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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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インフルエンザで、早く床についた日の真夜中、

なんとなく目覚めてしまって眠れない。

ラジオのスイッチを入れると、『オールナイトニッポンR』、

なんとなんと、その夜のゲストは大滝詠一さん!

熱を測ったら37.1度、これこそ“微熱少年”の引き合わせか。

残念だったのは、愛媛は“一部の地域”で、途中で終わってしまったこと。

今年は、正月の『サンデーソングブック』に出なかったので、今年初めて聞くお声。

今年はナイアガラ・トライアングルVol.2の30周年、

ということで、『レコード・コレクター4月号』に3人の対談が載っているとの由。

インフルエンザから無事帰還した後、早速の購入と相成りました。

この対談の内容がすこぶる面白い。

佐野さんと杉さんはほとんど相槌だけで、大滝さんの独壇場。

ナイアガラ・トライアングル結成のストーリーやら、

当時手がけた作品の裏話など、ナイアガラーとしてはダーイ満足の16ページ。

というわけで、

この話に出てきた曲で、今までに紹介していない曲で、

そして、ボクが持っているシングル、という幾多の難関を潜り抜けた2枚は、

いずれも82年の発売で、

うなずきトリオの「うなずきマーチ」、大滝詠一作詞・作曲。

B面は、おちゃらけの「B面でうなずいて」。

もう1枚は、金沢明子「イエロー・サブマリン音頭」、

コブシもさわやかな、ビートルズ作品の音頭版で、

訳詩は松本隆さん、荻原哲晶先生のアレンジ、もちろんプロデュースは大滝さん。

インフルエンザというピンチを、大滝さんとの出会いというチャンスに変えた、

すばらしい夜の話でした。

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ノアズ・アーク、フランクリン&ベンジャミン、ヴィレッジ・イースト、

