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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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ボクが高校生の頃、外国人による日本語のヒット曲が結構あった。

ちょっとたどたどしい日本語で歌う、

その発音やイントネーションをマネするのが楽しかった。

なのに、この人たちの日本語は決してたどたどしくはなく、

本当にきれいな発音であった。

ペギー・マーチの「忘れないわ」は、

3年ぶりに来日した時の曲で、69年1月の発売、

以前の日本語の曲より、格段に日本語が上達していて、大ヒットした、

山上路夫・三木たかしのオリジナルである。

もう1枚、67年エンリコ・マシアスの「わかっているよ」は、

あの顔から、♪~わかっているよ~♪という言葉が出た時、

その違和感にびっくりした思い出がある。

ラジオを聴いていて、エンリ・コマシアスか、エンリコ・マシアスか、

どっちかなあ、なんて思っていた記憶もある。

ついでといったら何ですが、ペギー・マーチの日本語、といえば、

大好きなジャケットのコンパクト盤がある。

68年の『Peggy March』、

収録曲の「ローマの雨」と、日本語で歌う「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」、

とても好きです。

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海外オークションのeBayには“Save search”という機能があって、

ヤフー・オークションの“アラート”と同じように、

登録しておいたキーワードに適合した商品が出品されると、

ボクにメールで知らせてくれるのです。

半月ほど前、2年前に登録した商品がようやく出品されたのです。

そして、もちろん落札、

ようやくゲットできたのが、この1枚です。

Rocky Hart(ロッキー・ハート)という、何者かよくわからない人が、

パッションズをバックに歌っているドゥワップ、

61年の「I Play The Part Of A Fool」。

この曲は、バリー・マンがハンク・ハンターと一緒に作った曲、

こんなカッコイイ曲がなぜヒットしなかったのでしょうね。

送料込みで19.59ドル、1,585円というお得な買い物でした。

グリーンの透明盤で、もちろん初版ではないけれど、

レコード会社もレコード・ナンバーも、カップリング曲も、オリジナル、

その上、ナイス・コンディションなのですから、文句はありません。

B面の「Someone Stole My Baby Doing The Twist」は、

タイトルそのままの典型的なツイスト曲で、なんかものすごく得した感じ。

余人にはわからないことでしょうけれど、

本当に幸せの1分59秒なのです。
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最近よく見るCMのBGMは、ベッキーの歌う「ひまわり娘」。

言うまでもなく、74年伊藤咲子のリメイクである。

「ひまわり娘」は彼女のデビュー曲で、

はつらつとした、16歳の笑顔によく似合っていた。

『スタ誕』出身歌手には珍しく、

この曲の作曲者はイスラエルのシュキ・レヴィ。

彼は前年に東京での世界歌謡祭でシュキ&アビバとして、

「愛情の花咲く樹」を歌った。

その曲のリリースに当たって、日本語の訳詞を担当したのが阿久悠さん。

その出会いがきっとこのコンビを生んだのでしょうね。

このシュキ&アビバは、ヘドバとダビデよりも日本語が上手い、曲もいい、

この曲を持っていることさえ覚えていなかったけれど、

今夜久しぶりに、いや初めてじゅっくり聴いて、感心してしまった。

さて、伊藤咲子最大のヒット曲は、74年3枚目のシングル「木枯しの二人」。

この曲から76年7枚目の「きみ可愛いね」を挟んで、

77年までは、阿久悠・三木たかしのコンビが彼女をサポートした。

数奇な運命を経て、今では時々テレビに登場する彼女だけれど、

この頃の彼女の歌は、今リメイクすればまだまだ売れる、

ボクはそう思う。

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さて、今夜は何にしようかな?

