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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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ウィキペディアによると、

ユーロビジョン・ソング・コンテストは、欧州放送連合が主催するイベントで、

第1回大会は1956年、延べ14ヵ国の参加、スイスで開かれた。

以来、回を重ねること57回、今年は42ヵ国が参加、

開催地はアゼルバイジャンで、スウェーデン代表が優勝した。

まさに、ご長寿イベント、ご長寿ソング・コンテストである。

今日紹介したい一曲は、63年、そのユーロビジョン第8回大会で、

第4位に入賞した曲の、シングル盤の、B面曲。

平たく言えば、ユーロビジョンとはあまり関係のない曲だとも言える。

その4位入賞曲を歌ったのは、イギリス代表ロニー・キャロル、

彼の唯一の全米チャート曲、63年全米91位、全英では6位にチャートインした

「Say Wonderful Things」、邦題「素敵な言葉を」。

ロニー・キャロルは当時28歳、

この曲は普通のポピュラー・ソングで、例えれば正統派の歌謡曲といった感じ。

ボクがこのレコードを持っているのは、

このレコードのB面曲が気に入ったから。

「Please Tell Me Your Name」、

曲調を言葉にするのは難しいけれど、

A面とは一転、ナイスなティーン・ポップで、女性の合いの手が入る。

アーノルド・シュワルツネッガーのような厳つい顔には似合わない、

ロニー・キャロルという優しい名前にヒッタリの一曲である。

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1964年、昭和39年、ボクは中学2年生。

東京オリンピックの年、

阪神タイガースがリーグ優勝した年、

そして、ビートルズの年。

来月のレコード・コンサートのテーマは『64年のビルボード№1曲』、

というわけで、準備のためレコードをピックアップしている。

64年の№1曲は全部で23曲、もちろんすべて揃っている。

そのうちビートルズは、6曲、合計18週間も№1の座にいた。

前にも書いたように、連続14週№1、1位から5位までを独占、

そんな驚異的なヒットを、いや社会現象を巻き起こした年なのである。

23曲のうち、まだボクのブログで紹介していなかったのは2曲。

その1枚は、「ア・ハード・デイズ・ナイト」、

邦題は、あろうことか「ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!」。

ビートルズの映画のタイトル・ソング、

この映画、当初の仮題は『ビートルマニア』だったけれど、

メンバーがボツにしてしまった。

そして、リンゴの何気なく発した一言でこのタイトルに決まった、という。

“今日はきつい1日だったなあ!”

「ア・ハード・デイズ・ナイト」は、初登場21位、

2週間後の8月1日付で№1となり、2週間その座にあった。

もう1枚の未紹介曲は、このビートルズを№1から引きずりおろした曲、

ディーン・マーティンの「誰かが誰かを恋してる」。

♪~ Everybody loves somebody sometime ~♪

当時はあまり好きではなかったけれど、

今聴くと、とてもすばらしい曲に思えるから不思議だ。

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松山の中古店には、特に探しているモノがなくても、寄りたくなります。

先日も何気なくペラペラと漁っていたら、

気になる1枚を見つけました。

それは、少し前に書いた“ドドンパ”の1曲、

64年、和田弘とマヒナ・スターズの「お座敷小唄」。

♪~ 富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も

   雪に変わりはないじゃなし ~♪

えっ、“ないじゃなし”、

それって正しい日本語?

そう言えば、先日新聞に載っていた“気になる日本語の使い方”。

“口先三寸”、正しくは“舌先三寸”、

“合いの手を打つ”、正しくは“合いの手を入れる”、

“寸暇を惜しまず”、正しくは“寸暇を惜しんで”、

“怒り心頭に達する”、正しくは“怒り心頭に発する”。

金田一春彦先生ではないので、解説も議論もするつもりはありませんが、

“ないじゃなし”が正しいのか、“あるじゃなし”の誤用なのか、

ちょっと気になるところです。

昔は、“全然”って言葉は必ずその後に否定語が続く、って教えられました。

でも、最近はそんなことにこだわらないようです。

多くの人が使えばそれが正しい使い方として認知される、

百歩譲って、それは許すとしても、

国語辞典だけは正しい使い方を通してほしいと思います。

「お座敷小唄」ひとつで、こんなことを語ってしまいました。
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ボクは占いを信じない方ですが、

あなたはハリウッド・スターでいうと誰のタイプか?

