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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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欲しくてたまらなかった1枚をようやく手に入れることができました。

63年4月16歳になったばかりの伊東ゆかりさんのおしゃれな歌声、

マーシー・ブレーンの「夢みる片想い」と、

シェリー・フェブレーの「悲しきテレフォン・デート」のカバー。

58年から65年までの、ロカビリーやカバーヴァージョン系シンガーの

ディスコグラフィーをまとめた『資料 日本ポピュラー史研究』によると、

この1枚は、

58年11歳でレコード・テビューしてから15枚目のシングル。

マーシー・ブレーンが「夢みる片想い」をリリースしたのは63年1月、

シェリー・フェブレーの「悲しきテレフォン・デート」は62年12月リリース、

なのに、63年4月にはもう日本語の歌詞をつけてレコード発売している、

日本の洋楽カバー産業はなんて逞しかったのでしょう。

この1枚は、16歳らしい可愛い歌声の「夢見る片想い」と、

後の彼女を思わせる背伸びした大人の歌声「悲しいテレフォンデイト」の、

“ひと粒で二度おいしい”カップリング盤なのです。

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「フジヤマ・ママ」に続いて、今頃気づいた“こんな歌だったの?”シリーズ。

別にシリーズ化しようと思っていたわけではないのですが、

またまた、こんな内容の歌だったの?って、発見してしまいました。

何度も書いているビニール焼けでダメになったレコードの買い換え対象のひとつが、

69年全米9位、全英1位のデスモンド・デッカー「イスラエルちゃん」。

日本でも結構流行りましたね。

このレコード、なかなかオークションに出てこなかったのですが、

先日、“24枚まとめて”の中の1枚として発見し、

望外に安く補充できました。

というわけで、あらためてチェックしてみたら、驚いたことに・・・。

当時は単純に、イスラエルちゃんという変った名前の女の子のことを歌ってる、

そんなぐらいにしか思っていませんでしたが、

なんと、彼の故郷ジャマイカのキングストンで苦しい生活を送っている人々のことを、

旧約聖書でイスラエル人が味わった苦難や労苦に例えて歌っているとのこと。

デスモンド・デッカーのレコードはこれ1枚しか持っていませんが、

後の世になって、

彼はレゲエをヒットチャートに持ち込んだ最初のアーティストとして、

ジャマイカ音楽の功労者として、

大きな評価を得ているようです。

レゲエがポピュラーになった曲、ボクが持っているもう1枚は、

74年全米1位、エリック・クラプトンの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」。

ボクは専門外で、レゲエと言えばボブ・マーリー、ぐらいしか思い浮かびませんが、

ここ十年来、都会にはレゲエ専門の中古レコード店がどんどん増殖しているのです。

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フォーリーブスの「踊り子」、シングル盤ようやく手に入れました。

何を今さら?、何で今さら?、って感じですが、

このレコード、なかなか市場に出て来なかったのです。

ある時、“元ネタ特集”をやっていて、

グラス・ルーツの、そしてテンプターズがカバーした「今日を生きよう」の

♪~ Sha la la la la la live for today ~♪

を、フォーリーブスが歌っていたような記憶が甦ってきて、

それが、76年の「踊り子」だとわかって・・・、なのです。

久しぶりに聴いてみると、バッチリでした。

途中、コーラスと間奏でなにげなく、だったのですが、

最後になって、モロでした。

作曲は井上忠夫さんですから、確信犯でしょうね、きっと。

さて、多くの皆様には、「踊り子」といえば村下孝蔵さん、

83年リリースの、本当に素敵な歌です。

ボクにとっての「踊り子」は、

♪~ さよならも 言えず 泣いている

   私の踊り子よ ああ 船が出る ~♪

57年、三浦洸一さんの「踊子」なのでしたが・・・。

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ボクが頻繁に取引するレコード出品者の紹介シリーズ、

第4回は、eBayでよく出合うアメリカの通販ショップ。

ショップのプロフィールによると、

その在庫はLPとシングル合わせて200万枚、

eBayへの出品点数は常時約10万枚、

その取引は60ヵ国以上の音楽愛好家に及んでいると言います。

ボクの元に1ヵ月に1度メルマガが送られてきますが、

その量といい、相場価格の設定の仕方といい、本当によく研究更新されています。

eBayで欲しいレコードを検索し、

そのレコードの状態と価格、送料を検討し、

よし!これを、と決めると、いつもといっていいほど、このショップに当たるのです。

そして、何度か取引すると、その対応の迅速さ、レコードの状態の良さなど、

安心して取引できる、信用のおけるショップになってしまったのです。

アメリカの西海岸、シアトルに近い、オレゴン州ポートランドのこのショップから、

ごく最近入手したのは、ソリティアーズの「ウォーキング・アロング」。

ナンセンス・シラブルに始まり、高音のリードを低音のコーラスが支える、

典型的な、ハイテンポでゴキゲンなドゥワップ・ソングなのです。

資料によると、録音は56年10月10日、発売は57年1月。

58年にはダイアモンズがカバーし、全米29位を記録しています。

昔は、古いオリジナル・レーベル盤を優先したのですが、

最近は、音や盤質優先で、レコードを選ぶようになりました。
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文化放送の深夜放送『セイ!ヤング』、

