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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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オールディーズの世界では地味な存在だけれど、

ボクはトミー・ロウが大好きだ。

彼のキャリアには、ふたつのブランクがある。

彼が23歳の1965年と、26歳の68年、

前者は兵役のため、後者はきっとスランプだったのだと思う。

彼の第一期はロックンローラーとしての顔、

62年20歳の時、

バディ・ホリー調の「Sheila(かわいいシェイラ)」で全米No.1デビュー。

この曲が全英3位となりイギリス公演に出た、

この時の前座バンドはビートルズだったという。

ボクが大好きなのは第二期と三期、ポップ歌手としてのトミー・ロウである。

二期は、08年1月12日に紹介した全米8位「スイート・ピー」で、

そして三期は、彼の最大ヒット全米1位「ディジー」でカム・バックした。

「ディジー」「メイキン・ミュージック」、全米29位「ヒーザー・ハニー」、

この3曲を網羅したコンパクト盤はボクの宝物なのである。

そして最後のトップ40は、71年全米25位「スタガー・リー」、

いうまでもなく、ロイド・プライスのカバー。

今年の終わりに、もう1枚のレアなレコードを引っ張り出しました。

64年全米36位ロックンロール「カム・オン」、

B面は「There Will Be Better Years」、邦題は「よき年来たれ」、

来年がいい年になりますように。

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この季節になると、“雪のニューヨーク”を思い出す。

ボクが今までに行った海外といえば、

フィリピン、香港、マカオ、中国広州、

ロス、サンフランシスコ、サンディエゴ、ハワイ、

そして、4年前のニューヨーク。

さて、次に行きたいところは・・・、

もう一度ニューヨークへ行きたいね、

今度は夏、「雨のニューヨーク」(78年、ベイシティローラーズ)、

なんていうのもいいね。

行ったことのない所では、絶対ロンドン、

憧れはカーナビー・ストリート、

一番の目的はもちろんレコード漁り。

このカーナビー・ストリートはショッピングとファッションのメッカで、

60年代後半はモッズのふるさと。

67年、星加ルミ子さんは新しいGSグループにこの街の名を冠した。

そのグループは、今は亡きアイ高野率いるカーナビーツ。

キャッチフレーズは“カーナビーサウンド・エイジのアイドル”。

2枚目、初めてのオリジナル・シングルは「恋をしようよジェニー」、

高2の、音痴なボクの持ち歌(?)でした。

4枚目、68年の「泣かずにいてね」、

もの悲しいリードボーカルにバックコーラスが絡む、イメージチェンジの一曲、

洋楽のカバーで名を馳せたカーナビーツだったけれど、

オリジナルもこんなにステキだったことを再確認。

カーナビーストリート、ぜひ行ってみたい街ですね。

アレッ?関係なかったかな。

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雑誌『レコード・コレクターズ』に、

マニアが前年に手に入れた一番のコレクションを紹介する

『私の収穫』という特集があるけれど、

一足早く、ボクの今年の収穫の中で一番の1枚を発表します。

この1枚はもちろん長年探していたもので、

63年末にイギリスでヒットした曲(だという)。

プロデューサーは“イギリスのフィル・スペクター”ジョー・ミーク。

その1枚は、グニラ・ソーンというスウェーデンの女の子の

「メリー・ゴー・ラウンド」。

初めて写真をみたけれど、そんなに特別に可愛い女の子でもなく、

歌声自体も、可愛いとかキュートだとかいうわけでもない。

その魅力は、ちょっとしゃがれた声と、曲のノリの良さ。

eBayで75$からスタート、

ボクは絶対欲しいので236$を入れておいたけれど、

世界中で、ボク以外誰ひとり応札する人はなく、

75$で落札、11$の送料を加えて、めでたくゲットとなったのです。

レコードのセラーは、

スウェーデンの南の方のベーネル湖の南岸の町、ベーナシュボリのお店。

60クローナ切手が貼ってあったから送料は8.65$=672円。