という、誕生日占いがありました。

それによると、ボクはメル・ギブソンのタイプで、

その性格は、

“即断即決、どのような内容でもとりあえず引き受けてしまうが、

 後で後悔するコトも多い”のだそうです。

大好きな、59年のティーン・ポップ、

ティアドロップスの「ユーアー・マイ・ハリウッド・スター」を聴きながら、

そんなことを思い出しました。

ティアドロップスは黒人の4人組で、どう見てもドゥワップなのですが、

歌を聴く限りは、どう聴いてもティーン・ポップなのです。

ハリウッドといえば、

高校生の頃『スクリーン』や『映画の友』をよく買っていました。

どこかにあったゾ!と家捜ししたのですが、

出てきたのは67年と68年の『スクリーン』の別冊だけ、

処分してしまっていたようです。

さて、ハリウッドつながりでもう1枚、

76年、カート・ベッチャー&カリフォルニア「ハッピー・イン・ハリウッド」。

こちらは癒し系、トロピカルなカリフォルニアン・バラード、

とても幸せな気分です。

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ボクはシングル盤コレクターなのですが、

一口にシングル盤と言っても、いろんなスタイルがあります。

シングル発売のために録音されたもの、アルバムから取り出してシングル化されたもの、

国内盤と輸入盤、輸入盤は正確には外国盤で、さまざまな国のものがあります。

まだまだ、分類しようと思えばいくらでもあるのですが、

その昔には“日本でだけのシングル・カット”なるものが少なからずありました。

レコード会社が流行りそうな曲をシングル発売したり、

ラジオでかけられた曲の反響が大きかったためシングル発売が決まったり、

と、日本でだけのシングル盤が誕生するのであります。

さて、今夜もそんな1枚をピックアップしました。

67年発売、68年にヒットしたMaudsの「ハ・ハ・ハ」。

Maudsでボクがすぐに連想したのは、ジョン・モウズ、

ウォーカー・ブラザーズのジョンの本名です。

でも、ジョンのスペルはMausで、

このMaudsは、シカゴ出身のブルー・アイド・ソウルの5人組、

この名は、スラングのひとつで“モッズ”を意味しているらしい。

「ハ・ハ・ハ」は、オーティス・レディングの作で、アーサー・コンレイのカバー、

外国ではヒットしなかったようですが、なぜか日本ではGSに人気があり、

リンド&リンダースがカバーしている。

リンドのカバーは世に出ている枚数の関係か、なかなか手に入りません。

ですから、今夜はジョン・モウズ(ウォーカー)のソロでお茶を濁します。

彼の歌う「サニー」、カッコいいですよ。

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ちょっと古くて恐縮ですが・・・、

“お元気てすか~ぁ!”の陽水さんが『UNITED COVER』の中で、

おしゃれにカバーした「東京ドドンパ娘」は、

61年、渡辺マリの大ヒット曲。

♪~ 好きになったら はなれられない

   それは はじめてのひと ~♪

洋楽のカバーのような、ちょっとジャズっぽい趣。

“ドドンパ”というのは、日本のリズム“都々逸(どどいつ)”と、

洋楽のリズム“マンボ”を融合させた日本のオリジナルだという。

このドドンパのリズムを巧妙に生かしたもうひとつのヒット曲が、

翌62年の北原謙二「若いふたり」。

♪~ きみにはきみの 夢があり

   ぼくにはぼくの 夢がある ~♪

この歌が巷に流れていた頃、ボクは小学生だったけど、

なんか口ずさんでいたようなイメージがある。

日本人にとって、ドドンパは、古くて新しい心のふるさとである、

なんて、締め方はいかがでしょうか。

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中古レコード・セールでペラペラ漁っていたら、

とんでもないモノを見つけた。

なんだ、このジャケットは!