ラジオ・フリークなものですから、一般教養としては知っていますが、

ボクは一度も聞いたことがありません。

ボクは『オールナイト・ニッポン』派だったものですから・・・、

というより、ネットされていなかったものですから。

同じ文化放送でも『走れ!歌謡曲』はネットされてましたから、聞いてました。

さて、『セイ!ヤング』といえば、土居まさるさんですね。

土居まさるさんといえば、69年発売の「カレンダー」。

曲もさることながら、このレコードは、インディーズの草分けエレックの第1号。

発売当時、浪人生活を送っていたボクは、

エレック・レコードのスタートに興味はありましたが、

この曲自体にはあんまり興味がありませんでした。

でも、その後、土居まさるさんが「カレンダー」ネタでよくイジられていたことから、

あらためて聴いて、その斬新さに感心しました。

ボサノバ・タッチで、女性コーラスのおかげでおしゃれな仕上がり。

あっ、そういえば・・・、広告会社に勤めだした頃、

地元のAM局でボクのCMコメントを読んでいただいていたお気に入りの女性ANが、

松山を去る時に、“土居まさるさんや柏村さんの会社に所属することになりました”

なんて言っていたのを思い出した。

彼女、今頃、どうしているのでしょう?

さて2、もうひとり『セイ!ヤング』といえば、落合恵子さん。

彼女の71年発売の「昨日にさようなら」は端田宣彦さんの作曲でしたね。

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ロカビリアン、ジャック・スコットの日本でのヒット曲は、

本来のロカビリーではなく、B面曲のティーン・ポップスでした。

62年、倉光薫がカバー・ヒットさせた「クライ・クライ・クライ」のおかげで、

ジャック・スコットの名前が日本のオールディーズ史に刻まれたのです。

この曲はアメリカではまったく注目されることのなかった一曲、

日米の感性はこんなにも違ったのですね。

ところで、ずっと気づいていませんでしたが、

このジャック・スコットは、あのリンダ・スコットのお兄さん。

姓が同じスコットなのに、なぜ当時はまったく思いもしなかったのでしょう?

日本では“星娘”として有名なリンダ・スコットの国内盤シングルは、

なぜかものすごく高価で万円台なものですから、

ボクは、とりあえず輸入盤で揃えています。

08年9月4日に掲出した「星に語れば」(61年全米3位)をはじめ、

61年全米9位「Don’t Bet Money Honey」、

邦題「かけごとはおよし」や、

61年全米12位「I Don’t Know Why」、

そして、そのそれぞれのB面曲も全米チャート50位以内と、

当時“はずれなし”のアイドルだったのです。

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ボクが高校3年生の秋、陰りを見せ始めたGS界に一石を投じるべく、

