
彼らのスタイルはアマチュア時代から突出していた。
ジャクソン家の子供たちが初めてギグを行った時、マイケルはわずか5歳、
ギャラはたったの8ドルだったというが、
ステージにはいっぱいの投げ銭があり、合わせたら100ドルにもなったという。
「アイ・ウォナ・ビー・フリー」という曲を作ったペレン、ミゼル、リチャーズは、
ベリー・ゴーディの元へ行き、ダイアナ・ロスに歌って欲しいと頼んだ。
ゴーディのアイデアで、歌詞を書き換え、タイトルを替え、
モータウンと契約したばかりの子供5人組に歌わせることにした。
この5人組をモータウンに推薦したのは、グループを後見していたダイアナ・ロス。
時に、マイケル10歳、マーロン12歳、ジャーメイン14歳、ティト15歳、ジャッキー18歳。
このデビュー曲「帰ってほしいの」は、69年10月に発売され、
70年1月31日、ビルボード№1に輝いたのである。
ジャクソン・ファイヴの、マイケル・ジャクソンの、
輝かしいキャリアのスタートの瞬間であった。
10歳の子供が抜群の歌唱力で大人のラヴソングを歌い、
残りの4人は、コーラス、ギター、ベース、コンガを手に、ステージ狭しと踊りまわる。
アイドル的人気をもつ“ボーイ・バンド”であり、
小さな子供を擁したファミリー・グループという、
この新しいスタイルがショービジネスの世界に受け入れられないわけはない。
1970年1年間で、この子供たちは連続4曲を№1に引き揚げた。
まだ未紹介だった3曲目の№1、「小さな経験」、
この経験が、マイケルを“キング・オブ・ポップ”へと導いたのだろうか。