どう見ても、フィル・スペクターのボックス・セットのパクリ。

DAVE PARASITE 『Back To DEMO(1989-1991)』

こちらは、7インチ・シングルサイズながら、

スペクターのボックス・セットとデザインを比べて欲しい。

PHIL SPECTOR 『Back To MONO(1958-1969)』

巧妙な、というより、パロディなのだろうか?

ファンの方には申し訳ないが、デイヴ・パラサイトなんて知らないし、

ちょっと聞いてみたけれど、ボクのジャンルではない。

このレコード、ご覧のように赤盤と緑盤の2枚組で、

限定盤なのか、ジャケット裏にナンバーリングがある、

ボクのは0547番。

この1枚は、音楽のコレクション、レコードのコレクション、ではなくて、

レコード・ジャケットのコレクションということで、

とりあえずボク自身は納得!

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80年前後だったか、ボクが担当していた乳業メーカーのCMに彼女は登場した。

新発売のクリームチーズのCM、

CM製作は大手の広告会社だったけれど、中国四国地区の媒体扱いを担当。

だから、直接彼女との接点はなかったが、

なかなかに魅力的な女性だと思っていた。

彼女の名はセーラ、

まるで昨今のローラのように、名前だけのタレント名が印象的だった。

その彼女がレコードを出していることを知ったのはそれから10年ほど後。

79年発売、セーラ&STUDS(スタッズ)名義の「レイニィボーイ1013mb」。

81年のダイハツ・シャレードのイメージ・ソング「Get the Sun」。

特にこれらの曲に魅せられたわけでもなかったけれど、

あのセーラの歌、ってことでとりあえずゲット。

「レイニィボーイ1013mb」のmbはミリバール、

さしずめ今なら、「・・・1013hPa」となる。

hPaはヘクトパスカル、気圧の単位である。

1mbは1hPa、ちなみに1013.25hPaは1気圧のこと、

これで、タイトルの1013というハンパな数字の謎も解けた。

彼女はモデル、CMタレント、なのに歌手として歌も歌う、

今ではこんなパターンはもう当たり前なのですが、

この当時はちょっと新鮮だったのです。

彼女は、数年前、子宮頸がんのため50歳で亡くなった。

まだまだ普及していないけれど、

あなたも、ティール&ホワイトリボンに協力してください。

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Do you know the way to San Jose?

そんなこと知らないけれど、チャーターバスが連れて行ってくれたよ。

85年2月、ボクはSan Joseへ行った。

目的は研修旅行で、ショッピングセンターの視察、

敷地面積16万坪、駐車台数9,000台、テナント数130店の、

エンクローズド型のイーストリッジというSCを見た。

ディオンヌ・ワーウィック、68年全米10位「サン・ホゼへの道」。

そして、名カバーはボサノバ・バージョン、

70年、ボサ・リオ「サン・ホセへの道」。

この歌は知っていたけれど、ボクがSan Joseへ行った時、

不覚にも、この曲を口ずさむことはなかった。

なぜなら、

San Joseは、現地では“サンノゼ”と呼ばれていたから、

サンホセと、頭の中でつながらなかったのである。

サンノゼという町は、

このロスの南東部の町以外にも、中米コスタリカにもある、

2年前に崩落事故で有名になったチリの鉱山もある。

この曲の詞は、先日亡くなったハル・デヴィッド、

歌詞の中に、L.A. is a great big freeway とあるから、

このSan Joseはアメリカの方だと思う。

ディオンヌの歌詞カードでは、この部分、

That is great big freeway となっているし、

ボサ・リオの歌詞カードでは、

Darling if that make you feel week となっている。

日本盤では、ヒアリングで歌詞を書いていたことがわかるひとつの証左でもある。

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高校2年生の頃だったと思う、

この歌を初めて聴いた時、アメリカの曲のカバーだと思った。

♪~ shavara do do do bi vaw do do do ・・・ ~♪

このナンセンス・シラブルの使い方は当時としてはものすごく斬新。

それが日本のオジリナルだなんて!!!!!