一大プロジェクトがスタートした。

タイガースで当てたナベプロは、アイドルGSを作るべく、

各所から5人のメンバーをピックアップした。

そして、発足したばかりのCBSソニーが社運をかけて売り出そうとした。

ヒラヒラフリルの衣装を着せ、

大編成のオーケストラと合唱団をバックに壮大なシンフォニーを奏でた。

曲を作ったのは山上路夫・村井邦彦のヒット・コンビ。

こうして作られたGS史上最大の感動巨編が、

68年9月5日発売のアダムス「旧約聖書」であった。

♪~ 神様は初め 天と地をつくり

   朝と夜をそのあとつくりました

   神様は次に 空と海と森

   鳥とけもの木の実をつくりました ~♪

当時、ラジオでかなりプロモーションされたのですが、

今知らない人が多いということは、見事コケてしまったということ。

このレコード、日本では珍しいEP盤のようなレコード・センターで、

そして、どうしてもドーナツ盤に変更したい人は特約店に申し出るようにと、

親切な対応をしたのでした。

ボクが一番気に入っているのは、こんなキメ細かな対応盤だったということ。

ボクは申し出なかったから、今もドーナツ盤ではありません。

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ボクがよくレコード取引するセラーたちの紹介シリーズ、

第3回は、ヤフー・オークションで出品者アラートしている個人の方。

たぶん個人の方だと思うのですが、もう、すごい!としか言いようがないのです。

出品ジャンルは、主としてオールディーズの輸入盤。

ガール・グループ、ティーン・ポップ、ドゥワップ、サーフ・サウンドと、

ボクの痛いところを突いてきます。

そのすべてが数秒の視聴付きですから、彼のおかげで知った曲もいくつかあるのです。

たとえば、イギリスの“アメリカン・ポップ・シンガー”マーク・ウィンター、

61年全英27位、「ドリーム・ガール」。

彼は「ブルージーン・ヴィーナス」や「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」をカバーして、

イギリスで一時代を築いた人。

この「ドリーム・ガール」はボクの大好きなティーン・ポップ、

彼のおかげで発見できた一曲でした。

彼の出品盤のスタート価格は抜群に安価なのですが、

世の中にはマニアックな方が多いものですから、

いつも競合になり、どんどん高騰してしまいます。

最初の頃は勝負していたのですが、最近はeBayと天秤にかけて、入手本位で。

たまには、eBayにも出ていないレコードもあって・・・、いやはや、すごいのです。

この方は、幾つかのブログもやられていて、その造詣の深さにも驚いてしまいます。

そのコレクションの幅、数、質、どれをとっても神の領域、

いったいどんな人で、どんな生活をされているのか、気になりますね。

まあ、深入りはよしましょう。
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ドノヴァンのレコードを紹介する時必須の“枕ダジャレ”、

一時期は誰もかれもがこんなダジャレを言っていたものです。

というわけで、

前回に続いて、ちょっとサイケっぽい曲を聴いてみたくなって、

引っ張り出したのは、「サンシャイン・スーパーマン」。

レコード会社を移籍し、ミッキー・モストと出会い、成功の分岐点となった曲で、

彼の最大ヒット曲、66年全米1位、全英2位。

彼は46年スコットランドはグラスゴーに生まれ、

3歳の時に小児麻痺にかかり、14歳でギターを始め、

17歳の頃からイギリス各地を歌いながら旅をつづけ、

その間に多くの曲を書いたのでした。

お次の1枚は「ジェニファー・ジュニパー」。

68年全米26位、全英5位、

ビートルズとともにインドへ行った時、

ジョージの妻だったパティの妹ジェニーに出会い、

彼女への想いをつづった優しいラヴ・ソングです。

もう1枚は、同じく68年全米33位「ラレーニア」。

“トノバン”加藤和彦さんや、タイガースのシローがカバーしたことでも有名。

ジャケットが金色ベースのゴールデン・カップリング盤ですから、

美しくスキャンできないのがくやしいのですが・・・。

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3年も前にリリースした曲がラジオDJのおかげで全米№1に!

そんな「ハンキー・パンキー」の“まぐれヒット”から2年半、

トミー・ジェイムスはついに自らの力で2曲目の全米№1を手に入れた。

69年2月の全米1位「クリムズンとクローバー」は、

トミーと、ションデルスのドラマー、ピーター・ルシアの共作。

「ハンキー・パンキー」とは格段に趣を異にする曲で、

ビーチ・ボーイズにおける「グッド・ヴァイブレーション」を彷彿とさせる。

トミーの声を特殊効果で処理したサイケデリックな作りなのである。

「ハンキー・パンキー」と「クリムズンとクローバー」の間の、

68年6月全米3位「モニー・モニー」は、

ボクに言わせると“バブルガムR&B”だったけれど、

この曲を最後に、トミーはこれまでのプロデューサーと決別した。

そして、自身がションデルスの曲を作りプロデュースすることをスタートさせた

最初の成果が「クリムズンとクローバー」なのであった。

Crimsonは“深紅”、Cloverは“シロツメグサ”、植物のクローバー、

「Crimson And Clover」は何を意図したのか知らないけれど、

公園や野原で深紅のクローバーを見つけたら、

ボクはいつも特殊効果のトミーの声マネで口ずさんでいた。

♪~ Crimson and clover, over and over 

    Crimson and clover, over and over ~♪

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今夜は毎年恒例の大学の同窓会組織の総会と懇親会でした。

今月に入って、大学のゼミの機関紙の寄付と原稿を募る案内状を出したり、

高校の同窓会に行けない旨の連絡ハガキを投函したり、

最初に勤めた会社のOB会の案内状を出したり、

古い仲間との交流三昧です。

ちょっと寂しい気もしますが、

歳をとると、そんな旧友たちとのひとときに心安らぎます。

タクローさんの84年の「旧友再会フォーエバーヤング」、

ちょっとシチュエーションは違いますが、

♪~ ああ あの頃よりは少し ああ 歳もとりました

   だけど 時には無邪気に はしゃいでみたいと

   フォーエバーヤング フォーエバーヤング ~♪

肉体的には確実に年をとっているのですが、

服装は年とともにカラフルになり、

心はいつまでもあの頃のまま。

もしかしたら、そんなに感じているのは本人だけなのかもしれませんが、

もう少しの間、“いい気”でいさせてください。
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前回につづいて、今夜もプレイボーイズを・・・、

と言っても、こちらは日本のGS、プレイボーイの佳曲です。

67年7月、彼らのセカンド・シングル「シェビデビで行こう」は、

どこかで聞いたことのあるような、なんか懐かしい、シンプルなロック、

いや、ロカビリーという方が当たってそうな気がする。

もともとはビーチ・ボーイズやビートルズのカバーをやっていた、というグループ。

今も疑問に思っているのは、“シェビデビ”って何だ?ってこと。

新しいリズムなのか?、新しいダンスなのか?

