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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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ロマンチックで、センチメンタルで、それでいて爽やかな、

ソフト・ヴォーカル・コーラス・トリオ。

その代表格は“レターメン”ということになるのでしょうが、

さて、日本の代表格となれば・・・、

男性3人と女性3人の違いはありますが、

ライナー・ノーツで朝妻一郎さんが書いているように、

ボクも“モコ・ビーバー・オリーブ”だと思うのです。

さしずめ“レターウィミン”、異論噴飯の大胆な意見で恐縮です。

高橋基子、川口まさみ、そして我らがシリア・ポールの3人は、

68年にニッポン放送の『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』のDJとしてデビュー、

もちろん、提供は雑誌『平凡パンチ』。

ボクたちは、『平凡パンチ』と、今もある『プレイボーイ』を愛読していました。

その『平凡パンチ』が創刊800号記念にリリースした記念レコードもアップします。

LP2枚組で、DJ:小林克也、特別出演:シリア・ポールで展開する

洋楽オールディーズのオムニバス。

さて、本論に、

69年、そのモコ・ビーバー・オリーブがレコードを出した。

シングル「わすれたいのに」「幸せすぎたの」、LP『わすれたいのに』、

そのすべては洋楽のオールディーズのカバーだった。

そして、3曲目は初めてのオリジナル、

サンケイ新聞の募集による優勝曲「海の底でうたう唄」。

72年、『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』卒業後にリリースした1枚、

「幸せは解かれた」を最近入手したのですが、ちょっと歌謡曲でした。

でも、B面の「屋根裏の秘めごと」は好きです。

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先発投手が6回まで投げ、

7回は右の久保田、8回は左のサイドスローのジェフ、

さして、9回は絶対的クローザーの球児で。

これが今は懐かしいタイガースの“勝利の方程式”。

ウキウキのナンセンス・シラブル、高音のファルセット、

歌詞は韻を踏み、女性コーラスが合いの手を入れる。

こんな要素の幾つかを組み合わせて、軽快に、ハッピーに恋を歌う。

これが、オールディーズ・ポップスの、

いや、ニール・セダカの方程式なのです。

加えて、ニールお得意の数え歌パターンの大好きな一曲を見落としていました。

63年全米26位、「Let’s Go Steady Again」、

邦題は「よりを戻そうよ」。

残念なことに、日本ではあまり人気の出なかった曲ですが、

ボクでさえ、コレクションの片隅にあることに気づかなかった曲ですが、

本当にイイ曲です。

♪~ (Monday) We said goodbye

    (Tuesday) All I did was cry

    (Wednesday) I almost lost my mind
  
    (Thursday) I was feeling blue

    (Friday) Was the sameway too

    Never had a day sad as Saturday

    Even Sunday was no fun day ~♪

こんな、つらくて悲しい歌詞を、あんなに軽快にルンルンに歌うなんて、

ニールの精神構造はいったいどうなっているんでしょう?

♪~ For seven days we didn’t speak

   It’s been a long and lonely week

   Come on baby let’s go steady again ~♪
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もう30年以上前のこと、

ボクは松山の中央商店街の販促を担当していた。

ある日、ある商店街事務所の事務長がボクに声をかけてくれた。

“あんた、セラってウタ歌い知ってる?”

“知ってますよ”

ボクの頭にあったのは、ジャズピアニストの世良譲さん。

“トイストというグループらしいんやけど・・・”

