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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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いまさら書くのもおこがましいけれど、

ブリティッシュ・ビート発祥の地、といえば、

イギリス北部のさびれた港湾都市、リヴァプール。

ビートルズをはじめ、ジェリーとペイスメイカーズやサーチャーズら、

本当に多くのグループを輩出した。

港町が故に、アメリカのレコードがいち早く入ってきたことにも起因している、

などとも言われている。

このリヴァプール、マージー河の河口であったことから、

彼らの音楽は“マージー・ビート”と総称される。

その名をそのままグループ名にしたマージービーツは、62年に結成、

2枚目の「アイ・シンク・オブ・ユー」が64年全英2位のヒットとなった。

そのルックスの良さと音楽性から、一時は“ビートルズの再来”と呼ばれた。

やっと手に入れた「アイ・シンク・オブ・ユー」のB面は、

ビートルズもカバーした「ミスター・ムーンライト」、

というのも、ものすごくうれしかった。

マージービーツは、たった7曲をチャートインさせただけで、

66年に解散している。

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昨夜、フランス料理と一緒に久しぶりに飲んだワインのせいか、

朝から頭がクラクラして寝込んでいました。

ベッドの中で、オールディーズの蔵書を読んでいて、ふと思いついたこと。

日本で、オールディーズといえば、

「ダイアナ」のポール・アンカと、「恋の片道切符」のニール・セダカが双璧。

ボクにとっては、いまさらブログに書くこともない2曲なのですが、

ふたりの代表曲であり、有名な曲なのに、

ボクが嫌っている曲がそれぞれにあることに気がつきました。

ポール・アンカのそれは、58年全米7位「君はわが運命」、

日本でも多くの歌手がカバーした♪~You Are My Destiny~♪。

この見事なアンカ節が映えるロッカ・バラード、

なぜか、ボクの興味の外なのでした。

ボクはそのレコード、持っているのか?

探してみたら、「ダイアナ」のカップリングでありました。

ニール・セダカのそれは、59年全米14位、記念すべきデビュー曲、

「恋の日記」、「The Diary」なのです。

これもまた、歌手としてニールが認められた至極のバラード。

ボクはそのレコード、持っているのか?

探してみたら、チンケな企画盤とミスター・ドーナッツのプロモーション盤に。

嫌っていた共通点は何なのだろう?

バラード?・・・いえ、バラードは好きですよ!

キーワードは“D”?・・・そんなアホな!

両方ともいい曲じゃないですか、なぜだったのでしょうか?

とはいえ、今ひとつノリきっていないボクがいます。

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オールディーズの名曲に日本語の訳詩をつけて、チャコさんが歌う、

作詞は、この世界の先達である漣健児さん。

これまで何枚も何枚もアップしてきましたが、まだまだあるのです。

10年9月14日に紹介したティーン・ポップの最高傑作もカバーしています。

マーク・スチュアート「Swak」、邦題「口紅のシール」。

♪~ はじめてのデイトの帰り道

   約束・・・きっとね・・・指切りしてくれたあの娘

   今朝ついた郵便は 唇でシールした

   真っ赤なあの娘のキスマークなのさ ~♪

63年4月の発売、B面は「恋人は海の彼方に」。

ビートルズもカバーした「マイ・ボニー」の日本語カバー。

63年11月、スリー・ファンキーズもカバーしています。

もう1枚、チャコさんのカバーした漣作品、

10年11月10日に紹介した「悲しき片思い」と「子供じゃないのよ」、

オリジナルはヘレン・シャピロ、日本語カバーは弘田三枝子。

61年11月発売、男性版なのでタイトルも「子供じゃないのさ」。

これもまたオツなものである。

チャコさん、飯田久彦さんの声は何回聴いても魅力的なのです。

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♪~ I beg your pardon,

   I never promised you a rose garden.~♪

英語はよくわからなくても、一度聴いたらすぐに覚えてしまうフレーズ、

71年2月、ビルボード3位、キャッシュボックスでは1位を獲得した、

カントリー歌手リン・アンダーソン、「ローズ・ガーデン」。

異才ジョー・サウスの名曲。

“ごめんなさいね、あなたにバラ色の世界を約束した覚えはないのよ”

「バラの花園」なんていうダイトルだし、曲調だけなら明るい歌、

でも、その歌詞は、どうも、心を病んだ人へのいたわりの内容、のような感じ。

初めてこの歌を聴いた時、

I beg your pardon、が印象的だった。

中学校の時習ったフレーズ、使う場面と抑揚によって少し意味が変わる。

I’m sorry、より丁寧なお詫びの“ごめんなさい”だったり、

初対面の人にモノを尋ねる時の“失礼ですが・・”であったり、だったかな?