いつものことながらの送料の安さに世界の近さを感じるのです。

何はともあれ、ボクにとってはものすごくうれしい、

スウェーデンのサンタさんからのプレゼントでした。

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猫や杓子まで、とは言いませんが、

カバー・バージョン時代の日本の歌手たちは、

クリスマス・ソングのシングル盤をリリースしました。

それがまた、一人前の歌手になったというステイタスでもあったのでしょう。

となれば、集めてみたいものですが、

楽曲は定番のクリスマス・ソングだし、

そんなに特徴があるわけでもない。

なのに、今手に入れようとすると高い。

ですから、代表して持っているのは、61年の江利チエミ盤。

「ジングル・ベル」は前半は英語で、後半は日本語で、

「サイレントナイト」は、前半はダーク・ダックスが英語で、

後半は江利チエミが日本語で。

本当に定番の、正調クリスマス・ソング、歌も、雰囲気も最高です。

J-POPの時代になって、ようやくオリジナルを作るようになりましたが、

この時代は、洋楽のスタンダードをカバーしていたのですよ。

日本と英米では、クリスマス・ソングについての考え方が違うはずです、

日本のそれに宗教色はなく、お祭り騒ぎなのですから。

ボクのコレクションには、洋楽のクリスマス・アルバムがいっぱいあります。

その中で、最高の1枚は言うまでもなくこれです。

63年の「A Christmas Gift For You」、

ダーレン・ラヴ、ロネッツ、クリスタルズ、ブルー・ジーンズが歌う

フィル・スペクターの傑作です。

毎年必ず聴くアルバムはこの1枚だけなのです。

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先日、今年の漢字は“絆”だなんて予想通りだなぁ・・・

なんて考えていたら、急に聴きたくなったのがポール・サイモンのソロ・アルバム。

彼がアーティと別れてソロとして再出発した記念すべき最初のアルバム。

Side:Aの1曲目「母と子の絆」を聴いたところで、

やっぱりシングル盤を聴かなくては!と方向転換、

あらためてシングル盤に針を落としてみました。

♪~ The mother and child reunion

   is only a motion away ~♪

“母と子の再会なんて、とっても簡単なことなんだよ”

繰り返し歌われるこの印象的なフレーズを一緒に口ずさみながら、

紅白歌合戦に出場が決まった松田聖子母娘のことが頭をよぎった。

シングル・カットされた「母と子の絆」は72年4月全米4位。

B面は、新コンビ結成かと騒がれたステファン・グロッスマンのギターと

あのハル・ブレインのドラムが冴えている「パラノイア・ブルース」。

ここまできたら、♪サクセ~ス♪(ダウンタウンブギウギバンド)

というわけで、もう1枚、

アルバム『ポール・サイモン』からのシングル・カット、

気分一転、軽快で明るい72年5月全米22位、「ぼくとフリオと校庭で」。

やっぱり、アルバムも聴いてみたくなりました。

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GSブームの頃、女性歌手がミニスカートでエレキをバックに歌う、

これを世に“1人GS”という。

1人GSの代表格、黛ジュンが、

68年のイメージ・チェンジ曲「夕月」の次に、

本来の姿に戻ってリリースしたのが、69年の「不思議な太陽」。

この曲のイントロは、ある大御所のヒット曲によく似ている。

67年、美空ひばりさんがブルコメをバックに歌った「真赤な太陽」。

歌謡界のツネ、ヒット曲の便乗ソング、

“ジュン、お前もか!”なんて思っていたけれど、

四半世紀以上も経ってその真相らしきことがわかった。

なんと、黛ジュンも「真赤な太陽」をリリースしていたのです。

洋楽なら日常茶飯事、何でもないことなのですが、

たぶん、ひばりさんサイドからの横槍でお蔵入り・・・なんてところでしょうか。

というわけで無言の抗議、ちょっとエスプリの効いたタイトルが、

「不思議な太陽」、なのだったらうれしいなあ。

まことによくできた話ですね。

黛ジュンの「真赤な太陽」、まだ聴いてはいませんが、

きっとお似合いだと思います。

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レコード会社から“ラジオの歌を作って!”って依頼されて、

