FC2ブログ

BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

img1088

不良が嫌いなエド・サリヴァンは、きっとストーンズが嫌いだったと思います。

1967年、「夜をぶっとばせ!」、原題「Let’s Spend The Night Together」の

♪The Night♪を、♪Some Time♪に変えさせた、という有名な話。

彼らが素直に言うことをきいたかどうかは別として、

創作物に対するリスペクトがないと思いませんか。

第一そんなことをされると、「夜をぶっとばせ!」ではなくなってしまう。

「ときどきぶっとばせ!」?、「いつかぶっとばせ!」では・・・。

日本にだって、こんな話はある。

78年の紅白歌合戦、山口百恵は「プレイバックpart2」を歌う時、

♪真っ赤なポルシェ♪を、♪真っ赤なクルマ♪と歌うように指示されたけれど、

彼女は平然と♪真っ赤なポルシェ♪と歌ったとか、なんとか。

松本伊代は、81年のデビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」を歌う時、

♪伊代はまだ、16だから♪を、♪ワタシまだ、・・・♪と変えさせられたらしい。

商品名や特定される個人名が入っているのは不可、ということらしいが、

これもまた、ちょっと違うような気もする。

たぶん、今ではもう、そんなことはないのだと思うけれど・・・。

今夜、レコードに合わせて、歌詞を変えて歌ってみるのもまた楽し。

img1089 img1090
img1085

前回の続きです。

「ミスター・マジック・ムーン」を日本でスマッシュ・ヒットさせたグリームス。

いったい何者か?定かではない。

しかし、コンピCD『ガールズ・コレクション2』のライナー・ノーツによると、

この曲の作者のひとり、エリー・グリニッチがセッション・シンガー歴があることから、

グリームスのリード・ヴォーカルは彼女ではないか、との憶測を書いている。

このオリジナルに勝るとも劣らない和製カバーがある。

歌っているのはベニ・シスターズ。

シングル盤はまだ手に入らないので、まずは音源を確保している。

『黄金の60年代シリーズ』というコンピLP。

カバーがあること自体、日本でのヒットを証明しているとも言える。

さて、このグリームスの曲をもう1枚持っている。

なんと、62年全米1位、クリスタルズの「ヒーズ・ア・レベル」のカバー。

クリスタルズの、と書いたが、実はダーレン・ラヴとブロッサムズが歌っている。

この時代にはよくある話、というよりフィル・スペクターのわがままなのである。

もちろん出来はグリームスの完敗!あくまでもボクの主観ですよ。

いや、このグリームス、「ミスター・マジック・ムーン」とは同一グループじゃないかも・・・。

最後にもうひとつ、フィル・スペクターはこの「ミスター・マジック・ムーン」を下敷きにして、

63年のヒット曲、ボブ・B・ソックスとブルー・ジーンズの

「Why Do Lovers Break Each Other’s Heart?」を書き上げた。

その証拠は?作者にグリニッチたちがクレジットされていることと、

何よりも、聴けばすぐに納得!なのであります。

今夜は、ちょっとマニアックに語りすぎたでしょうか。

LP15 img1086 img1087

img1084

♪~ドゥンドゥビ ドゥンドゥビ ドゥンドゥビ ドゥンドゥビ ドゥンドゥンドゥン~♪

このイントロのシラブルを聴いただけで、坊ちゃん嬢ちゃん泣いて喜ぶ・・・。

いや、オールディーズ・ファン垂涎のガールズ・ポップスの決定版。

その上、見てくださいよ、このイラスト・ジャケットのイカしていること!

