FC2ブログ

BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

img2013

大学4回生の年以来、38年ぶりの楽しい夏休みも、

いよいよ明日までとなってしまいました。

社会と直接関わっていないという、多少の不安感にも似た焦燥と、

何者にも束縛されない、ハレバレとした自由と、

保険料や税金の支払いや、ハローワーク通いなどの人生初体験。

人生の宿題はまだ済ませられなかったけれど、

本当にリフレッシュできた、新鮮で貴重な2ヵ月間でした。

そして、ご縁をいただいて、明後日からは再度の社会人と相成ります。

というわけで・・・、

きっと、明日になったらピッタリとくる選曲です。

71年、タクロー3枚目のシングル、「今日までそして明日から」。

ボクより5歳年上の吉田拓郎さんのデビューは、

ボクの大学生活とピッタリと重なる。

この「今日までそして明日から」も、B面の「ともだち」も、

タクローさんの詩は、ボクらの頃の青春の想いと重なる。

素朴で、ちょっと過激で、

オリジナリティにあふれたセンテンスが、ボクらの共感を呼んだ。

広告屋になってからも、こんなコピーが書きたかった。

とにもかくにも、

明後日から、また懸命に働こうと思います。
img2011

MTVで放映されるミュージック・ビデオはすばらしいものだった。

だから、その音楽がどんなに魅力的なものなのかが曖昧になった。

だから、そのレコードを買うべきかどうか迷ってしまった。

それから10年程経って、まだそのレコードが欲しいと思えるものだけを買った。

そんな数少ないレコードのひとつは、

83年6週間にわたり全米1位を記録した曲、

アイリーン・キャラ、「フラッシュ・ダンス~ホワット・ア・フィーリング」。

朝早く、橋やトンネルや坂道を通って自転車でアルバイトに通う、

過酷な仕事で資金をつくり、ダンスにかける彼女の青春、

そんな物語を、この曲と美しい映像にのせて、印象的に伝えていた。

もう1枚は、同じく83年6週間にわたり全米1位を記録した「セイ・セイ・セイ」、

まだ素朴なままのマイケルとB4ポールのデュエット。

このドリンクを飲めばたちどころにちからモリモリ、

マイケルがサクラとなって、このドリンクを売りまくるポール、

金を数えながら旅立つポールの乗ったトラックの荷台にマイケルが合流し、

このふたりがグルだったことがわかる。

今でも、この曲を聴くとそんなふたりのペテン師の映像が脳裏に浮かぶ。

確かに、楽曲もアーティストもすばらしいのかもしれないけれど、

この音楽を単純に楽しむ気にはならない。

だから、ホール&オーツもデュラン・デュランも買う気にはなれなかった。

MTVの文化は否定しないけれど、

ミュージック・ビデオのすばらしさは認めるけれど、

それは、音楽の側からみれば、決してボクの好みではないね。

img2012
img2010

80年代のボクは、仕事が最高におもしろかったことと、

音楽が映像になってしまったことで、

洋楽に興味を失っていた。

ミュージック・ビデオは、インパクトをもってイメージを固定化する。

もちろんそれはメリットなのだけれど、

ボクにとっては、デメリットなのである。

音楽は、ラジオは、レコードは、

聴く人が自由にイメージを創造できるという魅力をもっている、と思う。

その頃は、ボクに代わって家内がMTVに夢中になっていたから、

ボクもまったくの門外漢だったわけではない。

81年8月1日、MTVはスタートした。

その1曲目は、最初のビデオは、

79年全米40位、全英1位、バグルズの「ラジオ・スターの悲劇」だった。

原題は「Video Killed The Radio Star」は、

ビデオの普及がラジオ・スターを殺した、という内容の曲。

まさに、80年代を予見した曲なのであった。

そして、MTVのスタートにふさわしい、ウィットに富んだ曲なのであった。

80年代のボクの数少ないコレクションについては次回に書きたいと思う。
img2008

一昨日、と書いて“おとつい”と読む、少なくとも奈良では。

その一昨日の夜、昨日はゴルフだというのに夜中に目覚めてしまった。

久しぶりに『くり万太郎のオールナイトニッポンR』を聴く。

