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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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12~13年前、高松に居た頃、

とにかく街を歩くとここかしこでやたらと流れていたのは、

「オートマチック」、

15歳の宇多田ヒカルの日本デビューの曲。

歌、上手いなあ、と思ったのを覚えている。

じゃ、日本一歌の上手い女性歌手は?、なんて言われても、

そんなのは主観だから特定できないのは百も承知だけれど、

ボクの人生の中で、ボクの好みの範囲で、

それはきっと、弘田三枝子さんだと思う。

64年、彼女が17歳の時、東芝からコロンビアへ移籍したての

「砂に消えた涙」を聴いてみて、あらためて納得。

彼女は14歳でデビュー、というから、末恐ろしい少女だった。

これまでもう何枚も彼女のレコードを紹介したけれど、

今夜はそれも含めて11枚の洋楽カバー・シングルを聴く。

そして、まだ掲出していなかった3枚のジャケットを掲載した。

「砂に消えた涙」は、ミーナのカバー、

ニール・セダカのカバー、62年の「すてきな16才」、

コニー・フランシスのカバー、63年の「渚のデイト」。

カバーというけれど、どれもこれも、まるで彼女のオリジナルのようだね。

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昨日は久しぶりの元の部下の結婚披露宴で、

ボクの頭の中にはずっーと1曲の歌が流れていた。

60年全米7位、エヴァリー・ブラザーズの「二人は恋人」。

オールディーズ・ファンの皆さんにはこの邦題は馴染みが薄い、

「Let It Be Me (レット・イット・ビー・ミー)」。

ロックンロールにポップスの趣と美しいハーモニーを付加した男たち、

まるで男女のデュエットかと思ってしまうような美しさである。

この曲のルーツはシャンソンの名曲、

55年、ジルベール・ベコーの「Je T’appartiens」、

邦題は「神の思いのままに」、ちょっと趣が違う。

この曲に英語の歌詞をを付けたのが「レット・イット・ビー・ミー」。

エヴァリーズ以来、ラヴソングのスタンダードとなり、

多くのアーティストたちにカバーされている。

ボクの手元にあるのは、

64年全米5位、ベティ・エヴェレット&ジェリー・バトラー、

ビッグ・ネームのデュエット盤で最高のヒットを記録したけれど、

高貴に歌い上げるアレンジで、共感できないね。

美しくカバーしたのは、ニノ・テンポとエイプリル・スティーヴンス、

この兄妹のコンビがカバーしたのは68年、

あいにくチャート・ヒットは記録していないけれど、好きだね。

全部輸入盤で、ちょっと地味なヴィジュアルになってしまった、反省を込めて。

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今夜はブログを書く日ですから、二次会で切り上げて帰ってきました。

ほろ酔い気分で、引っ張り出したレコードは・・・、

67年9月の全米№1、「あの娘のレター」、

歌うは、テネシー州メンフィス出身の5人組、ボックス・トップス。

“飛行機のチケットをお願いします 急行列車じゃ間に合いません

 ボクなしでは生きてゆけない、なんて彼女が手紙を書いたものですから

 早く家に帰らなくては・・・”

英語、よくわかりませんが、こんな感じでしょうか?

間違っているかも・・・。

ボーカルのアレックス・チルトンはこの時16歳。

ボクが高校生の頃聴いた時は、ダミ声の印象だけしか残っていませんでしたが、

この歳になって聴く「あの娘のレター」はちょっと印象が違います。

16歳とは思えないような黒っぽい歌い方は出色です。

そして、エンディングの飛行機の爆音らしき音も・・・、

妙に心に感じる曲となってしまいました。

彼らのもうひとつのヒット曲は、68年全米2位「Cry Like A Baby」。

偶然手に入れたピクチャー・スリーブ入りの輸入盤、

「あの娘のレター」とのダブル・ヒット・カップリング盤で聴くことができました。

こちらは今夜初めて聴いたのですが、

もしかしたら、ボク、こっちの方が好きかも・・・。

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弾丸トラベルのちょっとした空き時間に立ち寄った中古店で見つけたのは、

スコット・ウォーカー、若かりし頃の1枚。

59年、彼が15歳の時のレコーディング作品、

再び書きます、

“彼は、クロスビーのような個性、ベラフォンテを感じさせるような響き、

 シナトラのような言葉のニュアンス、リッキー・ネルソンのもつ若者らしい魅力、

 ナット・K・コールのような温かみをもっている”