一瞬の沈黙、トイスト?あっ!それやったらツイストの世良公則のことやん。

♪~ あんたにあげェェた~ 愛のォ日々ィを ~♪

フリ付きで歌ってみたら、

“あっ、それそれ”、とってもうれしそうだった。

聞いてみたら、世良公則はその年配の事務長の甥っ子だった、と記憶している。

そんなツイストの曲が、資生堂のCMになったのは79年夏、

コピーは、“ナツコの夏”、モデルは小野みゆき。

サマーファンデーションは画期的な売り上げを記録したという。

この資生堂のプロモ・ジャケットだけでは、曲のタイトルはわからない。

曲のタイトルは、「燃えろいい女」。

♪~ 燃えろ いい女 燃えろ ナツコ

   まぶしすぎる オマエとの出会い ~♪

いいCMだった。

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ボクのもとには、

毎朝ヤフー・オークションから平均15~16通のメールが来る。

eBayからも5~6通、キーワードで登録した新規出品情報である。

そして、毎週数店の国内外の中古店からの入荷情報が、

不定期だけれど国内中古店からのオークション・リストも来る。

心を強く持っていないと、お金がいくらあっても足りない。

最近特に求めているのは、ビニール焼けしたシングル盤の買い替えと、

すでに音源を確保している楽曲のシングル盤への買い直し。

ということで、今夜は、最近ゲットした後者のシングル盤を紹介します。

まずは、今年6月15日に書いたダスクの「ふたりのウェディング・ベル」、

輸入盤シングルから国内盤シングルへの買い直し。

音は輸入盤の方がいいのですが、このジャケットが気に入っているものですから。

中古店のオークションに入札して幸運にも落札できました。

2枚目は、11年5月2日のビーチ・ボーイズ「409」&「サーフィン・サファリ」。

輸入盤シングルCDから輸入盤シングル・レコードへの買い直し。

スキャンして画像アップしたらまったく同じなのですが、

レコードで聴く、BB5のホットロッド「409」(フォー・オー・ナイン)は最高です。

海外の中古店からの入荷情報でゲットしました。

そして、もう1枚は、11年11月13日、サークルの「トゥー・ルームズ」。

CDアルバムの中の一曲だったのですが、

シングル・カットされていることは知りませんでした。

これもまた、海外からの情報のおかげです。

やっぱりレコードで聴かなくっちゃ、とまでは言いませんが、

シングル盤コレクターとしては、存在しているのなら持っていなくっちゃ!

などと言いながら、これからは少しセイブしよう、と決心するのでありました。

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今の仕事のひとつに出版業務が加わったせいか、

最近、本をよく読むようになりました。

ボクは元来がビジュアル人間なものですから、

絵や漫画や写真がない文字だけの本は苦手で、

なんとなく騙し騙しの人生を過ごしてきたのですが、

齢を経て、ちょっと変化の兆し!(遅すぎるやろ~)

先日、本棚から16年前に著者本人からいただいたビジネス・エッセイ本を発見、

『変革時代の物の見方・考え方のヒント』という本で、

著者は地元の広告人(この括りは失礼かも)の先輩で、師とも仰ぐ人。

久しぶりに読み直してみると、今の時代にも生かせる内容がザクザク、

今更ながらあらためて敬服してしまいました。

その中のひとつ、“想像が創造の第一歩”、

言い得て妙!ですね。

このブログを始めてから、こんな時にすぐレコードをイメージするクセが・・・、

で、すぐに“想像”したレコード、確か持っているはず、

帰宅してようやく探し出しました。

74年全米7位、グラディス・ナイト&ピップス、「イマジネイション」、

原題は、「I’ve Got To Use My Imagination」。

このレコードは75年日本発売のゴールデン・カップリングで、

彼女たちの唯一の全米1位「夜汽車よ、ジョージアへ」とのカップリング。

ソウル・ミュージックに明るくないボクとしても、

とりあえず押さえておいた1枚のようです。

これからも、まだまだ、広告人として、

“想像力を使わなくては”と思いも新たにした今日この頃です。
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彼の名は永田英二。