63年、グリームスの「ミスター・マジック・ムーン」。

この1枚ゲットは、ボクのコレクションのエポック・メーキングな出来事となりました。

もう25年くらい前だったか、博多の中古店で出合いましたが、高すぎて手が出ず、

1年ほど前、広島の中古店の通販で見つけたのですが、38,000円。

迷いに迷いながら暮らしていたのですが、eBayでオリジナル盤を見つけて応札するも負け。

ちなみに、これがeBayを始めるきっかけとなったのですが。

そして、先日、ヤフー・オークションに500円スタートで出品されているのを発見、

喜び勇んで応札するも、世の中には同じような輩もいるようで、

何度も何度も競い合って、価格はどんどん上昇、

締め切り前のギリギリの勝負で落札、31,500円。

久しぶりの3万円台のゲットとなりました。

“そんなモンによう3万円も出すわ!”とか、“そんなお金、よう持っとるナ!”とか、

そんな声がどこからか聞こえてくるような気もしますが、

これには、血と涙に彩られた、長年のコレクション・ストーリーがあるのですよ。

このレコード盤、盤もジャケットもすばらしいコンディションで、

中古盤とは思えないような美しさ。

だから、聴くのはコンピCDの方にして、まだ一度も針を落としていません。

このグループや曲については次回語ることにして、

まずは、初めて針を落としてみることにします。
img1080

ボクって結構モノ知り!って自負していたのですが・・・、

最近になって新しい事実を知りました。

“スパーク三人娘”のひとり、園まりさんは、

カバー・バージョンの時代、伊東ゆかりさんや中尾ミエさんのような

大きなヒットを飛ばせませんでした。

だからこそ、その時代の彼女のシングルは手に入りにくく、

ボクの手元にあるのも、64年の「花はどこへ行った/ほゝにかゝる涙」だけ。

そして、彼女は歌謡曲に転向して、65年「逢いたくて逢いたくて」の大ヒット、

彼女の甘くささやくような“園まり節”で、一躍ヒットチャートに躍り出たのです。

ボクの新発見は、この「逢いたくて逢いたくて」は

62年のピーナッツ「手編みの靴下」の焼き直しだったということ。

不覚にも、44年間知りませんでした。

となると、「手編みの靴下」もゲットしなくては・・・、

というわけで、苦労しましたが、最近めでたくゲットしました。

作曲は宮川泰先生、作詞は岩谷時子さん、

♪好きなのよ 好きなのよ♪は、♪いつまでも いつまでも♪だった。

共通の歌詞は、♪心の糸♪だけ。

と、分析はボクの本意ではありませんので、このくらいにします。

“園まり節”を堪能できる最高の1枚は、

「やさしい雨/何んでもないわ」のカップリング。

しっとりとした大人の女性の魅力と、ポップな可愛いい女性の魅力、

その両方の園まりさんを楽しめるゴールデン・カップリングです。

img1081 img1082 img1083
img1078

ボクのお気に入りのストーンズのTシャツは、

LP『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』US盤のジャケット写真をプリントしたもの。

ストーンズのLPを買う時は要注意なのである。

なぜなら、US盤とUK盤では、同じタイトルでもジャケット写真や収録曲が違うのである。

例えば、アメリカで初めてNo.1を獲得したこの『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』、

アメリカ盤には「サティスファクション」が入っているが、イギリス盤には入っていない。

「サティスファクション」は、もちろんストーンズの代表曲であり、

65年、アメリカで初めてNo.1を獲得した記念すべき曲なのに、である。

ところで、このB面曲のタイトルは何とかならない?

「ウェスト・コーストの宣伝屋」、

“Promotion Man”が“宣伝屋”、別に間違ってはいないけれど、

広告マンのボクにはちょっと気になる。

タイトルと言えば、大好きなタイトルをもつ曲がある。

66年、全米、全英ともに2位、「19th Nervous Breakdown」、

邦題が「19回目の神経衰弱」、

タイトル・イメージ通り、コマーシャルな曲ではないが、

聴けば聴くほどに好きになる、味わい深い1曲なのである。

ストーズについてはもう少し書きたいことがあるのですが、また次回に。

ts2 img1079
img1074

緑色は結構好きな色です。

2年前までは、緑色のマイカーに乗っていたほどですから。

印刷においては、シアンとイエローを混合して作る、とか、

光においては、三原色のひとつだ、とか、

厳密に言えば、緑とグリーンは微妙に違う色だ、とか、

そんなことを語るブログではない!