麻里圭子「銀色のお月さま」、

ちゃんと英語のタイトルもある、「Silvery Moon」。

しかし、まったく注目されることもなく、

ヒットすることもなく、

友人たちでさえ、“何それ?”。

麻里圭子の名が世に知られるようになるには、

「月影のランデブー」のヒットまで待たねばならなかった。

(11年7月21日のブログ参照)

ご覧のように、レコード・ジャケットの麻里圭子は、

そんなに可愛いわけでもなく、そのファッションも???

しかし、しかしである、

この曲の洋楽っぽい作りといい、英語を散りばめた歌詞といい、

スクール・メイツのコーラスといい、

洋楽のオシャレさと日本独自のムード歌謡を融合させた、

見事な一曲だと思う。

なぜ流行らなかったのか?

きっと早すぎたんだと思う、時代がついてきてなかったのだと思う。

B面の「そんな夢」、

鈴木邦彦さんの曲だけあって、ひとりGSっぽい曲。

大好きな、大切な1枚なのです。
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最近、民放を見ることが少なくなったけれど、

『相棒11』は見てしまいました。

バラエティなら“さんま”は見る。

彼は同郷の奈良出身、もうずっと昔、彼がムササビを捕まえた話に共感、

それ以来結構気に入っている。

さて、今夜は無性にシンプルなロックンロールを聴きたくなった。

まだブログに出していない曲は・・・、

と、引っ張り出したのは、

66年全米9位、ボビー・フラー・フォーの「アイ・フォート・ザ・ロウ」。

♪~ I fought the law and the law won ~♪

この単純な繰り返しが頭に残る。

きっと、明日は一日中このフレーズを口ずさむことになるだろう。

オリジナルは、59年、バディ・ホリー亡き後のクリケッツ。

ボビー・フラーのカバー後の数々のカバーは数知れず、

といった、シンプルなロックンロールの佳曲である。

曲だけ聴くと、イギリスのバンドの匂いがするが、

ボビー・フラーはテキサスの男、青春時代をエルパソで過ごしたという。

というわけで、

60年代初の全米№1ソング「エル・パソ」を聴きたくなった。

マーティ・ロビンスのカントリーの名曲、

さっきまでのロックンロールを聴きたくなった、は、どうなったのか、

カントリーもいいね。

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今日は“体育の日”でお休み、

ゴルフの打ちっ放しとテレビで音楽ビデオを見ただけの無為な一日。

夕方のニュースを見ていると、西条秀樹のニュース。

彼は、60歳になったら歌手を引退して靴を作るんだって。

脳梗塞を2回やって、靴が履きにくいことがわかったという。

だから自分で作るんだって。

確かに彼が退場する姿は歩きにくそうだった。

歌手を引退?こんな話は聞いたことがないからとても新鮮だった。

こんなことを書きたくて、

コレクションとは別の棚にあるレコード群を探して出てきた彼の2枚。

♪~ やめろと言われても 今では遅すぎた ~♪

74年の「激しい恋」と、

♪~ 恋する季節には まだ早すぎるけど ~♪

72年、デビュー曲の「恋する季節」。

本来のボクのコレクションの外にあるレコードですが、

彼の生き方に共感して・・・。

ついでに一言、

やっぱり“体育の日”は10月10日にすべきだと思うのです。

理由?

