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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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今日、東京への日帰り出張の帰路、

飛行機の中でキャビン・アテンダントの英語のナレーションの最後の言葉に、

カッコイイな!って思った。

さりげなく言う、サンキュー。

明日は定年退職の日、

思い浮かぶ感謝の言葉は、サンキュー。

ボクのものすごく好きなアーティスト、ボビー・ヴィーの、

68年、「愛を信じて」のB面、「サンキュー」。

思い出して、引っ張り出しました。

その昔、ラジオの30秒CMのBGMとして大活躍してくれた曲。

『感謝祭』とか『ありがとうセール』とかのコメントのBGMは

決まってこの曲。

曲始まりから23秒後に♪サンキュー♪の歌詞が入り、

30秒以内にもう一度♪サンキュー♪が入る、

ものすごく好都合なのでした。

Thank You!

目上の人たちにはちょっと軽すぎて失礼かな、と思い、

引っ張り出したもう1曲は、

スパイダースの井上順さんのソロ、

井上順之名義の「お世話になりました」。

この月並みな、感謝の言葉の定番なのですが、

やっぱり、これがぴったりですね。

皆さん、お世話になりました。

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6月の梅雨時はカスケーズの季節ですね。

彼らのレパートリーに「April,May,June&July」という曲を見つけ、

4月から7月へのボクの激動の4ヵ月の記念に買ってみました。

カスケーズ、といえば、ソングライターであり、リードボーカルである

ジョン・ガモーなくしては語れませんが、

この曲は、69年、彼の脱退から3年後の「Big Ugly Sky」のB面。

“大きく険悪な空”なんてタイトルの如く、カスケーズらしくなく、

ポップス感が薄く、まったく別のグループだね。

72年のラスト・シングルは「I Started A Joke」、

ご存知、ビージーズのカバー。

これらの曲もまったくヒットせずの解散と相成るわけです。

やっぱり、カスケーズにはジョン・ガモーがいなくては、

と、再確認したのであります。

さて、お耳治しに、ジョン・ガモー率いるカスケーズのデビュー・シングル、

「There’s A Reason」、邦題「悲しいわけは」と、

大好きな「Dreamin’」をフィーチャーした、

62年フランス盤、4曲入りシングルを聴いて、

会社を休んでのゴルフから帰った夕方の、

納得のカスケーズ・コンサートとなりました。

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ここ3回連続で雨の中でのゴルフでした。

雨が降らないと水不足が心配だし、

こんなに降り続くと洗濯物は乾かないし、

まあ、勝手なものですね。

そんな、月並みなことを書きながら聴いているのは、

66年、久保浩さんの「雨のち晴れ」。

彼が主演したテレビドラマ『光と雲と次男坊』の主題歌のB面ながら、

♪~ランランラララ ランランラララ~のコーラスで始まり、

♪~デュワッ デュワッ~♪の女性コーラスの合いの手が入る、

そして、リズムにのって明るくさわやかな歌声が響く。

そんな、青春歌謡の決まりごとをすべて網羅した、

佐伯孝夫・吉田正先生の名作だと思います。

もちろん、同じメンバーによる「光と雲と次男坊」もグッドですが、

♪~ 泣かなくたっていいんだよ

   雨の日ばかりじゃないんだよ

   どんなに雲が黒かろうと

   雲のうしろにゃ太陽が

   僕等の若い太陽が

   ああ降ってもいつかは晴れるんだ ~♪

いまどき、こんなベタな励ましで納得する人なんていないけれど、

60年代はいい時代だったんだね。

ボクだけでも、ぜひ、これからもこうして生きていきたいものですね。
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リプリーズは、60年にフランク・シナトラが興したレコード会社で、