そして、それから4カ月ほどして、

ボクらは良く似たメロディに熱狂することになった。

南沙織、デビュー曲「17才」。

彼女のレコードは08年6月26日に紹介したので、

今夜は、カバー作品、89年森高千里のシングルCDをアップします。

ボクが持っているもう1枚のリン・アンダーソンは、

全米カントリーチャート2位、「トップ・オブ・ザ・ワールド」。

カーペンターズでお馴染みの大ヒット曲ですが、

実は、レコーディング自体は、リン・アンダーソンの方が先だったらしい。

なかなかイケてます。

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今年の正月、幼稚園から中学校まで一緒だった幼馴染からの年賀状に、

とんでもない年齢になったね!って。

自分のイメージとまったく違うのですが、

間違いなく、今日で60歳、還暦を迎えました。

レコード棚から必死に探し出した誕生日関連の曲、

ブログを始めて4年目なので、もう無いで!と思っていたのですが、

まだありました。

別れてしまった彼女の誕生日に花束を贈って、その未練を歌う・・・

そんな女々しい、悲しい、切ない歌。

64年、ポール・アンカ、低迷期の「ひとりぼっちのバースディー」。

原題は、「Did You Have A Happy Birthday?」。

孫と一緒に娘夫婦がプレゼントをもって来てくれて、

弟からお祝が届いて、家内のお姉さん夫婦にもお祝をいただいて、

カロリー計算を忘れての食事を食べて、

そんな現実とはかけ離れた歌ですが、世の中そうぴったりとはゆきません。

楽しい、うれしい誕生日の曲をそういくつも持ってはいないし、

ましてや、ブログに書く曲に合わせて誕生日を過ごすわけにもいきません。

ポール・アンカのカバー、紀本ヨシオ盤を聴いて、一層寂しくなりました。

そこで、そのB面、ヴェルヴェッツ「夢のお月様」のカバーを聴いて、

ちょっと温かい、やさしい気分になって、

還暦の誕生日の締めとしました。

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“たのきん”のヨッちゃんは、とてもシャイだった。

アイドルなのに、決して前に出ず、

自分に一番似合った、好きな道を選んだ。

彼は、歌ってスターになるよりも、ギターを選んだ。

そして、83年、彼のバンド、The Good-byeは・・・

ここはあえて、ザ・グッバイと言う、

「気まぐれ One Way Boy」でデビューした。

彼らの音楽に特別の思いはないけれど、

曲のタイトルやレコード・ジャケットは、

レコード・コレクターとしては放っておけない。

その代表が、12曲目のシングル「マージービートで抱きしめたい」。

ビートルズの「抱きしめたい」のジャケットにそっくり、

その上、「マージービート」を付けるとは・・・。

変タイトルの代表は、6枚目「とLOVEるジェネレーション」。

もちろん「トラブル・ジェネレーション」と読む。

この他にも、ちょっぴり凝ったタイトルがザクザク。

当時はこんなタイトルの曲をリリースしていることも知らなかった。

“あゆ”のバックでギターを弾く彼を見るたびに思い出すのは、

「 マージービートで抱きしめたい」のレコード・ジャケットなのである。

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我が家にもそろっているスヌーピーの単行本。

50年10月2日、漫画ピーナッツの歴史はスタートした、

というから、スヌーピーもボクと同学年、還暦を迎えたわけです。

さて、66年12月のビルボード2位、「暁の空中戦」は、

原題を「Snoopy Vs. The Red Baron」、

直訳すると「スヌーピー対レッドバロン」。

スヌーピーが愛機ソッピース・キャメルを操り、

ドイツの戦闘機レッド・バロンと空中戦を繰り広げる、

そんな、スヌーピーの空想を題材にしたものです。

なのに、邦題が「暁の空中戦」なのですよ?