2年程前までやっていた、アンコーさんの『エバーグリーン』の後番組、

その頃は毎晩聴いていた。

選曲もトークも、アンコーさんやカメちゃんの頃の感じで、

聴いていたらだんだん目が冴えてきて、

いつになく、かかる曲の歌詞を噛みしめて聴いて、感動を覚える。

残念ながら、愛媛では“飛び降り”のために途中で終わってしまう。

『エバーグリーン』の頃から“一部地域”であることの悲哀を感じる。

仕方がないので、夜中に引っ張り出したのは、

71年、カメ&アンコーの2枚目のシングル、

「ひとりぼっちの唄」。

北山修・加藤和彦の、深夜放送をひとりで聴いているボクに向かっての唄。

レコード・ジャケットがいい、

丁寧な書き込みは、レコード・ジャケット制作のマニュアルだね。

そして、B面は、「僕を呼ぶ故郷」、

こちらも北山・加藤の、せつなく悲しい、そしてやさしい歌。

また“裏面”というだけあって、レコード・ジャケットも“裏面”になっている。

たった1枚のレコードを楽しみながら夜が明けてしまった。

でも、その日のゴルフのスコアは、幸か不幸かいつも通りであった。

img2009
img2006

ボクのレコード・コレクションも最近は様変わり。

ウォンツ・リストにあるレコードは、

もう、メッタに市場に出てこないし、

出てきたとしても、ものすごく高い、高すぎる。

だから、メールで送られてくる試聴付きのセールス・リストの中から、

気に入った曲を選び、落札することが多くなった。

ボクが物心つく前の、今までまったく知らなかった曲の中に、

とてもいい曲が、まだまだいっぱいあるのです。

そんな曲のひとつが、これ。

56年、シックス・ティーンズの「センド・ミー・フラワーズ」。

男性3人・女性3人の6人のグループ、だからSix Teens、

かと思いきや、デビュー時の6人の平均年齢がSixteenだという。

一番年上は17歳、リードボーカルの女の子は最年少の12歳、

ドゥワップで、チルドレン・グループ、

フランキー・レイモンとティーンネイジャーズのフォロワーである。

その上に、ガールズ・ポップスとしても成り立つ、

ナンセンス・シラブル、声変わり前のファルセット風の高音、

低音の“ボイパ”がリズムを刻む、すべてお約束のオールディーズ。

ボクが嫌いなわけがない。

今度のドライヴのお伴は、ティーネイジャーズのCDにしよう。

img2007
img2003

今夜は無性に単純でシンプルなロックンロールを聴きたい!

じゃ、いったい何がロックンロールなのか、って考えると、

広くて、狭くて、例によってファジーなジャンルである。

考えあぐねた末、

73年の映画『ロックンロール・エクスプロージョン』のテーマなら間違いない、

というわけで、56年全米27位、R&Bチャートでは1位の曲、

シャーリー&リー、「レット・ザ・グッド・タイムス・ロール」から。

この映画の収録曲の数々はちょっと横において、

次は、“ロックンロール”というタイトルの曲なら間違いない作戦。

まずは、“ロックンロールに別の名を与えるとすれば・・・”

とジョンに言わせた、チャック・ベリー、

スバリ!「ロックン・ロール・ミュージック」、

こちらは57年全米8位。

そして、お次は、59年の「ミスター・アンド・ミセス・ロックンロール」、

59年、ボビー・デイ。

最後は、もちろん、ビートルズですよ。

チャック・ベリーを信奉するジョンがシャウト、疾走感あふれる一曲、

日本公演のオープニング曲だったと思う。

「ロック・アンド・ロール・ミュージック」、

64年のリリースだけれど、英米チャートに入っていない。

それもそのはず、なんとシングル発売されていないのだ。

日本では65年2月の発売、

だから、こうして、ボクが楽しむことが出来るのである。

ロックンロールの付く曲、もう他になかったかな?

img558 img2004 img2005
img2001

ボクのブログで、

全米○位と書いているのは、1940年からのビルボードチャート、

全英○位と書いているのは、1952年に始まったUKチャート。

対して、日本のチャートと言えば、オリコン・チャートですね。

オリコンの小池聰行さんが、

“人気とは何か?その真実をこの手でとらえてみよう!”

