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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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人生におけるツキの総和は一定である。

少なくともボクはそう思っている。

質量保存の法則ならぬ、ツキ量保存の法則。

だから、今ツイていない人はどっかでまとめてツク日が来る。

いまツキまわっている人はそのうち不運がつきまとう。

ボクは、これまでものすごくツイていたと思う。

宝くじで1億円当ったことはないけれど、どちらかといえば運のいい方だ。

だから、これ以上ラッキーが続くとは思えない、ちょっと心配・・・。

という長い前フリで紹介するのは、

デヴィッド・ゲイツの若かりし頃の「The Happiest Man Alive」。

ボクの大好きな、心ときめくティーン・ポップの1曲。

邦題は「ぼくはラッキー・ガイ」。

これまでに紹介したように、彼は、

マーメイズ「恋のドライブ・イン」や、アン・マーグレット「ヘイ、リトル・スター」、

シェリー・フェブレー「フットボール・シーズンズ・オーヴァー」、

コニー・スティーヴンス「ロスト・イン・ワンダーランド」など、

ステキな素敵なガールズ・ポッブの作者であり、

後には、ブレッドのリーダーとして成功を収めている。

そんな彼の男性歌手に提供したマイナー・チューンを見つけた。

『ライフル・マン』のマーク・マッケインこと、ジョニー・クロフォードが歌う

「The Girl Next Door」。

どこかで聞いたようなタイトルだけれど、これもまたタイトル買い大成功の1曲。

“ツキも実力のうち”なんて不遜な考えはないけれど、

これからも、“ボクはラッキー・ガイ”、なんて調子でゆきたいネ。

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高校時代、ラジオDJは心の友だちだった。

ボクたちの思いを共有してくれたし、ステキな音楽を教えてくれた。

あこがれのDJや、好きなパーソナリティがいた。

今の若者たちにとってはどうなんだろうか?

今では、DJやパーソナリティではなく、プレゼンターって呼ばせる局もある。

♪~ ミスターDJ ミスターDJ 伝えてよ・・・ ~♪

75年、あいざき進也の「恋のリクエスト」は、

好きな女の子にボクの気持ちを伝えてよ、と歌ったもの。

DJへのお願いスタイルは、アメリカではオールディーズの普遍のテーマ。

09年3月に紹介した、

61年のティナ・ロビン「Dear Mr.DJ Play It Again」、

63年、ソフォモアーズの「Play Thoes Oldies, Mr. Dee Jay」、

これらがその典型。

80年、南佳孝の「憧れのラジオ・ガール」は女性のラジオDJ讃歌。

81年、山下久美子「恋のミッドナイト・D.J.」は、

DJサイドからの思いを歌ったもの、いわばラジオ局のCMとでもいうべきもの。

2タイプのレコード・ジャケットがある。


音楽がネットでダウンロードされてしまう時代、

そんなディスク・ジョッキーの時代はもうこないのだろうか?

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ボクのコレクションの原点がジョニー・ティロットソンであることは耳にタコ?

じゃなくて、口にイカ?なのであるけれど、

先日、eBayで珍しい7インチ6曲入りの

“CADENCE LITTLE LP”なるものを見つけた。

2枚目のシングル、59年全米54位「トゥルー・トゥルー・ハッピネス」、

3枚目のシングル、60年全米42位「ホワイ・ドゥ・アイ・ラヴ・ユー・ソー」、

4枚目のシングル、60年全米57位の「アース・エンジェル」と

そのB面で全米64位「プレジング・マイ・ラヴ」、

5枚目シングル、60年全米2位、全英1位の「ポエトリー・イン・モーション」、

6枚目シングル、61年全米25位「ジミーズ・ガール」、

という、ティロットソン初期ケイデンス時代の超豪華なカップリング。

もちろん、音源はすべて持っているけれど、

このレコードのB面は特別、

「アース・エンジェル」から「ホワイ・ドゥ・・・」への曲の流れが大好きだ。

「アース・エンジェル」はオリジナルをポップスにアレンジ、

55年全米8位、ドゥワップの名曲としてR&Bチャート1位の

ペンギンズも真っ青の出来映え!