曲を聴く限り、特別なものを感じないのだけど・・・。

作詞者の水沢圭吾さんに尋ねてみたいですね。

この水沢圭吾さんは、あの中山大三郎さんの別名で、

天童さんの「珍島物語」や、島倉千代子さんの「人生いろいろ」の作詞者。

そして、往年のカラオケ定番曲「夜の銀狐」は水沢圭吾名義で。

資料によると、彼らは5枚のシングルを残していつの間にか自然消滅したらしい。

デビュー曲はロックンロール・ナンバーらしいので、

もし市場に出てきたら欲しいと思っているのですが、

メンバー・チェンジしてからの3枚は歌謡曲路線とのことで、興味なし。

ボクだってオン・タイムで聴いたことのなかったようなカルトな曲は、

ヒットしていないにもかかわらずとても高額で、

それでも、手に入れてガッカリなんてことも多々。

だから、ちょっと勇気のいるコレクション・アイテムなのです。
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ゴールデン・ウィーク後半は、ゴルフも忘れて孫三昧の4日間でした。

孫が帰って急に寂しくなった夜は、超ハッピーなサウンドで・・・。

今月のレコード・コンサートのテーマ、ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ、

65年全米2位、3枚目のシングル「君のハートは僕のもの」。

ゲイリーくんの口笛をフィーチャーしたハッピー・ソング、

ほのぼのとした青春賛歌そのもの。

このままハーマンくんが歌ってもヒットしそうだな、って思ってしまいました。

この時代は、ヒット曲を作るために、

アーティストのイメージに合った曲を作るプロの作家や

レコーディングの時のプロのスタジオ・ミュージシャンが、

分業化・専門化されていたというのが通説ですから、

バックの演奏はもちろん、この口笛だって、ゲイリーくんではないのかも。

とにもかくにも、本当に幸せな気分にさせてくれる曲です。

ちなみに、B面「Without A Word Of Warning」は、

お父さんにあやかって「底抜けビックリ」なんて間抜けな邦題をつけられています。

未紹介曲、もう1曲ありました。

66年12月28日にゲイリーくんが徴兵されて以後の曲、

67年6月全米39位、「ガールズ・イン・ラヴ」。

徴兵でグループが失速してしまった後の起死回生策(?)としてリリースされた、

タートルズの「ハッピー・トゥゲザー」の作者コンビの曲で、

ライナーノーツによると、徴兵後新しく録音されたらしい。

でも、やっぱり「君のハートは僕のもの」をもう一度聴いて眠ることにしよう。

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80年代前半、人気アーティストのカバー・メドレーを試みるプロジェクトが流行った。

ビートルズ、アバ、カーペンターズ、ストーンズなど、見事にやってのけたのは、

ご存知、オランダのプロジェクト、スターズ・オン45。

対して、華麗なファルセットでビーチ・ボーイズやフォー・シーズンズを聴かせてくれたのは、

イギリスのプロジェクト、ギデア・パーク。

まずは、78年のシングル・リリース「ビーチ・ボーイ・ゴールド」。

「グラデュエイション・デイ」「サーフィンUSA」「アイ・ゲット・アラウンド」、

なぜか「パサデナのおばあちゃん」をはさんで、

「ファン・ファン・ファン」「スループ・ジョンB」「ダンス・ダンス・ダンス」、

最後は「グッド・ヴァイブレーション」など10曲、4分10秒。

もう1枚は、81年のシングル・カット、「シーズンズ・オブ・ゴールド」。

こちらは、フォー・シーズンズのカバー・メドレー。

「シェリー」「恋はヤセがまん」「恋のハリキリ・ボーイ」

「悲しき朝焼け」「悲しきラグ・ドール」「レッツ・ハング・オン」など、

本物じゃないかと思わせるような13曲、4分52秒。

ギデア・パークは、81年からビーチ・ボーイズのツアー・メンバーとして

ブライアンに代わり見事なファルセットを聴かせていた

エイドリアン・ベイカーのプロジェクトである。

というわけで、ギデア・パークの、いや、エイドリアンの、

見事なファルセットぶりに納得がゆきました。

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