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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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ブルコメの「青い瞳」より10ヵ月も早く、

ビートルズのように、自らが曲を作り自らが演奏して自らが歌ったのが、

ボクが永遠に愛するGS、スパイダースである。

グループ・サウンドの礎を築いた、というより、

GSの起源となったのは、65年5月の「フリフリ」。

♪~ ダークな背広に ブーツをはいて

   フリフリフリフリ フリフリフリフリ

   俺の自慢の ロングヘヤー

   フリフリフリフリ フリフリフリフリ ~♪

この記念すべき曲の作詩・作曲は、かまやつひろしさん。

なのに、レコード・ジャケットに彼の姿がない。

これは、かまやつさんが写真撮影に遅刻したから、だという。

そして、作詩・田辺昭知、作曲・かまやつひろしの「ノー・ノー・ボーイ」。

そして、やっぱりかまやつさん作曲の「ヘイ・ボーイ」、

ビーチボーイズ・タッチのバラード、「サマー・ガール」、

と、スパイダースの創生期は、ジャパニーズ・ポップスの名曲揃いである。

個性豊かな“7人の侍”は、この後も、

影になり日向になり、日本の音楽界を牽引する。

この4枚のシングルは、ボクのGSコレクションの中でも、

最高峰の宝物なのである。

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高校生から大学生にかけて、欠かさずに聞いていた『オールナイト・ニッポン』、

その頃のパーソナリティはニッポン放送のアナウンサーだった。

中でも、日本のDJの草分け、糸居五郎さん、

彼は、最新のヒット曲のリクエストが嫌いだった。

思い入れのある曲のリクエストを採用した。

だから、その流れるような、おしゃれな語り口とともに、

音楽のバラエティを楽しむことができた。

その一端は、91年発売のCDでもうかがうことができる。

その1曲目は、67年全米5位ながら、日本では彼らの代表曲となった、

バッキンガムズの「マーシー・マーシー・マーシー」。

このグループ、66年、シカゴで結成された。

ブリティッシュ・インベイジョンにあやかろうとしたのか、

シカゴ市のランドマーク、バッキンガム・ファウンテンに因んだのか、

詳しくは知らないけれど、

このグループ名から、最初はイギリスのグループだと思っていた。

「マーシー・マーシー・マーシー」はブラスロック風で、

イギリスのグループらしくはなかったけれど、

ボクの大好きな、67年全米1位の「カインド・オブ・ア・ドラグ」は、

イギリスのグループだと言っても納得のスタイルなのです。

ジャケット・デザインに魅せられて買ってしまったコンパクト盤ともども、

思い出深いグループなのです。

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田辺靖雄さんの、ソロ最大のヒット曲は、64年の「二人の星をさがそうよ」。

佐伯孝夫・吉田正のオリジナルである。

07年10月22日にも書いたように、

ヤッチンのキャリアのスタートは、梓みちよさんとのデュエット、

マイ・カップルとして、63年にポールとポーラの「ヘイ・ポーラ」をカバー。

73年に、九重佑三子さんと結婚した。

結婚後、ふたりで「ヘイ・ポーラ」をデュエットしたりするものだから、

マイ・カップルは彼女とのデュエットだと思っている人が多い。

九重佑三子さんは、パラキン好きのボクには欠かせないボーカリスト、

代表曲は、09年3月18日に紹介した「シェリー」である。

そして、ソロでのヒット曲は、さわやかな「レモン片手に」。

♪~ レモン片手に 待ち合わせ リンゴ片手の あの人と

   ならぶ二人は サクランボ てれてリンゴの 赤いほほ ~♪

という、果物屋さんのテーマソングの趣。

さて、このふたりのちょっと変わったデュエット曲を手に入れました。

“日本のポップスの源流を作り出したヒットメーカー”、

漣健児=草野昌一さんの物語『漣流』を読んで知った1枚のCDは、

05年年末にリリースした「いっしょ」。

05年6月6日に亡くなられた我らが漣健児さんの作詞、

カップリングは、英訳の「ISSYO」。

漣健児さんの素敵な人生と人間観とやさしさと・・・、

夫唱婦随のオールディーズ夫婦の見事な合作である。

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クリスマス・イヴの出勤は、年に1回しかしないネクタイでした。