甘い声でささやきかけるスロー・バラードは彼の真骨頂なのである。

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オールディーズ好きの大滝さんと、

日本では稀有なスカイテナーの内田さんが、

ボクたちに届けてくれたおしゃれでステキな贈り物。

それが、この2枚のレコードです。

ドリフターズの「ラスト・ダンスは私に」と、ビートルズの「ヘイ・ジュード」、

81年、見事にまとめてしまった「ラストダンスはヘイジュード」。

ヴェルベッツの「夢のお月さま」の日本語カバー、

80年の「Doo-Wop! Tonight」。

しかも、「ラスト・ダンス・・・」のB面は、彼らの大ヒット曲にして、

68年オリコン最高位2位、なんとビルボードR&Bチャート48位の

「グッド・ナイト・ベイビー」の英語バージョン。

そして、「・・・Tonight」のB面は、

ファイヴ・サテンズの「イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト」の日本語カバー。

どっちも、涙ちょちょぎれるお皿です。

そして、これらの作品をフィーチャーして、

マーク・ヘイゲンとキャロル久末のゴキゲンなDJにのせた

ラジオ番組スタイルの名盤が、97年の『Doo-Wop! STATION』。

多くは語りませんが、

ブルコメの故井上大輔さん作の2曲、

「Dancing In The Moonlight」と「Endless Summer」、

これもまた聴き逃せませぬ。

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こうしてブログを書いていると、コレクションが膨らんでゆきます。

本来なら持っていなくても済んでいたアイテムでも、

まあ持っていた方がいいかな、ってな軽い気持ちで揃えたくなるのです。

こうしてボクのコレクションに新たに加わったレコードを紹介するのが、

この補填ストーリーなのです。

今夜は、08年3月12日と14日に続けて紹介したサーチャーズ関連。

まだ道後温泉本館には入っていませんが、

「ピンと針」の国内盤は買ってしまいました。

65年発売、「イッツ・イン・ハー・キッス」のB面として、

「ピンと釘」ではなく、今では当たり前となったタイトル「ピンと針」として、

初めて発売されたサーチャーズ日本独自のカップリングです。

そして、63年全英1位デビュー・シングル「Sweets For My Sweet」の

サーチャーズ、アメリカ発売の輸入盤と、

そのオリジナルは、

61年全米16位、ルディ・ルイスをボーカルに迎えてのドリフターズ盤。

65年全米3位「Love Potion Number Nine」のオリジナルは、

59年全米23位、クローヴァーズの最後のヒット曲。

両方とも、あらためて聴くと妙に新鮮さを感じてしまいます。

特に、「Love Potion #9」は、ものすごくステキです。

サーチャーズに限ったことではないのですが、

イギリスのグループのカバー選曲のセンスとそのアレンジのすばらしさに、

比類なき才能を確認してしまう、楽しい夜です。

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カバー・バージョンの時代の最大のスターは、ダニー飯田とパラダイス・キングだと思う。