現在のジャニーズ事務所のアイドル第1号のジャニーズが、

67年4月「太陽のあいつ」を歌っていた時、バックダンサーの中に彼は居た。

この4人は、ジャニーズJr.として独立し、

8月よりフォーリーブスとしてスタートする。

そして、10月、

永田英二は小学生だったためにフォーリーブスからの脱退を余儀なくされた。

その後、フォーリーブスは青山孝を加えて、

68年9月、「オリビアの調べ」でデビューした。

一方、永田は69年8月「あこがれ」でソロとしてレコードデビューする。

第2弾は、70年1月「恋をあげよう」。

この後、次から次へ、“ジャニーズ”は新しいアイドルを発掘し、

時代が“女性の時代”になってきたことと相俟って、

男性アイドル隆盛に移ってゆくのである。

アイドルは時代を映す、

これがボクの広告人としての時代考察のひとつであった。

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63年末頃、リー・ヘイズルウッドが作った曲、

「What Are We Gonna Do In ’64?」。

アル・ケーシーがStacyレーベルでのラスト・シングルとしてリリースした。

それはまた、レーベル自体のラスト・レコードでもあった。

11年6月7日に書いた「サーフィン・フーテナニー」と同じく、

彼のギターに、コーラスはKC-Ettes。

この女性コーラス・グループの正体は、ダーレン・ラヴ率いるブロッサムズである。

そして、ブロッサムズはブロッサムズで、

Wildcatsと名を変えて、

追いかけるように、Repriseレーベルから同じ曲をリリースした。

なぜ、ブロッサムズ名義ではなかったのか?

ここからは想像であり、推理である。

ブロッサムズは、61年「Son-In-Law」で全米79位のヒットを出した。

この時以来ブロッサムズ名義でのリリースはChallengeレーベルからである。

そして、KC-Ettesはあくまでもアル・ケーシーのバックで、

この時のリー・ヘイズルウッドとの出会いでRepriseへ移籍、

しかし、63年時点では権利の関係でブロッサムズ名義は使えず、

別名のワイルドキャッツ名義でのリリースとなった、のではないだろうか。

それを証明するように、

65年からは晴れてブロッサムズとしてRepriseレーベルからのリリースとなった。

ダーレン・ラヴのウィキペディアのシングル盤リリース・リスト等からの考察である。

久しぶりに、長い時間、ネット・サーフィンに費やした夜です。

なお、ワイルドキャッツの見本盤に貼付されている“1/17/64”は、

64年1月17日にこの盤があるラジオ局に届けられたという証左である。

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奈良から、見知らぬ町・松山にやって来た時、

知り合いはほとんど居なくて、テレビも民放は1局しか見られず、

大した楽しみも期待もない。

本当に真面目な大学生として、講義とサークル活動だけが日課だった。

城山の下の下宿は六畳一間、

電化製品はテレビとラジオとレコード・プレーヤーと電気コンロだけ、

食事は自炊で、洗濯は洗濯板でゴシゴシ、お風呂は近くの銭湯へ、

今考えると、よくあんな生活していたなあ、と思える。

偶然にも同じ下宿の隣部屋には一般教養で同じクラスの人がいた、

彼は東予出身で卒業後地元のスーパーに就職したけれど、

若くして亡くなってしまったから、その下宿の思い出を語る友もいなくなった。

「風がはこぶもの」を聴いていて、

人生を謳歌している今からは想像できないほど寂しかった頃を思い出した。

フォークシンガー、本田路津子、

“ろつこ”ではなく“るつこ”と読む。

この頃彼女は21歳、少し前に「秋でもないのに」でデビューしていた。

その透き通った美しい声と、思わずツッコミたくなる曲のタイトルが気になった。

「秋でもないのに」・・・、どうしたん?

「風がはこぶもの」・・・、それって何?

この頃の大学は、激しい学生運動も一段落し、至極平和なのであった。

その後、72年、

本田路津子はNHKのテレビ小説の主題歌「耳をすましてごらん」でメジャーに、

この番組は一度も見たことはなかったけれど、この歌は好きだった。

洋楽のオールディーズ大好き青年のひとときの浮気なのであった。

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レパラタ&デルロンズ、

ニューヨークの女子高生5人組がいつの間にかトリオになって、

64年「Whenever A Teenager Cries」でデビュー。

いきなり全米60位のヒットを記録した。

この曲、邦題「悲しきティーンエージャー」は、

ハンド・クラッピングが印象的な、メランコリックなバラードで、

どこをどう聴いてもロネッツが歌っているかのようだ。

B面の「He’s My Guy」=「私の彼氏」は、

同じ手拍子でもアップ・テンポのゴキゲンなガールズ・ポップス。

「悲しきティーエージャー」、その昔どこかで聴いたような気がして、

スペクターのアルバムをチェックしてみたけれど見つからず、

作者を確認したら、「浮気なスー」のアーニー・マレスカだった。

なるほど、狙いはディオン&ベルモンツの女性版なのだな、と納得。

67年の「I Can Hear The Rain」、

タイトルからして、「I Can Hear The Music」と、

「Walking In The Rain」をガッチャンさせたようで、

もちろん、曲そのものも、“音の壁”、歌もどう聴いてもやっぱりロネッツ後期、

どんだけェ~!