“まもなく還暦だというのにねぇ”なんて声も聞こえてきそうですが、

ボクのポリシーです。

さて、08年3月16日に書いたように、

ルックスは少しザンネンなアイドル歌手、ダイアン・レイの

待望の待望の1枚をやっと披露できます。

かなり有名な「渚の片想い」は、09年5月29日に書いたように、

eBayを始めてすぐに、簡単にゲットできたのですが、

この1枚は長い間かかりました。

この1枚は、クリスマス・ソングではないのですが、

クリスマスの日に聴きたい「スノー・マン」。

輸入盤のDJオチらしきシングルは、大阪の輸入盤中古店で見つけた。

ご覧のように落書きがいっぱいなのでブログ・アップを躊躇していました。

そしたら、eBayでピクチャー・スリーブ入りを見つけたのです。

アメリカとは時差の関係で、オークション終了時刻は真夜中、

一睡もせずにパソコンの前でスタンバイして、ようやく手に入れた代物です。

というわけで、イヴは晴れて「スノー・マン」を楽しめます。

太田胃酸ではありませんが、“ありがとう、いいレコードです”。

ついでに、もう1枚彼女のコンパクト盤も紹介します。

ひさしぶりに、大好きなダイアン・レイ・ナイトです。

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“レコードやカセットをダイレクトにCD録音できる”、

08年年末に買ったCDレコーダー付ステレオが壊れた。

CDデッキが開かなくなったのです。

通販で買った中国製なものですから、電気店での修理も断られ、

販売会社に電話すると、“送ってくれたら修理するけれど高いよ”、

“中国製だからあきらめなさい”的な物言い、

本当に困ったものですが、このステレオ、捨てるわけにはゆきません。

なぜなら、78回転盤を聴くことができるからなのです。

最近eBayで見つけた、ヴォーン・モンローの10インチSP盤。

♪~ 外は寒いけれど 家の中は暖か

   どうせ行くところもないし 雪よ降れ 雪よ降れ

   Let it snow! Let it snow! ・・・ ~♪

46年の「レット・イット・スノー」。

ブルース・ウィルスの『ダイ・ハード』のエンディング、

事件が終わった後に流れていた、あの曲です。

なにぶん古いSP盤ですから、

まずは、ずっしりと重い、落としたらタイヘンです。

チリチリとしたノイズも、何か遠くから聞こえてくるような篭った音も、

そんなすべてがイイ味をだしています。

クリスマスちょっと前だけど、

クリスマス・イヴの夜にもう一度かけてみることにしましょう。
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今夜は、ボクのブログの箸休めです。

オールディーズ・コレクターの名に恥じることはないのですが、

洋楽のオールディーズとはかけ離れたコレクションを紹介します。

まずは、神戸一郎さん「東京ラプソディ」。

神戸、なのに東京の歌を歌うとは・・・、

コウベじゃなくて、カンベだからカンベンカンベン!

だいたい、関西生まれの人の多くは東京を敵視しています。

きっとコンプレックスの裏返しなのかもしれません。

次は、関西の家には、一家に1枚「河内音頭」のレコードがあります。

盆踊りには欠かせないものですから。

正調は、鉄砲光三郎さんの「民謡鉄砲節」、レコードには踊り方も書いてます。

そして、“お客様は神様です”三波春夫さん、

「大利根無情」と「チャンチキおけさ」は持ってないといかんでしょう。

その昔、我が家では、祖母が三波春夫ファン、母が村田英雄ファンで、

紅白を見ながら、ちょっとした嫁姑戦争でした。

おばあちゃんっ子のボクは当然おばあちゃんの味方でした。

三波、ときたら、三橋は欠かせません。

「怪傑ハリマオ」と「小天狗小太郎」が素敵な三橋美智也さんの1曲は、

「古城」、レコードには4ページも費やして振付イラスト完備なのです。

もちろん、ホンの気まぐれで買ってしまったコレクションです。

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“OK牧場”は、今やガッツのギャグとして存在感を保っているけれど、