53年、ダニーさんは、大橋節夫とハニー・アイランダースから19歳で独立、

パラダイス・ハーモニーを経て、56年頃にパラキンを結成。

スチール・ギターの名手ダニー・クワナにあやかってダニーを芸名にした、という。

ハワイアンからロックンロールに転じたのは58頃、

当時は水原弘さんもメンバーだった。

ロックンロール・カバーで人気者になったのは60年頃、坂本九をフィーチャーしてから。

彼が独立してからは、九重佑三子、富松千代志と変遷するけれど、

メンバーの中にも、佐野修、石川進、増田多夢のボーカルがいた。

パラキンのシングル盤は全部で20枚程もっているけれど、

今日はまだ紹介していない数枚を引っ張り出した。

61年3月、「九ちゃんのズンタタッタ」、青島幸男さんのオリジナル。

61年7月、九ちゃんが出たり入ったりの頃の「パラキンのスクスク」。

64年3月、九重佑三子さんが独立する直前の「僕のマシュマロちゃん」。

そして、珍しい10インチ・アルバム、

61年8月の『九ちゃんとパラキン、第2集』。

1999年、ダニーさんは65歳で亡くなる直前まで、

パラキンとしてステージに立っていた、という。

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60年夏、16歳でビルボードNo.1歌手となった彼は、

“ビキニ坊や”がキャッチフレーズになってしまった。

そして、多くの日本人が彼のことを忘れてしまった頃、

彼は、すばらしい1枚のアルバムをもってボクの前に戻ってきた。

シングル盤コレクターだったボクは、当時そのアルバムを買うことはしなかったけれど、

08年10月に紹介したように、復刻版CDとして久しぶりに出合うこととなった。

69年の『STAY AND LOVE ME ALL SUMMER』、

あまりのすばらしさを確認して、その後LPまでも買ってしまった。

ジャケット写真も、収録曲も全曲お気に入り、

すべて完璧、LP嫌いのボクにとっては本当に珍しい1枚なのである。

さて、ここに紹介したシングルは、その前年にリリースされたもの、

69年3月全米56位、「風よ、泣かないで」。

ご覧のように、ジャケット写真は、

『STAY AND LOVE ME ALL SUMMER』の一部分を使うという荒業。

こんなんでいいのかなぁ?

そして、最もお気に入りの「STAY AND LOVE ME ALL SUMMER」、

邦題「恋の歓びと哀しみ」は、69年7月全米82位、輸入盤で。

そして、日本でも再び彼の名が有名になったヒット曲は、

70年12月全米3位、「ジプシー・ウーマン」。

このシングルのプロデュースはデル・シャノンという、うれしいおまけ付き。

こうして、かつての“ビキニ坊や”は、大人のアーティストとして、

毎日ボクに至福のカーライフを約束してくれるのである。

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最近の民放はおもしろくなくなったネ、などと言いながら、

昨日『HEY!HEY!HEY!』を見ていたら、

有名人の名前がはいった名曲特集が・・・。

最初にボクの頭に浮かんだ曲はこれ!

「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」、

+は“たす”、<は“より”、と読む。

77年、榊原郁恵。

作詞の森雪之丞さんによると、

なんでも、アル・パシーノは、ちょっとニヒルに笑う、らしい。

そして、アラン・ドロンは、甘い言葉をささやく、らしい。

誰もが知っている有名人がふたりも揃ったのだから、リストは至極当然。

そして、もちろん、79年、南佳孝の「モンロー・ウォーク」。

84年オリコン1位、松田聖子の「ピンクのモーツァルト」。

と、くれば、ベートーヴェンを忘れてはいけません。

56年チャック・ベリー、64年ビートルズですが、

今日のところは、73年全米42位、全英6位の大傑作を紹介します。

エレクトリック・ライト・オーケストラ、「ロール・オーバー・ベートーヴェン」。

イントロは、交響曲第5番ハ短調作品67、通称「運命」。

一瞬、本当のオーケストラかと思いきや、

すばらしいロックンロール・グループ。

いつのまにか、繰り返し繰り返しこの曲を聴くはめになってしまった夜である。

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66年3月5日から連続5週間ビルボードNo.1を獲得したのは、

S/SGT.Barry Sadler、「The Ballad of the Green Berets」。

バリー・サドラー軍曹の「悲しき戦場」である。

Green Berets(グリーン・ベレー)は、

61年ケネディ大統領が創設した陸軍の特殊戦闘部隊。

バリー・サドラー軍曹は、

ベトナム派兵中に落とし穴に落ち、毒塗りの竹の杭で脚を突き刺し、

片足は消えない傷とともにその感覚を失った。

66年1月11日にリリースされたこの歌は、

2週間で100万枚以上を売上げ、ついにはビルボードNo.1に輝いた。

これは軍歌ではない、れっきとした反戦歌である。

ボクが中学生から高校生になる年、

世界の話題の中心はベトナム戦争一色で、

その話題性がこのヒットに結びついたことは間違いがない。

英語の歌詞が十分に伝わらないボクたちには、

ケン・サンダースのカバー、漣健児さんの歌詞が心に響いた。

♪~ 沈む夕陽が 荒野を染めて 今日も暮れゆく 悲しき戦場

   硝煙うずまく 地獄の果てに 戦友(とも)も倒れて もう帰らない  ~♪

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このブログを初めて3回目の夏、

ちょっとした驚きの現象が・・・。

YAHOOやGoogleの検索サイトに“BOTH SIDES NOW”と入力すると、

このブログが1ページ目に出てきた。

“レコードにA面とB面があるように

 すべてのものには二つの面があります。

 人生の光と影、ボクはどっちも大好きです。”