なにはともあれ、いいモノはいいですね。

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粗製乱造のGS時代後期、泡のように消えていった心に残るグループ、

そんなGSを紹介するシリーズ、4ヵ月のご無沙汰でした。

第9回目は、その中ではもっとも高価かもしれないレコードの登場です。

68年8月デビューのフローラル。

モンキーズのファンクラブが全国から公募し、

オーディションを経て結成されたグループでした。

フローラルの生みの親はイラストレーターの宇野亜喜良先生、

グループ名も衣装デザインも、デビュー曲の作詞まで担当したのです。

作曲はGS界の大御所、村井邦彦さん、

とはいえ、正直言って、「涙は花びら」も「水平線のバラ」も、

スローバラードで、そんなに大したことない、と思う。

けど、すごいのはそのメンバー、

日本の音楽界に一石を投じることになるグルーブだったのかもしれない。

ボーカルは小坂忠、リードギターは菊地英二、オルガンは柳田ヒロ、

この3人はこの後エイプリル・フールというグループを結成する。

その時、ここに加わったのが、ベースの細野晴臣、ドラムスの松本零。

このふたりがその後はっぴいえんどを結成するのです。

高価な理由のもうひとつは、このレコードがピクチャー・レコードであること。

音楽そのものより、レコード盤としてレアで貴重な1枚なのです。

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ロックでもないし、ポップスでもない、

穏やかで優しくて、もの思いに満ちた素朴な歌声、

そんなフィーリングはボクのコレクションに似合わないのですが、

キャロル・キングつながりで、

「Devoted To You」つながりで、

ボクのコレクションとなりました。

また、好きだった「笑って!ローズマリーちゃん」の、

フライング・マシーンというグループのことを調べていた時、

“ジェイムス・テイラーもかつてメンバーだった”の記述を見つけたりして、

ついつい興味をもってしまったのでした。

後に、彼が結成していたグループはまったく別物だったことを知りましたが・・・。

71年全米1位「きみの友だち」は、もちろんキャロル・キングの作品で、

78年全米36位「ディヴォーテッド・トゥ・ユー」は、

妻だったカーリー・サイモンとのデュエットで、

もちろんエヴァリーズのカバーです。

そんなジェイムス・テイラーの曲の中で、

珍しく、明るく軽快なタッチで恋の喜びを歌う、

ロックでポップなナンバーがある。

77年全米20位、「Your Smiling Face」、

邦題は「きみの笑顔」。

国内盤シングルをようやく見つけました。

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資生堂のCMタイアップ曲の、資生堂が出した非売品レコードのコレクション、