よく覚えていませんが、この頃はまだ、

スヌーピーが日本では有名じゃなかったのでしょうね、きっと。

それから間もなく、日本でも大人気キャラクターになったと思うのですが・・・。

そんなノベルティ・ソングが全米2位を記録したのは、果たして

スヌーピー人気なのか? ロイヤル・ガードメンの実力なのか?

アメリカのグループなのに、ロイヤル・ガードメンとは、

やっぱりブリティッシュ・インベイジョンを当て込んだのか?

スヌーピーの空想の世界の英国空軍つながりなのか?

そして、2曲目は「The Return Of The Red Baron」、

邦題「帰ってきた撃墜王」、とは二番煎じもいいところ、

曲だって同じようなもの、

なのに、67年3月全米15位、これもまた、まあまあヒットしたのです。

甘いね、全米チャートも。

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何年か使ってきたパソコンが大きな唸り声を出すようになって、

その上、データ容量のせいか反応時間が遅くなってきたので、

11月末に新しいパソコンを買いました。

それなのに、年賀状の作成やら年末年始やらで箱入りのまま年を越しました。

ようやく先日の連休に意を決しての引っ越しと相成りました。

データ引っ越しこそたいした問題ではなかったのですが、

プリンターやスキャナーやその他のソフトの引っ越しがタイヘン。

XPから7に変わったことで、とてもややこしい作業を強いられました。

丸1日かけて無事完了、画面は大きく鮮やかで、

キーボードやマウスのラインもなくなり、快適な環境、と思いきや、

Windows7やOutlook2010に変わったことで、

画面表示やツールバーが変わってしまって、使いにくいったらありゃしない。

まあ、慣れてゆくしかないんでしょうね。

というわけで、今夜は“セブンつながり”で「ヤング・セブン」を聴きました。

63年、結婚前年のジェリー藤尾と渡辺トモコ、

このふたり、典型的な美女と野獣カップルで、

おしどり夫婦としてテレビ番組やCМで大活躍、だったのですが、

結婚から21年後、突然数々のスキャンダルが週刊誌を賑わせ、

86年に離婚してしまいました。

いつの時代も、芸能人同士の結婚はタイヘンですね。

B面「ふたりの唄」、そんな先のことは微塵も感じさせない、

ステキなデュエットなのですが・・・(当たり前か!)
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ダーツは知る人ぞ知る76年結成のイギリスのグループで、

リバイバル・ドゥワップ・ポップバンド。

彼らの「シュラシュシュ天国」にはちょっとしたエピソードがある。

B面「イッツ・レイニング」は78年全英2位だけれど、

この曲はイギリスでヒット!というわけにはいかなかった。

この曲の作者はH.CHIKADA、近田春夫。

近田さんは、81年ザ・ぼんちに「恋のぼんちシート」という曲を書いた。

“そ~うなんですよ、川崎さん!”のヒット曲である。

実は「恋のぼんちシート」は、ダーツの曲をパクッたものだった。

その曲とは77年全英6位「ダディ・クール」。

彼らを一躍有名にした、果てしなくハッピーなロックンロールである。

そのお詫びに、ダーツに提供した曲が「シュラシュシュ天国」というわけ。

こちらもゴキゲンなロックンロールだけど、何とも微妙な物語である。

ちなみに、「恋のぼんちシート」というタイトル、

近田自身が作詩したジューシィ・フルーツの「恋はベンチシート」のもじり。

今夜のストーリー、いかがでしたか?