そんな思いをこめて名づけたブログ・タイトルですが、

もちろん、ジョニ・ミッチェルの歌のタイトルからの拝借です。

というわけで、記念の日には、この曲のカバーを紹介しています。

トーケンズのカバーは、

針を落とした瞬間に「ライオンは寝ている」のファルセットのフレーズから始まる。

オールディーズっぽくない新生トーケンズですが、

このアレンジは秀作だと思います。

もう1枚は、ママス&パパスのような女2男2のジョンストンズ。

こちらは、まるでスタジオ101のように、淡々と爽やかに歌ってしまいました。

これもまた、独特の味わいなのでしょう。

基本的にはオールディーズのブログなので、

BOTH SIDES NOWはちょっとイメージが違うのですが、

ボクの人生を語る、という意味ではお気に入りのタイトルです。

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ボクのコレクションの邦楽コーナーのジャンル分けは多分に主観的である。

カバー時代、青春歌謡、アイドル、ナイアガラ、GS、フォーク、・・・。

先日、その整理をしていて見つけてしまった偶然。

60年代、70年代、80年代、のそれぞれに、

“潮風”をタイトルに冠した曲があった。

♪~ 海のむこうから 潮風にのって きっとしあわせ くるという ~♪

64年、安達明のデビュー曲「潮風を待つ少女」。

♪~ 潮風に 吹かれると 想い出す あなたのこと ~♪

71年、南沙織のセカンド・シングル「潮風のメロディ」。

♪~ 潮風を かばうふりで 口づけしてもいいのよ ~♪

82年、堀ちえみのデビュー曲「潮風の少女」。

3つの共通点は、作詞が女性であること。

ちょっと暇なので、歌詞を分析してみた。

それぞれの時代の女性観が本当にうまく反映されている。

ボクが、もし中学生だったら、

きっと、夏休みの読書感想文のテーマにするのに・・・

そして、先生から、これ、読書感想文と違うやん、なんて怒られたりして・・・

などと、決して妄想ではない、

社会学論文に迫る魅力的なテーマだと思うのだが、如何に!

そんなことを思いながら、3曲に聴き入る夜更けです。

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その昔、ソビエトに、

タマラ・プレスという、砲丸投げと円盤投げの選手がいた。

東京オリンピックではその両方で金メダルを獲得した。

彼女の妹、イリナ・プレスも五種競技で金メダルを獲得した。

というわけで、

2回目の、欲しくってタマラなかったレコードの紹介です。

♪~ 私はお月さまを見つめる お月さまも私を見つめる

   お月さま 私に輝いてネ それから私の好きな人にも

   山を越え海を越え 私が心から憧れている遠い世界のお月さま・・・ ~♪

63年に日本とイタリアでしかヒットしなかった曲、

ナンシー・シナトラの「フルーツ・カラーのお月さま」。

そのイタリア盤は09年6月30日に紹介しましたが、

探していた国内盤をようやく手に入れることができました。

08年5月に紹介した「レモンのキッス」と「イチゴの片想い」との

フルーツ・シリーズ3部作のレコード・ジャケットが揃いました。

めったに市場に出ないレコードなのに、

案外安く落札できたことに驚きました。

とてもラッキーだったのか、

それとも需要が少ないのか、

とにかく、めでたいお話でした。

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或る日の会話。

ボク:伊藤アイコって、知ってるやろ?

友人:ああ、「小指の思い出」の。

ボク:それは、伊東ゆかりや!