そんな調子でレコード棚を漁っていたら、

おもしろいレコードを見つけた。

フォー・プレップスの「A Letter To The Beatles」。

フォー・プレップスは、56年にハリウッドで結成されたボーカル・グループで、

ドゥ・ワップからフォーク・ソング、ポップスまで何でも御座れ。

そんなベテランのグループが、

アメリカで「抱きしめたい」をヒットさせた僅か1ヵ月後に、

こんなビートルズ讃歌をリリースしている。

歌詞には“ビートルズ”というフレーズだけでなく、

「抱きしめたい」のフレーズをそのまま歌いこんでいる。

64年4月全米85位、この曲は彼らの最後のHOT100ヒットとなった。

古き良きアメリカを代表するボーカル・グループがチャートから去り、

入れ替わって、ビートルズを代表とするイギリスのバンドが全米を席巻した。

アメリカのボーカル・グループの“人の良さ”を感じてしまう、

そんな皮肉な運命をもった1枚なのである。

そしてこの曲は、09年12月27日のコンピCD『ビートル・マニアックス』にも、

もう1枚のビートルズ讃歌コンピ『ブラボー!ビートルズ』にも収録されている。

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69年に発売された1910フルーツガム・カンパニーの4枚目のアルバムから、

日本でのみシングル・カットされた「1910 Cotton Candy Castle」、

邦題は「フルーツガム・カンパニーのテーマ」。

邦題にふさわしいハッピー・ゴー・ラッキー・サウンドである。

このレコードが71年3月にシングル発売される際、名誉あるB面に選ばれた曲は、

なんと、68年のデビュー・アルバム『SIMON SAYS』の中の1曲だった。

そのタイトルは「バブルガム・ワールド」、

聴いてビックリ、国民のみんなが知っている曲に似ている、

イントロを聴いて思わず笑ってしまう1曲なのである。

それは、69年秋に放映が始まったアニメ『サザエさん』のエンディング・テーマ、

「サザエさん一家」、2番の歌詞はテレビでおなじみ、

♪~ 大きな空をながめたら 白い雲がとんでいた

   今日は楽しい 今日は楽しいハイキング ~♪

これまたお馴染み筒美京平先生の仕業。

『サザエさん』と言えば、

高校2年生の体育祭の服装競争で、ボクは波平さんの扮装をしたよ。

アルバムを探したら、やっと出てきた1枚、

確かこれは67年の秋のはず、まだテレビ放映が始まる前だったんだなぁ。

だったらなぜ、この時、『サザエさん』を課題に選んだのだろう?

考え出すと夜も眠れなくなりそうだ・・・。

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eBayで取引していると、いろいろな連絡メールを翻訳することが必要になる。

先方からのメールを日本語訳したり、送りたい内容を英訳したり、

そんな時、パソコンの翻訳サイトを利用している。

ところがこれが一筋縄とはゆかず、正しく翻訳するには一苦労する。

通訳さんのようにはゆかず、直訳になってしまうというわけである。

まあ無理もないのだけれど、何かいい方法はないのでしょうか?

例えば、この「I Want You To Be My Baby」は、

“私は、あなたに、わたしの赤ちゃんであって欲しいです”というタイトルに。

ボクが邦題を付けるとすれば、

さしずめ、「彼女になりたい」とか「恋人になってほしい」・・・かな?

でも、ブリル・ビルディングの名コンビ、ジェフ・バリー&エリー・グリニッチの

エリーがソロでカバーしたこの曲は、

そんなタイトルが似合わないほどハードでビートを効かせたロックンロール・タッチ。

ジョン・ヘンドリックスが53年に作ったとは思えないほど洗練されている。

同じ67年にイギリスでカバーしたビリー・デイビス盤はもう少し穏やか、

コール&レスポンス、掛け合いが楽しい仕上がりになっている。

エリー・グリニッチ盤は67年全米83位と唯一のソロ・ヒット作品だけれど、

このレコードをボクが持っているのは、実はB面が欲しかったから。

B面は、このレコードのプロデューサー、ボブ・クリューの作品、

「Goodnight, Goodnight」、

まるで、シャングリラスのような、レインドロップスのような、

素敵なガールズ・ポップスなのです。

何度聴いても、今夜は『全英オープン』観なくてはなりませんから、

“グッドナイト、グッドナイト”というわけにはいきません。

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この「The End」は、“一巻の終わり”ではなく「愛よ永遠に」である。