72年、大学生の頃、ラジオでやたらと流された新人歌手の歌に特別な感じをもった。

所属プロダクションやレコード会社のプロモーションだ、なんて知らない頃ですから。

山口いづみ、「緑の季節」、

続いて、2曲目は「緑の太陽」、“お前は貧血か!”なんてツッコミたくなる。

数枚のシングルを出しただけで女優に転向してしまったから、

ヒットしたのは「緑の季節」だけ。

だからこそ、記録には残らなかったけれど記憶に残るアイドルとなった。

彼女のプロフィールによると、好きな歌手は、いしだあゆみとディオンヌ・ワーウィック。

65年、いしだあゆみは緑の歌をリリースしている、「みどりの乙女」。

だから、好きな歌手のひとり、というわけでもないのでしょうが・・・。

この際、ディオンヌの曲の中でも大好きな1枚も出しておきましょう。

例によって、ハル・デヴィッド&バート・バカラックのゴールデン・コンビの名曲、

70年全米6位、「恋よ、さようなら」。

今夜のブログもこの曲を聴きながら、さようなら。

img1075 img1076 img1077
img1071

66年全英1位、全米13位、ウォーカーズの中でも最大の名曲、

「太陽はもう輝かない」、原題は「The Sun Ain’t Gonna Shine Any More」。

重厚なスペクター的サウンドにのせて歌い上げる様は、まるでロネッツの男性版のよう。

「太陽はもう輝かない」といえばウォーカー・ブラザーズ、というのは周知の事実だけど、

実は、オリジナルはフランキー・ヴァリ、65年ソロ・デビュー作品。

聴き比べると、大好きなヴァリと言えども、ウォーカーズに軍配。

ウォーカーズのシングルのもうひとつの伝説は、

シングル・バージョンにのみ、

エンディングのフェイド・アウトの直前に、スコットのファルセットが入っていること、

って言われているけれど、LPバージョンを確認していないので、本当かな?

この曲におけるウォーカーズとヴァリ、同じ関係のもう1曲は、

「ウイズアウト・ユー」における、ニルソンとバッドフィンガー。

先日深夜放送で、バッドフィンガーのことを、

“そういえば、ニルソンの「ウイズアウト・ユー」も歌っていますね”って。

間違いではないけれど、こう言ってほしかった、

“ニルソンの「ウイズアウト・ユー」のオリジナルはバッドフィンガーなんですよ”って。

でも、仕方ないですよね、

ニルソンはこの曲をものすごく気にいって、

最初はてっきりジョン・レノンの曲だと思ったらしい。

そして、72年、4週間もの間ビルボードNo.1に輝いたのですから。

勝てば官軍、売れた者勝ち、否定はしませんが、肯定もしません、

これもまた、BOTH SIDES NOWなのですから。

img1072 img1073 img136
img1067

今日はゴルフでした。

3週間ほど前から、いわゆる頚椎ヘルニアで、右肩が痛くて痛くて・・・。

何とか少しマシになったのですが、なんと右手に力が入りません。

“右の力が抜けてナイスショットが打てるのと違います?”

などという、建設的な、ポジティブな、無責任な意見にあと押しされて、

チャレンジする決心をしたというわけです。

思ったより、案外、大過なく、順調なラウンドでしたが、

ただひとつのOBは、左手に力が入りすぎて、左へギュ~ン!