と新聞に紹介された、その頃の哀愁のバラード、

「Too Young To Know」、邦題は「初恋のとしごろ」。

奇遇ですね、その日ボクはウォーカーズのTシャツを着ていた、

そして、中学校の同窓会の帰りだった。

そんな日に、わずかな時間のすき間で、

長い間探していた1枚に出合えるなんて・・・。

少年スコットは、あの深みのある声とは少し違う、

若いけれど“違いのわかる”、味のある声をしている。

ついでに、“初恋”ものをもう1枚、

ボクのアイドル天地真理がその晩年にカバーした曲、

80年、シルヴィ・バルタンの「初恋のニコラ」。

ようやくスーツを夏物から冬物へと入れ替えたひと時、

年甲斐もなく、初恋ソングをハシゴしてしまいました。

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滞在時間わずか4時間、昨日は中学校の同窓会で奈良へ日帰りでした。

そんなわけですから、久しぶりの奈良を満喫できたとは言えませんが、

結構中味のある一日でした。

松山-伊丹-大阪-奈良、中学の同窓会は懐かしく楽しく、

会場近くに住む高校時代の陸上部の後輩の古本屋にも寄ることができたし、

格子の美しい町家が並ぶ“ならまち”を通り抜けたし、

難波の中古レコード店にも寄ることができました。

さて、そんな弾丸トラベルのテーマ・ソングは・・・、

「スーパーマン」のオープニング・ナレーションのレコード。

大平透さんの名調子、

・・・弾よりも速く、力は機関車よりも強く、高いビルディングもひとっ飛び、

   “空を見ろ” “鳥だ” “飛行機だわ” “あっ、スーパーマン”、

   そうですスーパーマンです、遠い星から地球へやってきた奇跡の男、

   人間の能力をはるかに超えたスーパーマン。

   川の流れを変え鋼鉄を素手でひねるぐらいは朝飯前。

   彼はクラーク・ケントと名乗って正体を隠し、

   メトロポリスの新聞社デイリー・プラネットの記者となって

   正義と真実を守るために、日夜戦い続けているのです・・・

そして、D.C.Mannによるオリジナル・ナレーションも収録されている。

もう1枚、「スーパーマン」と言えばアイズ・オブ・マーチ、

70年全米64位、こちらはブラス・ロックの名盤です。

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ベンチャーズに触発されて、エレキギターを手にし、

ビートルズに感化されて、自ら曲を作り自らのバンドで歌った、

そんな少年たちが作ったのが“GSブーム”。

その全盛期は66年から68年の3年間、ボクの高校時代と合致する。

そんなグループ・サウンドの中で、

メジャーになれなかった多くのグループがある。

曲や歌がいまひとつだったり、妙なコスチュームが当たらなかったり、

実力がありながらブームに乗り遅れたり・・・。

そんなグループたちを“カルトGS”という。

“カルト教団”はいただけませんが、“カルトGS”はいただけます。

そんな中の実力派のグループのひとつが、タックスマン。

66年、ジョージの「タックスマン」から命名した京都の若者たち、

そのデビュー曲が、「恋よ恋よ恋よ」。

ベルギーのデュオのカバーなのだけれど、

オリジナルを知らないから、まるで彼らのオリジナルに聞こえる。

曲や歌はもちろんだけれど、このレコード・ジャケットが大好きなのです。

ダブル・ジャケットの裏面はなぜか欧文タイプ。

B面は、ニール・セダカの「恋の片道切符」のカバー、

こちらはソフトロック風の歌い方で、曲の魅力を半減させている、

なんて、根っからのオールディーズ・フリークの勝手な感想。

もう少し早くデビューしていたら、

彼らはきっとメジャーになっていた、と、ボクは思っている。

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キング&ゴフィン好きのボクの思い出のコレクションはまだまだありました。

62年全米18位、ボビー・ライデル「(I’ve Got) Bonnie」。

聴いてびっくり!60年全米3位オールディーズの名曲にそっくりのイントロ、

その曲は、ジミー・ジョーンズの「グッド・タイミング」。

こんな曲を見つけた時の喜びは如何ばかりか!想像できますか?

