FC2ブログ

BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

img1134

「Our Favorite Melodies」。

ボクの大好きなボビ・ヴィーの「サヨナラ・ベイビー」や「ラン・トゥ・ヒム」が出てくる、

トリビュート・タイプの代表曲のひとつ、

62年、ゲイリー・クリスの、邦題「二人のメロディ」。

これをイギリスで取り上げたのは、「レッツ・ゴー物語」のクレイグ・ダグラス、

邦題は「恋のヒット・パレード」。

同じ曲だけれど、哀愁をこめたバラード・タイプのゲイリー盤と、

明るくリズミカルなクレイグ盤。

ボクはゲイリー・クリスの歌い方が好きだ。

珍しいシングルを手に入れた。

♪~グラスを手にすると いつも思い出す 

   君がいつも口ずさんでいた あの甘いメロディを

   忘れられない あのメロディは 遠い恋の思い出さ~♪

あの山下敬二郎御大の「二人のメロディー」。

残念ながらレコード・ジャケットがなかったのは、見本盤ゆえか?

それとも、なくなってしまったのか?

出ていることさえ知らなかったのだから、

それでも、ダイ、ダ~イ、大満足なボクなのであります。

img1135 img1136
img1130

ビートルズ来日の年、1966年に始まったボクの高校時代。

洋楽のオールディーズとGSに夢中だったけれど、

もうひとつ、密かに聴いていたジャンルがある。

66年の始まりとともに、それまでとはちょっと変わったタイプの曲が大ヒットした。

作者のハマクラさんは言う。

“今までの歌謡曲ではない、外国のジャズ・ソングでもない、

 民謡のように古くさくもない、ホーム・ソングのように堅苦しくもない。”

モダン・フォーク、の誕生。

マイク真木はこの「バラが咲いた」で突然現れた。

ボクは彼の、東京湾の飛行機事故を歌った「波と木彫りのクマ」や、

ベトナム戦争へのプロテスト「ベトナムの空」が好きだった。

68年、彼はスーパー・フォーク・グループ、ザ・マイクスを結成する。

道徳再武装運動MRAのリーダー格のロビー和田さんと、

「若者たち」のブロードサイド・フォーの鶴原さん、横田さんと

関西フォークの高田恭子さん、というメンバー。

選んだ曲が、ビー・ジーズの「マサチューセッツ」のカバーとは、ちょっと?であった。

このスーパー・グループはそんなに成功することもなかったけれど、

高田恭子は69年「みんな夢の中」のヒット曲をもってボクたちの前に戻ってきた。

この時点では、ちょっと割り切れない、ストレスのたまる、頭をひねりたくなる、

そんなマイク真木さんのストーリーであった。

その後の彼は、幾度ともなくボクたちの前に現れ、

今も自分流の生活を謳歌し、ボクたちをうらやましがらせてくれているのである。

img1131 img1132 img1133
img1127

63年夏に全米3位になったノベルティ・ソング、ロルフ・ハリスの「悲しきカンガルー」。

カンガルーの平均寿命は10歳前後というから驚き!昨日のニュースで知った。

それで思い出したのがこの曲、というわけです。

日本では、何でもかんでもカバーするパット・ブーンや

九重佑三子時代のパラキンのカバーでもヒットしたのですが、

オールディーズ・ファンとしては、やっぱり自作自演のオリジナルで楽しみたい。

彼は、オーストラリアの漫画家でテレビ・タレント。

当時は知らなかったけれど、歌詞はちょっと曰く付き、らしい。

アボリジニに対する人種差別や、笑えないブラック・ユーモアに満ちたもの。

曲を聞いていると決してそんな感じには思えないのですが・・・。

オーストラリアへ行って知ったかぶりして、この歌を歌わない方が良さそうですよ。

CSで見る昔のドラマのように、

“この作品は46年以上も前に制作されたもので、

 現在では不適切な表現が含まれている場合があります。

 当時の制作意図・作品性を考慮し、オリジナルのままお送りいたしました。”

なんていう注釈が必要になりそうです。

オーストラリアに行った時は、ビージーズやメン・アット・ワークやエア・サプライ、

オリビア・ニュートン・ジョンやカイリー・ミノーグの歌を歌うことをお薦めします。

img1128 img1129
img1125

若い頃はお昼近くまで眠っていたものである。

特に、雨の日曜日ともなれば、起きる気なんてしなかった。

ああそれなのにそれなのに、

最近ときたら、5時過ぎに目が覚めてしまう朝がある。

ラジオで宗教番組をきくのも重すぎるし、

ましてや起きてしまうのももったいない。

そんな時こそチャ~ンス!