♪~ At the end of a rainbow you’ll find a pot of gold

   At the end of a story you’ll find it’s all been told

   But our love has a treasure our hearts can always spend

   And it has story without any end ~♪

中学生でも訳すことができる平易な美しい歌詞と、

音痴でも歌えそうなゆっくりとしたメロディ。

いつの間にか複雑で聞き取りにくくなった最近の洋楽とは違う、

そんなテキスト的な魅力に溢れていた。

しかも、Theは、母音で始まる単語に付いた時には、

“ザ”ではなく“ジ”と発音するんだよ、なんて教育的なタイトルでもあった。

だからボクは、“ジ・アイビーズ”や“ジ・アルフィー”が出てくる度に、

この曲を思い出してしまう。

音楽之友社発行の『Billboardただ1曲のスーパーヒット』によると、

ハモンド・オルガン奏者・アール・グラントのこのデビュー曲は、

“ビートがないし、ブルースでもジャズでもない”と、こき下ろされたけれど、

当時の父親や母親の支持を受けて、58年全米7位のヒットを記録した。

ヒットから10年を経て発売された国内盤シングルと、

他の曲も聴いてみたくて最近買ったコンパクト盤、

アール・グラントの写真はこれ以外なかったのかな?

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当たり前のようにボクたちが使っている“カルトGS”って言葉、

GS好きのボクたちには違和感のない単語ですが、

いつの頃からか(本当はいつ頃か知っているのですが)、

あまりいいイメージではなくなってしまいました。

というより、本来“新しい宗教”という認識だったのですが、

今では“反社会的な”というような意味がスタンダードになったようです。

アイドルとして有名になったGSではなく、

“あまり有名ではないけれど、見るべきところがあるグループ”という意味での

カルトGSの特集もいよいよナンバー・エイトとなりました。

68年デビューのブルーインパルスは、なぜ人気がでなかったのか?

もう少し早くデビューしていて、もう少し個性的なビジュアルであったなら、

彼らはきっと後の世に“カルト”とは呼ばれなかったと思う。

「太陽の剣」(剣は“つるぎ”と読む)も、

B面の「夜明けに消えた恋」も、なかにし礼・村井邦彦の作品、

曲も、演奏も、ハーモニーも、人気グループに負けていないのに・・・。

東京オリンピックで見た自衛隊の曲技飛行隊のように、

ボクたちに強烈な印象を残すことなく、消えてしまった。

今聴いてもカッコイイ曲の“ふたつ”である。

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「フー・プット・ザ・ボンプ(しびれさせたのは誰?)」や、

「ミスター・ベース・マン」、「僕のマシュマロちゃん」などで、

見事な低音を聴かせているロニー・ブライト氏。

なんとなく“おじさん”のイメージがあるけれど、

「フー・プット・ザ・ボンプ」の時は23歳で、バリー・マンとは同級生。

「ミスター・ベース・マン」、ジョニー・シンバルくん18歳の時、彼は25歳。

これらの曲は、ロニー・ブライトのサポートあってこそ、なのである。

ボクが持っているレコードの中から、

この偉大なるサポーティング・シンガーの正体を暴いてみた。

彼は、54年「サマー・ラヴ」をリリースしたヴァレンタインズのオリジナル・メンバー。

その後、60年に、

59年全米28位「Peek-A-Boo」をヒットさせたキャデラックスの後期メンバーとして加入。

そして、バリー・マンやジョニー・シンバルのサポートを経て、

65年27歳で、ロニーとスクールメイツを結成した。

オリジナル盤は結構高価なので、コレクタブル盤を持っているのだけれど、

「Don’t, Don’t, Don’t (Drop Out)」と、

「Just Born (To Be Your Baby)」、

このカップリングは最高!

