・ノーツと、彼らの栄光と挫折と愛の記録映画『夢のサーフシティー』の前編。

この映画、フォー・シーズンズの『ジャージー・ボーイズ』のように、

ぜひミュージカルにしてほしい、と思うボクなのであります。

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ボクが中学生の頃、夏休みになると小学校の講堂に映画がやってきた。

普段は体育館として使ったり、全校集会で使ったりしていた講堂の窓に暗幕が張られる。

夜になると大人も子供も集まってきて、その講堂は村の映画館となるのである。

2本立てだったと思うが、毎回必ず上映されたのは日活映画、舟木一夫ものであった。

一番印象深かったのは、『君たちがいて僕がいた』。

やっぱりお決まりの学園ドラマで、

悪い町の実力者と教頭先生に対抗する教師と生徒たち、という構図。

話は脱線するが、長らくの間、教頭先生というのは腹黒い悪い奴だと思っていた。

その他にも、「仲間たち」や「北国の街」など、ヒット曲の多くが映画になった。

さて、映画『君たちがいて僕がいた』で最も印象深かったのは

本間千代子が歌う「愛しあうには早すぎて」という歌。

♪~ 憎くはないのに にくまれ口を きいて悔やんだ 日もあった ~♪

澄みきった美しい高音は、高校生の頃の裏声の持ち歌だった。

“君たちがいて、僕がいる”は、今では

“ごめんくさい”や“・・・じゃあ~りませんか”の、

吉本新喜劇のチャーリー浜さんのギャグとしての方が有名(近畿地方では)。

またまた今夜も、舟木一夫さんの青春歌謡メドレーを楽しむことになりそうである。

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Mary Isabel Catherine Bernadette O’Brien、こんな長い本名のアーティストの

ソロとしての最初のヒット曲は、「I Only Want To Be With You」、

64年全英4位、全米12位、元気いっぱいの歯切れのいい軽快な歌い方が好きだ。

彼女の名は、もちろん、あの、ダスティ・スプリングフィールド。

後にベイ・シティ・ローラーズがカバー・ヒットさせた「二人だけのデート」である。

何の因果か、この曲で、BCRは、76年全英4位、全米12位を記録した。

こんな偶然ってあるんですよね。(こんなことに気づいたボクもすごい!)

ダスティの最大のヒット曲は、オールディーズのスタンダードのひとつ、

ご存知、「この胸のときめきを」。

66年全英1位、全米4位のこの曲は、ダスティのオリジナルではない。

原曲はカンツォーネ、作者ピノ・ドナッジオが歌った65年のサンレモ入賞曲、

「Io Che Non Vivo」、どう発音するのかはわからないけれど、

直訳は、「あなたがいなくては生きられない私」。

最近このシングル盤をゲット。

シンプルな歌謡曲のようなこのカンツォーネを、

ダイナミックにアレンジして、壮大に歌い上げたダスティの魅力を再確認した。

“スプリングフィールドの ヒットソング・ストーリーは 誠に興味あるものよのう”

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1967年夏、サンフランシスコに花開いた若者たちの優しい革命、

合言葉は“サマー・オブ・ラヴ”。

フラワー・ムーブメントとも言われたヒッピーたちの都、サンフランシスコ。

♪~ もし 君がサンフランシスコに行くのなら 髪に花をつけた方がいい

    そこには 花をつけた沢山の人がいるのだから ~♪

ママス&パパスのジョン・フィリップスが書いた「花のサンフランシスコ」。

歌ったのは彼の友人スコット・マッケンジー、67年7月全米4位の名曲。

そして、9月には、エリック・バードンとアニマルズが、

その美しい都会の夜を歌った「サンフランシスコの夜」で全米9位。

少し遅れて、後のエジソン・ライトハウスのトニー・バロウズ率いるフラワー・ポット・メンが、

愛と平和の街へみんなで行こうと歌った「花咲くサンフランシスコ」で全英4位。

まさに、サンフランシスコが自由を求める若者の憧れの都会となったのである。

一方、69年にサンフランシスコ市歌となった古くからのスタンダード・ナンバーがある。

誰もが知っている「霧のサンフランシスコ」、「想い出のサンフランシスコ」である。

最もヒットさせたのは、62年全米19位のトニー・ベネット。

原題は、「I Left My Heart In San Francisco」、

ボクの守備範囲ではないけれど、54年のシナトラ盤があった、

「わが心のサンフランシスコ」。

ボクも行ったことがあるけれど、2日間位ではどんなイメージなのかはわからなかった。

空港が霧で、坂道が多く、市電が走っていて、蟹が美味しい都会であること以外は。

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『一般論のスローン』、『ボクにとってのスローン』と、P.F.スローンについて語ってきましたが、