ディーン・マーティン、サミー・デイヴィスJr.等、ファミリーが結集した。

63年にワーナーに売却されたけれど、

それ以降も、サブ・レーベルとして存続した。

その、リプリーズ・レーベルに、

ボクの大好きな、ガールズ・グループの隠れた名曲がある。

ガールズ・グループは、溢れる若さと無邪気さでひとつの時代を築いたけれど、

ロックンロールの波にかき消され、あっという間に消えてしまった。

そんな哀愁と儚さこそが、ボクたちが虜になっている理由である。

そんな、一押しの1枚は、あの「イカシタ彼」「ワン・ファイン・デイ」の

シフォンズ、唯一のリプリーズからのリリース盤、

62年の「ドクター・オブ・ハーツ」。

「アット・ザ・ホップ」スタイルの、軽いノリのダンシング・ナンバーです。

もう1枚は、ヘルナンデス三姉妹のレヴロンズ、

64年の「アフター・ラスト・ナイト」。

奇しくも、シフォンズのB面曲を、あのデヴィッド・ゲイツがアレンジ、

明るくメリハリのある陽気なナンバーに仕上げてしまったもの。

この2曲、ボクの秘蔵のコレクションなのです。

ついでながら、リプリーズの創設者、フランク・シナトラの、

たった1枚の所持盤は、66年全米1位「夜のストレンジャー」。

昔は魅力を感じなかった曲ですが、

この歳になると、その味わいに感動すら覚えるのはなぜなんだろうか・・・。

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少し前、高校時代の同窓生のMLに、

シャーリー・エリスを聴いている、って、おしゃれな投稿をもらって、

早速ブログにアップしようと、レコード棚から2枚をピックアップしたけれど、

どうしても、もう1枚、彼女の初ヒット曲がなければ、って、

eBayにチャレンジしてようやく揃えることができました。

彼女の最大ヒット曲は、65年1月全米3位「ネイム・ゲーム」。

パーティが盛り上がりそうな、名前遊びの歌。

レコード・ジャケットに遊び方の説明があるのですが、

ボクには理解不能。

特定の名前の頭文字を取って、変化させたり、韻を踏んだり、

語感のおもしろさを楽しむ遊びでしょうか。

さて、以前から持っていたもう1枚は、

65年4月の全米8位「クラッピング・ソング」。

邦題は「お手々をたたいて」、

さぁ、みんなで、手拍子手拍子、てな調子。

そして、今回手に入れたのは、64年1月全米8位「ニッティ・グリッティ」。

こちらも、ハンド・クラッピングがノリノリ、

まるで、ライヴ・ハウスでやっているかのようなゴキゲンな歌。

ニッティ・グリッティ・ダート・バンドのファンとしては、

やっぱり持っていなくてはならない1枚でした。

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ブログのネタ探しで、邦楽のレコード棚を探っていると、

大学生時代に買った1枚のレコードが出てきた。

72年、女性デュオ、ピンク・ピクルスの「一人の道」。

東京オリンピックの男子マラソンのゴール直前、

2位でスタジアムに戻ってきた円谷幸吉選手に迫ってくる

ヒートリー選手との激闘を語る実況から始まるこの歌は、

その4年後自殺した円谷選手がテーマになっている。

国の代表として、オリンピックやワールドカップに出た選手、

ふるさとの代表として、甲子園に出場した選手、

活躍すれば賞賛の拍手を浴び、ヒーローになる。

すばらしいことだと思う。

しかし、失敗したり、ミスで破れたりすると、

まるで犯罪者のように非難される、

南米では射殺されたサッカー選手もいた。

この過剰なナショナリズム、どうかしている。

円谷選手の思いをテーマにした「一人の道」、

下宿でひとりで深夜放送で聴きながらウルウルした歌である。

気分一転、女性デュオのもう1枚、

71年、ジャネッツの「恋の汽車ポッポ」で、少し明るくなれるかな。

ボクの青春時代の思い出のレコードである。

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ホンの少し前、“ノベルティ・ソングは世界共通ではない”と書いたけれど、