そう考えて、レコードの売り上げをもとにチャートを作り始めたのは、

昭和42年、1967年のことだった。

そして、最初のオリコン・ナンバー1は、

68年1月4日付、黒沢明とロス・プリモスの「ラブユー東京」。

3週間1位を続け、1月25日から連続5週間1位を堅持したのは、

オリコン史上初のミリオン・セラー「帰って来たヨッパライ」。

続いて2月29日から5週間は、伊東ゆかり「恋のしずく」。

ボクの持っている資料は、『オリコンチャート1位ヒットソング集』、

赤い上巻は68年から85年まで、

緑の下巻は86年から94年までを網羅している。

この間の歴代シングル売り上げチャートや、アーティスト別チャートなど、

いつまでも見ていて飽きないデータ・ブックである。

最近はパソコンで何でも検索できるから、

もう、こんな本は必要ないのかもしれないけれど、

そして、ボクもその恩恵にあずかっているひとりだけれど、

なんだか、少し寂しい気もする。

img643 img2002 book8

img1997

“涙のテディー・ボーイ”(byキャロル)、テディ・ランダッツォ。

ポップ歌手、映画スターとして、まあまあの成功をおさめていたけれど、

彼が本当に成功したのは、

作曲家、アレンジャー、プロデューサーとしてだった。

08年9月8日に紹介した日本でのみのヒット曲「ワン・モア・チャンス」を含む

このコンパクト盤に収録された「嘆きの道化師」こそが、

60年全米44位、彼の歌手としての最大のヒット曲だった。

この、原題「The Way Of A Clown」は、

バリー・マンとハワード・グリーフィールドによる、

ティーン・ポップスの名曲である。

彼のスタッフとしてサポートしたヒット曲もさることながら、

天邪鬼なボクは、彼の歌手としての幾つかの曲が大好きだ。

輸入盤シングル「The Way Of A Clown」のB面、

テディ自身とシンシア・ウェイルによる「Cherie」。

テディのスタッフ・チームによる「I’m On A Merry-Go-Round」。

特にこのマイナーな2曲は、彼の歌手としての魅力を醸し出している。

img606 img1998 img1999
img1995

男性歌手の歌を女性歌手がカバーする、

女性歌手の歌を男性歌手がカバーする、

昔からそんなに珍しいことではないけれど、

日本では、最近の流行りですよね。

昔も、探せばいっぱいあると思うのですが、

ボクがちょっと感動したカバーのひとつを紹介しましょう。

小椋佳、71年の「春の雨はやさしいはずなのに」をカバーしたのは、

Kとブルンネンの「あの場所から」をカバー・ヒットさせた人、

朝倉理恵。

♪~ むなしさが夕暮れと雨を連れてきて

   さびしさが夕空と街を暗(やみ)にぬり

   何だか涙も出やしない 出やしない

   春の雨はやさしいはずなのに

   すべてがぼやけてくる

   どうってことないんかな

   どうってことないんかな ~♪

小椋佳の、青春の哀愁となぐさめは、大学生のボクに共感を運んだ。

75年、朝倉理恵の、澄み渡った清らかなつぶやきは、

社会人になったボクの心を癒してくれた。

長らく忘れていた青春時代の感傷を思い出す夜である。

img1996
img1993

毎日のニュース、見ています?