今夜はついに、スローン完結編。

何年か前に、中古店で偶然見つけて、“ジャケ買い”ならぬ“タイトル買い”した逸品。

ユニコーンの「P.F.スローンはどこに」。

ユニコーン、といっても、奥田民生ではない、

ビリー・J・クレーマーのバックバンドから独立したイギリスの4人組。

美しいメロディとスムースなビート・ライン、爽やかで素朴な、楽しいポップ・・・

そんな謳い文句が、なるほど!と思わせる。

71年にリリースされた彼らのデビュー曲で、ジミー・ウェッブの作品。

♪~ ボクはPFスローンを探している 誰も彼がどこに行ってしまったか知らないし

    彼の歌を聞いたこともない ~♪

原題は「P.F.Sloan」、歌のタイトルになるなんて、すごい奴だ!

こんな曲、知らなかったけれど、なぜだかボクは鼻高々。

そして、ボクのコレクションにあるスローン関連の残りのシングルを紹介します。

まずは、フォークロックに傾倒したばかりの頃の作品、

「シティー・ウーマン」、65~66年頃の自作自演である(と思われる)。

そして、スティーヴ・バリとの共作にして、グラス・ルーツのデビュー曲、

66年全米28位、「Where Were You When I Needed You」。

この曲が特別なのは、

初期のグラス・ルーツはスローンとバリの覆面グループだと言われているから。

聴いてもよくわからないけれど、もしかしたらスローンの声かもしれない。

そんな噂を知ってしまったら、そのシングル盤を探してしまう、

あさはかで悲しい、そして、うれしくて楽しくてコレクター心理なのです。

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ローラーズを脱退したパット・マッグリンがスコッティーズを率いてカバーした一曲、

