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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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GS史上最もミリタリー・ルックの似合う奴は、ジャガーズの岡本信さんだと思う。

彼らの2曲目、67年「ダンシング・ロンリー・ナイト」は画期的な曲。

まず、イントロのファズ・トーンがすごい、

カップスのエディ藩から借りたファズを取ってつけたように使った、という。

でも、このイントロで“つかみはOK!”、ズキュ~ンとやられてしまう。

そして、この曲の作詞は、伝説の作詞家、漣健児さん、

B面の「若いあした」の作詞は星加ルミ子さん、という『ミュージック・ライフ』勢。

とにかく威勢のいいカッコイイ曲である。

ジャガーズのデビュー曲は、

♪~若さゆえ 苦しみ、若さゆえ 悩み~♪の名作、「君に会いたい」。

岡本信さんの横っ飛びが忘れられない。

3曲目は、橋本・筒美のゴールデン・コンビ作の「マドモアゼル・ブルース」。

決して、ブルースではなかった。

そして、派手に脚光を浴びた4曲目こそは、

マラカスやコンガを使った、デイブ・ディー・グループのカバー、「キサナドーの伝説」。

ムチを使うステージ・アクションで盛り上がりを見せた。

この曲、本来はB面、今夜はダブル・ジャケットの本来サイドをアップしました。

ミリタリー・ルックが最高に似合う岡本信さんは昨年4月に逝った。

今のボクと同い年だったのです。

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高校生の頃、ボクが欠かさず愛読していた『ミュージック・ライフ』誌で、

キャッシュ・ボックスではNo.1になったのに、ビルボードでは2位止まりだったことを憶えている。

♪~サニー~♪と、呼びかけるように愛を歌う美しい曲、

シンガー・ソングライターのボビー・ヘブは、

たった1曲で世界中の誰もが忘れられない人となった。

66年8月の大ヒット曲である。

実はこの曲、恋人への愛を歌ったものではなく、亡くなったお兄さんへ捧げた曲だという。

サニー、と言えば、一般の日本人はきっとクルマを連想すると思う。

関西人のボクには、サニーと言えば桂三枝のこと。あえて“師匠”とか“さん”は付けない。

『ヤンタン』時代、彼は師匠でもスターでもなく、身近な仲間感覚だったから。

彼は歌手じゃないからレコードはない、って思っていたら、2枚あった。

“ひと目逢ったその日から”“恋の花咲くこともある”

“見知らぬ貴女と”“見知らぬ貴男に”“デートを取り持つ”“パンチDEデート!”

75年、桂三枝&西川きよしの「ひと目逢ったその日から」。

そして、現在も続いている『新婚さんいらっしゃい』の

4代目アシスタント片平なぎさとのデュエット、84年「幸せにキッスしたら」。

またまた横道に逸れてしまいましたが、

世界中で、ポップスやジャズやソウルにアレンジされて、多くの人にカバーされた「サニー」、

最後は、ソニーとシェールのシェールのカバー「サニーは恋人」を聴いて御開きです。

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07年10月27日のブログで書いたビージーズの松山公演、

1989年12月7日、愛媛県民文化会館。

この年の9月30日全米最高位7位の「One」を引っさげての来日。

待望のシングル盤を探して20年、国内盤には出合うことができなかったけれど、

eBayを始めて、簡単にピックスリーヴ付の輸入盤をゲットしました。

レコード自体、そんなにレアなものではなく、

曲自体もボクが特別に好きな部類でもない。

しかし、思い出の曲としては、最高レベルのシングル盤なのです。

だって、あの、あのビージーズが、松山に来たんですよ!

そして、その時に買って、毎夏1回は必ず着るTシャツもアップします。

なんと20年間も大切に着ているのですから、これは貴重です。

レコードのブログとしてはちょっと寂しいので、もう1枚紹介します。

彼らが今日の成功を手に入れる少し前、

オーストラリアからイギリスに帰国する船上で、

この歌のオーストラリアで初の1位獲得を知った。

67年1月の「スピックス・アンド・スペックス」。

4ヵ月後にはイギリスで、半年後にはアメリカでブレイクすることを予兆させる

ビージーズ独特の、素朴で美しいメロディをもった曲である。

皆が知っている彼らの英米の成功物語は次の機会に、つづく・・・。

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61年、コニー・フランシスの「Pretty Little Baby」は、