円高が続いていますね。

日本の円が高いのだから、日本人にとってはいいことのようですが、

円高は日本国内に不況をもたらすのです。

簡単に言うと、輸出が減少し、関連企業が打撃を受ける、

そして、輸入品が割安になることから、国内生産がダウンする、

そして、景気が悪化する。

こんなメカニズムでしょうか。

けど、eBayオークションでレコードを買うボクにとっては、

割安に珍品を入手できるチャンスでもあるのです。

最近その恩恵を受けて、ようやく入手できたレコードがこの1枚です。

前回紹介したハニーズの、実質的には別名グループ、

ジンジャーとスナップスの「Seven days In September」。

65年のリリースですが、すばらしいガールズ・ポップスです。

金髪のジンジャー・ブレイクをフィーチャーしたゴキゲンなオールディーズ、

雷や雨の効果音、そしてお約束のナレーション入り、

過ぎてゆく夏を惜しむ最高の1曲です。

国内盤も発売されていて、邦題はそのまんまの「9月の7日間」、

いまだかつて出合ったことのない貴重品なのです。

この曲の作者は、モンキーズの生みの親といっても過言ではない二人、

ボイス&ハートです。

日本ではちょっぴりヒットした69年の「風にくちづけ」、

こちらは、約40年前に買った1枚です。

img1994
img1990

サーフィン・ミュージックで、ガールズ・グループ、とくれば、

ファンにならずにはいられません。

まったくヒットしなかったけれど、

コレクターの間では彼女たちのシングル盤は大人気なのです。

ボクが狙っているシングル盤なんて、eBayで400ドルもするのです。

いくら円高だといっても、ちょっと二の足を踏んでしまいます。

そのシングルの話はまだまだ先の話として、

その彼女たちの名は、ハニーズ。

ビーチ・ボーイズの「サーフィン・サファリ」の歌詞からのピックアップで、

“サーファーたちのガールフレンド”のことだそうです。

63年、セカンド・シングルは「プレイ・フォー・サーフ」、

こちらは、ジャン&ディーンの女性版。

B面は「ハイド・ゴー・シーク」、まさに初期ビーチ・ボーイズです。

A面はメンバーの作で、B面はBB5のブライアンの作。

ハニーズの音源のほとんどは、ベスト盤CDでもっているのですが、

メンバーは右から、ダイアン、マリリンのロヴェル姉妹、

金髪の女の子は従姉妹のジンジャー・ブレイク。

真ん中のマリリンは、BB5ブライアンの奥さんで、

ジンジャーはゲイリー・アッシャーのガールフレンド。

今ボクが持っているもう1枚は、ベスト盤にも入っていない曲で、

オールディーズの名曲「イチゴの片想い」のカバーで、

68~69年のリリース。

ハニーズは、もう数少なくなったコレクョン・ターゲット・グループなのです。

img1992 img1991
img1987

ここんとこ、暑い日が続いています。

暑い日のゴルフはものすごく疲れます。

そして、所属会社がなくなってからのゴルフは天真爛漫なのですが、

緊張感がなくなってスコアは乱れがち。

そんな、気分を癒してくれるのは、やっぱりビーチ・ボーイズですね。

論理的ではありませんが、抒情的に理解できる人はナマカ(by香取’s悟空)です。

というわけで、聴きたくなったのは

64年全米8位、「ダンス・ダンス・ダンス」。

ビーチ・ボーイズ、といえば、やっぱり夏のイメージなのですが、

この曲がヒットしたのは冬、12月19日付での最高位が8位なのです。

気分ウキウキ、ゴキゲンにノリノリの後は、

B面の「太陽あびて」でクールダウン、

美しいバラードです。

「ダンス・ダンス・ダンス」というタイトルの曲、もう1枚持ってます。

ビーチ・ボーイズよりも前の、63年全米89位は、

「ペパーミント・ツイスト」のヒットでおなじみ、

ジョイ・ディーのソロ・ヒット。

こちらは、ビーチ・ボーイズより、ロックンロールしています。

その昔、タイトル買いした1枚です。

img1988 img1989
img1983

1963年、東京オリンピック前年、ボクは中学1年生。

“ビートルズ前夜”のこの年は、ボクのコレクション・アイテムのピーク年です。