77年、「ウォーク・イン・ザ・ルーム」、原題は「When You Walk In The Room」。

ベンチャーズも名アルバム『ノック・ミー・アウト!』で取り上げているが、

何と言ってもこの曲最大のヒットを記録したのは、サーチャーズ、

64年、全米35位、全英3位を記録した。

この曲のオリジナルは、作者でもあるジャッキー・デシャノン、

彼女自身は、同じ64年に全米99位を記録している。

サーチャーズは、もう一曲ジャッキー・デシャノンのオリジナルをカバーしている。

デシャノン63年全米84位、サーチャーズ64年全米13位にして全英No.1、

ご存知「Needles And Pins」=「ピンと針」。

サーチャーズは、いや、もしかしたら、12弦ギターを操るマイク・ペンダーは、

よっぽどジャッキー・デシャノンが好きだったのかも知れない。

サーチャーズのレパートリーは、その大半が既存曲のカバーであった。

彼らは、その名の通り、

常に自分たちにピッタリくる楽曲を探し続ける“捜索者”だったのだろう。

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オールディーズのスタンダード曲、「恋のダウンタウン」。

65年ペトゥラ・クラーク32歳の全米デビュー曲にしてもちろん初のビルボードNo.1。

今や誰もが知っているといっても過言でない程の名曲である。

原題「Downtown」に、“恋の”を付けたセンスが光っている、と思う。

さて、ダウンタウンというと、ボクは、浜ちゃん・松ちゃんではなく、アメリカ研修を思い出す。

1985年、サンフランシスコからサンディエゴへ、バスで北上しロスへ、

そしてハワイでリフレッシュして帰るという約10日間の研修旅行。

1ドルが260円の時代、その研修テーマのひとつが

“ダウンタウンの凋落を見る”というものだった。

郊外のSCにおされ、寂れてゆく中心街の状況を確認する、というもの。

その後、日本もそんなことになっているのは周知の通り。

勉強のための旅行であったが、郊外のSCでシャツや果物のショッピングを堪能した。

音楽の話に戻って、日本の「ダウンタウン」と言えば、

75年の伝説のグループ、シュガー・ベイブの名曲である。

一般の皆様には、『俺たちひょうきん族』の82年エポのカバーがお馴染み。

ボクの持っているシュガー・ベイブのシングルはその頃の再発盤(だと思う)。

こちらの「ダウンタウン」もすばらしい名曲、

今夜のレコード・コンサートは、「ダウンタウン」和洋対決、

ペトゥラ盤のおしゃれな内袋デザインも加味して、果たして軍配やいかに・・・。

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今まで何枚ものキング&ゴフィン作品を紹介してきましたが、

ボクのコレクションには、まだまだ、魅力的な素晴らしいオールディーズがいっぱいあります。

今夜は、“なぜこの曲がまだだったの?”と思われるような有名どころをアップします。

まずは、20世紀を代表するポップ・ロック・デュオ、エヴァリー・ブラザーズ。

62年全米6位、キャロル自身もカバーしている「クライング・イン・ザ・レイン」。

月並ですが、ふたりの見事なハーモニーを余すことなく楽しめます。

お次は、63年全米5位、シフォンズ、「イカシタ彼」に続いてリリースした「ワン・ファイン・デイ」。

ずぅ~と後の80年にキャロル自身もシングル・リリースして全米12位。

3曲目は、可愛い可愛いアネットの61年全米106位、「ドリーミン・アバウト・ユー」。

曲はもちろん、ピクチャー・スリーヴ付の輸入盤というものボクには嬉しい1枚です。

そして、今夜のオオトリ(鳳啓助でございます、ポテチン!)、

リトル・エヴァのヒット曲をカバーした、ジャン&ディーン「ターキー・ダンス」。

ボクの調べたところ、日本でのみのシングル・カット(だと思う)。

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いつの時代にも“御三家”とか“三人娘”とか呼ばれるアイドルがいます。

ボクにとっての御三家は、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦。

今日は、舟木一夫さんの思い出を・・・。

66年、高校一年生の1年間は、奈良市内の高校へ遠く離れた山奥から通学していた。

家の下のバス停から約30分バスに揺られて京都府にある国鉄の駅へ山を下りる、

その駅から汽車で3駅目の国鉄奈良駅へ約30分、

そこから高校までは歩いて約20分が、毎日の通学コース。

もちろん帰りはその逆のコース、

奈良駅発18時15分に乗らないとその日のうちに家に帰れない。

土曜日は半ドンで、時々は最寄の京都府内の駅から家まで友だちと歩いて山を登る。

そんな時に歌うのは、舟木一夫の青春ソング。

ボクのレパートリーは、「学園広場」、「あゝ青春の胸の血は」、「涙の敗戦投手」。

二年生からは、陸上競技の部活に支障が出るので、奈良市内に下宿。

その頃熱心に見ていたテレビ番組の主題歌が「あいつと私」。

早速この歌もレパートリーになった。

原作は石坂洋次郎、お決まりの青春ドラマである。

こんなことを語りだしたら、いくらでも長くなる。

ボクの青春話はこれからもまだまだ続く・・・。

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クリフ・リチャード、デル・シャノン、ビーチ・ボーイズ、ジョン・レノンという超豪華なカバー陣を誇る

ボビー・フリーマンの「Do You Want To Dance?」、

邦題「踊ろよ、ベイビー」については紹介済みですが、

今夜は、もうひとつの名曲「踊ろよ、ベイビー!」を紹介します。

手塚しげおさんを加えた第2期スリーファンキーズのヒット曲なのです。

プレスリーの「心のとどかぬラヴレター」のカバーのB面ながら、

3人揃って左右にスウィングしながら軽快に歌う姿が目に浮かぶ、

ボクにとっては大の名曲。

というのも、オリジナルは、“ブリル・ビルディングの巨星”のひとり、バリー・マン、

63年のリリースである。

こちらの原題は「Hey Baby I’m Dancin’」。

「君は踊りたいの?」、と、「ねぇ君、ボクは踊ってるよ!」、の違い、

「踊ろよ、ベイビー」、「?」と「!」の違い。

どっちもゴキゲンなオールディーズ、

気分の良い夜を過ごせそうである。

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P.F.スローンについての一般論は少し前に紹介しましたが、