東京オリンピックの始まった日を忘れてしまいますから。

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60年代初めのガールズ・ポップとティーン・ポップ、

ボクの熱中しているコレクション・テーマです。

総じて言うと、どちらも、恋の悩みや恋への憧れを歌うものが多く、

70年代、80年代の日本のアイドル・ソングと相通ずるものがあるのです。

そんなオールディーズ・ポップスのウォンツリストにある1枚を

ようやく見つけることができました。

わずか1分55秒の夢の世界、

クリス・ジェンセンの「恋のスクール・バス」。

彼の日本でのデビュー曲で、

クリスの甘い声と女声コーラスのかけあいは、

ティーン・ポップのお約束。

何よりも、驚きは、こんなマイナーな曲なのに国内盤が存在するのです。

もう何年も何年も探し続けているのですが、

市場に出てくるはずもなく、ネットでそのジャケット写真を見るだけ。

当時は、歌手の写真が手に入らないものですから、

曲のイメージをイラストにしたものがジャケットの主流。

それがまた、我らコレクターの収集心をくすぐるのです。

スクール・バスのくせに、路線バスの車内ようなイラスト、

その雑さ加減も好きなのです。

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68年だったと思う、高校生の時、

何の雑誌だったか忘れたけれど、ものすごく魅力的な女の子のピンナップを見つけた。

ボクと同い年の17歳、ティーナ・ラッツ、

横浜ハイスクール3年生、身長1.70m・体重48kg、

母が日本人で父がアメリカ人、日本語はヨワイ・もっか勉強中。

これが表記されているプロフィールであった。

その女の子は、77年夏、資生堂のCMに登場した。

BGMは、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「サクセス」。

カップリングは、これまたうれしい!「愛しのティナ」。

資生堂のプロモーション用シングルの見開きは歌詞と写真の豪華版、

ティーナ・ラッツは26歳、美しいモデルになっていた。

今はもう亡くなってしまったけれど、

17歳の頃のピンナップの切り抜き3枚と、

資生堂のCMのDVDと、このレコードが彼女を偲ばせてくれる。

そういえば・・・、

ずっと前に山手線の原宿と代々木の間だったと記憶している、

彼女の名前の看板を見つけた。

いったい何だったのか、いつか確認しようと思いながら、

まだ、そのまま、何度も東京に行ってるのに・・・。

まだ、あるのだろうか?

「サクセス」&「愛しのティナ」、

いいね、元気が出るね、

困難なことがあっても、なんだかやれそうな気がする。

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eBayを漁っていたら、魅力的なピクチャー・スリーブが目がついた。

バディ・ホリーの「ペギー・スー」と「ザットル・ビー・ザ・デイ」のカップリング。

“CROSLEY”のロゴに惹かれて落札した。

CROSLEYは、1920年に設立された

ラジオやターンテーブルやジュークボックスのメーカーで、

レトロなデザインが魅力の製品がザクザク。

50年代のアンティークラジオが欲しくて、毎日eBayとにらめっこ、

もちろん比較的高価で送料も高いものだから、なかなか決心がつきません。

そんな会社のコレクターズ・シリーズのシングル。

聴いてみると、「ザットル・ビー・ザ・デイ」はいつも聴いているバージョンとは違う。

いつも聴いてる傷だらけの輸入盤は、クリケッツ名義で、

バック・コーラスが効いている。

このバージョンはバディ・ホリーのソロが生きている。

説明は英語だから正確ではないかもしれないけれど、

57年9月全米1位のクリケッツ盤よりも先にレコーディングされたものらしい。

気まぐれの寄り道コレクションは大当たりのシングルだった、

そんな自己満足に思わず顔をほころばせながら・・・。

♪~ That’ll be the day when I die ~♪

俺が死ぬ日なんて来ないよ、と歌っていたのに、

59年2月3日に“音楽が死んだ日”がやってくるなんて・・・。

CROSLEYも、バリー・ホリーも、クリケッツも、大好きだ。

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