今夜のヤツは、世界共通のノベルティ・ソング。

月曜日23時フジテレビ『ほこ×たて』、矛盾する話はよくある。

歌詞や文化で勝負するタイプは、世界共通ではないけれど、

メロディやリズムで勝負するタイプは、世界共通。

解説すると、まぁ、こんな感じである。

63年全米16位、ランデルスの「Martian Hop」、

邦題「ゴキゲン火星ちゃん」は、タイトルからしてノベルティ。

火星はMars、Martianは“火星の”とか“火星人”のこと、

Americaに対するAmericanのような塩梅。

だから、直訳すれば、「火星人のダンス」ということになる。

歌詞も、ボクにはよくわからないけれど、

火星人ダンスを見ようと、宇宙船に乗って火星に着くと、

火星人が♪イーイー イーイーイー♪というサウンドに合わせて、

ツイストしたり足を踏み鳴らしながら踊っているよ、

火星から戻ってきたけれど、今もなお♪イーイー イーイーイー♪の音が聞こえる。

そんな内容だそうだ。

トラッシュメンの「サーフィン・バード」を拝借したフレーズも印象的。

ランデルスは、兄弟二人と従兄弟で結成されたグループで、

ノベルティ・ソングの王道、テープ早回しの術を使っている。

まさに、ノベルティ・ソングの宝石箱やぁ~!
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ボクは、整理の都合上、輸入盤にはジャケットを手作りしている。

なのに、レコード・ジャケットのない輸入盤をレコード棚で見つけた。

The Spice Racq、

なんだぁ?この、やたらと片づけ上手そうなグループは。

こんなグループ、全然知らないし、なぜボクが持っていたのかも覚えがない。

曲のタイトルは、「Is It Useless」、

スペース・ラックが歌う「役に立たないかい?」だなんて、ちょっと出来すぎ。

調べてはみたけれど、わかったのはこのレコードが69年の発売ってことだけ。

そこで、今夜は、Useless=ムダ、について語ってみることにした。

何かに備えて“準備する”、ことって大切ですね。

学生時代は、先生に当てられた時カッコよく答えたいために予習した。

今は、プレゼンテーションの時の想定問答を準備する、

不測事態に備えてその対策を策定する、

ゴルフに行く時優勝コメントを考えておく。

そんな質問がなかったら、不測事態が起こらなかったら、

優勝なんてするわけはないし、

その作業はムダになる。

でも、もし起こったら、誰よりも早く、どこよりも的確に、

コトに対応することができる。

これは、排除すべきムダではなく、“価値あるムダ”だと思う。

準備は、価値あるムダの積み重ね。

人生も、こんなムダの積み重ねで豊かなものになる、のだと思う。

スペース・ラックの「Is It Useless」、

結構深い、いい曲だ。
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我らが南沙織の、73年7月発売の8枚目のシングルに驚いた。

洋楽ポップスのカバー、それもA・B面とも大ヒット曲。

2曲とも歌詞は英語のまま。

A面は、「It Never Rains In Southern California」、

72年12月全米5位、アルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」。

B面は、「The Rain,The Park And Other Things」、

67年12月全米2位、カウシルズの「雨に消えた初恋」。

特にボクが気に入っているのは、「雨に消えた初恋」、

彼女のやさしいボーカルと、リバティ・ベルスのコーラスがとても心地よい。

ホンの少し前に大ヒットした洋楽ポップスを、

英語そのままの歌詞でカバーして、

しかも、シングル発売するなんて、

君は、なんて勇気ある者なのだ!