ジョニ・ミッチェルが作った歌、

73年全米25位、「You Turn Me On, I’m A Radio」。

あなたは私を惹きつける、私はラジオです、

邦題は「恋するラジオ」、

イントロのハーモニカは、グラハム・ナッシュだって話。

さて・・・、永遠の広告人としては、

ラジオ応援隊としては、

今頃とても気になっていることがあります。

昨年の四国管内の民放の収支状況をみると、

テレビ局の営業利益は久しぶりに黒字に転換したというのに、

ラジオ兼局の放送局とFM局は赤字のままだという。

明らかにラジオが足を引っ張っていると思われるのです。

原点にかえって考えてみると、

音楽がいっぱいのハードディスクと、曲とCM紹介するDJと、

営業マンと経理がひとりずついれば、ラジオ局の出来上がり、

まあ、今頃はそんなにカンタンにはいかないかもしれませんが、

そんな原点から考えてみる必要もあるのではないでしょうか。

まず現状ありき!では、もう解決できないところにきているのかもしれません。

ちょっと考え方が荒っぽかったですね。

ラジオの歌、もう1枚ありました。

86年、トミー・ロウの「ラジオ・ロマンス」。

ボク、トミー・ロウって結構好きです。

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今日語りたいヒット曲とは、

10年10月6日に書いた、フランソワーズ・アルディ「さよならを教えて」。

ある日、この曲を聴いていた時、

家内が、“私、この曲の日本語のカバーを持ってるわ”。

こんなことに結構詳しいはずのボクに心当たりはありません。

その時は聞き流してしまっていたけれど、

レコードを整理していたら、それらしいレコードが出てきたのです。

72年、小川知子さんの「若草の頃」。

そっくりとまでいかなくても、感じはソックリ、

カバーだと思っても不思議はない。

アルディのリリースは68年だったけれど、日本での発売は73年、

「若草の頃」の方が先。

他曲の空似なのか、パクリか、オマージュか、真相は不明。

一方、アルディの「さよならを教えて」は紛れもなくカバーなのです。

原曲は、“イギリスの国民的歌手”ヴェラ・リン、

54年の「It Hurts To Say Goodbye」。

実際に聴いてみると同じ曲とは思えないほど違ったイメージ、

でも、作詞・作曲者のクレジットは同じ、

この曲にセルジュ・ゲンズブールがフランス語の歌詞をつけたのです。

というわけで、アルディのヒット曲の前は、原曲のヴェラ・リン、

そして、後は、オマージュの小川知子、というわけなのでしょう。

時間と地域を越えて、音楽の物語を楽しんでいる、初冬の夜です。

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Philadelphia、フィラデルフィア、

舌を噛まずに発音できましたか?

ついでに、Fitzgerald、フィッツジェラルド、

ジョン・F・ケネディのセカンドネームのF、

ジェジャジュジョになりませんでしたか?

横道にそれてしまいましたが、

ペンシルバニア州フィラデルフィア出身の女性4人組、シェリーズ、

62年全米35位、「Pop Pop Pop-Pie」。

当時流行っていた“ポパイ”というステップのダンス・ナンバー、

ノリのいい、思わず一緒に口ずさみながら、体が動き出す、

そんなゴキゲンなヒット曲なのです。

B面は、一転メロウなラヴソング(だと思う)「Your Hand In Mine」。

その後数曲のリリースの後、某総理じゃあるまいに、柳の下の“どじょう”作戦は、

63年の「Monk,Monk,Monkey」、

こちらも“モンキー”のダンスナンバーでしたが、忘却の彼方に。

おまけに、B面は「That Boy Of Mine」、

またまたMineなのです。

当然ヒットには至りませんでしたが、ボクは好きです。

ちなみに、このグループの中心メンバー、クック姉妹のお父さんは、

09年4月5日に紹介した「ピーナッツ」のオリジネイター、

リトル・ジョーとスリラーズのボーカリスト、ジョー・クックなのです。

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オリコン37位というカルトGS最大のヒット曲、と言われているのが、