プラーント・ライフ、C.G.ローズ、チャリティ、アブラハム&ストラウス、

トゥ・ダラー・クエスチョン、パーリィ・ゲイト、カリフォルニア・ゴールドラッシュ、

ウェブスピナーズ、スターバード、ダンテズ・インフェルノ。

これら13のグループのすべてに、ロン・ダンテがボーカルとして絡んでいた、

と言われているそうです。

前回紹介した2つのグループと、今日紹介する2つのメジャー・グループ、

今わかっているだけでもこの17のグループのボーカリストだったのです。

さて、あと2つの、みんなが知っているグループとは、

まずは、69年9月全米1位、「シュガー・シュガー」のアーチーズ。

アーチーズは、ダンテが最も成功を収めたプロジェクトで、

仕掛け人はドン・カーシュナー、曲の作者はジェフ・バリー&アンディ・キム。

モンキーズのプロジェクトを追われたカーシュナーの再チャレンジでした。

アニメの主人公アーチー・アンドリュースをリーダーにしたロックバンドで、

このアーチーの吹き替えをしたのがロン・ダンテ。

72年までに、シングル11枚・LP5枚の大成功を収めました。

もうひとつのグループは、「シュガー・シュガー」と並行してヒットした曲、

「トレイシー」のカフ・リンクス。

1ヵ月遅れの69年10月、全米9位のヒットを記録したのです。

ボクがこのシングルを買った頃、そんなダンテの物語はまったく知りませんでした。

このライナー・ノーツにはまったく別のメンバー名が書いてありましたし、

「トレイシー」の素晴らしいコーラスに魅せられて買った2枚目のシングル、

「ラン・サリー・ラン」はちょっと趣が変わっていました。

それもそのはず、この時にはダンテはこのグループとは関係なくなってたらしい。

オールディーズの物語、知れば知るほど、コレクション熱は高まります。

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オールディーズの世界には、

実体のないグループやレコーディングのみのグループ、正体不明のアーティストなど、

不可思議な個人やグループが存在する。

そんな中にあって、ボクが未だに全容を解明できない人物がいる。

ロン・ダンテ、

45年8月22日、ニューヨーク州の生まれ、本名Carmine Granito。

ソロシンガーであり、セッションシンガー、ソングライター、プロデューサー。

ヒット・チャートに初めて登場したのは、65年1月全米19位、

シャングリラスの「リーダー・オブ・ザ・パック」のパロディの

「リーダー・オブ・ザ・ラウンドロマット」をヒットさせた。

このデタージェンツは、トリオ編成でダンテはダブルリードボーカリストのひとり。

そして、69年からのメジャー・プロジェクトを経て、

70年に日本でもロン・ダンテとして「青空に抱きあげよう」をリリースした。

ジェフ・バリーとアンディ・キムの作品で、軽快でさわやかなティーンズポップス。

彼は、63年から80年にかけて、

ロン・ダンテ、ロニー・ダンテ名のソロシンガーとして、

そして、なんと17ものグループの覆面シンガーとしてシングルを出している。

その中でみんなが知っているグループについては次回に譲ることとして、

ボクの持っている一番最近の作品は、

サーフィン&ホットロッド・リバイバルに乗って発表した1曲、

76年、ロニー&ダート・ライダーズの「イエロー・ヴァン」。

ビーチ・ボーイズ・タッチのゴキゲンな曲、

何度聴いても飽きない、大好きな1枚です。

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誰でも芸能人の誰かには似ている。

ボクは、中学や高校時代に、誰かに似ていると言われた記憶はあやふやだけれど、

大学生になってからは、新喜劇に出だしたばかりの間寛平に似ていると言われた。

そして時には、ショーケンに似ているね、なんて言われた。

ちょうど、「帰らなかったケーン」以降の顔に似ていると言われたけど、

最近の顔の違いからすると、ちょっといい様に言われ過ぎていたようだ。

ちょっと無精ひげをはやしていた頃は、マーク・スピッツなんて言われたことも・・・。

会社員になってからは、ジョン・デンバーで決まり!

彼は、69年12月全米1位、PPMの「悲しみのジェット・プレイン」の

ソング・ライターとして注目され、

自身は、71年8月全米2位「Take Me Hom,Country Roads」、

邦題「故郷へ帰りたい」で日本でもメジャーになり、

74年3月、「太陽を背にうけて」で全米№1になって以来、

75年9月までの間に、合計4曲の№1ソングを出している。

彼の歌は、そんなに好きなジャンルではないけれど、

そのポジティブっぽさはいい感じ、

顔も、どこか畑正憲、ムツゴロウ先生に似ている、

その雰囲気は、南こうせつさんにも似ている。

彼は、97年自家用軽飛行機が墜落して亡くなった。

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デレク・ジーターのように、清原和博のように、

すばらしい実力と魅力を持ちながら、ナンバー1に無縁だった男たち。

そのひとつが、彼ら、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルである。

♪~ Rolling,rolling,rolling on the river ~♪

で、おなじみの、「プラウド・メアリー」が、

69年3月、全米2位になったのを皮切りに、

同年6月、「バッド・ムーン・ライジング」、

同じく9月、「グリーン・リヴァー」、

翌70年5月、「トラヴェリン・バンド」、

同年10月、「ルッキン・アウト・マイ・バック・ドア」、と

5曲も全米第2位を記録しながら、№1になれなかった。

白人でありながら、西海岸の出身でありながら、

アメリカ南部の泥臭さと黒っぽいフィーリングをもった男たちであった。

長らく聴くことがなかった「プラウド・メアリー」だったけれど、

先日あるライヴで耳にして、あらためて聴く気になった。

この曲、オリジナルのCCRは当然ながら、

71年全米4位の、アイク&ティナ・ターナーのカバーもおもしろい。

ティナ・ターナーとコーラスのアイケッツのパッケージ・ショーは、

オリジナルの1.6倍の4分57秒、

以前見たライヴ映像を思い浮かべながら聴き入った。

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ラジオの深夜放送『くり万太郎のオールナイトニッポンR』の、

木曜日『この街でこの唄を』のコーナーに出ている上原徹さんがきっかけで、

フォー・セインツの「小さな日記」を久しぶりに聴いた。

68年秋、高校3年生、

この頃は、ジャックナイフほどではないけれど、使い古した鉛筆ぐらいは尖っていたから、

こんなカレッジ・フォークは好みではなかった。

68年春の、パープル・シャドウズの「小さなスナック」も、

同じく同様に、好きなGSではなかった。

しかし、多少凸凹はあっても心身ともに丸くなってしまった今では、

これらの歌の魅力を素直に感じることができる(のだろう)。

だから、手元に置いていたこの2枚、

今聴いてみると、なかなかいいではないですか!心に響く。

“和製ポップス”のグループが、

エレキギターを持ったらGS、アコースティックならフォーク、

そんなジャンル分けをされた時代。

この2曲、お互いに楽器を持ち替えて演ってみたら、きっとおもしろいと思う。

そんなことを思いながら、

もう1枚の“小さな”ソングを引っ張り出した。

67年2月、「想い出の渚」につづく、ワイルド・ワンズのセカンド・シングル、

「小さな倖せ」。

ほのぼのとした気分で、おやすみなさい、なのです。

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Ouch!! 日本語で言うと、痛っ!!

