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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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80年のボクは、広告会社入社6年目、

バリバリの営業マンとして一番楽しい時期だった、ような気がする。

この頃は、洋楽よりも邦楽のアイドルに興味があった頃で、

オールディーズの香りがするアイドル・ポップスを楽しんでいた。

そんな中、11月、オリコン1位になった洋楽があった。

イギリスの姉妹グループ、ノーランズ。

ノーラン家の6人姉妹のうち、脱退した次女を除く5人組、

ポップでキュートで軽快な「ダンシング・シスター」は大ヒットした。

もちろん、イギリスでも2月に3位の大ヒットを記録していた。

そして、翌年、アルバム・チャートで

『恋のハッピー・デート』がオリコン1位。

カセット部門での1位と合わせて、

オリコン史上初の洋楽の三冠王となった。

その「恋のハッピー・デート」は、

ノーランズがリリースした1ヵ月後に、石野真子が日本語詞でカバー、

これがまた、ものすごくカワイイのです。

81年、出産のため休業したことで4人になった彼女たちは、

「セクシー・ミュージック」で東京音楽祭世界大会でグランプリに輝いた。

この他にも4枚のシングル、

ボクには珍しい80年代洋楽コレクションである。

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♪~ いーつ あのこに 逢える いーつ こんどは 逢える

   いーつ ハッスル してくれるか 気になるばかり

   だけど ノーノー 好きだけど ノーノー 待っててね

   それ ばかりを あのこはいう

   ノーノー 好きだけど ノーノー 待っててね

   いつぅでもおなじ ~♪

もう、5年以上もカラオケに行っていないから、歌えるかどうか・・・。

まだカラオケのない頃のボクの素歌レパートリーだった。

音痴なボクが歌える曲といったら、音域が狭いことが条件、

伴奏があったりすると、どこから歌い出したらいいのかもわからない。

もっともこの歌、マイナーなためかカラオケにもなかったと思う。

63年、飯田久彦さんの歌う「恋のハッスル」、

訳詞というより、これはまったくの作詞、

曲に合わせて、曲のイメージやフィーリングを大切にしたのだろう!

さすがの漣健児さん。

原曲は、63年、ヘレン・シャピロの「Not Responsible」。

“私がどんなことをしたって、それは私のせいじゃない

 だって、私はあなたに恋しちゃったんだもの”

というような内容。

「恋のハッスル」とは、少し違うような気がするけれど、

歯切れのいい、軽快なリズムは、「恋のハッスル」にぴったり。

もちろん今では、“ハッスル”なんて言っているのはおじさんばかり、

これもまた、死語のひとつである。

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69年4枚目のシングル「僕は燃えてる」を最後に、

5月、“失神バンド”の象徴であった赤松愛が脱退。

彼の後任として、オルガニスト田浦幸が加入した。

そして、6月にリリースしたのが、「ロザリオは永遠に」。

この頃から急に歌謡曲っぽくなってしまったために、ボクは興味を失った。

彼らもまた、この2年後に解散することとなった。

その後、田浦幸、本名・田浦久幸は、夏夕介として俳優に転身、

『特捜最前線』などで活躍するのである。

そして、彼は今年の初めに胃ガンで亡くなった。

ボクと同い歳なので、特に記憶に新しい。

なぜか、レコード棚に『特捜最前線』のエンディング・テーマがあった。

ファースト・チリアーノが歌う「私だけの十字架」、

久しぶりに聴いてみたけれど、いやはや暗い気持ちになる歌である。

それにしても、夏夕介のスタートは“ロザリオ”で、

大ヒット作品の主題歌は“十字架”、

彼がクリスチャンであったかどうかは、ボクは知らない。

さて、オックスのボーカリスト、野口ヒデトは、解散後ソロ歌手としてデビュー、

本名・野内正行は、野口ひでとを経て、苦労を重ねた末、

75年、演歌歌手・真木ひでととして、「夢よもういちど」の大ヒットを出した。

当時、そのことが嬉しくて、このレコードを買った。

現在も活躍中とのことで、本当に嬉しい限りである。

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最初聴いた時はロネッツだと思った!