そして、レア・コレクションは、キング&ゴフィンの初めてレコード化された作品、

と言われている1枚、ミッキー&キティ「The Kid Brother」。

ミッキーは、ミッキーとシルビアのミッキー・ベイカー、

キティは、R&Bシンガーのキティ・ノーブルか。

ちなみに、カップリングはセダカ&グリーンフィールドの「Ooh-Sha-Lala」。

そんなにフェバリットな曲調ではないけれど、資料価値は十分なのです。

そして、もう1枚は、67年全米3位、おなじみモンキーズの佳曲、

ミッキー・ドレンツが歌う「プレザント・バレー・サンデイ」。

山あいに連なる新興住宅地の平和な光景を眺めながら、

人々はこんなに平和に暮らしているけれど、それが本当の姿なのだろうか?

と、当時のアメリカの現状を世に問う名曲で、

キング&ゴフィン自慢の力作だと言う。

当時は、そんな曲だとも思わずに聴いていたけれど、

そんなことを知ってから聴くこの曲は、

また違った魅力を醸し出してくれるのです。

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高校時代のボクの最大の楽しみは、ラジオの深夜放送を聴くこと。

深夜1時からは『オールナイトニッポン』、

そして、2時半から(だったと思う)は『夜明けまでご一緒に』。

特に、火曜日と金曜日は欠かせなかった。

金曜日のパーソナリティは、加藤ヒロシさん、

関西GSの大御所、リンド・アンド・リンダースのリーダーである。

08年10月4日に書いた67年の「ギター子守唄」の次に出したのは、

バンドとして初めてのレコード、超珍品「燃えろサーキット」。

レコード・ジャケットの左3人がボーカル・チーム“リンダース”、

右の4人はインスト・チーム“リンド”、右から2人目が加藤さん。

エレキギターで出したレーシングカーの爆音から始まるエレキ演歌は、

まるで橋幸夫さんの「ゼッケン№1スタートだ」のようだ。

そして、火曜日のパーソナリティは笑福亭仁鶴師匠。

語りたいエピソードは山の数ほどあるのですが、

この番組キッカケでリリースしたのが、「おばちゃんのブルース」。

まだ若かりし仁鶴師匠の顔写真もなつかしいですね。

ついでながら、加藤ヒロシさんで思い出したのは、ジャズメン古谷充(たかし)さん。

彼がフレッシュメンの面々とリリースしたムード歌謡「夜は流れる」、

どこかにあったはず、と家探しして出てきたレコードも紹介します。

さすがジャズメンたち、ただのムード歌謡ではないですね。

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大滝さんのシングル曲に似ている曲を探して収集する旅、

いよいよ大詰めです。

話には聞いていましたが、聴いたことのない1枚を

ようやく手に入れることができました。

62年の「Where Have You Been (All My Life)」。

ビートルズの「アンナ」のオリジネイターでもあるアーサー・アレキサンダーの歌、

作者はなんとバリー・マンとシンシア・ウェイル、

となれば、ボクのコレクションには欠かせない1枚。

ご覧のように、状態はいいとは言えない1枚ですが、

聴くには耐えられます。

もちろん曲としても素敵ですが、「恋するカレン」そっくり、

♪~ おぉ カレン ~♪ なんて、メロディも歌詞もそのまんま。

とてもうれしくなりました。

この際、あと2曲聴いてみることにしました。

まずは、「空飛ぶくじら」が似ているのは、

ビートルズの「ユァ・マザー・シュッド・ノウ」。