邦題「かわいいベイビー」で大ヒットしたけれど、

アメリカではシングル・カットされていない、いわば日本独自のヒット曲である。

♪~ Pretty little baby,yah yah ~♪ は、

日本語盤では、♪~ かわいいベイビー、ハイ ハイ ~♪ となり、

大滝理論によると、この“ハイ ハイ”が日本でヒットした最大要因、ということになる。

大好きな作詞家(訳詞家でない)、漣健児氏の大ヒットである。

baby、赤ちゃん、だから、ハイハイ!というのは戯言ですが、

この曲のbabyは、赤ちゃんのことではなく、女の子、いわゆるかわい子ちゃんのこと、

“イカスぜ!ベイビー”のベイビー、なのである。

第一、日本語表記では、赤ちゃんのことはベビーと書く、

などと、屁理屈をこねていたら、

62年、16歳の中尾ミエのカバー・バージョンのタイトルは、「可愛いいベビー」だった。

この時点で、早くもボクの理論はもろくも崩れ去ったのです。

カバーがもう1枚、5歳の後藤久美子ちゃんの「かわいいベイビー」、

“おまえがベビーやろ!”、そんなツッコミが聞こえてきそうである。

こちらは、コニー盤と同じ、

A面「大人になりたい」、B面「かわいいベイビー」のカップリング。

また横道です、

「大人になりたい」の原題は「Too Many Rules」、61年全米72位ですが、

すばらしい日本語のタイトル、素敵なネーミング・センスですね。

やっぱり、漣健児氏の大ヒットなのです。

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今日は、ブログを始めてから3回目のボクの誕生日でした。

もう誕生日がうれしい年齢でもないのですが、

家内と娘夫婦と先日生まれたばかりの初孫と、久しぶりの大勢の誕生日です。

と、思い出すのは子供の頃の誕生日のこと。

はっきりは憶えていないけれど、誕生日になるとケーキではなくバナナを食べていたような。

入院した人へのお見舞いだって、その主役はバナナだったものだ。

今の主役は断然メロンである。

バナナはその地位を剥奪され、コンビニにだって売っているし、

チンパンジーだって毎日食べている。(違うか!)

果物の王様といったらドリアン、女王様はマンゴスチンらしいけれど、

そんなものは生まれてからそう何度も食べていないし、そんなに食べたいとも思わない。

バナナが全盛を極めていた60年に、

森山加代子の「メロンの気持」はヒットした。

今でも、メロンというと、

♪~コラソン デメロン デメ ロンメロンメロンメロンメ ロン~♪

ってフレーズが浮かんでくる。

なのに、その頃、メロンなんて食べたことがなかった。

そして、今でも、結構高価で、日常的な果物ではない。

そんなことを考えながら、この歌を聴いている。

そして、オリジナルというわけではないけれど、

ローズマリー・クルーニーの英詩版「メロンの心」も久しぶりに聴いてみた。

さて、もう一度森山加代子を聴いて、誕生日の夜は更けてゆくのです。

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心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も、相手の胸に響かない。

いいコピーです。

広告屋になった時から、コピーを書く時の座右の銘のひとつです。

ボクの高校時代から今日に至るまで、毎朝5時台になるとラジオで流れる聖パウロの言葉。

ここ20年程は、このコピーを聞くとボクの頭に「心の愛」が流れる。

「I Just Called To Say I Love You」、

84年ビルボートNo.1、スティービー・ワンダーの世界的大ヒット曲である。

実はこの曲、本来はブレッド&バターがロンドンでのレコーディング中に

スティービーにプレゼントされたもの、って知ってましたか?