ボクが若い頃には映画やテレビの格好のテーマであった。

保安官ワイアット・アープとドク・ホリデイのチームと、

ならず者のカーボーイ、クラントン兄弟の決闘。

ボクは、ヒュー・オブライエンのアープが好きだった。

このレコードを見ていたらそんなことを書いてみたくなったけれど、

今夜の本題は、B面の「ホワイト・スポーツ・コート」。

輸入盤を持っていたけれど、ようやく国内盤に出合った。

歌うは、カントリー・シンガー、マーティ・ロビンス、57年のヒット曲。

♪~ 白いジャケットにピンクのカーネーションを胸につけて

   学校のダンス・パーティに行ったけれど

   一緒に踊る約束だった彼女にふられてしまったのさ ~♪

内容も歌声も曲調も、古き良きアメリカを感じさせてくれる。

ついでに、A面のフランキー・レイン「OK牧場の決闘」を聴いて、

ここまできたら、もう1枚、「ローハイド」なんぞも聴いてみる。

あれ、マーティ・ロビンスも、確かもう1枚あったぞ。

てなわけで、タイトルとは少し違ったイメージの

軽快なカントリー・タッチの「悪魔の女」、ナイスです。

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ワニ、を和英辞典でひくと、

アフリカ産は、crocodille(クロコダイル)、

北米産は、alligator(アリゲーター)、と出てくる。

見た目には、口を閉じているとき歯が見えないのがクロコダイル、

歯が見えるのがアリゲーター、らしい。

でも、音楽的には、

ロックがクロコダイル(08年8月5日参照)で、

ブーガルーがアリゲーター、なのである。

ちょっと強引な、長いフリでしたが、

今夜の聴き比べは「アリゲーター・ブーガルー」。

そもそも、“ブーガルー”とは何ぞや?

