
徳川に親藩が尾張、紀州、水戸の三家しかなかったために、
三田明は橋、舟木、西郷の後塵を拝してしまった。
後に、四天王などと慰めの冠をいただいたけれど、
デビューの時代が悪かったのかもしれないね。
62年『ホイホイ・ミュージックスクール』で認められて、
63年にデビュー以来、65年頃までは“アイドルの時代”、
この頃の歌ならたぶん歌える。
65年11月、偶然起きた飛行機事故のため自粛となった
悲運の「若い翼」をはさんで、
彼の第2期は“リズム歌謡の時代”、
♪~ あなたも僕も ホラ君も ~♪
66年4月の「アイビー東京」、
♪~ こんなに こんなに 愛してる ~♪
8月の「恋のアメリアッチ」、
♪~ エルビラ エルビラ ~♪
67年2月の「カリブの花」、
この3曲は、ボクの高校時代、隠れファンだった曲なのです。
この後、二十歳になった彼は、“演歌の時代”へと進んでゆくのでした。
(この時代区分はボクの独断と偏見です)