♪ ダ~レのせいでもありゃしない みんなオイラが悪いのか ♪

そんなわけで、別に肩が痛くなくても、1ラウンドに1回はこの歌詞を口ずさむことになる、

そんな素敵な1曲は、65年全米15位、全英3位、アニマルズ「悲しき願い」。

原題は、「Don’t Let Me Be Misunderstood”。

そして、この日本語の名詞は、65年、尾藤イサオ。

♪ ベイビー 俺の負けだ あきらめよ~う 片想いの恋だけは もうたくさんだ ♪

アニマルズのオリジナルは、ジャズ歌手ニーナ・シモン、64年のリリース。

突然!“ニーナ”にボクの音楽頭が反応、

レコード棚を探しまくって、ひっぱりだしたのは・・・

♪ オー! ニーナ! もし今なら お前を二度とは悲しませない~ ♪

というわけで、なぜか本日のエピローグは、ジュリーの「追憶」。

果たしていつ、「悲しき願い」を歌わないでラウンドできる日がやってくるのでしょう。

img1068 img1069 img1070
img1065

50年代後半から60年代初めにかけて、

コマーシャルなティーン・ポップス&ガールズ・ポップス音楽の代名詞となったのが、

通称ブリル・ビルディング・サウンド。

その人気ソング・ライターのひとりが、今日紹介するバリー・マン。

もちろん、彼自身もシンガーとして活躍もしたけれど、

ソング・ライターとして、より大きな成功者となった。

ボクたちオールディーズ・ファンには欠かせないビッグ・ネームなのである。

ボクの持ってる彼の作品の幾つかはこれまでにも紹介しましたが、

まだ少し、いろいろあるのです。

まずは、バリー・マン自身、かの有名な「シビレさせたのは誰?」を大ヒットさせていた

61年の同じ時期のヒット曲、全米59位、ニール・セダカの「スウィート・リトル・ユー」。

例によって、低音とファルセットの絶妙な掛け合いが、楽しくて心地よい。

ニールもまた、ブリル・ビルディングのビッグ・ネームのひとりですから、

この組合せはうれしい限り。

さて、お次の1枚は、非常にマイナーなものですから、なかなか表現が難しい。

同じく61年の、ボブ&ジェリーの「ウィーアー・ザ・ガイズ」。

聴いてビックリ!こんなんあり~?と思うこと請け合い、

バリーの「シビレさせたのは誰?」のアンサー・ソングというか、完全なパロディ。

当然、ヒットせずの1曲ですが、この手のノベルティ・ソングは楽しい、ダ~イ好き。

というわけで、今夜は“その1”なのですから、まだまだ続きます。

img1066
img1062

街の中に、お気に入りのコーヒー・ショップがある。

オープン・ウインドゥから、人々の往来を見ながらコーヒーを楽しむ。

といっても、健康上の理由で、残念ながらアメリカンをブラックで。

ブラックのアメリカン・・・まるで大好きなモータウン・レコードのようだね、なんて・・・、

そんなことを思いながら帰ってきた今夜は、モータウンのグループで。

というわけで、まずはジャクソン・ファイヴ。

亡くなったマイケル・ジャクソンは、ボクにとってはマイケル坊やで、

彼のソロ作品は持っていないし、今後買うつもりもない。

1970年、彼らは4曲の全米No.1を残している。

今夜聴きたいのは、その中の最後のNo.1で最大のシングル・ヒット、

「アイル・ビー・ゼア」、澄みきった清らかな声と絶妙のコーラス・ワークが好きだ。

そして、次はやっぱりシュープリームスでしょう。

68年、最後から2枚目のNo.1ソング「ラブ・チャイルド」、

この曲から、クレジットはダイアナ・ロスとシュープリームスに。

それまでのヒット曲とはちょっと違った社会派メッセージ・ソング。

そして締めは、モータウンの大御所スモーキー・ロビンソン。

70年12月、スモーキー・ロビンソンとミラクルズの最初で最後のNo.1、「涙のクラウン」。

なぜ?ソングライターとしてもプロデューサーとしても

もちろんシンガーとしても、この才能豊かな人が、たったひとつのNo.1しかないなんて!

玄人受けするアーティストは、ヒット曲と縁が薄くなるのは世の常、

なのでしょうか。

喫茶店でアメリカンを飲むたびに、モータウンを聴きたくなる日が続きそうだ。

img1063 img1064
img1061

今日は“どの盤”にしようか?