「カリフォルニアの青い空」を聴きながら思い出したのは、

85年の西海岸への研修旅行のこと。

サンフランシスコでSCや外食チェーンを視察し、空路サンディエゴへ、

サンディエゴからバスで大規模住宅地を視察しながらロスへ、

ロスではCATV局や広告会社を訪れ、もちろんディズニーランドへ、

そして、ハワイでくつろいだ11日間の旅であった。

当時は1$=260円、

2月だというのに、毎日が青空、

南カリフォルニアに雨は降らない、ことを実感した。

もう26年も昔のことである。

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コロンビア・レコードの33回転の7インチ・シングル、

この古い珍しいレコードは、51年ビルボードの旧チャートで1位に輝いた

ローズマリー・クルーニーの「Come On-a My House」。

邦題「家へおいでよ」、と言った方が通りがいい名曲である。

この曲を書いたのは、ロス・バグダサリアン。

彼は、58年4月、デヴィッド・セヴィルとして全米No.1に帰ってきた。

その曲は、「ウィッチ・ドクター」。

バック・ミュージックとボーカルの速度を変えて奇妙な声を作り出した、

わかりやすく言うと、「帰って来たヨッパライ」スタイルの歌である。

そしてまた、その年の12月、彼は三度(みたび)全米No.1を手にする、

今度は、デヴィッド・セヴィル&チップマンクスとして。

タイトルは「チップマンク・ソング」、

ボクのコレクション・シングルは、

59年3月全米3位「アルヴィンズ・ハーモニカ」とのカップリング。

チップマンクは、北米シマリスのキャラクターで、

今でも根強い人気をもつアニメの人気者なのである。

レコード・ジャケットにあるように、

彼ら3匹は、アルヴィン、サイモン&セオドア、

リバティ・レコードの重役やエンジニアから拝借したネーミング。

ロス・バグダサリアンは、こうして名を変え品を変え、

全米中に、いや世界中に、自らの足跡を刻んだのである。

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66年のNHK連続テレビ小説は『おはなはん』であった。

母や近所のおばさんは全員見ていた。

まさに社会現象であったからか、

高校1年生のその年の10月14日、体育祭の服装競争、

ボクのクラスと隣のクラスの課題は『おはなはん』であった。

隣のクラスの女の子は“おはなはん”、

ボクがモデルになったのは“おはなはんの旦那さん”、

古いアルバムから、扮装後のお披露目パレードの写真を見つけた。

思い出話になってしまったけれど、何が奇遇かといえば・・・

この『おはなはん』の舞台は、愛媛県大洲市、

“伊予の小京都”と呼ばれる穏やかで美しい町で、

大学生の頃は、肱川の河原でキャンプを楽しんだり、芋炊きに舌鼓をうったりした。

このロケが行われた古い町並みは今も“おはなはん通り”として保存されている。

原作の舞台は徳島市だったけれど、何かの事情で変更された、という。

高1の時は、まさかその愛媛県で暮らすようになるとはつゆ知らず、

『おはなはん』を見ていたんだなぁ、と感慨も深い。

テーマはインストだったけれど、歌詞をつけてレコード発売したのは、

寅さんの妹“さくら”になる前の倍賞千恵子さん。

最近、久しぶりにCMで見かけるようになったけれど、

その昔は大女優で、歌手としても大人気であった。

62年の「下町の太陽」、65年の「さよならはダンスの後に」は、

とても懐かしく、大切なコレクションなのである。

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サーフ・インストのようでもあり、

ガールズ・ポップのようでもあり、

ノベルティ・ソングのようでもある。

そんな、楽しい、奇想天外で、多彩な魅力をもった、不思議な曲である。

作者は、リー・ヘイズルウッド、

サーフィン・サウンドの作者、プロデューサーとして、

ナンシー・シナトラのデュエット・パートナーとして、

強烈な個性を発揮した御仁である。

曲名は、「Surfin’ Hootenanny」、

フーテナニーは、フォークソングの合唱会のこと、

サーフィン版の合唱会、という塩梅。

演奏者は、アル・ケーシー、

ロングビーチ生まれ、スタジオ・ミュージシャン出身のギタリストである。

コーラスは、女性グループKC-Ettes(KCエッツ)、

正体は、スペクターのセッションでお馴染みのブロッサムズである。

曲のハイライトは、

ディック・デイル~ベンチャーズ~デュアン・エディと続くものまねプレイ。

そして、ビルボード最高位は、63年8月17日の48位。

ヒットの後にリリースされた、透明の赤ビニール盤もコレクションしました。

加えて、梅雨が明けるのが待ち遠しいカーライフの必需品は、