洋楽のガールズ・ポップスも、ティーン・ポップスも、

この年を最後に衰退するのです。

ところが、

この年の、実際のボクといえば、

まだ、“洋楽狂い前夜”の、♪~純情可憐なムスターファ~♪

上級生から初めてエレキギターの音を聞かせてもらってはいたけれど、

山下敬二郎さんの「ダイアナ」を歌っていたけれど、

『ザ・ヒットパレード』の洋楽カバーは大好きだったけれど、

歌謡曲にも大いに興味があったのです。

というわけで、思い出す限りの63年のデュエット青春歌謡を集めてみました。

まずは、いまでも歌える「星空に両手を」、

63年9月発売の、島倉千代子&守屋浩、ビッグネーム・コンビ。

そして、6月発売は、前年に「幸せを掴んじゃおう」をヒットさせた

小宮恵子&金田星雄の異色コンビ歌う「二人で駆けよう」。

金田は、カネやんの弟で一軍経験なしでスワローズを引退した背番号46。

もう1枚は、吉永小百合さんの相手役、浜田光夫が、

三条江梨子とデュエットした3月発売の「草笛を吹こうよ」。

こんな曲を聴いている頃、

アメリカにはビートルズが上陸しようとしていたのです。

img1984 img1985 img1986
img1980

前回に続いてビートルズ・ネタです。

1968年“いい夫婦の日”にリリースされたアルバム『The Beatles』、

この通称“ホワイト・アルバム”の冒頭を飾る、痛快なロック・ナンバー、

「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」。

言うまでもなく、タイトルはチャック・ベリーのもじりで、

ファルセットも飛び出すコーラスはビーチ・ボーイスのスタイル、

パロディ・チックながら、初期のビートルズを思わせる。

ところが、シングル・カットなしでがっかりしたのを覚えています。

そして、見つけたのはクリフ・ベネット盤。

クリフは、イギリスのロック・シンガーではあったけれど、

この1枚が国内発売されたのは、彼の全盛期を過ぎた69年。

やっぱり、ビートルズのシングルが欲しい!

ようやくシングル発売されたのは、76年6月、

イギリスのPARLOPHONEからでした。

ですから、米チャートにはのらず、全英19位、

B面は「ツイスト・アンド・シャウト」といった塩梅。

幾多の苦難を乗り越えて、ようやくゲットした1枚です。

聴くところによると、リード・ギターもドラムスもポールということ、

もう、ポールのソロ作品といっても過言ではない。

もちろん、タイトルの元ネタは、

59年全米37位、チャック・ベリー「バック・イン・ザ・U.S.A.」。

img1981 img1982
img1977

ものすごくゴキゲンなロックン・ロール。

74年夏、ジョン・レノンは、

エルトン・ジョンをキーボードに迎え、

「真夜中を突っ走れ」を録音した。

エルトンはこの曲のヒットを確信し、

この曲がチャートのトップになったら、

レノンがエルトンのコンサートに出演するという約束をした。

そして74年11月、ソロとして初めてビルボードNo.1に上り詰めた。

レノンは、2週間も経たないうちに、約束を実行した。

11月28日、マディソン・スクエア・ガーデンのエルトンのコンサートで、

彼はこの曲と、「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」と、

ポールの曲「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」を一緒に歌った。

このコンサートは、レノンが出演した最後のステージとなり、

エルトンの「LSD」は75年1月ビルボードNo.1に輝き、

75年4月のNo.1「フィラデルフィア・フリーダム」のB面に、

「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」を入れた。

Elton John & John Lennon、

名前に同じJohnを持つ、

ふたりの偉大なロックン・ローラーの素敵な物語は、

こうしてヒット・チャートにその名を刻んだのである。

img1978 img1979