65年、フィダン・レーベルからリリースされた「Home Of The Brave」。

歌っているのは、ボニーとトレジャーズ。

ロニーとそっくりなメイン・ボーカルのボニーは、シャーロット・オハラ。

トレジャーズの正体はわからなかったけれど、

09年10月11日に紹介したスペクターの『Back To MONO』の

添付パンフレットによると、アンダース&ポンシアらしい。

そして、この曲の作者はバリー・マン&シンシア・ウェイル。

“ついに発見”と喜んだのはこのレコードのことではない。

フィダン・レーベルのことを調べているうちに、

かねてから最大の課題であった、

シングル盤のレコード・レーベルのカタログが欲しい!

という望みが解決したのである。

今日現在、UKレーベル239種類、USレーベル539種類を網羅した

そんなホームページを見つけた。

それによると、USレーベルの“Phi-Dan”は

フィレス・レーベルの子会社で、

フィル・スペクターとプロモーターのダニー・デイヴィスの名を冠したもの。

なんと、64年から65年にかけて10枚しかリリースしておらず、

この「ホーム・オブ・ザ・ブレイヴ」は6枚目。

次に紹介するUKレーベルのフィル・スペクター・インターナショナルは、

75年から77年まで22枚しか出しておらず、

このレコードは、その21枚目。

B面を変更してカップリングしたものであった。

この資料の発見は、ボクにまた新しい世界をみせてくれたのである。

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“ズートルビー”と“ずうとるび”、

あの、ビートルズを逆さまにした、というグループ名、

そう言われて、なんとなく納得していたのですが、

正確には、逆から読んだら、カタカナでは、“ズルトービ”、

アルファベットなら、“Seltaeb”だから、“セルターブ”。

あっ!実は、最初と最後を入れ替えただけだったのですね。

まっ、それはともかく、

ズートルビーは、68年、「水虫の唄」をリリース、

その実体は、もちろん、フォークルである。

オリジナルは、作詞作曲の山田進一さんのスピリッツ・オブ・フォール、

神戸のフォーク・バンドである。

補作詞は足柄金太こと北山修氏、補作曲は河田藤作こと加藤和彦氏、

08年6月9日に書いたように、翌年、カメ&アンコーがカバーした。

ずうとるびは、74年、「みかん色の恋」が大ヒット、

翌年、紅白歌合戦にも出場した。

このグループは、あの『笑点』のちびっこ大喜利で、

山田隆夫が座布団10枚を獲得したことがキッカケで結成した。

そのブームは長く続かず、

山田隆夫は、今でも『笑点』の座布団運びを続けている。

ある意味、尊敬に値する生き方だと思う。

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エルヴィスを筆頭に、人気絶頂中の歌手が兵役につくことは珍しくなかったけれど、

彼らは兵役中にグループを結成した。

そして、63年7月、ビルボードNo.1を射止めた唯一の存在となった。

彼らとは、女性1名男性4名の、エセックス。

その曲は、「Easier Said Than Done」、

“言うは易く、行うは難し”、である。

兵役中にグループを作り、レコードをリリースし、

しかも、その曲がNo.1を獲得する。

そんな快挙を暗示したかのようなタイトルである。

日本発売に際して付けた邦題は、「内気な17才」。

“内気な”はナイスだけれど、“17才”は日本の青春の象徴年齢か!

いつかも書いたけれど、

アメリカは“Sixteen”、日本は“17才”なのである。

「内気な17才」はもうひとつの話題をもっている。

実はこの曲、我らの九ちゃんの「スキヤキ」を、

トップの座から引き摺り下ろした曲なのである。

「上を向いて歩こう」は63年6月15日から3週間に亘り、

「Sukiyaki」として、ビルボードNo.1を獲得した。

日本のアーティストがアメリカのヒットチャートを制する、

そんなこと、後にも先にも、これから先も、

たぶん達成することがないと思う。

Easier said than done!

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あまり鮮明な記憶ではないけれど、

高校3年生の大晦日、だったと思う。

紅白が始まる前、民放局で、グループサウンドのコンサートを放映していた。

そこで、野口ヒデトの熱唱、「オー・ビーバー」のライヴを見た。

これが、噂の失神ソングか!