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町に「ブルー・ライト・ヨコハマ」や「夜明けのスキャット」が流れていたあの頃、

1969年春、ボクはバイトをしながら浪人生活を送っていた。

陸上部の友人と町で出会って彼の家へ行った。

彼のお母さんは、グラスにいっぱいの練乳をかけたイチゴを出してくれた。

お母さんが席を外している間に、彼は練乳を捨ててイチゴを洗ってくれた。

ボクが練乳嫌いであることを知っていてくれたから。

そんな、顔に似合わずやさしかった、かつての友人は亡くなっていた。

高校時代の同窓会の幹事さんから送られてきた名簿で知った。

40年も会っていないし、彼がその後どうしていたかも知らないけれど、

4月の同窓会で会えないと思うと、複雑な気持ちになる。

いしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、

2月から4月まで連続9週間オリコン1位。

由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」は、

その後6月まで連続8週間オリコン1位、そして年間No.1。

いずれも100万枚以上の大ヒット曲である。

月並みだけれど、音楽は思い出とつながっている。

この曲を聴いていた頃、

ボクはこんなことをしていて、こんなことで悩んでいた・・・。

まるで、ラジオのリクエスト番組のようになってしまった。

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半年ほど前、今年の4月に開かれる高校の同窓会の案内をもらった。

歴代の卒業生が一堂に集うその同窓会は、

還暦を迎えた年度の卒業生が幹事をすることになっているらしい。

奈良を離れて40年余、本当に懐かしく、もちろん出席する予定。

というわけで、長い間見ることもなかった卒業アルバムを引っ張り出した。

その、アルバム・ケースに、いくつかの曲の落書きがあった。

当時、深夜放送でも聴きながら、気に入った曲を書き留めたのだろう。

その、落書きの曲、ほとんどは持っているのだけれど、

たった1曲だけ知らない曲があった。

ウォーカー・ブラザーズ、「初恋は死なず」。

不覚にも、どんな曲かも覚えていなかったけれど、

調べてみたら、「ダンス天国」のコンパクト盤にその曲を見つけた。

早速、針を落としてみた。

お約束の、典型的な、大好きな、ウォーカーズのスタイル、

ストリングスとコーラスをバックに、スコットが朗々と歌う、

何よりも、サビの、コーラスのリフレイン部の歌詞がいい。

♪~ The love I left behind me,

   come back to remind me.

   You were my first love,

   and, first love never ever dies. ~♪

原題は、「First Love Never Dies」。

卒業アルバムをめくりながら、この曲を聴く、

ちょっぴり感傷的な夜です。
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64年、ビートルズは、

ビルボードにもういくつかの歴史的な出来事をもたらした。

前回書いた連続No.1の3枚目「キャント・バイ・ミー・ラヴ」は、

3月28日付で27位に初登場し、

翌4月4日にはNo.1に駆け上がった。

これは、ナンバー1へのジャンプアップ記録となった。

しかも、この日のチャートは、1位から5位までビートルズが独占したのである。

2位「ツイスト・アンド・シャウト」、3位「シー・ラヴズ・ユー」、

4位「抱きしめたい」、5位「プリーズ・プリーズ・ミー」。

翌4月11日には、

テリー・スタッフォードの「サスピション」が3位に入り一矢を報いたが、

なんと、ビートルズはHOT100に14曲チャートイン、

二度と破られることのない快挙を達成した。

昨今のヒットチャートは、アルバム販売が常識的になり、

シングル発売が少なくなったために、曲自体のヒット集計が難しい。

そのことの是非はともかく、

ヒットチャートとともに音楽を楽しんできたボクたちには、

少し寂しいものがある。

それにしても、ビートルズの4人はすごい奴らである。

そして、テリー・スタッフォードのことも、誉めてやりたいと思う。

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Suddenly!64年2月1日、その波は突然にやってきた。