友人:ごめんごめん、「少女人形」歌ってた・・・。

ボク:伊藤つかさや!

ボク:フォー・シーズンズの「シェリー」をカバーしてたやろ。

友人:それは、九重佑三子やろ。

ボク:ほんなら、「シェーナ・シェーナ」をカバーしてたのは知ってるか?

友人:それは、弘田三枝子やろ?

ボク:それやったら、「さいはての慕情」歌とうてた、言うたらわかるか?

友人:そんな歌、知らん!

ボク:・・・・・・。

これといって代表曲のなかった伊藤アイコさんですが、

ボクのお気に入りのひとりです。

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67年、音楽雑誌『ミュージック・ライフ』は、

ビートルズとウォーカーズにハイジャックされていたかのようだった。

2階の本棚の隅をガサガサとあさって、古いミュージック・ライフ誌を探し出した。

ボロボロになった67年のものが数冊出てきた。

8月号の表紙ではスコットがスクーターに乗っているし、

68年1月号の表紙ではウォーカー・ブラザーズの3人が勢揃いしていた。

スコットの特集がもう一冊あったはずなのだけれど、

ボクが切り刻んで、その切抜きは今もレコード袋に入っている。

彼らの初来日は、67年2月5日から9日までの5日間。

そして5月には解散。

なのに、日本だけのために再結成し12月31日に再来日、コンサートをこなした。

『11PM』に出演したり、チョコレートのCMに出たり、

そして何よりも、編集長星加ルミ子さんの肝いりで、

ミュージック・ライフ誌は大賑わい。

07年9月に書いたように、高校生のボクは夢中になった。

というわけで、今夜は、67年発売の、ちょっとマイナーな2枚を紹介します。

「ラブ・マイナス・ゼロ」は、ディランのカバー。

「月に消えた恋」はスコット作のラヴ・バラードで、レコード・ジャケットが好き。

ついでに、イギリスから手に入れたウォーカーズTシャツ、

昨夜初めて袖を通しました。

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今思うと、この人は多彩な顔をもっていた。

ボクが中学生の頃は、彼女はふたつの顔をもっていた。

そのひとつは、清純派歌手として歌謡曲を歌う顔。

63年のレコード大賞「こんにちは赤ちゃん」は、永六輔・中村八大の名曲。

64年の「リンデンバウムの歌」は、岩谷時子・山本直純。

66年の「ポカン・ポカン」は、三木トリロー・宮川泰。

この大御所たちの曲を歌っていたかと思うと

今さらのように感心してしまった。

彼女の後の楽曲やエピソードからは想像できない時代であった。

今は冷静に語れるけれど、

70年代になって彼女の変身ぶりを見たとき以来封印していたレコードたちである。

今夜久しぶりに聴いてみて、

楽曲の良さと、彼女のきれいな高音に魅せられてしまった。

でも、それにも増して、

ボクが本当にファンだったのは、60年代の彼女のもうひとつの顔。

後日あらためて紹介したいと思う。

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63年4月27日付から連続3週間ビルボートNo.1ソング、

リトル・ペギー・マーチの「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」のことは、

07年10月24日に紹介した。

オールディーズ・ファンじゃなくても、この曲を知っている人は多い。

92年の大ヒット映画『天使にラブ・ソングを』で感動を与えた1曲である。

この曲の作曲者デル・ローマが後のポール・モーリアであることは書いたが、

元歌はフランス語で歌われたペトゥラ・クラークの「愛のシャリオ」。

ペトゥラといえば「恋のダウンタウン」があまりにも有名すぎるせいか、

「愛のシャリオ」はオークションにも出品されず、

なかなか手に入らなかった。

しかたなく、eBayでピクチャー・スリーヴ付のフランス盤をゲット。

このシングル、再発盤なのだけれど、

4曲入りなのに珍しい45回転盤。

vogueレーベルのレコード・センターのデザインがきれいなので

その意味でも満足な1枚となりました。

ペトゥラの「愛のシャリオ」もステキだと思ったけれど、

あらためて、英語の歌詞をつけてペギーに歌わせたプロデューサーたちに

心から敬意を表します。

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