84年ブレッド&バターの「特別な気持ちで」のライナー・ノーツによると、

なんとその時、幸矢さんはスティービーとスティーヴン・スティルスの3人で歌ったという。

幸か不幸か、スティービーのセルフカバーが大ヒット、

その後、ユーミンの日本語詩、細野さんのアレンジでリリースしたのが

このレコードだという。

ハーモニーが素敵な兄弟デュオ、ブレッド&バターをボクが初めて知ったのは

71年、タイガース解散後のシローとの「野生の馬」だった。

“ブレッド&バター”という言葉を初めて知ったのは、歌のタイトルで。

64年全米2位「ブレッド&バター」、

ナッシュビルのポップ・ボーカル・トリオ、ニュービーツのヒット曲。

このトリオの中のふたりはやっぱり兄弟。

もしかしたら・・・。

現在も活躍中のブレッド&バターのおふたりに

彼らのグルーブ名の由来を聞いてみたいと思う。

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国内盤シングルの宝庫はAMラジオ局のレコード室。

最近の放送局の多くはCD化、デジタル化してくるものですから、

場所をとるレコードの存在が次第に邪魔になり、中古店に放出される。

そんなレコードは、ジャケットの裏面にセロテープの痕が残っているからすぐに判ります。

これは、パーソナリティがライナー・ノーツや歌詞を読みやすくなるように

裏返してスリーヴ(レコード袋)と固定するからなのです。

09年5月11日に輸入盤を紹介した「オンリー・ザ・ロンリー」もそんな1枚です。

このジャケットは見開きだったようですが、あいにく歌詞の入った面がありませんでした。

というわけで、ゴールデン・カップリング盤も買ってしまいました。

2枚目は、09年11月18日に輸入盤を紹介した「愛はどこへ行ったの」。

一般的に言うと、60年代前半のモータウンの国内盤シングルはものすごく手に入りにくい。

たぶん日本ではあまり売れなかったからか、レコード会社の関係か、

コレクター泣かせなのです。

そして今日の最後は、ビーチ・ボーイズの「サーフィン・U.S.A.」。

09年9月25日に再発シングルを紹介しましたが、ようやく初回盤をゲットしました。

お金さえ出せばオークションで手に入るのですが、

そこはコレクターの良心、許せる価格でしか買いません。

音を聴くのはCDやLPや再発盤で、

これらの国内初回盤シングルは、いわばボクの精神安定剤なのです。

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ボクのシングル・レコード・コレクションのポリシーについて、

07年10月26日に書いたのですが、

レコード・ジャケットのある国内盤を手に入れることが、コレクションの最終形です。

時々は、輸入盤やコンパクト盤でこのブログに紹介済みの楽曲の

国内盤シングルを入手したことを報告してゆきたいと思います。

まずは、その07年10月26日に紹介した、エンジェルス「あたしのボーイ・フレンド」。

エンジェルスは、元々はバックコーラス・グループとしてスタート。

このヒット以降はフォー・シーズンズのツアー・メンバーとして人気を博しました。

他に、ボクの好きな2曲の輸入盤があります。

「I Adore Him」、邦題「あこがれの彼」と、

「Wow Wow Wee」、こちらは64年全米11位。

前者はドリーミーな、後者はアップ・テンポな、どちらも素敵なガールズ・ポップスです。

さて、待望の国内盤シングル、もう1枚は・・・

09年8月2日に紹介した、マーメイズ「恋のドライブ・イン」。

高崎一郎さんのライナー・ノーツもおしゃれです。

ちょうどこの頃、日本の青年がヨットで太平洋横断に成功した、

そのヨットの名前がマーメイド号だったことを紹介し、

このレコードによって逆にアメリカからやってきたのが、このマーメイズで、

おだやかな波のように優しい歌を聞かせてくれます・・・。

こんなライナー・ノーツも国内盤の楽しみのひとつです。

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記録に残る王選手と、記憶に残る長嶋選手。

そんなことを語ろうというのではありません。

ブログを書いていると、

記録に頼るデータと、記憶に頼る思い出を使い分ける必要に迫られます。

ヒットチャートの順位は蔵書とネットに頼ります。

自分史については記憶に頼るしかないのですが、83年以降は記録に頼ることもできます。

というのは、いつ、どこへ行ったのか、何をしていたのか、を記録した日報が残っています。

もちろん仕事用なのですが、

誰々のコンサートに行ったのは何年何月何日かは、この手帳を紐解けば確認できます。

というわけで、

ボクが広島勤務の時代からほとんど毎週欠かさず聴いている

山下達郎の『サンデー・ソングブック』が始まったのはいつか?