唯一のアルバム「サーフィン・フーテナニー」、

レオン・ラッセルのオルガンや、ハル・ブレインのドラムの音も楽しめる、

そんなゴキゲンな1枚です。

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62年10月、ビルボードNo.1ヒットになったのは、

「モンスター・マッシュ」。

ハロウィンに最も相応しい曲と言われている。

その証拠に、この曲、70年9月全米91位、73年8月全米10位、

そしてこの年、62年に放送禁止になっていた英国でも3位を記録した。

なんと、07年11月にも全米79位にランクされた。

超ロング・セラー曲である。

ノベルティ・ソングのすべてがそうだとは限らないけれど、

ノベルティ・ソングの多くは、

その国の、その時の世相を知らなければ、その魅力を理解しにくい。

ボクたちが今聴いても、その魅力はわからないし、

ましてや、なぜ全米1位になるのかなんて、不思議でしょうがない。

アーティスト名、ボビー・“ボリス”・ピケット&ザ・クリプト・キッカーズの

ミドルネーム“ボリス”は、フランケンシュタインの名優から拝借、

この曲、ボリス・カーロフの声色で歌っているという。

まるで、ハンダースの「想い出の渚」のようである。

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子供たちが小さい頃、ボクの車の中でのBGMはGSメドレー、

カセット・テープにランダムに録音したものをずっーと流しっぱなし。

ある時、息子が言った一言、

“お父さん、この人、悪い人だね!”

“えっ?”

何のことかさっぱりわからずにいたら、

♪~ ぽーい ぽーい 渚に捨てよう ~♪、なんだって!

正解は、♪~ 遠ーい 遠ーい 渚に捨てよう ~♪

今、久しぶりに聴いていたら、そんなことを思い出した。

今では30歳を超えた息子のエピソードである。

若手No.1ギタリスト三根信宏をフィーチャーした

実力派バンド、井上宗孝とシャープ・ファイヴをバックに、

この「遠い渚」を歌うのは、シャープ・ホークス、

異色の混血グループである。

トミーはスペイン系、サミーはフィリピン系、アンディはロシア系、

そして、強面、リキヤはイタリア系、あの安岡力也さんである。

レコード・デビューは66年9月、「ついておいで」。

歌そのものよりも、三根さんのギターの冴えが印象的だった。

2曲目は一転、バラード、「遠い渚」は彼らの最大のヒット曲となった。

♪~ ふたりで砂に書いた 愛の言葉

   冷たく波が消していく

   僕の心の 痛みもいつか

   遠い遠い 渚にすてよう  ~♪

レコードと一緒に歌ってしまう、近所迷惑な夜である。

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P.S.

今朝、ブログに紹介したレコードをレコード棚に戻そうとして、

シャープ・ホークスのもう1枚のレコードを発見した。

67年8月、アンディに代わってジミー・レノンが新加入、

ジミーのソロ・パートが新鮮な「海へかえろう」。

「遠い渚」のヒットよもう一度、路線でした。
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2007年12月、NY出張のフリータイムに、

中古レコード店を求めてグリニッチ・ヴィレッジへ。

マンハッタンまで歩いて帰ろうとブラブラしていると、大きな凱旋門があった。

ここが、あのワシントン・スクエアだ。

ツアー・パンフによると、あの凱旋門は、

ワシントン大統領就任100周年を記念して建てられたものらしい。

「ワシントン広場の夜はふけて」のメロディを口ずさみながら、

初冬の空は薄ら寒く、人通りもまばらで、ひとり哀愁に浸っていると、

木々や芝生を忙しく動き回るリスを発見した。

ものすごく多くのリスたちが、落葉の中を我が物顔に走り回っていた。

思わずカメラを向けたけれど、ポーズもとってくれないし、動きも早い。

満足な写真は撮れなかったけれど、本当に可愛いかったなぁ。

63年秋、グリニッチ・ヴィレッジで結成されたヴィレッジ・ストンパーズは、

フォーク・ソングとデキシーランド・ジャズを合体させたような演奏で、

「ワシントン広場の夜はふけて」を全米2位に引き上げた。

この曲に歌詞をつけて歌ったのが、エイムス・ブラザース。

そして、日本語カバーは09年3月18日に紹介したパラダイス・キング。

今なら、この曲をあの冬空のワシントン広場をイメージしながら聴ける。

漣健児さんの歌詞は、オリジナルとだいぶ内容が違っているけれど、

ボクらにとってのワシントン広場は、

♪~ 静かな街の片すみに 冷たい風が吹きぬける ~♪

なのである。

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