68年2月にデビューしたジェノバの「サハリンの灯は消えず」。

イギリスやアメリカに憧れるのが常識の時代にあって、

グループ名はイタリア、曲のテーマはロシア、

これだけでもカルトGSと呼ぶにふさわしいと思う。

このグループをプロデュースしたのは、この曲の作曲家・北原じゅん先生。

北原じゅんさんは樺太生まれだというから、この企画もわかるような気がする。

♪~ サハリンの灯は いまなお消えず

   俺の心に 赤く燃える

   なつかしき山 姿もかすみ

   海峡の風 白く凍る ~♪

でも、作詞は若木香という人、何者か不明。

さて、北原じゅんと言えば、

西郷輝彦さんの「君だけを」や「十七才のこの胸に」の作曲者、

城卓矢さんの兄、あの川内康範先生の甥としても有名。

このジェノバが大きな成功を得ることができなかったのは残念である。

68年11月にはメンバーチェンジ、レコード会社も移籍して、

藤本義一さんが詩を書いた「帰り道は遠かった」をリリースしたけれど、

競作のチコとビーグルスにやられてしまった。

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今でこそ4人の写真を見れば、どれが誰だかすぐわかりますが、

まだビートルズが世に出たばかりの頃はすぐに顔と名前が一致しませんでした。

でも、リンゴだけはすぐにわかりました。

丸い目、でっかい鼻、大きい口、

まるで若手のコメディアンのような風貌でしたから。

62年8月、ハンブルグでピート・ベストと交替でビートルズのメンバーに仲間入り、

そのまま4人目のビートルズとなったからなのか、

それとも、音楽的にもっとも注目されていなかったからなのか、

4人の一番後ろを歩いている印象がありました。

そんな彼がリード・ボーカルをとった最初の曲は、

ファースト・アルバムで唯一のリンゴ・シンギング「ボーイズ」でした。

オリジナルは、60年シレルズの№1ソング、

「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」のB面曲。

リンゴの「ボーイズ」は95年UK発売のEP盤にシングルカットされました。

リンゴのボーカル曲が初めてチャートインしたのは、

64年10月、「マッチ・ボックス」で、全米17位。

これもカバー、オリジナルは57年カール・パーキンス。

ドラマーのボーカル曲だけあって、シンプルなものが多いようですね。

ビートルズの中でリンゴは愛すべき存在だったことの証明のようで、

思わず微笑みながら楽しんでしまいました。

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青い花とか黒い花を見つけたり作ったりしたら賞金が出る、

なんて話、昔聞いたことがある。

ちょっと調べてみたら、青いバラが売られているらしい。

ベンデラという品種の白いバラに花専用の着色剤を吸わせて染め上げるらしい。

挙句の果てには、花びら一枚一枚の色が違うレインボー・ローズなるものもあるらしい。

不可能だったこんなバラを作ったのはオランダの職人さん。

葉っぱは枯れたようになってしまうので葉っぱなしのバラらしいけれど、

オランダから輸入している花屋さんがいるので日本でも手に入るという。

ネットで写真を見たけれど、ホントに神秘的なブルーのバラ。

けど、なんとなく生命の神秘を冒涜するようで複雑な気持ち・・・。

まさに、「悪魔がくれた青いバラ」なのかもしれない。

長い長い前フリになってしまったけれど、

今夜紹介したいのは、全員がアメリカ生まれの若者たちのGS、リード。

日系のひとり以外は全員外国人、

でも、歌は日本語、シュールな歌詞。

GSブームも終盤の68年10月のリリース、

今聴いてみてもそんなに悪くない。

彼らは、R&Bを中心にした新しい感覚の音楽で、

日本からヨーロッパへの飛躍を志向していたのである。

でも、今となっては“カルトGS”の範疇に入れられてしまった。

当時ボクはちょっと注目していたのに・・・。

バラつながりで、トシちゃんの「君に薔薇薔薇・・・という感じ」も

ついでにアップしたけれど、これはちょっと蛇足だった・・・。

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ボクのブログで、キャロルと言えばキャロル・キングのはずでしたが、