ブーガルーとは、キューバから来たグァヒーラとR&Bが融合した音楽、

わかりやすく言うと、R&Bの影響の強いラテン歌謡だそうだ。

「Alligator Boogaloo」、

オリジナルは、67年4月、ジャズ奏者・アルトサックスのルー・ドナルドソン。

68年、軽快なドラム・ビートでカバーしたのは、サンディー・ネルソン。

そして、日本語の歌詞をつけてカバーしたのは、

元来はラテン・バンドだったハプニングス・フォー、68年5月5日発売。

GSのテイストとは少し違う、見事なリズム感とソウルフルなサウンド、

そして、小粋なボーカルとハーモニー、ボクの大好きな一曲です。

5日遅れでリリースしたのが、ホワイト・キックス、

ジャズピアニスト三保敬太郎が、

サベージを脱退した寺尾と林をメンバーに結成、

女性ボーカル森野多恵子が新鮮ですが、この一曲で解散。

久しぶりに4枚連続で聴いてみたけれど、

ボクの好みは、やっぱりハプニングスかな。

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ビージーズのアメリカでのデビュー・シングルは、

先日紹介した「ニュー・ヨーク炭鉱の悲劇」。

それを聴いた多くの人々は、この曲がビートルズの新曲だと思ったという。

BG’sを、Beatles Groupの略称だと勘違いしたらしい。

もちろん、程なく彼らの存在は広く知られることとなったけれど、

彼らがアメリカでNo.1を獲得するまで4年以上待たねばならなかった。

彼らが初めてNo.1に輝いたのは、71年8月、

「How Can You Mend A Broken Heart」、

邦題「傷心の日々」。

折りしも、この間、兄弟間のいさかいやメンバーの脱退が相次ぎ、

ようやく兄弟3人で再スタートを切ったばかりで、

まさに“傷心の日々”の後、

アンディ・ウィリアムズのために書いたこの曲のセルフ・カバーで、

初の栄光を手に入れたのであった。

75年2曲目のNo.1を経て、77年12月から彼らは最高の時を迎える。

初期の彼らのような、きれいなメロディと美しいハーモニーもった、

「愛はきらめきの中に」が連続3週No.1を獲得すると、

78年2月、一転、ディスコ・サウンド「ステイン・アライヴ」で、

連続4週間No.1を続け、

同年3月には、「恋のナイト・フィーヴァー」で5月まで8週間No.1を続けた。

彼らのキャリアの中での絶頂期を迎えたのである。

ディスコティックなこれらの2曲は、

既にボクの好きなビージーズではなかったけれど、

後のライヴの華やかさを演出するには最高の楽曲である。

1枚1枚、シングル盤に針を落としながら、

長い歴史の中で、いくつかの顔をもつ彼らの魅力を楽しむ夜です。

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GSの礎を築いた2つのグループがある。

ボクがGSのシングル・レコードを初めて買ったのは高校1年生。

ジャッキー吉川とブルー・コメッツの「青い瞳」。

インスト・バンドとして、バックバンドとして、活躍していた彼らが、

ビートルズのように、自らが曲を作り、自らが歌った。

それが、グループ・サウンドの始まりである。

「青い瞳」は、歌詞はすべて英語、作詞は橋本淳先生、

作曲は、ボーカルの井上忠夫さん。

4ヵ月後に日本語歌詞バージョンをリリースした。

そして、2曲目は「青い渚」、正確には5枚目のシングルだったらしい。

この時点では、ボクはこの曲が大好きだった。

いつの頃からか、ブルコメは次第に歌謡曲化してゆき、

体制に迎合しているかに思え、ボクたちの興味の外になっていった。

その代表曲が、68年「こころの虹」のB面「すみれ色の涙」。

この曲の作曲は珍しく電子オルガンの小田啓義さん。

81年に、岩崎宏美がカバーすることになる素晴しいバラードである。

この頃のボクたちは、そんな歌の魅力が解っていなかった。

今なら、彼らの歌も魅力も、彼らのGSとしての貢献度も、理解できる。

グループ・サウンドの礎を築いたもうひとつのグループ、

ボクが永遠に愛する彼らの創生期についても、

そのうちに書いてみたいと思う。

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その昔、大阪のアメリカ村にある中古レコード店に行った時・・・、

その店はビルの4階か5階にあったと思うのですが、

階段を昇る途中の2階でおしゃれな店を見つけて寄り道、

そこで見つけたのが、英米のオールディーズをフランス語でカバーしたCD。

日本でもオールディーズをカバーする人がいるのですから、

フランスにだっていてもおかしくない。

そうして買ったのが『NOUS LES FILLES vol.4』。

「愛はどこへ行ったの」や「スタンド・バイ・ミー」、

そして「レモンのキッス」など、イェ・イェ・ガールが歌う20曲。

そして、次に見つけたのが、09年5月3日に紹介したミッシェル・トール。

日本ではあまり有名ではないのですが、

オールディーズや英米のビート・サウンドを最も多くカバーしたのが彼女。

ミッシェルは、63年のデビュー、

デビュー曲と思われるのは、なぜかセカンドEP収録の

「Dans Mes Bras Oublie Ta Peine」、

英題は、「Let Me Make You Smile Again」。

これはオリジナルだと思われる。

そして、65年、6枚目でカバーしたのは、

スペクターの「逢ったとたんに一目ぼれ」、仏題「Tout Doucement」。

そしてそして、最近見つけたのが「オンリー・ユー」のカバー、

1967年の発売のようです。

資料によると、彼女は次第にオリジナル曲を中心に

大人の歌を歌うようになってゆくようで、

ボクの中では、“フランスの園まりさん”というイメージなのです。

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ボクは、小山、村山、吉田時代からの阪神ファンです。

実は、この頃は、

鶴岡監督率いる杉浦、野村の南海ホークスと阪神のファンだったのですが、

南海ホークスがなくなってからは、阪神タイガース一本。

タイガースの歴代の外人助っ人の中で、

最強のバッターはバースで、ピッチャーはバッキーだと思いますが、

ボクの大好きな時代は、76年と77年、

マイク・ラインバックとハル・ブリーデンの理想のコンビなのです。

デーゲームで目の下に墨を塗って乱反射を防ぐアイブラックは、

ラインバックのトレードマーク。

ぶっとい腕で月に向かって打つ赤鬼ブリーデン、

ホームラン・バッターなのですから、足が遅くても関係ありません。

元来、助っ人理想の組合せは、

左のアベレージ・ヒッターと右の大砲のコンビ、だと思っているものですから、

発展途上だった掛布と華麗な4番バッター田淵との組合せはとてもきれいでした。

そんな理論でゆくと、左右は逆ですが、

今年のマット・マートンとクレイグ・ブラゼルもいい線いってます。

突然ひとりで盛り上がってしまいましたが、

レコードを紹介するブログなのですから、

今夜はとりあえず、

朝日放送の道上洋三アナが歌う「六甲おろし」でお茶を濁します。
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ボクが最も好きだったGS、テンプターズの5枚目のシングル、