バスルームには多くの危険が潜んでいる。

石鹸水ですべって尻もちをついたり、

バスタブの中で眠ってしまって溺れそうになったり。

今夜は、更衣室への出口の敷居で足の小指を打ってしまった。

ベッドの角でなら幾度となく打ちつけたことはあるけれど、

バスルームでなんて、人生初の経験。

明日はゴルフだというのに、大丈夫?

バスルーム、と言えば、

ルージュの伝言が書かれていたり、

愛をこめられてみたり・・・、

歌の世界では思いっきりおしゃれだね。

そんなことはこれまで一度もなかったぜ!

♪~ あのひとは もう気づくころよ

   バスルームに ルージュの伝言 ~♪

75年、ユーミンの出世作「ルージュの伝言」。

そして彼女は、次作「あの日にかえりたい」でオリコン1位を獲得する。

♪~ From bath room with my love

   だけど ほんとに好きだったの バスルームから愛をこめて ~♪

80年、山下久美子のデビュー・シングル「バスルームから愛をこめて」。

足の小指はまだ痛いゾ!

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4年半前の12月、ニューヨークのキャッツキルに住む先生は、

ボクらをケネディ空港に迎えに来てくれた。

そこから北へ車で3時間ほど走った自然の中にその方の自宅がある。

3時間近く走ってフリーウェイを降りてまもなく、

“KINGSTON”の標識があった。

と、ボクの口をついて出たのは、

♪~ Hang down your head Tom Dooley ~♪

59年1月全米1位、「トム・ドゥーリー」。

キングストン・トリオは、フォークソングを全米チャートに登場させた、

まさに、フォーク・リヴァイヴァルの祖であった。

彼らの舞台はカリフォルニアのはずなのに、なぜニューヨークのキングストン?

と思っていたら、実は彼らのネーミングの素は

ジャマイカの首都キングストンからとったものらしい。

そして、彼らはアルバム・デビューの先駆者だった。

後に、ロックグループの常識となるアルバム・デビューをこの時代に果たしたのだ。

「トム・ドゥリー」もそのデビュー・アルバムからのシングル・カット。

日本でフォーク・ブームを引き起こした62年全米21位「花はどこへ行った」や、

「500マイルもはなれて」の頃には、

メンバー・チェンジによって、あのジョン・スチュアートが加入していた。

彼は後に、モンキーズの「デイドリーム」の作者として脚光を浴びる。

あの、ブルーと黒のストライプの半袖シャツ、どこかに売ってないかなあ。

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“イギリスのフィル・スペクター”ジョー・ミーク、と言えばガールズものなのですが、

先ごろ入手したのはボーイズもの。

またまた、何者なのかよくわからないマイナー・シンガーなのですが、

ゲイリー・テンプル、61年作品「セブンティーン・カム・サンデー」。

そうですか!17歳の君は日曜日にやってくるのですか!