ネットで確認したところ、

1992年10月3日(土)『サタデー・ソングブック』としてスタート。

その日のボクは、前日の大阪出張から実家のある松山空港に帰り、

松山の紳士服店で印刷物の打合せをした、との表記がある。

だから、この日はきっと聴いていなかったと思う。

今夜のレコードは、今年のサンソンの新春放談の話題から、

大滝さんが90年代に作った2曲のうちの1曲、97年「幸せな結末」と、

2000年代に作った唯一の「恋するふたり」(03年)のカップリングの

07年発売のアナログ・シングル限定盤。

90年以降たったの3曲しかオリジナルを出していないのに、

多くのナイアガラーを虜にする大滝さんの存在感にあらためて感心する。

彼は、記録にも記憶にも残るパフォーマーだと思う。

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今日は、理由(わけ)あって、とてもめでたい日です。

というわけで、引っ張り出したのは、

♪~おめでとう お祝いしよう 君が僕を愛してるって皆に言いたいんだ

  おめでとう 喜び合おう 僕が幸せだってことを世界中に知って欲しいんだ~♪

と繰り返し歌う、68年全英No.1、クリフ・リチャード「コングラチュレーションズ」。

60年代前半のクリフが大好きなボクにとっては

ちょっとダサイと思っていた曲だけど、

英語が簡単で、覚えやすくて、歌いやすくて、

英語が苦手な人にでも、その喜びが十分に伝わってくる、

すごく幸せな気分にしてくれるナンバーである。

クリフって、本当にすごいシンガーなんですよ。

イギリスでは、ビートルズよりも、プレスリーよりもレコードを売った人。

58年に「ムーヴ・イット」で全英2位になって以来、

なんと08年の全英3位獲得まで、50年間に亘って第一線で活躍、

全英No.1を14曲、トップ10ヒットを61曲も持っている。

この機会にあらためて感心してしまった次第。

同名異曲の「コングラチュレーション」は、邦題「なみだの慕情」。

リッキー・ネルソン、64年全米63位のヒット曲。

こちらは、彼女を奪った友達に、“おめでとう、僕の替わりに彼女を幸せにしてね”

という、なんともせつない歌。

最後は、クリフ69年の来日記念盤「しあわせの朝」。

“とにかく朝は気持ちいいよ”と歌うハッピーソングでお口直し、

幸せな気分のまま、今夜はおやすみなさい、なのです。

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キング&ゴフィン、マン&ウェイル、バリー&グリニッチなど、

ブリル・ビルディングの名コンビの作品が大好きなボクですが、

彼らの作品だとは知らないで好きになった曲がある。

66年全米4位、ポール・リヴィアとレイダースの「キックス」。

南北戦争時代の軍服をユニフォームにした彼らには、

ミリタリー・ルックをユニフォームにしていた日本のGSと似た雰囲気が漂う。

この「キックス」は、バリー・マンとシンシア・ウェイルの作品、

とはいえ、いつもの彼らの作品とは多少毛色が違った感じのロックンロール・ナンバー。

ボクがこの曲を知ったのは、高校1年生の秋、

テレビで新人GSのタイガースが演奏したのを見た時。

イントロのギター・リフが印象的なノリのいい曲で、多少黒っぽくとてもカッコよかった。

次の日、バンド活動をしていたクラス・メイトがこのオリジナルを教えてくれた。

高校生の頃はGSブームで、

音痴なボクはバンドなんてできないけれど、

長髪に編上げブーツというスタイルと、解説と評論の担当。

ビジュアルから入るタイプ、知識から入るタイプ、は今も変わらない。

さて、タイガースは、そのテレビ出演から少しして、

67年になってまもなく、「僕のマリー」でデビューした。

テレビで見たイメージと違って、歌謡曲っぽいバラードでガッカリしたのを覚えている。

いつのまにか、いつものように、思い出話が花咲くボクなのであります。

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ダニエルとメロディ、ポールとミッシェル、

一体何のことやら?判りましたか?

71年に公開された映画の主人公の名前なのです。

両方とも、少年少女の恋と結婚を描いた問題作(?)、

ボクは両方とも続けて観たのですが、

映画の内容よりも全編を流れる音楽に魅せられてしまいました。

後に見た方が、ポールとミッシェルの『フレンズ』。

主題歌はエルトン・ジョン、この映画で彼のことを初めて知ったのです。

主題歌「フレンズ」は71年全米34位、

その前に出した「僕の歌は君の歌」は全米8位。

この2曲が入ったお得なコンパクト盤を買ったのでした。

そして、このレコードに入っていた「イエス・イッツ・ミー」が最も好きな歌になった。

前に紹介した73年の全米No.1「クロコダイル・ロック」、

そして、同年の年末の全米2位「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」で

ボクのエルトン・ジョンはすべて終了。

またまた、話は横道でしたが、もうひとつの映画のお話。

ダニエルとメロディは、もちろん「小さな恋のメロディ」、

この映画とビージーズの「メロディ・フェア」は今でも多くの人が大好きなのですが、

映画も主題歌も、なんと日本でのみのヒット作品。

だから、マーク・レスターくんもトレーシー・ハイドちゃんも日本では大スター、

「メロディ・フェア」も日本ではビージーズの代表曲、なのです。

サンリオのディアダニエルやマイメロディも、この辺からのネーミング?