2曲ともバス・パートのロニーがリード・ボーカルを務めているのである。

それだけに、あまり聴きなれないスタイルだけれど、

きっと彼は、人生で一度はリードをとりたかったのかもしれない。

ロニーとスクールメイツは、そんな哀愁を感じるグループである。

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ヤフー・オークションで欲しかった1枚を手に入れました。

以前にも出品はあったのですが、あまりに高額で手が出ませんでした。

でもそれ以来出品されることもなく、今回は思い切って・・・。

エルヴィスの「ロカ・フラ・ベイビー」のカバーはこれが3枚目、

1枚は以前に書いた藤木孝さんの「ツイスト・フラ・ベビー」、

そして、2枚目はエルヴィスの雰囲気を持ったほり・まさゆき盤。

♪~ 月明かりに あの娘の手と ヒップがユラユラ

   ゆれるハワイの一夜は 夢のパラダイス

   ロック ア フラ ベイビーロック

   星のまたたく ホノルルは

   今夜もロッカ フラ ベイビーと ~♪

「ロカ・フラ・ベイビー」、この音羽たかしさんの詩は、

♪~ 赤いレイを かけたあのこが 腰をふりながら

   フラを踊れば 島の電車が とまっちまうぜ

   ロッカ フラ ベイビー ロッカ フラ ベイビー

   なぜなら運ちゃん あのこにホレてる ~♪

という、佐々木功盤の「ロッカ・フラ・ベイビー」、

漣健児さんのものとはまったく違うのです。

歌詞も歌い方も、ユーモアが効いていて、とてもとても好きな1枚です。

ほり・まさゆき盤のB面は「ブルー・ハワイ」、

佐々木功盤のB面は、エルヴィス盤と同じ「好きにならずにはいられない」。

今夜は久しぶりにエルヴィスのカバーを堪能できました。

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51年1月23日生まれのボクより、ちょうど10歳年上、

チョー偉大なシンガー・ソングライターがいる。

41年1月24日生まれのその人の名は、ニール・ダイアモンド。

ボクが彼を最初に知ったのは高校1年生の時、

モンキーズの「アイム・ア・ビリーヴァー」の作者として。

となれば、ラジオで彼の特集が組まれる。

そして、大好きになった曲は、66年全米6位「チェリー・チェリー」。

プロデュースしたのはジェフ・バリーとエリー・グリニッチというから、

やっぱり“呼ぶ”んですねぇ。

もちろん音源はもっていたのですが、最近懐かしくなって輸入盤シングルをゲット。

彼自身が初めて№1になったのは、

70年、「クラックリン・ロージー」。

♪~ Ah, Cracklin’ Rosie get on board ~♪

松山に来たばかりの年で、

この誰も知らないフレーズをひとりでいつも口ずさんでいた。

彼が次に1位を獲得したのは72年、「ソング・サング・ブルー」。

♪~ Song Sung blue, Everybody knows one ~♪

この時もまた、誰も知らないこのフレーズを口ずさんでいた。

このレコードを買った時、並んでいたもう1枚も買った。

70年「クラックリン・ロージー」の数ヵ月前の全米30位「スーレイモン」。

それにしても・・・、

日本での彼の評価は低すぎた。

それとも・・・

ボクの鼻歌がヘタだったのか、

その頃、ボクの周りにニール・ダイアモンドのファンはいなかったのである。

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“あなたのご趣味は?”

“ジャズを聴くことです!”

カッコイイ、おしゃれな紳士ですね。

“オールディーズ・ポップスを聴くことです!”

何かちょっと変わった偏屈な人みたい。

“B級アイドルの研究です!”

おい、これは変な奴だぞ、要注意人物だ。

一般的な、世間の評価なんて、そんなものでしょう。

おしゃれな紳士を目指すために持っている1枚は、

ナット・キング・コールのコンパクト盤。

62年全米2位の「ランブリン・ローズ」と、

64年全米81位、日本でも流行った「ラヴ」と、

63年全米6位、今でも夏の定番ソング「暑い夏をふっとばせ」と、

ディック・ミネやエノケンのカバーでおなじみの「月光価千金」。

オールディーズのコレクターとなれば、

この4曲でナット・キング・コールはおしまい。

65年に亡くなったナット・コールですから、最後期のヒット曲ですね。

♪~ L is for the way you look at me

    O is for the only one I see

    V is very very extraordinary
 
    E is even more than, any one that you adore can ~♪ 

♪~ L と書いたら ルック・アット・ミー

    O とつづけて オーケイー

    V はやさしい文字 ベリーグッド

    E とむすべば 愛の字 エル・オー・ヴィ・イー ~♪

と、漣健児さんの訳詞でおなじみの「L-O-V-E」。

本当に久しぶりで聴いてしまいました。
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ベテラン歌手が昔の曲を歌う時、