67年のシングル2枚組セット『マジカル・ミステリー・ツアー』の中の1曲。

そして、「ブルー・ヴァレンタイン・デイ」が似ているのは、

67年のサークルのアルバム『ネオン』の中の1曲、「トゥー・ルームズ」。

このアルバムには、ビートルズの「すてきなダンス」のカバーも収録、

このソフト・ロックの名盤をBGMに、

ゴルフ番組を見ながらのすてきな日曜日の午後です。

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年齢を重ねると、時代劇や刑事ものが好きになる。

だから、今夜は、近衛十四郎さんの『素浪人月影兵庫』のことを語ろう、

というわけではない。

1969年、浪人時代の思い出のレコードのことを書こうとしたら、

口をついて出た言葉が“素浪人、月影兵庫”、というわけなのである。

ボクの浪人時代は、GS(グループ・サウンドではない)、

ガソリンスタンドでのバイトと、ひとり旅の生活。

そのバイト時代に夢中になっていたテレビドラマが『おやじとオレと』。

細かくは忘れてしまったけれど、熱血漢の青年医師のドラマ、

この主人公は、黒沢年男。

その頃の彼は、加山雄三さんに続く東宝のスター候補であった。

映画『伊豆の踊子』で我らが内藤洋子の相手役をするほどだったのだから。

音楽ファンには、バニーズの黒沢博(後のヒロシ&キー坊のヒロシ)の兄貴。

その『おやじとオレと』の挿入歌「恋しい君」が大好きで、

暗くなった夜道をひとり帰る時の愛唱歌であった。

この歌は、ドラマの主題歌「俺は行く」のB面。

彼にはその少し前にリリースしたもう1枚の好きなレコードがある。

68年の「海の子守歌」、まさに“哀愁の加山雄三”なのである。

今頃、バラエティ番組にカルダンのニット帽を被って出てくる彼をみて、

いつ、どこで、彼の人生が変わってしまったのだろう?

と、首をかしげるのは、ボクだけなのだろうか。

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67年10月21日付から5週間連続ビルボートNo.1は、

ルルの「いつも心に太陽を」。

もちろん、シドニー・ポワチエ主演の映画『いつも心に太陽を』のタイトル・ソング。

この映画の原題は『To Sir, with Love』。

原作はエドワード・R・ブレイスウェイトの同名小説なのですが、

その日本語訳版のタイトルは『先生へ、愛をこめて』。

ストレートな、わかりやすい邦題ですね。

To sir, with love!は、

先生を呼ぶ時には“サー”をつけて呼びなさい、

先生に感謝と尊敬の念をこめて私たちは教えを乞います、

という言葉なのだそうですが、

それを、“いつも心に太陽を”と訳した方のセンスは最高です。

ルルの曲だって、「先生へ、愛をこめて」なんてタイトルだったら、

日本ではきっと興醒めだったでしょう。

英米ではまったく関係ない話なのですが・・・。

ルルの本名はマリー・マクドナルド・マクラフリン・ローリー、

69年にビージーズのモーリス・ギブと結婚したことでも有名ですね。

実は、このレコード、イギリスでは、B面の「レッツ・プリテンド」がA面で、

67年7月11位を記録、「いつも心に太陽を」はチャートにすら入らなかった。

そんなエピソードも思い出してしまいました。
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16歳の少女と27歳の業界人はラジオ局の隣のコーヒー・ショップで出会った。