ものすごい歓声の中のシャウト、赤松愛がオルガンを叩く。

すごい!、後にも先にもこの曲のライヴを見たのはこれ一度っきりだった。

残念ながら、この曲はシングル・カットされていない。

だから、『オックス・ファースト・アルバム』を買った。

オックスは、評価の分かれるGSである。

少女マンガのようなメルヘンチックな衣装と、赤松愛の中性的な魅力、

それだけ見れば、アイドルGSであった。

しかし、ライヴで見せるストーンズのカバー、

特に、「テル・ミー」は失神ソングの定番である。

これが、PTAやお母様方の攻撃の的となり、

やがてはGSブームを終焉へと導いた。

でも、ボクたちは彼らのライヴ・パフォーマンスが大好きだった。

デビュー曲は、68年5月「ガール・フレンド」。

2曲目「ダンシング・セブンティーン」のB面は赤松愛のための曲。

3曲目は大ヒットした「スワンの涙」、ボクの愛唱歌である。

まだまだ語り足りないけれど、

その後のオックスについては別の機会に書くことにする。

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結婚式の幸せのジンクス、Something 4(サムシング・フォー)。

Something Oldは、お母さんやおばあちゃんのアクセサリーやハンカチなど、

何か古いものを身につけて、謙虚な心と経済的安定を祈ります。

Something Newは、新しい靴や結婚指輪など、

何か新しいものを身につけることで、ふたりの新しい未来の象徴とします。

Something Blueは、ブーケに青い花を入れたり青いガーターを着けたり、

何か青いものを身につけて、忠実と信頼、純潔の象徴とします。

Something Borrowedは、何か借りたもの、

現在幸せに暮している人が結婚式で身につけた手袋やベールを借りて身につけます。

そんな、ヨーロッパの古いおまじないを歌ったのが、

64年、ポールとポーラの「Something Old, Something New」。

邦題は、「夢のウェディング・ベル」、

ステキな邦題ですね。

そういえば、細菌Getした・・・

細菌をゲットしたら病気になってしまいますがな・・・。

最近Getしたのが、

ポーラこと、ジル・ジャクソン嬢のソロ「ピクシー・ガール」。

この歌は、まるで日本の歌謡曲のような趣、

けだるく歌う、彼女の違った側面を発見できます。

ボクは、個人的には、08年1月に書いた可愛くて陽気な彼女が大好きなのですが・・・。

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大学時代、昼でも夜でも、ひとりぼっちでいる時に、

口をついて出てくる歌は、いつもこれ、「悲しくてやりきれない」。

68年3月、「帰ってきたヨッパライ」に続いての第2弾。

フォークルの真価が問われる曲だったのである。

♪~ 胸にしみる 空のかがやき

   今日も遠くながめ 涙をながす ~♪

ものすごく美しいメロディである。

そして、当時の若者の裏・青春讃歌である。

有名な話だが、

実は、フォークルの第2弾はこの曲ではなかった。

本当の第2弾は「イムジン河」、彼らが満を持して発表した曲であった。

発売前、ボクは確かにラジオでこの歌を聴いた。

だのに、突然の発売禁止、その理由は政治的配慮、だった。

この突然の発売禁止を受けて、

急遽作らさせられたのが「悲しくてやりきれない」であった。

この曲は、出版社の会長室に缶詰にされてわずかの時間で作ったものだ、とか、

「イムジン河」のテープを逆回ししたものをヒントにした、とか、