ボビー・ヴィントンの3曲目のNo.1「There I’ve Said It Again」は、

ビルボード史上最もエポックメイキングな一曲となった。

64年1月4日から4週間No.1を堅持したこの曲が、

平和で幸せだったアメリカの時代を終わらせることとなった。

ボクの最も好きだった、60年から63年にかけての、

無邪気でキュートなオールディーズの時代を終焉に導いたのは、

いうまでもなく、ビートルズのアメリカ侵攻である。

1月25日付チャートで3位だった「抱きしめたい」は、

翌2月1日にNo.1獲得するや、7週間もその座に座り続け、

なんと、3曲連続で5月2日まで14週間、ビートルズはNo.1を独占した。

これを契機に、アメリカのヒットチャートは、

イギリスのバンドで溢れることとなった。

世にこれを“ブリティッシュ・インベイジョン”と言う。

このボビー・ヴィントンの、邦題「ブルー・ファイアー」と、

ビートルズの「抱きしめたい」を聴き比べるだけで、

時代の、革命的な変遷を確認できる。

あまり有名とは言えない、この「ブルー・ファイヤー」を聴くと、

オールディーズの終焉の悲しさか、

ボビー・ヴィントンの歌のせつなさか、

涙があふれてくる。

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世の中には似た曲がある。

ある曲が頭に残っていて、新しい曲を作る時なんとなく似てしまった。

ある曲にインスパイアされて、新しい曲を作ったらその曲に似てしまった。

悪気はなかったけれど、似た曲になってしまうことって、きっとある。

中には裁判沙汰になってしまったらしいものもある。

こんな曲たちも、ボクのコレクションの大いなる対象なのです。

これまでもそのいくつかを紹介してきましたが、

今夜は、オールディーズの中でも少し新しいやつを・・・。

80年7月21日に発売され、56万枚以上のヒットとなった曲、

八神純子の「パープル・タウン」。

ホンの少し前にリリースされていた曲と似ていたため裁判沙汰になった。

その曲とは、アメリカのロッカー、ロイ・ケネディの、

「You Oughta Know By Now」、邦題「ロンリー・ガイ」である。

そして、以後、「パープル・タウン」には、原曲タイトルを付加し、

作曲者クレジットにロイ・ケネディらの名を併記することになった。

いわば、カバー曲扱いとなったのである。

当時、ボクはもちろんそんなこと知る由もなかった。

清涼飲料水のCMで「ロンリー・ガイ」が使われた時、

ちょっと話題になったかな?って程度の認識。

“昔の曲に似ている”ではなく、“ホンの少し前の曲に似ている”、

こんな例は本当に珍しい。

そもそも、古今東西、こんなにも多くの曲が溢れている中にあって、

純粋に新しい曲を作る、なんて可能なんだろうか?

そんなことを考えてしまう夜である。

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ノリノリの「ホワイト・クリスマス」が欲しくて買ったレコード、

その、ダーツのことは別の機会に書くとして、

あの、アバの「ハッピー・ニュー・イヤー」を紹介しましょう。

メンバーは、アグネッタ、ビョルン、ベニー、アンニ・フリッド、

この二組の夫婦の頭文字をとったネーミング。

ABBAの最初の2文字を鏡文字にしたロゴが新鮮だった。

ボクが持っているシングルは定番の2枚。

76年リリースで翌年にかけて大ヒットした「ダンシング・クィーン」と、

79年のリリース「チキチータ」。

両方とも、誰が聞いてもアバとわかる楽しい歌。

「チキチータ」は、01年頃タッキーと深キョンの

テレビ・ドラマ「ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ」の主題歌。

この2曲、レコード・コレクターとして持っているもので、

オールディーズ・コレクターとして持っているのではない。

そんな意味では、アバになる前の、

72年に日本でのみ発売されたビョルン&ベニー「木枯しの少女」、

この曲こそがオールディーズ・コレクターの面目躍如。

もしかしたら、アバの成功は、この曲が、

日本でのヒットがきっかけとなったとさえ思ってしまう。

I wish you A Happy New Year!

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アメリカのヒットチャートで、ビートルズはふたつの曲で年を越した。

64年12月26日付でNo.1になった「アイ・フィール・ファイン」は、

連続3週間No.1を続け、65年新年初のNo.1曲となった。

まさに“いい感じ”だったのである。

64年1月18日に初めてトップ100に登場して以来28曲目のこの曲は、

初登場22位から5位、2位とジャンプして、6曲目のNo.1となった。

そして、もう1曲は「ハロー・グッドバイ」。

67年12月30日付でNo.1を獲得し、連続3週間トップを守った。

68年初のNo.1曲「ハロー・グッドバイ」は彼らの15曲目のNo.1である。

“67年にグッドバイ、68年にハロー”だったわけ。

家内と帰省した息子と3人で過ごした我が家の今年の元旦、

明日には、娘夫婦と初孫と、息子の嫁が作った松前漬が登場の予定。

還暦を迎える今年も、I feel fine!な1年になるといいね。

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