その少女は、業界人の彼女の友だちだったけれど、

何度かダブル・デートするうちに、いつの間にか、何がどうなったのか、

ふたりは恋人同士になった。

フィル・スペクターの“パシリ”だった業界人の名は、

サルヴァトーレ・フィリップ・ボノ、通称ソニー。

16歳だった少女は、シェリリン・サキシアン・ラピエール、通称シェール。

ソニー・ボノは、スペクターの西海岸地区担当の宣伝マンで、

バック・コーラスをしたり、

ミュージシャンやコーラス・シンガーの調達係をしたりしていたけれど、

このシェールとの出会いが彼のターニング・ポイントとなった。

もちろん、シェールにとっても、この小さな出会いがきっかけとなり、

後に、20世紀を代表するシンガー、女優として大成功することになる。

さて、64年デュエット・デビューしたふたりは、

翌年8月、「アイ・ガット・ユー・ベイブ」で待望の全米No.1を獲得した。

しかし、なぜか日本で大ヒットしたのは、

66年10月全米21位だった「リトル・マン」。

平行して、ボノは作詞・作曲家として、音楽プロデューサーとして、

シェールは、ソロ・シンガーとして活躍をつづけ、

68年頃からはデュエット活動を休止していたけれど、

CBSテレビの『The Sonny And Cher Show』をきっかけに

71年12月「恋のなかの恋」で久しぶりに全米7位のヒットを放った。

このB面は、大ヒット曲「I Got You Babe」のライヴ・バージョン。

この後、ふたりは、まるで南都雄二とミヤコ蝶々のように、

デュエットの解散、離婚を挟んで77年までテレビ番組を続けるのである。

“講釈師、見てきたような嘘を言い”、てな具合で、

いくつかの資料を基に、ソニーとシェールの愛の物語、第1巻の終わり。

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男の胸を撃つには、涙のひとつも落とせばいいのです。

この、ラングラーのGalsの広告コピーに触発されたわけでもないのでしょうが、

スター誕生からデビューした3人のアイドルを再生しようと、

阿久悠さんが仕掛けた(のだろうと思う)のが、ギャル(GAL)。

デビュー曲は、77年「薔薇とピストル」。

♪~ バラの花とピストルならどちらがお好き

   あなたの心射とめるには両方かもね

   甘いキスでせまるだけじゃききめがないわ

   時にはこの危ないものかざしてみなきゃ ~♪

めちゃくちゃ無理筋、ヒットするわけないね。

74年、「目かくし」でデビューした、

3人の中では一番歌の上手い石江理世(いしえみちよ)。

75年デビュー、セカンド・シングル「感情線」で、

3人の中では一番ヒットさせた黒木真由美。

07年9月20日に書いたように、

ボクの中では、最高のB級アイドル・ソング、

75年「わたしのシュガー・ボーイ」でデビューした目黒ひとみ。

(ここでは、翌年の「スイートポテト42キロ」を掲出します)

この、アイドル3人があまりパッとしなくなっての起死回生策が

このギャル(GAL)だったのですが、、

残念ながら、山本リンダ再生作戦の再来とはならなかったのであります。

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こんなに有名な定番オールディーズをまだ紹介していなかった!

という懺悔のシリーズの5回目。

『ザ・ヒットパレード』でジャニーズやスリーファンキーズが歌っていた、

♪~ リビアン 君はまるで 悪魔さ ~♪

その頃は、リビアンは女の子の名前だと思っていたけれど、

このレコードを買って初めて、リビアンはLive youngだと知った。

63年、映画『パーム・スプリングスの週末』の主題歌で、

主演のトロイ・ドナヒューが歌っている。

歌は決して上手いとは言えないけれど、

明るくてノリのいいツイスト・ソング、歌が上手いか下手かなんて気にならない。

この映画、見たことはないけれど、

青春スター目白押しの“若大将シリーズ”みたいなものらしい。

このトロイ・ドナヒューがジャケット写真に登場しているのは、

エミリオ・ペリコリの「アル・ディ・ラ」、

62年、映画『恋愛専科』の挿入歌で、

映画雑誌で見たスザンヌ・プレシェットが好きでした。

このレコード、今夜初めて聴いたけれど、

3分51秒の中の約1分40秒がイントロで、インストかと思ってしまいました。

話は戻りますが、「恋のパーム・スプリングス」の日本語カバーをゲットしました。

80年、小原ロコ「恋のキューティ・ベル」。

テレビのCMで聞いて知ったレコードですが、

小原ロコって何者?

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先日来、国内発売のシングル盤の写真が入った本を紹介してきましたが、

ついこの間、もっともっとすごい本を見つけました。

シンコーミュージック・エンタテイメント、11年5月発行の

『日本盤オールディーズ・シングル図鑑』。

なんと、54年から64年に日本で発売されたシングル盤をほぼ完全に、

そのジャケット写真が掲載されているのです。

その枚数は4,000枚、今買うとしたら総額1億円以上、というフリコミ。

この本を見ていたら、

なんとボクが持っている輸入盤、バトンズの「My Photograph Book」が、

国内発売されているではありませんか!

キュートでかわいい歌声のバトンズは、シカゴの黒人の女の子2人組、

その邦題は「涙の写真帳」、しかもB面扱いだったのです。

A面は「ポパイのマッシュポテト」、

ポパイと言えばホウレンソウでしょう、という外野の声はさておき、

2曲とも、大好きな63年を代表するガールズ・ポップスなのです。

こんなジャケット写真を見てしまうと、国内盤が無性に欲しくなるのですが、

市場に出てきたのを一度も見たことがありませぬ。

ついでですから、Photographつながり、ということで、

83年9月の、映画『ナイン』の主題歌、倉田まり子「青いフォトグラフ」、

83年10月の、松田聖子「蒼いフォトグラフ」(「瞳はダイアモント」のB面)、

この2曲も聴いてみることにしました。

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