まだ聴いていないCDや手に入れたばかりのLPをかける。

それも、おとなしめのソフト・ハーモニー・グループがいい。

最近のお気に入りは、フリートウッズやテディ・ベアーズ。

フリートウッズは、もう一度眠りにつくには最適である。

59年4月全米1位のデビュー曲「Come Softly To Me」、邦題「やさしくしてね」と、

同じく59年11月の全米1位「ミスター・ブルー」のゴールデン・カップリング。

先日は、彼らのベスト盤CD『Mr.Blue』を聴きながら心地よい眠りについた。

体験したことのない古き良き時代の雰囲気を楽しみながら・・・。

もうひとつのお気に入り、テディ・ベアーズについてはまたの機会に。

img1126
img1122

今夜のアンサーソングは日本編。

松平ケメ子の「私がケメ子よ」、この気をてらったアンサーソングはオリコン44位。

松平ケメ子、本名中島信子、昭和24年生まれ、島根県出身、155cm43kg。

出しておいて申し訳ありませんが、ボクにとっては音楽的価値はなし。

ボクが好きなのは、原曲の方。

この原曲、“オリジナル盤”は68年2月1日にリリースしたダーツ「ケメ子の歌」、オリコン2位。

“本命盤”は68年1月25日にリリースしたジャイアンツ「ケメ子の唄」、オリコン6位。

メロディは同じだけれど、歌詞は微妙に異なり、アレンジは大いに違う。

ちなみに、ダーツは京都、ジャイアンツは東京のグループ。

ボクが圧倒的に支持するのは、ダーツの「ケメ子の歌」。

理由はただふたつ、

♪~デュワパーパー ポリューバッシダンダン~♪

ニール・セダカの「かわいいあの娘」のナンセンス・シラブルが使われているから。

そして、高校2年生の秋、発売前に『ヤングタウン』で聴いたことがあったから。

img1123 img1124 img046
img334

今日初めてボクのプログを観ていただく方には説明が必要ですね。

シリア・ポーラー、っていうのは化粧品ではありません。

愛するシリア・ポールさんのマニアの人たちのことなのです。

今年の8月に続いての、

シリアさんのアルバム『夢で逢えたら』のカバー曲の原曲を紹介するシリーズの2回目。

今日の1曲目は、62年全米45位「悲しきクラウン」のB面、

ニール・セダカの「二人の並木径」、

シリアさんのアルバムでは、原題通り「Walk With Me」。

この曲のニールの声は、女性かと聞き間違うような趣で、

大瀧プロデューサーの選曲センスに感心するばかりです。

そして、二枚目はボク!

いつもの定番ギャグを一発かましたところで、今日のハイライト!

「Cha Cha Charming」。

エリー・ゲイ、あのエリー・グリニッチの歌手としてのデビュー曲、

この長年探し続けていたレコードも、eBayでの収穫。

可愛い声で歌うシリアさんと、独特の魅力的なダミ声のエリーさん。

ボクにはとても大切な1枚なのです。

最後は、シリア・ポーラーの憎まれ役?吉田美奈子さん、

ボクたちは、「夢で逢えたら」はシリアさんのための曲だと信じて疑わないのですが、

(07年8月にこの曲のことを書いています)