いろんな話を聞いたけれど、そんなやっつけ仕事ではない出来栄えである。

残念ながら、フォークルの「イムジン河」のシングルは持っていないけれど、

8年程前にCDSが発売されたはずだから、買ってもいいかな、と思っている。

ボクのレコード棚にある「イムジン河」は、

フォークル版の作詞者、松山猛が、アマ時代のフォークル・メンバーと作った

ミューテーション・ファクトリーの「イムジン河」。

ボクがラジオで聴いたフォークルの歌と同じテイストである。

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1966年秋にデビュー、一世を風靡してからわずか2年、

68年11月、ピーター・トークが脱退、

3人になったモンキーズのシングル・ヒットは、

69年3月全米56位、「涙の街角」。

ボイス&ハートの作品、「恋の終列車」と聞き間違うくらいの二番煎じ。

邦題はまるでデル・シャノンのよう。

そして、まもなくして、今度はマイク・ネスミスが脱退。

彼は、71年1月、ファースト・ナショナル・バンドを率いて、

得意のカントリー&ウェスタンで、全米42位に戻ってきた。

曲は、日本でもかなりヒットした「シルバー・ムーン」。

残ったふたりは、その後、

2人モンキーズだったり、

ボイス&ハートと一緒にニュー・モンキーズを結成したりした。

並行して、デイビー・ジョーンズは、71年7月ソロ作品を発表。

「かわいいジェーン」は全米52位、日本でも結構人気があったのです。

一番才能豊かだったミッキー・ドレンツは音楽的には今ひとつ。

ボクの手元には、79年の「幸福ラヴ・ライト」がありますが、

何と言っていいか微妙な、普通の作品。

ミッキーは、決して二枚目ではなかったけれど、

いつも“ニコニコ・ミッキー”、ボクの心には彼の素敵な笑顔が残っています。

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2日に1度の更新を自分に義務づけているこのブログ、

夜遅く帰ってきて急いで今日のネタを探していたら、

えっ!なんでこんなレコードを紹介していなかったの?

3年以上もやっているのに、

ウッソー!シンジラレナイ!って感じで、ネタを変更するハメになってしまった。

誰もが知ってる、イギリスのガールズ・シンガーの女王、ヘレン・シャピロ。

だい、ダイ、大ヒットした61年8月全英1位「悲しきかた想い」。

あの、♪~ウォーウ ウォウ オー、オーイェイ イェイイェイ ~♪、なのです。

実はこの曲、原題は「You Don’t Know」。

原題「To Know Him Is To Love Him」、

邦題「逢ったとたんに一目ぼれ」と、

原題「I’m Gonna Knock On Your Door」、

邦題「恋の売り込み」と並んで、

ボクの中では“ステキな邦題3部作”のひとつ。

しかも、彼女の最初のヒット61年5月全英3位「子供じゃないの」とのカップリング。

この2曲に挟まれた61年10月、彼女にとって初めての全英1位は

「夢みる恋」(原題「Walkin’ Back To Happiness」)。

彼女をカバーしたのは・・・、

というより、自分のものにしてしまったのは、弘田三枝子。

我らのミコちゃんは、「子供ぢゃないの」「悲しき片想い」と、

AB面をひっくり返してリリース。

もちろん2曲とも大ヒットなのです。

何とか、今日の内に更新完了、

ホッと胸をなぜおろすボクなのであります。

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08年4月21日に紹介したミス・キャシー・ブラッシャーちゃんの、