自分のヒット曲やスタンダード曲を、

妙にアレンジしてみたり、一拍ためて入ってみたりして歌う。

本人としては、同じ歌を何回も歌っているから飽きていたり、

自分の成長を自己主張しているのだろうけれど、

ボクは、昔のまんまのあなたの歌を聴きたいのですよ。

オールディーズのカバーも同じ、

編曲はアレンジャーの仕事、プロの歌手ならば素直にシンプルに歌ってほしい。

歌う人が違うのだから、もうそれだけで自己主張したも同然、

ある意味、魅力的なオリジナルなカバーになってしまうのです。

そんな、素敵なステキなカバー・バージョン時代を築いてくれたのが、

ダニー飯田とパラダイス・キングの面々。

そんなパラキンのレコードから、

今夜はまだ紹介していなかったステキなカバーをピックアップしました。

63年3月発売、フォー・シーズンズの「恋のやせがまん」。

同じく7月発売、ジョニー・シンバルの「ミスター・ベースマン」と、

カスケーズ「悲しき雨音」のカップリング。

おまけは、62年7月発売の佐野修さんの「キッスでまたね」。

原曲は、ボビー・ライデルやジェス・ピアーソンが歌った「ワン・ラスト・キッス」。

メドレーで聴いていると、まさにパラキン“パラダイス”、

彼らこそ、カバー・バージョン時代の“キング”だぜ!

てかぁ~。

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58年6月から連続6週間もビルボード№1に居座ったのは、

シェブ・ウーリーの「The Purple People Eater」。

直訳すると“紫の人々を食べる奴”。

この奇妙なタイトルの曲は、彼の友人の息子のジョークをヒントに生まれた。

“目が一つで、空を飛び、角があって、人を食べるモノはな~に?”

ギブアップした大人たちに、正解は“片目一角の空飛ぶ人食い怪獣”だった。

付いた邦題は「ロックを踊る宇宙人」。

まず、人食い獣の声とサックスをゆっくりとした速度で録音し、

それを早回しする、というノベルティ・ソングの王道の手法で作られた。

この曲は、300万枚以上を売り上げ、

天地真理やピンク・レディーのように、さまざまなグッズが作られ、

大きな流行となったそうだ。

シェブ・ウーリーは、DJでソングライターで、バンマスで脚本家で、

コメディアンでTV俳優、映画俳優でもあり、もちろん歌手でもあった。

まさに、彼自身が“ロックを踊る宇宙人”が如きキャラクターであった。

俳優としては、『ジャイアンツ』や『リオ・ブラボー』、『真昼の決闘』に出演し、

最も身近なのは、テレビの西部劇『ローハイド』で演じたイーストウッドの相方、

斥候のピート・ノーランだった、というが記憶にない。

そして、後の世に、この奇妙な大ヒット曲をカバーしたのは、植木等さん。

『ちびまる子ちゃん』のエンディング・テーマ、

「針切じいさんのロケン・ロール」として日の目をみた。

プロデュースはもちろん、我らが大滝さんであった。

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中古店で見つけて、なんとなく古そうだったので買ってしまった1枚、

ヤンとキエル、「黄色いバスケット」と「オー・マイン・パパ」のカップリング盤。

ヤンとキエルは14歳と16歳、デンマークはコペンハーゲン生まれの兄弟。

キエルが11歳の時、楽器の知識もなく、楽譜も読めないのに、

父親のバンジョーを爪弾いていたことがデビューのきっかけ。

彼は、今で言う絶対音感の持ち主で、父親の演奏を聴いていたのを真似たらしい。

彼らが何者か知りたくて、ドイツやオランダのネットで検索したけれど、

これらの曲がシングル・カットされている記録は見つけられなかった。

推測するに、60年の彼らのアルバムから、日本でのみシングル・カットしたのでは。

「黄色いバスケット」は、アメリカの子供たちの定番ソング、

「オー・マイン・パパ」は、ドイツのスタンダードで、

48年スイスのミュージカルのために作られた、

「オー・マイ・パパ」としておなじみの曲。

60年にこんな曲をピックアップして発売するなんて、

日本のレコード会社はすごい!とあらためて感心。

2週間遅れの“父の日”記念で、

エディ・フィッシャー、53年の正調「オー・マイ・パパ」を聴くことにしました。

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