今夜のテーマは大きく曲がる変化球でお届けします。

これまでに登場したキング、コナーズやキャシー、バーナデットの

キャロルの名や姓をもった女性アーティストでもなく、

矢沢さんやジョニーさんのキャロルでもなく、

ましてや、マツダの360ccの軽自動車の話題でもありません。

シンプルで見事なロックンロールの名曲「Carol」を聴こうというのです。

ローリング・ストーンズ、64年のファースト・アルバムの中の一曲で、

シングル「テル・ミー」のB面曲。

知らずに聴いたとしたら、もしかしたらストーンズとは思わないほど、

あまりにもストレートでファンキー、ゴキゲンなロックンロールです。

オリジナルは、永遠のロックンローラー、チャック・ベリー、58年全米18位。

ニール・セダカがキャロル・キングを歌った「おお!キャロル」よりも

1年と2ヵ月も前のリリースです。

この季節にキャロルと言えば、いつか見た映画『クリスマスキャロル』、

どんな映画だったかよく覚えていませんが・・・。

そして、稲垣潤一さんのクリスマス・ソング「クリスマスキャロルの頃には;」。

ちょっと早いけれど、久しぶりに聴いてみることにしましょうか。

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奈良高校陸上部の思い出です。

先日の弾丸トラベルで会いに行った後輩の写真を見ていたら、

突然思い出したことがあって、書くことにしました。

後輩と一緒に写っている写真で、一番左のボクが着ているチョッキのこと、

今なら“ベスト”というのが正しい言い方。

モノクロ写真だからわからないけれど、模様は緑と白の波線ストライプ、

実はこれ、ボクの手作りなのです。

高校2年生の時、スパイダースの映画で着ていた丈の長いベストが欲しくて、

そんなイメージに合う半袖の上着を買ってきた。

その映画は『スパイダースのゴー・ゴー・向こう見ず作戦』、

欲しかったベストは「あの虹をつかもう」のレコード・ジャケットで

井上順や井上孝之さんが着ているもの。

そしてボクが買ってきた上着はモデルっぽく写っている写真のもの。

そして、まずは袖をカットし、しばらくの間着ていたけれど、

ついには裾を短くカットし、学生服の下に着るベストにしてしまった。

写真の高校3年生の時の体育祭の陸上部のバザーの時、

写真部の女の子が写してくれて、パネルにしていただいたのが、最後の写真。

今とはだいぶ違って、若くて(当たり前)、やせていて・・・、

「あの虹をつかもう」や「恋のドクター」を聴きながら、

心はもう高校時代に戻っている。

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今夜は、家内と一緒に、復活タイガースのコンサートに行ってきました。

正式には『沢田研二LIVE2011~2012』なのですが、

ゲストに瞳みのる、森本太郎、岸部一徳を迎えて、全編タイガースでした。

オープニングは、「ミスター・ムーンライト」、「ドゥ・ユー・ラヴ・ミー」、

そして、「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」のカバーでダッシュ。

続いて、デビュー曲「僕のマリー」、昔モノマネしていた「モナリザの微笑」、

「銀河のロマンス」、「坊や祈っておくれ」、ここで初めてのトーク。

タローの「ビコーズ」、ジュリーの「サティスファクション」、

そしてピーのシャウト「ホワッド・アイ・セイ」、で一部が終了。

お色直しの後の二部は、「風は知らない」、「花の首飾り」、「割れた地球」、

「美しき愛の掟」を含む7曲を一気に、

そして「青い鳥」、「シーサイド・バウンド」、「君だけに愛を」で盛り上がり、

「誓いの明日」でコンサートは終了。

そして、お決まりのアンコールは、

メンバーの息が整うまで、ジュリーの漫談トーク、さすが関西人!

ノリのいい「シー・シー・シー」、この季節の「落葉の物語」、

そして、大団円は「ラヴ・ラヴ・ラヴ」。

まるで、高校時代の同窓会のようで、

心が若返る素敵な2時間でした。

まだ紹介していなかったタイガースのレコードを引っ張り出しましたが、

ボクが買った記憶のないものもチラホラ、

たぶん、家内の持ち物なのだろうと思います。

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