ボクにとってのスローンはちょっと違うのです。

ニューヨークに生まれたスローン少年は大都会を嫌い、自然で素朴なカルフォルニアに移住。

必然的に、彼の音楽家としてのキャリアのスタートはサーフィン・ミュージックであった。

ジャンとディーンに曲を提供したり、彼らのバックを務めたり・・・。

その代表曲が既に紹介した「青春の渚/サマー・ミーンズ・ファン」。

シングルは既に掲出済みなので、コンパクト盤をアップしました。

そして、スティーヴ・バリと組んで、ファンタスティック・バギースを結成。

やはりジャン&ディーンに提供した「Tell ’En I’m Surfin’」でデビューする。

ジャン&ディーンのオケをそのまま使った、という話は有名(ホンの一部の世界で)。

そして、ボクの好きな「Anywhere The Girls Are」のイントロ、

スローンの弾くギター・リフは、デイヴ・デイヴィスに影響を与え、

キンクスの「ユー・リアリィ・ガット・ミー」を生んだ、という。

スローンは、作曲や楽器だけでなく、シンガーとしても多才で、

CDの中の一曲「Surfin’s Back Again」では、

プレスリーやジャン・ベリーや

ブライアン・ウィルソン、テリー・メルチャーのモノマネを聴くことができる。

そして、ボクにとってのスローンは、そのキャリアを終えるのである。

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突然思いついて、シリーズ化してしまいましたが、

この日本代表は、浅田美代子で決まり!

歌が下手なアイドルはいっぱいいると思いますが、

シェリー・フェブレーといい、浅田美代子といい、

それでいてNo.1ヒットを出したのですから価値があるのです。

どうですか、こんな理論展開は?

今も活躍する浅田美代子は、デビュー曲「赤い風船」で、

73年5月、オリコンNo.1に輝き、5週間もその座を守った。

しかも、その年のレコード大賞新人賞、というのですから、日本代表大合格でしょう。

ボクが一番好きな曲は、74年の「じゃあまたね」、

♪~ あの人が好き! なのにいつも “じゃあまたね”でお別れなの ~♪

というセリフで始まる。

なんと、この曲の作曲は、後に結婚するタクローさん。

この頃には、歌もそんなに“残念な”わけでもなく、とてもいい感じです。

「赤い風船」は『時間ですよ』の主題歌でしたが、

『寺内貫太郎一家』の主題歌、「しあわせの一番星」もいい感じです。

ついでですから、その劇中歌 ♪「リンゴがひとつ」 ア~ップル ♪も紹介しましょう。

アイドルの歌を聴いていると、やけに昔が懐かしくなってくるのは、歳をとったせいでしょうか。

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このブログを始めて間もない頃、「ジョニー・エンジェル」を紹介したシェリー・フェブレー。

よくよく振り返ってみると、こんなに好きなアイドルなのに、まだ1曲しか紹介していなかった。

お世辞にも歌が上手いなんて言えないけれど、

曲は抜群にいいし、何よりも可愛いい。

ボクの最大フェイバリットは、63年全米109位の「悲しきテレフォン・デート」、

何と言っても、バリー・マン&シンシア・ウェイルの作品なのですから。

そして、「ジョニー・エンジェル」につづく2枚目シングルは、

62年の「ジョニー・ラブス・ミー」と「恋の芽ばえ」のカップリング。

可愛いいジャケット写真の国内盤とスリーブ付の輸入盤を揃えてみました。

さて、今日の自慢はこれからです。

eBayで念願の1枚をようやく見つけることができました。

♪~ フットボールのシーズンが終わったから、やっと彼は私の元に帰ってくる ~♪

と歌う、「フットボール・シーズンズ・オーヴァー」、

少し前に紹介した、デビット・ゲイツの作品です。

余談ですが、彼女のフェブレーのスペルは、Fabaresと綴ります。

ちょっと発音できませんよね。

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