ちなみに、映画挿入歌の「若葉のころ」は69年全米37位のヒット曲、

原題は「First Of May」、今も変わらぬ5月の定番曲です。

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オークションに、あるキーワードの商品が新たに出品されると

ボクのところにメールで知らせてくれる、

そんな機能を、ヤフーでは“アラート登録する”と言います。

Aleatは、コンピューター用語では警告画面のことだそうですが、

こちらは、待ちに待ったうれしいお知らせなのです。

同じ機能はeBayにもあります。

こちらは“Save this search”と言います。

eBayを始めた頃に“Judy Thomas”で検索をかけておいたのですが

12月になってようやく、うれしいお知らせが届きました。

キング&ゴフィンに、ニール・セダカの相棒ハワード・グリーンフィールドを加えた

ゴールデン・トリオの合作「ウェルカム・ホーム」、待望のゲットです。

その上、円高の恩恵もあって、僅か1,372円。

バック・コーラスにメリー・メロディ・シンガーズを従えた

カントリー・タッチのポップス・ナンバーである。

ついでに、前から持っているキング&ゴフィンのクッキーズ作品を2枚。

まずは、ビートルズがデビュー・アルパムでカバーした(リード・ボーカルはジョージ)

ことでも有名な、62年全米17位、「チェインズ」。

もう1枚は、63年全米72位、「ウィル・パワー」。

こちらは何処から聴いてもキャロル・キング一連のヒット路線の作りです。

クッキーズのことは、ボクのブログに再々登場しているので、今夜は割愛します。

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ニール・セダカの代表曲は?って質問に、

「悲しき慕情」!って答える人はほとんどいない、と思う。

62年、ニールの初めての全米No.1曲だというのに・・・である。

Why?それはなぜ?なんだろうか。

ボクが思うに、

“慕情”という言葉に対する、日本人のマインド・シェアの多くは、

映画のタイトル・イメージにあるから、ではないだろうか。

あの、ジェニファー・ジョーンズとウィリアム・ホールデンの

香港を舞台にした悲恋映画である。

「悲しき慕情」は、そのメロドラマのイメージとは似つかない陽気なポップス。

♪~ トゥルル ダンドゥビ ドゥダンダン カマカマ・・・♪

レコーディング前夜に突然思いついたという、陽気なシラブルの

ゴキゲンな、ゴキゲンなオールディーズ・ポップスである。

曲を聴いたら、誰もが(ボクの世代の人なら)知っているし、

ニール・セダカの曲、ってことまでは判るけれど、

タイトルが出てこない、まだボケるのには少し早すぎるというのに・・・である。

76年にこの曲をカバーしたのはカーペンターズ。

65年に、♪~ダンドゥビ ドゥダンダン オォオォ~♪と

とてもとても可愛い歌声を聴かせてくれたのはジャン・タンジー嬢、

ニール・ダイアモンド作の「ザット・ニュー・ボーイ・イン・タウン」。

全然関係ないけれど、63年に「青い慕情」をリリースしたのは

「悲しき少年兵」のジョニー・ディアフィールド。

なんとこの曲、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」のカバーなのである。

ああ、思いつくままの連想ゲームはここまで。

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「Crying In A Storm」、邦題を「涙の太陽」。

65年4月、日本コロンビアの洋楽部門の売れ行きを補うためにリリースされた、という。

歌うはエミー・ジャクソン、バックのスマッシュメンはスタジオ・ミュージシャン。

作詞は、R.H.River、レイコ・ホット・リバー。

エミー・ジャクソンは日本在住でラジオ関東の番組アシスタントをしていた。

作詞のホット・リバーは、そのまま直訳、湯川れい子さん。

歌詞も英語だし、洋楽扱いだったために発売価格は370円。

一ヵ月後に、歌詞を日本語にして発売したのは、青山ミチ。

こちらは邦楽なので330円。

作詞者のクレジットも、湯川れい子となっている。

この日本語版を一躍メジャーにしたのは、73年にカバーした安西マリア。

50万枚を超える大ヒット曲にしてしまった。

昔の「涙の太陽」を知っているボクたちには、

安西マリア盤での“イントロ・ドン!”で正解を出すことはとうてい無理。

歌詞もメロディも青山ミチ盤とは大きく変わらないけれど、

イントロはまったく違うアレンジで、

アレンジャーの個性が際立っている。

でもボクは昔のイントロの方を気に入っている、ということは容易に想像できるでしょう。

もうひとつ、マニアの間では、安西マリアのレコード・ジャケットは案外レアなのです。

なぜなら、日本で初めて(?)の、パンチラ・ジャケットなのです。

よ~く見ないと判らないのですが・・・。

では、この調子で、今年もよろしくお願いします。

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