これが、なかなかのティーン・ポップ、

しゃくり上げて歌う、バディー・ホリーみたいなヒーカップ。

内袋のデザインもなかなかの“HIS MASTER’S VOICE”レーベル。

さて、ジョー・ミークの一番メジャーなヒット曲は・・・、

62年全米1位、もちろん全英でも1位、トーネドースの「テルスター」。

ジョー・ミーク作・プロデュース、

アメリカが世界初の通信衛星を打ち上げたという話題を狙ったインストゥルメンタル。

ちょっと不気味な異次元的なイントロに始まり、電気オルガンがメロディを奏でる、

エレキギターが登場する前の代表的なインスト曲の1枚です。

トーネドースは、ボクはトルネイドスと発音していたのですが・・・、

イギリスのグループとして初めて全米№1になったグループであったり、

全英№1になった日が世界初の人工衛星スプートニク打ち上げの5周年の日だったり、

と、話題がいっぱい。

ついでながら、ジョー・ミーク自身も、

67年2月3日、バディ・ホリーの8度目の命日に自殺するという

偉業?を成し遂げているのでした。

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日本のアイドルのレコードも収集している、と言ったら、

主婦の方々から、男性アイドルのは?、とよく聞かれる。

そもそも“アイドル”とは元来女の子であった。

それは、世の中が男性中心の時代、

消費の中心が男性だった時代の言葉だからである。

ところが、時代は変遷し、女性の時代になった頃から、

“男性アイドル”と呼ばれる男の子が登場する。

70年代後半から80年代初めの頃である。

たのきんトリオをメジャーなアイドルだとすれば、

渋谷哲平はB級アイドルに当たる。

だから、78年の「Deep(ディ~プ)」はコレクション対象だった。

♪~ ディープ (ディープ) 青い海 (うみうみ) ~♪

激しく踊りながら歌う、そしてコーラスが追いかける、斬新な曲だ。

詞は、さすがの松本隆、曲は、おしゃれな都倉俊一、ちょっとやられた。

もう1枚は、79年「ヤング・セーラーマン(In The Navy)」。

当時、ボクは“ヤング・セーラーマン”だった(わかる人にはわかる)。

いかにも怪しい出で立ちのヴィレッジ・ピープルのカバーであったけれど、

彼はさわやかに歌い切った。

渋谷哲平、彼には夏が似合う。

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未整理のレコードや、複数枚もっているものや、あまり興味のないレコードを

ランダムに収納しているストック棚がある。

これらの要らないレコードを売っ払ってしまおうか、と整理してたら、

なんと1枚の貴重なレコードを発見した。

4年余り前、『DOO WOP,EARLY ROCK 7inch』と銘打った、

オークションで落札した100枚余りの輸入盤の中の1枚。

ボビー・パーカーの「ウォッチ・ユア・ステップ」。

ボビー・パーカーは、ルイジアナ州生まれのブルース・ギタリスト。

61年のこの曲は、素晴らしいギタープレイと彼のハイトーンなボーカルが映える

カッコいいロックンロール・ナンバーだけれど、

何よりも、ジョン・レノンがこのイントロのリフを弾いているうちに、

「アイ・フィール・ファイン」が生まれた、

という、有名な曲なのです。

まさか、ボクがこのレコードを持っていたなんて!