吉田美奈子さんがこの曲を最初にリリースしたことは間違いのない事実です。

シリア・ポーラー一同は、

「夢で逢えたら」のオリジナルは吉田美奈子だ、と言われることが一番つらいのです。

事実は認めるのですが・・・、グスン。

img1120 img1121
img1117

1964年8月から69年12月までの5年4ヵ月の間に12曲のNo.1ヒットを持つ、

“最高の者たち”、シュープリームス。

ビルボードの資料によると、

59年、デトロイトで育った4人の女の子たちはプライメッツとして初めて仕事にありついた。

紆余曲折を経て、64年、ダイアナ、マリー、フローレンスの3人になった彼女たちは、

「愛はどこへ行ったの(Where Did Our Love Go)」をレコーディングしたけれど、

それまでにリリースした8枚のシングルはヒットしなかったし、

この曲でさえ、マーベレッツがレコーディングを拒否した曲だったため、

不満タラタラであった、という。

そんな曲が、グループにとって初めてのNo.1となり、以後の成功の口火となるのである。

これだから世の中はわからない、他人の言うことは聞いてみるものである。

2曲目のNo.1は、「ベビー・ラブ」、12曲の内最も長くその地位を継続した(4週)曲である。

前代未聞の5曲連続ナンバー1シングルを出した彼女たちであったが、

次の「悲しみがいっぱい」でつまづいた、まさに悲しみがいっぱい!だったのである。

しかし、65年11月、「ひとりぼっちのシンフォニー」でNo.1に戻ってきた。

そのキュートなコーラス、抑えた歌い方、ユニークなハーモニー、

新しいシュープリームス・スタイルであった、とボクは思う。

最後に、最近手に入れたシュープリームスTシャツを自慢して、この物語は一旦お開き。

img1118 img1119 ts4
img1115

日本では、万葉の時代から“返歌”というオシャレな慣習があった。

アメリカン・ポップスの世界にも、60年代初頭をピークに、

多くの“アンサーソング”がリリースされた。

ボクのブログでも、既に何曲か有名なものを紹介したけれど、

このアンサーソングの存在には条件があるのです。

まず、元歌がヒットしていること。

そうでなくては存在の意味がない。

そして、ゆとりのある時代であること。

話題性を誘ってヒットを狙う、という意図もあるのでしょうが、

基本的には“お遊び”“シャレ”なのですから、

ユーモア精神を発揮できる時代だったからこそ、なのだと思います。

そんな意味では、60年代のアメリカは“とてもいい時代”だったのでしょう。

イギリスではシングル発売さえなかったのに、65年全米No.1、

レコーディングではジミー・ペイジがギターを弾いていた、と言われている、

ハーマンズ・ハーミッツの「ミセス・ブラウンのお嬢さん」。

♪~ブラウンさん、可愛いお嬢さんをお持ちですね、

   彼女みたいに素敵な人はめったにいませんよ~♪

原題は「Mrs.Brown You’ve Got A Lovely Daughter」。

アンサーソングはふたつ、

元歌と同じリズムに乗せて、頼り無げな、けど魅力的な歌い方が心を打つ

コニー・ホリデイの「Mrs.James I’m Mrs.Brown’s Daughter」。

こちらは、なんとなく元歌らしいリズムに乗せて、歯切れよく軽快に歌いきる

シャロン・ブラックの「Mother Dear You’ve Got A Silly Daughter」。

2枚の輸入盤シングル、苦労して揃えてしまいました。

img127 img1116
img1111

63年、たったの10分で録った「ブルー・ヴェルヴェット」が全米No.1を獲得した。

ボビー・ヴィントン本人もびっくり!の出来事だったらしい。

甘くメロウな歌声の“Mr.Blue”ボビー・ヴィントンのオリジナルだと思っていた10年前、

中古レコード・セールで1枚の輸入盤を見つけた。

「BLUE VELVET」、アーティストはThe Statues(スタチューズ)。

とりあえずゲット、帰ってヤホーで調べるも全く判らず、今日に至る。

このブログに書きたくて、調べ出したら、ようやく発見。

外国のHPによると、「ブルー・ヴェルヴェット」を最初にリリースしたのは

51年、トニー・ベネットなのだそうだ。

そして、このスタチューズ盤は60年のリリース。

その他にも多くのアーティストによってリリースされている、その一覧がある。

しかも、このスタチューズとは何者?の答まであるではないか!

このグループのリード・ボーカルはゲリー・マイルズ、この名は知らないけれど、

彼は後のバズ・ケイソン、それなら知っている!