68年12月の「純愛」は、彼らにとって最後のトップ10曲だった。

松崎さんのイントロのギターと、ショーケンの泣き節は、

ボクたちの大好きな、テンプターズのお約束。

この曲には今も忘れられないエピソードがある。

それは、ボクが広島に居た頃、

毎週見ていたTV番組『イカ天』出演バンドの思い出である。

そのバンドは、この曲「純愛」をカバーした。

そして、あろうことか曲の終わり頃になって前に出てきたドラマーが失神、

もちろんパフォーマンスである。

ハードロック華やかな時代に、懐かしのGSコピー・バンドの、

ちょっと笑える演奏であった。

そのグループはこれが2回目の出演で、前年には「エメラルドの伝説」をカバー、

ボーカルが失神するというパフォーマンスだったらしい。

そのグループの名前は覚えていなかったけれど、

最近手に入れた『イカ天年鑑』で、“やどかり天国”という名前だと知った。

『イカ天』といえば、アシスタント司会は相原勇。

86年、本名の小原靖子で歌手デビュー、

デビュー曲は「ちょっとHENSHIN」、

この曲は、おニャン子クラブの「おっとCHIKAN!」の企画もの、

同じプロデューサーの秋元さんのお遊びだったらしい。

歌手としてブレイクすることのなかった小原靖子は、

相原勇と名前を変え、明るく元気な女の子として小ブレイクしたのである。

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遅くなりましたが、今年の1月27日の続きです。

「スピックス・アンド・スペックス」はオーストラリアではヒットしたものの、

英国初シングルとしては不発であった。

しかし、2枚目の「ニュー・ヨーク炭鉱の悲劇」は、

67年5月、全英12位、7月には全米14位の世界的ヒットとなった。

3枚目、「ラヴ・サムバディ」は、67年8月全英41位、全米17位。

この2枚は、レコードが擦り切れるほど聴いた、歌った。

特に、「ラヴ・サムバディ」は大好きで、

90年代には、マイケル・ボルトンのすばらしいカバーにも魅せられた。

そして、08年7月31日に紹介した「マサチューセッツ」は、

67年10月、全英1位に輝き、12月全米11位を記録した。

カップリング曲「ホリデイ」もすばらしく、11月に全米16位を記録した。

初期のビージーズは、バリーと、双子の弟ロビンとモーリスに、

2人のメンバーを加えた5人組。

キブ3兄弟の澄みきった美しい高音のボーカルと、すばらしいハーモニーは、

世界中のファンを魅了した。

ビージーズの輝かしい歴史は始まったばかりだったけれど、

この時代こそ、ボクが最も愛するビージーズの時代である。

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1940年7月7日、七夕、福岡県生まれ。

64年、福岡にて、ラテン・ロック・バンド、サンライズを結成、

66年、ミッキー・カーチスさんのスカウトで上京、

67年、ハプニングス・フォーとしてデビュー、

リーダーとして、作詞・作曲・編曲を手がけ、

キーボードやピアノを操る。

彼の名は、クニ河内。

ハプニングス・フォーは、

09年5月15日に紹介したように、ものすごく好きなGSである。

72年、解散後、彼はソロとして「透明人間」をリリース。

♪~ バンザーイ バンザーイ やっとこサ

   トーメイ人間に なれたよ ~♪

ハプニングスの時代からメロディアスな部分を削ぎ落とした、

詞を大切にした、泉谷しげるの趣。

大学生の頃、マネしてよく歌っていた。

“透明人間”といえば、

一番に想い出すのは、子供の頃見ていたテレビ番組。

顔に白い包帯を巻き、サングラスをかけ、ツイードのコートを着ている。

脱いで包帯をとると、何にも見えない・・・

今でもこれがボクの、透明人間のイメージである。

もうひとつ、避けて通れないのが、

♪~ まさかと思っているでしょうが・・・ ~♪

78年、ピンク・レディー「透明人間」、

阿久悠さんのやけくそな詞がステキです。

さて、クニ河内さんのソロ作品をもうひとつ、

「おまえは今、何処を歩いている」。

バロック調のメロディにのせて、せつせつと語りかける、

27歳の頃の自分讃歌である。

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