今年9月に偶然に始まったこのシリーズ、

クリキンの「蜃気楼」、堀内さんの「君のひとみは10000ボルト」、

柳ジョージさんの「微笑の法則」、ダウンタウンの「サクセス」と来て、

今回は第5回目、81年冬、大滝さんの「A面で恋をして」。

CMの帝王(?)大滝さんは資生堂からのオファーを断っていたのですが、

「A面で恋をして」というコピーを聞いて一転引き受けることとなった。

この見事なコピーは『ガラクタ箱』の土屋耕一さん、

作詞はおなじみ松本隆さん、

歌うは大滝・佐野・杉のナイアガラ・トライアングルvol.2。

このCMにはもうひとつのエピソードがありました。

CMモデルとなったのは、宝塚のトップスターだった美雪花代、

間の悪いことに時期を同じくして、彼女のスキャンダルが発覚、

そのために、このCMはホンの短い期間しかオンエアーがなかった、

“幻のCM”となってしまったのでした。

そんなわけもあって、このレコードはとても高価なのです。

もちろんこの曲は、ナイアガラー一族の大のお気に入り、

曲のそこここに、オールディーズのエッセンス満載、

そして、バディ・ホリーの57年の「エブリデイ」へのオマージュです。

ノイズのない状態のよいシングルが欲しくて、

十数年前に心ならずも妥協したコレクタブル・シリーズのシングルを掲出します。

ところで、こちらも希少品、トライアングルvol.2のキーホルダー、

いつも、ボクのお気に入りのスイス軍の迷彩コートに付けています。

そろそろ、このコートが活躍する季節になりましたね。

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ボクの大好きなオールディーズの名曲を、

ボクの大好きなアーティストがカバーした。

そのカバー自体がヒットしなかったとしても、

ボクはそんなレコードが大好きで、

何度も何度も繰り返し聴き比べている。

そんなコレクションはいっぱいあるのですが、

その中から、“あまりヒットしなかったモノ”をピックアップしました。

まずは、64年のカバー、

「浮気なスー」のディオンがカバーしたのは、

ドリフターズの№1ソング「ラスト・ダンスは私に」、

ポーマス&シューマンのこの名曲を、ポップに歌っている。

B面は、ボビー・ヴィーの№1ソング「さよならベイビー」、

このキング&ゴフィンは、逆に粘っこく歌っている。

レコード・ジャケット、もう少し何とかならなかったのかなぁ。

もう1枚は、69年のカバー、

「ヤング・ラヴ」のソニー・ジェイムスがカバーしたのは、

ロイ・オービソンの名曲「オンリー・ザ・ロンリー」。

こちらは、69年ビルボード92位ながら、

C&Wチャートでは№1になってしまいました。

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昨日、孫に会うために宇和島へ。

三間米のおにぎり弁当が買いたくて、

早朝に松山を発って9時開店の道の駅みまへ、

あいにく、おにぎり弁当はまだ出来上がってなくて、

店内をつぶさに探検していると、

なんとなんと、憧れの生の落花生があるではありませんか!

ここ2、3年、松山で探し続けていたけれど、どこにもなく、

千葉県か東京でなければ手に入らないと諦めていた。

粒が大きくて立派な落花生です、3袋も買ってしまいました。

殻つきのまま、塩をさっくりと入れて、15分ほど茹でれば完成、

ご馳走様、とても美味しくいただきました。

子供の頃、奈良の実家で作っていたものですから、この味は忘れられなくて・・・。

さて、あまりにベタですが、

今夜の選曲は・・・、先日お姉さんのエミさんが亡くなったザ・ピーナッツ。

ちょっとマイナーな「キャンディー・ムーン」です。

タイトルも曲も、洋楽のカバーのようですが、

作詩・安井かずみ、作曲・宮川泰、歴とした64年のオリジナルなのです。

B面は、♪~ ドミニカ ニカ ニカ ~♪と歌う「ドミニク」。

ついでに、96年発売のコンピCD『バカンスだよ、ピーナッツ』、

こんな珍しいものもひっぱり出してみました。

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1955年ロック時代がスタートして初めての女性シンガーによるビルボード№1は、

56年、ケイ・スターの「ロックン・ロール・ワルツ」である。

この曲をリリースした時、ケイ・スターは33歳。

彼女の歌手としてのキャリアは7歳の頃に始まり、

いくつかの楽団専属歌手を経て、

24歳でソロ歌手としてスタートした。

52年、「Wheel Of Fortune」、

邦題「幸せの輪」が最初のビルボード№1に。

「ロックン・ロール・ワルツ」は彼女の2曲目の№1で、

レコード会社をRCAに移籍しての第1弾シングルであった。

60年代の、ガールズ・グループの軽快な女性ボーカルと、

曲のすばらしさに支えられたアイドル女性ボーカル、

これらをこよなく愛するボクにとっては、

彼女たち50年代の女性ボーカルの魅力はよくわからないけれど、

きっと、歌が上手くて、歌詞を理解した叙情的なボーカル・スタイルが、

その魅力なんだろうな、と思う。

ずっと永く彼女の代名詞となった「幸せの輪」は、

ずっと昔見た、グレン・ミラー楽団をバックに歌う女性歌手をイメージするような

ジャズ・バラードで、

「ロックン・ロール・ワルツ」は、それとは大きくイメージの違う

ポップスっぱいバラード。

“ロックン・ロール”の言葉から受けるイメージとは程遠いけれど、

何か、新しい時代が始まることを予感させるには十分だったことがわかる。

ボクがまだまだ幼かったこの頃、

きっとこの時代は、今よりも時がゆっくりと流れていたのだろう。

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