ロニーとデイトナスのロニーくんの友人で、「サンディー」の共作者で、

Buzz&Bucky名義で「Tiger-A-Go-Go」をも出している。

昔判らなかった情報がある、ネットの進化と、マニアックな人の存在を実感。

本当に素敵な、恐ろしい世の中でもある。

「ブルー・ヴェルヴェット」、55年のクローヴァーズ盤も聴き比べたけれど、

あらためてボビー・ヴィントンの魅力を確認できた今夜のボクです。

img1112 img1113 img1114
img1107

62年、フォー・コインズの♪~スカッとさわやか~♪以来、

ボクを毎年楽しませてくれたコカ・コーラのCM。

今では『コカ・コーラCMソング集』としていくつかのコンピCDも出ているけれど、

これらをコレクションする趣味はない。

今夜は、Cokeにまつわる、ボクのお気に入りのレコードのことを聞いてください。

まず最高に好きな1枚は、今は亡き大ちゃんさんの「I FEEL COKE」。

ブルコメ時代は井上忠夫、だったのですが、いつの頃からは井上大輔に。

この曲、87年は佐藤竹善、88年は上田正樹、89年は中村耕一、

89年は佐藤竹善&CandeeとJAY-WALKでCM化された名曲。

大ちゃんさんがセルフ・カバーしたのは88年、もちろんCMとしては未使用、

美しく、さわやかに、サーカスっぽいおしゃれな仕上がりです。

2枚目はボク!、そんなギャグはさておいて、

2枚目は、83年、楽曲としても約27万枚売り上げた早見優の「夏色のナンシー」。

♪~恋かなー Yes! 恋じゃないー Yes!~♪

いったいどっちじゃ~、という優ちゃんの代表曲、83年のイメージ・ソングです。

もう一枚は、CMソングではなく、81年のプレゼント・キャンペーン用のレコード。

Junko Mihara、三原順子「いとしのサマーボーイ」。

ピクチャー・レコードの片面プレスで、裏面には三原順子の写真とサイン。

NOT FOR SALE、市販品じゃないのに、中古店には珍しくないのはなぜ?