早速この1枚は、レギュラーのレコード棚行きとなったのです。

ストック棚のレコードたちにも、もう少しの猶予期間を設けることとなったのは

必然の成り行きなのであります。

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ビートルズを知ったのは中学生の頃。

奈良市内の高校に通い出してまもなく、何枚かシングル盤を買った。

その頃はレーベルに興味なんてなかったけれど、

例えば、「涙の乗車券」を330円で買った、このレコードはオデオン盤。

大学生になってレコード店で見つけた「涙の乗車券」のレーベルセンターは、

リンゴの写真。

珍しいしカッコいいなと思ってとてもうれしかったのを覚えている。

ことこのように、68年にビートルズがアップルを設立するまでは、

国内盤のすべてはオデオン盤だった。

日本では、「ヘイ・ジュード」までがオデオン盤で、

それ以降はアップル盤。

しかし、それ以前のものもアップルから再発されたものだから問題は複雑。

その上、「涙の乗車券」のように、ジャケット写真が同じものもあれば、

まったく違うものもある。

さらにその上、赤盤と黒盤がある。

さらにさらにその上、EMI盤というものもある。

もちろん、イギリス盤、アメリカ盤、その他のいろんな国もリリースしている。

コンプリートなコレクターなんて果たして居るのだろうか。

ボクは、ビートルズ・コレクターでなくて本当に良かったと思う。

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小柳、南、天地の“新三人娘”がデビューしたのが71年、

森、桜田、山口の“花の中三トリオ”が出揃ったのが73年。

ちょうどその谷間の72年に、麻丘めぐみは現れた。

♪~ もしも あの日 あなたに 逢わなければ ~♪

デビュー曲「芽ばえ」は、40万枚を超すヒットとなり、

この年のレコード大賞最優秀新人賞に輝いた。

チャーミングな笑顔と、

独特のお姫様カットと、そして、やさしい声、

まさに、典型的なアイドルだったと思う。

♪~ 何もほしくはないわ あの人が居るだけで ~♪

3曲目「女の子なんだもん」までは千家和也さんの詞だったけれど、

♪~ 木立ちぬけて走るのよ 森の中ふたり ~♪

4曲目「森を駈ける恋人たち」だけは山上路夫さん。

その後10枚目まではまた千家・筒美のコンビに戻るのですから、

なぜこの1曲だけが作詞者が変わったのか、今も気になっています。

当時のアイドルは、自己主張はご法度、

プロダクションや歌に作られたイメージを壊さないように、

アイデンティティを演じるスタイル。

昔の歌を楽しみたいボクにとっては、

後になって、当時のエピソードのカミングアウトとか、

恨み辛みの類は聞きたくない、

ずっと演じつづけてくれたらうれしいのに・・・。

小倉優子は“こりん星から来たりんごももか姫”でいいのにね。

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とある中古店のオークションでタイトル買いしたレコード、

トビー・グロガンの「Angel」。

事前にまったく情報なく、MB(ミニマムベット)1500円のところ、

1600円で入札、望外に落札してしまった1枚。

これが、なんと大当たりなのでした。

ニール・セダカの「かわいいあの娘(Next Door To An Angel)」の

歌い出しのナンセンス・シラブルをバックコーラスが奏でる

ナイスなDoo-Wopソング。

トビー・グロガンとは何者なのか?

何年のリリースなのか?

未だに何の情報もないけれど、

「Angel」のレコード番号はVEE-JAYの“VJ560”、

シングル盤のレーベル資料によると、

このデザインは、VJ354~VJ585に使用されたもので、

60年から64年までの間にリリースしたようだから、

62年リリースの「かわいいあの娘」より後であろう、と想像できる。

というわけで、このナンセンス・シラブルのオリジナルは、

やっぱりニール・セダカなのだろう。

タイトルも、オリジナルから一部いただいた「Angel」なのだろうか。

こんなことを想像するのも、また楽し今宵である。
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『Pisces,Aquarius,Capricorn&Jones LTD.』、

この変わったタイトルのLPの最初の曲「スター・コレクター」、

ボクの大好きなキング&ゴフィンがモンキーズのために作った曲。

このレコード・ジャケットにあるデイビー・ジョーンズのプロフィール。

本名:David Thomas Jones、誕生日:1945年12月30日、

誕生地:イギリスのマンチェスター、身長:5フィート3インチ、

体重:110ポンド、髪の色:ブラウン、眼の色:ブラウン、好きな色:青、

好きな動物:馬、好きな音楽:ウェスタン、云々・・・。

そして、ここに新しい一行が加わった、

命日:2012年2月29日。

突然の訃報にびっくりした、思わず声を上げた。

68年にピーターが、69年にマイクが脱退して、ふたりになったモンキーズ、

71年に発売されたふたりモンキーズの「素敵な女の子」は好きなレパートリー、

♪~ Do it in the name of love ~♪のリフレインが好きである。

そして、最近手に入れたTシャツでデイビーのその後を知った。

左から、デイビー、ピーター・ヌーン、ボビー・シャーマン、

1998年、この3人で“ティーン・アイドルズ”としてツアーしていた。

Tシャツの背面には全米39カ所がクレジットされている。

66歳、ボクにだって後5年で追いつける若さである。

冥福を祈ります。

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87年3月、珍しく一日中デスクワークで過ごした日の夜、

彼女は、TVの音楽番組で突然引退を宣言した。

81年スカウトキャラバンで芸能界に入り、82年歌手デビュー、

それから5年目、アイドルとしての絶頂期であった。

引退の理由は、“20歳を迎えたのを機に”という不可解なもの。

健康問題なのか、恋の病なのか、騒がれた末の引退劇だった。

今では、再婚マニア、子だくさんのママドル、として復帰している彼女にも

そんな華やかなアイドル時代があった。

堀ちえみ、ボクが最も気に入っていたのは、レコード・ジャケットの写真。

テレビに出ている時よりも段違いにおしゃれな服を着ている。

だから、そんな彼女のレコード・ジャケットが好きだった。

「青い夏のエピローグ」のサマー・セーター、

「リ・ボ・ン」のネクタイとベスト、裏ジャケットは色違いで、

歌詞カードの写真のカーディガンとスカートもおしゃれだった。

「Wa・ショイ」のノースリーヴのワンピース。

ピクチャー・スリーヴが素敵なレコード・コレクションの一部である。

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