探していた2枚をついについにゲットしました。

いろいろ調べてみたけれど、正体不明。

ソロで4枚のシングルを出した後に、あのマーメイズに加入した、

という話も聞いたことがあるけれど、その文献も見つけられない。

3番目に好き、と書いた「涙のロンリー・ガール」より以前にリリースした、

1番好きな、63年の初シングル「Too Late To Be Lovers」、

2番目に好きな、64年の「Only When I Dream」。

彼女、歌も上手いし、とてもキュートで、可愛らしくてステキだけど、

それだけではない。

バックの演奏も、コーラスも超一級。

しかも、これらの曲、彼女自身の作。

13、14歳だというのに、すばらしい才能。

いくら褒めても褒め足りないほどの素晴しさ。

彼女はいったい何処の出身で、どんなキャリアの女性なのか、

そして、今どうしているのか、

興味は尽きない。

別途入手したコンピレーションCDで、彼女の楽曲はすべて聴くことはできたが、

ライナー・ノーツもなく、新しい情報はまったくなし。

彼女こそ、シックスティーズ・ガールズ・ポップスの最高峰だと思う。

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なにげなく見ていたテレビの音楽番組に耳が止まった。

オールディーズの香りを漂わせた、そのタイトルも「Gee」、

韓国の9人組、少女時代。

ボクにとっての「Gee」といえば、

64年3月にリリースされたピクシーズ・スリーのサード・シングル。

そして、「少女時代」といえば、

64年7月7日が誕生日の百瀬まなみちゃんの

82年のデビュー曲。

さて、この韓国の少女時代、

自己紹介を聞いていても、誰が誰やらまったく覚えられない。

身近に韓国好きな人が居るのですが、

元来ボクは韓国の音楽チューンに興味なし。

しかし、この楽曲、見直してしまって、初めてCDを買ってしまった。

ダウンロードしないで、CDを買うところがアナログ・コレクターたる所以。

本家「Gee」は、クロウズの54年のヒット曲のカバーで全米87位、

思わずスウィングしてしまう、リズミカルでゴキゲンなポップス。

ついでに頭に浮かんだ1曲だけ持っているモー娘。系のCDを聴く。

ボクの好きだった市井沙耶香のプッチモニ「ちょこっとLOVE」、

このCD、マキシ・シングル・サイズのケースに、

8cmCDが入っているという珍しいもの。

この4曲、妙な取り合わせだけれど、

ボクにとってはご近所さんジャンルなのである。

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大きな声で、ボクの青春時代のアイドルは彼女だったんだよ!

なとど、言いにくくなってしまっていたけれど、

ここは一番、勇気を出して言うことにする。

08年10月16日に書いたけれど、

大学時代、ボクの下宿の6畳の間に飾ってあったポスター・パネルは、

72年9月4枚目のシングル、「虹をわたって」のレコード・ジャケットの写真。

♪~ 虹の向こうは 晴れなのかしら ~♪

この頃彼女は二十歳、ボクと学年はひとつ下の同い年生まれ。

彼女のシングル盤コレクションは今では22枚と付録が1枚、

たぶんコンプリートです。

72年12月5枚目は「ふたりの日曜日」、

♪~ バスは 朝日の中を どこへ走るの ~♪

73年3月6枚目は「若葉のささやき」、

♪~ 若葉が町に 急に萌えだした ~♪

73年7月7枚目は「恋する夏の日」、

♪~ あなたを待つの テニスコート ~♪

彼女の絶頂期です。

ボクだけでなく、今でもほとんどの曲を歌える人たちが多いと思います。

良くない噂や後日談の類いがいっぱい耳に入ってくるけれど、

彼女は確実にボク(たち)のアイドルだったし、

胸をときめかせてくれた。

その事実は変わらないのだから、今夜もコッソリ針を落として・・・、

コッソリ・・・って、あんた!

それはちょっとヒドイじゃ、あ~りませんか!

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08年4月15日に書いた“音楽が死んだ日”の物語、

有名な、もうひとつの物語がある。

若い3人の天才ロックンローラーを失ったこの飛行機事故で、

幸運が舞い込んだ男がいた。(この表現は不謹慎ですが・・・)

それは、急遽、彼らの代役を務めることになったボビー・ヴィー。

彼は、これをキッカケに世に出ることとなった。

そして、事故から1年8ヵ月後、

全米6位「ラバー・ボール」で日本でブレイクする3ヵ月前の60年10月、

3枚目のシングル「Devil Or Angel」が全米6位を記録、

彼の進撃が始まり、この曲をキッカケにボクが彼の虜となった。

もちろん、66年に高校生になってからの話ですが・・・。

最近ようやく見つけた彼の「天使か悪魔か」の国内盤、

歌自体は何度も聴いていますから、特に大きな感動はないのですが、

初めて見たレコード・ジャケットに感動です。

この曲のオリジナルは、クローヴァーズ、56年のヒット曲。

先日eBayでシングル盤を見つけて落札したのですが、

その到着を待ちきれなくて、今夜はLPで紹介します。

オリジナルはドゥワップで、ボビーのはティーン・ポップス、

アレンジは大きく変わりませんが、あえて言うならそんなところでしょうか。

08年10月14日に書いたブライアン・ハイランドや、

08年11月23日に書いたジョニー・クロフォードのカバーもステキです。

作者はバランシュ・カーター、

女性ならではのスマートでロマンチックな曲調に、今夜もメロメロです。

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