いくらでも手に入ります。

ブロクを書いていて、コカ・コーラのCM特集のコンピが欲しくなってきたボクなのであります。

img1108 img1109 img1110
img1104

中学生の頃、外国のテレビ・ドラマに憧れがあった。

奈良の田舎の少年は、東京や都会に憧れはなかったけれど、

アメリカの見たこともない生活グッズや、一見キザな会話に憧れをもっていた。

文献によると、『陽気なネルソン』は60年から2年間NHKでの放送だったらしいけれど、

ボクが見ていたのは、民放で、63~64年頃だったと思うから、

再放送か、まだまだ続いていたのか、よくわからない。

リッキー・ネルソンはメチャクチャかっこよかった。

58年に新チャートになって初めてのNo.1アーティストになった彼は、

61年、「トラブリン・マン」で2度目にして最後のNo.1を獲得する。

“港港に女が居る”という内容の歌を、爽やかに、さらりと歌ってしまった。

メキシコ、アラスカ、ベルリン、香港、ワイキキが歌詞の中に出てくる。

カップリング曲の、ジーン・ピットニーの「ハロー!メリー・ルウ」も

全米最高位9位と、両面ヒットを記録。

この両面ヒットが、リッキーの日本での成功を決定づけたのである。

すぐ後にリリースした、恋人を星に例えて歌った「ラッキー・スター」は

日本でのみのヒット曲となった。

ボクはその後、『陽気なネルソン』以前の彼に出会うこととなる。

映画『リオ・ブラボー』で、若き早撃ちガンマンとして登場、

ディーン・マーティンは、彼の弾くギターを伴奏に「ライフルと愛馬」を歌う。

今なら、ジョン・ウェインもマーティンもものすごくカッコいいと思えるだろうけれど、

その頃のボクはリッキーばかり見ていた。

リッキー・ネルソンは、今もボクの憧れのアイドルである。

img1105 img1106
img1101

64年、ビートルズ旋風の合い間をかいくぐり、

2週間、ビルボードNo.1の座にとどまったメリー・ウェルズの「マイ・ガイ」。

メリー・ウェルズは、モータウンで最初にレコーディングしたアーティストで、

スモーキー・ロビンソンが曲を書きプロデュースした初めてのアーティストで、

モータウンに最初のトップ10ヒットをもたらしたアーティストで、

最初のナンバー1ソングをもたらしたアーティストであった。

その上、モータウンを最初に離れることになったアーティストでもある。

「My Guy」の“ガイ”は、男、青年、奴、なとどという単語で、

68年にもう1曲、「ディス・ガイ」、原題「This Guy’s In Love With You」という

4週間もビルボードNo.1の座に居座ったヒット・ソングがある。

作者はハル・デヴィッド-バート・バカラック、歌ったのはハーブ・アルパート、

レコード会社はアルパートのA&M、

そのいずれにとっても、最初のNo.1ソングであった。

日本にも、“ガイ”たちが居る。

“ボス”石原裕次郎の日活時代のニックネームは“タフガイ”、

あろうことか、二谷英明は“ダンプガイ”、

そして、背中にギターを背負って馬で草原を行く小林旭は“マイトガイ”。

今日の最後の1曲は、マイトガイ歌う、ナイアガラ・ソング「熱き心に」。

作曲はもちろん“マニアックガイ“大瀧詠一、珍しく、作詞は“マスターガイ”阿久悠。

“初めて物語”のはずが、いつの間にか“ガイの特集”になってしまったようです。

img1102 img1103
img1098

ビートルズのTシャツを紹介しよう、と思い立って、頭に浮かんだメロディ、

♪~横じまTシャツをまねして あの人のことが好きよ~♪

天地真理、74年の「恋と海とTシャツと」。

全然脈絡が遇わないと思うけれど、頭に浮かんだのだから仕方ない。

というわけで、

ボクの持っているアーティストTシャツの中で

最もたくさんあるのが、やっぱりビートルズ。

その中でも、一番気に入っているのが、ネイビー・ブルーのこの1枚。

ビートルズのシングル・レコード・ジャケットの中でも出色の

「のっぽのサリー」のジャケット写真をフィーチャーしたもの。

2年前の冬、マンハッタンのお土産屋さんで見つけた1枚です。

アメリカのLサイズは、日本のXLより少し大きい。

背中のネーム・タグは、首筋に当って痒くなるから、買ったらすぐに切るのですよ。

好きなTシャツほど、洗濯回数を少なくしたいから着る機会が少ない。

そんなことを思いながら、レコードに針を落としています。

「のっぽのサリー」、原題「Long Tall Sally」は、

みんなが知っているロックンロール・スタンダード。

56年全米旧チャート13位、R&BチャートではもちろんNo.1、

“The True King Of Rock‘N’Roll”リトル・リチャードの名曲。

57年リリース盤と同じ、「トッティ・フルッティ」とのカップリングのピクチャー盤を持ってます。

ビートルズのTシャツ、あと数枚はまたの機会に。

img1099 ts3 img1100
img1094

少し寒くなりましたね。

夏場は“カラスの行水”、ゆっくりと湯船につかる、なんてことはなかったのですが、

これからはお湯の中で手足を伸ばして・・・の季節です。

何年か前までは、そんな時の定番ソングは「フィヨルドの少女」でした。

♪~氷河がきらめいてる 夜明けの色をちりばめて~♪

お風呂の中っていいですね、実力以上に上手に聞こえる。

ときどきは、大滝さんも歌っていない“コブシ”をちりばめたりもして・・・。

暖かいお湯の中で、北欧の寒々とした風景の歌を歌う、オツなものです。

このシングルのもう一方の面は、「バチュラー・ガール」。

そう、稲垣潤一さんのヒット曲のセルフ・カバー、もしかしたらオリジナルかも。

どちらが先かは調べないとわかりませんが、

松本隆・大瀧詠一の名曲です。

稲垣さんのスタイルはJ-POP調の稲垣節で、

大滝さんのボーカルは北欧調の大滝節。

もちろん、ボクの好みは・・・。

「バチュラー・ガール」のことを書くと、「バチュラー・ボーイ」も外せません。

クリフ・リチャードの主演映画『太陽と遊ぼう』の挿入歌、

このシングルを買った頃は、このおとなしいタッチのクリフは好きではなかったのですが、

今聴くと、とてもすばらしく思えるから、

歳を経ることの価値をこんなことで感じるというのも趣のあるものです。

ともあれ、今夜久しぶりの「フィヨルドの少女」はあまり上手く歌えませんでした。

毎日お風呂で練習しなくては!のボクなのでした。

img1095 img1096 img1097
img1091

元“遠藤の嫁”似のイラスト・ジャケットは、ロバート・ジョンの「シェリー」。

この名前をふたつ並べたようなアーティストの本名は、ロバート・ジョン・ペドリック・ジュニア。

72年に「ライオンは寝ている」のカバーで全米3位を記録した柳の下のドジョウ狙いも、

80年全米70位という次第。

もちろん、オリジナルは、62年全米No.1のフォーシーズンズ。

この「シェリー」のアンサーソングは、トレーシー・デイ歌う「ジェリー」、

原題は「Jerry(I’m Your Sherry)」。

赤いドレスのよく似合うシェリーをツイスト・パーティに誘い出したのは、

ジェリー君だった、という次第。

この曲も、「シェリー」の作者、ボブ・ゴーディオの作、

しかも、「シェリー」と同じヴィー・ジェイ・レーベルからのリリースですから、

公認のアンサーソングなのです。

もちろん「ジェリー」もステキなのですが、

トレーシー・デイ嬢の大好きなもう1枚は、

「Gonna’Get Along Without You Now」。

コレクションの連鎖はまだまだ続く。

img092 img1092 img1093