というわけで、吟遊詩人ドノバン。

ベタなプロローグで少々赤面。

彼の作品の中でもちょっと異色な、69年の「ぼくの好きなシャツ」。

この曲には、その昔、CM制作で大変お世話になりました。

紳士服屋さんを担当していた時には、♪~I love my shirt~♪、

靴屋さんを担当していた時には、♪~I love my shoes~♪、

このリフレインがBGMにピッタリ。

一度聴いてしまうと、その日一日中、口ずさみつづける、

そんなすごいパワーをもった楽曲です。

“ボクの好きなシャツ”と言えば、

プロフィールにもあるように、ボクは古着あさり大好き男。

そのボクの好きなシャツのひとつは、

フィル・スペクター作品集4枚組名盤ボックス「Back To MONO」をデザインしたTシャツ。

ヤフー・オークションで、『フィル・スペクター・セッションズ』という

「Be My Baby」のレコーディング・テイク集のCDを落札した時の付録。

このCDが送られてきた時、そのCDよりもこのTシャツを見て、驚き・桃の木・山椒の木!

いままで見たことのないこのTシャツの方が価値観大。

本当にありがとうございます、なのでした。

set2 ts1
img1059

“このハシ、渡るべからず”、こんな立て札を見て、その橋の真ん中を渡った。

というのは、確か・・・一休さんのトンチ話。

トンチなのか、ダジャレなのか、屁理屈なのか、言葉遊びっておもしろい。

さて、今日は、“スカ”の最初のヒット曲、64年全米2位「マイ・ボーイ・ロリポップ」です。

“スカ”、カにアクセントを置くと、ボクの生まれ故郷では“はずれ”のことになる。

カッコいいジャマイカン・シャッフルが、なんともなさけないことになってしまう。

だから、ここはひとつ、スにアクセントを置いて発音してほしい。

そもそも、スカとは、

『ロック語事典』によると、

50年代中頃にジャマイカで生まれた独特のビートをもつジャマイカ風R&B、

いわば、レゲエの原型。

当時17歳(15とか16とかの説もある)の少女、ミリー・スモールは、

このドゥワップの原曲を、明るく、楽しく、スウィートに歌い上げた。

オリジナルは、16歳の少女バービー・ゲイ、56年のレコーディング。

この珍盤を入手して聴いてみたけれど、もう既にスカのリズムが生きているように感じる。

こんなことを語れるほどの音感は持ち合わせていないけれど・・・。

img1060
img1055

今夜は少しマニアックな話で恐縮です。

ジャン&ディーンのジャンのガールフレンドの名は、ジル・ギブソン。

彼女が音楽業界に残したレコードのコレクションを思い立って30年余、

まだ未完成なのですが、途中経過の報告です。

まず、最も有名で、オールディーズ・マニア垂涎の1曲は、

65年全米27位曲のB面、「It’s As Easy As 1,2,3」。

ジャン&ディーン名義ですが、本当はジャン&ジルなのです。

“恋なんて123と同じぐらい簡単よ”って歌。

よりによって、こんなマニアックな曲を日本語でカバーしたグループがある。

金沢出身のガールズ・トリオ、ルラルがセカンド・アルバム『トカイノトナカイ』の中の1曲。

本当にうれしい限りでした。

さて、ジルはこの後、ミッシェルの代役としてママス&パパスに加入、

3ヵ月後に解雇されてしまいますが、この間に残したヒット曲が、

66年全米5位「アイ・ソー・ハー・アゲイン」。

ママス&パパスはやっぱりミッシェルじゃなきゃ、というわけで

ほとんどの曲が歌い直されてしまうことになったのですが、

この曲のシングル・バージョンのみにジルの声が残ってしまった、というわけ。

ボクの持っているこの国内盤シングルは、

果たして、オリジナルのジルなのか再録のミッシェルなのか、聴いただけでは不明。

さてさて、ジャン&ジルのもう1枚は、

66年全米93位曲のB面「A Surfer’s Dream」。

ポール&ポーラみたいで素敵です。

そして、まだ見ぬ待望の1枚は、

ジャン&ジルの「It’s As Easy As 1,2,3」からジャンの声を消したソロ・バージョン。

これからも、気長に、熱心に、探し続けようと思います。

img1056 img1058 img1057
img1051

これまでに、仕事で出会ったアイドル、について何度か書いたのですが、

仕事で出会った大女優、のことを書きたくて、

ボクのコレクションの中から、関連作品(レコード)を必死になって探しました。

大女優の名は、岩下志麻さん。

1枚目は、85年映画『魔の刻』のイメージ・ソング「エル・チョクロ」のレコード・ジャケットに。

なぜ、こんなレコードが手元にあるのか?

見本盤ですから、たぶん放送局のディレクターさんからの貰い物。

もう1枚は、69年、森田健作の歌手デビュー作品「夕陽の恋人」の

レコード・ジャケットの内側に、推薦文を見つけました。

余談ですが、昔“青春の巨匠”、今“県知事”の森田健作の芸能界デビューは、

69年、黛ジュンの映画『夕月』の相手役として、だったように記憶しているのですが・・・。

閑話休題、志麻さんとの出会いは、昔担当していた酒造メーカーのCM撮影。

84年頃、忘れもしないエピソードは、

ボクの書いたナレーションの冒頭、“四季折々”という言葉の、

彼女のイントネーションに、ボクがクレームをつけたこと。

東京のスタッフが、志麻さんにクレームをつけるなんて!とビクビク、ザワザワ、

幸い、田舎者のプロデューサーの言うこと、だったからか大事に至らず無事クリア。

あれからしばらくは、スタッフと会う度にこの話題が酒の肴に。

今となっては、懐かしい思い出である。

img1052 img1053 img1054
img1047

「Land Of 1000 Dances」と命名されたこの曲は、

日本では「ダンス天国」という絶妙な邦題を頂いた。

本場のヒット・チャートにランクされたのは、66年全米6位のウィルソン・ピケットだけ。

オリジナルは、63年自作自演、クリス・ケナー。

そして、聴いたことはないけれど、♪ラーララララー♪のフレーズを付け加えたらしいのは、

65年、カンニバルとザ・ヘッドハンターズ。

一番ヒットさせたのは、ソウルフルにシャウトした66年のウィルソン・ピケット。

67年、日本で爆発的なヒットを記録したのは、ボクらのウォーカー・ブラザーズ。

そして、GSチックに英語の歌詞でカバーしたのは、我等がスパイダース。

ボクの手元にある珍しいロックンロール・タッチのカバーは、リトル・リチャード。

60年代、ボクらの回りは洋楽で溢れていた、

そして、アメリカでヒットしなかった曲が日本でのみヒットしたり、

この曲のように、日本とアメリカではヒット・アーティストが違っていたり、

そんな洋楽を日本のアーティストがカバーしてレコード発売したり・・・。

こんなことは日常お茶ご飯ごと、それを人は“日常茶飯事”と言った。

「ダンス天国」、あいにくウィルソン・ピケット盤は持っていないのですが、

高校生の頃あんなに大好きだった、ウォーカーズさえあれば、

それだけで満足なのであります。

img1048 img1049 img1050
img1043

ボクの好きだった山本リンダ、を覚えている人はどのくらい居るだろうか?

山本リンダ、といえば、♪~うわさを信じちゃいけないよ!~♪

ヘソ出しルックに、サイドオープンのパンタロンで、

激しく踊り狂うパフォーマンスを思い出す人がほとんど。

66年15歳の時、舌ったらずの甘えた声で歌った「こまっちゃうナ」はセンセーショナルで、

地なのか演技なのかはわからなかったけれど、一世を風靡したアイドルだった。

“リンダ、困っちゃう”は、流行語だったし、何よりも可憐で可愛いかった。

67年の「ミニミニデート」も、同級生の女の子たちの反感はかっていたけれど、

タレントとしての存在感はあった。

ちょっとの間、“見なくなったなあ”って思っていたら、

♪~Suddenly~(「イエスタデイ」の一節で・・・)♪、突然ですよ、

♪~うわさを信じちゃいけないよ!~♪、と来た!

そして、翌年には、♪~ウーララ ウララ ウラウラで~♪、と来た。

阿久悠と都倉俊一の仕業だと思うのですが、

「どうにもとまらない」は、72年オリコン3位、「狙いうち」は73年オリコン14位。

まあ、年齢的にもこのイメチェンは先見の明だったのでしょうが、

ガールズ・ポップス・ファンのボクには、

山本リンダといえば、「こまっちゃうナ」や「ミニミニデート」のアイドルなのです。

img1044 img1045 img1046