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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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そんなに有名ではありませんが、

クリス・ジェンセンはボクの大好きなティーン・ポップ・シンガーです。

このブログでも紹介しましたが、

「恋のスクール・バス」と「アイスクリームはお好き?」は持っているのですが、

まだまだ欲しいシングルがあるものですから、

eBayで“Kris Jensen”でSave Searchかけていたら、

妙なタイトルのシングルが引っ掛かりました。

「Come Back To Me (My Love)」、

(My Love)だけは余計ですが、もしや、もしや・・・。

英米ではヒットしませんでしたが、日本ではなぜか有名な、

あのロイ・オービソンの名曲と同じタイトルではありませんか!

レコード・センターをアップにして確認したら、

ピンポン、ピンポン、大正解でした。

こんな曲のカバーがあるなんて、それもクリス・ジェンセンだなんて、

もちろん、買いでしょう。

64年6月20日リリース、まことにオーソドックスなカバーでした。

それにしても、探しているシングルはなかなか見つかりません。

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これまでに何度か、

資生堂のCMとのタイアップ・ソングの非売品レコードのコレクションを紹介しましたが、

まだ、CMタイアップなんて概念がなかった時代、

CMソングそのものが、広告主企業の非売品レコードとして存在していました。

レコード、と書きましたが、その多くはソノシートでした。

その代表格、先駆は、吉田拓郎さんの「Have A Nice Day」。

1972年のことでした。

♪~ 気ままに写そう お主のハート 気ままに写せる 拙者のハート

   若干気取った 田舎っぺちゃん たまにはまぬけな ボンボン野郎

   ほいでもって なんとか 絵にはなりますぞい ~♪

猫の常富さんとスタジオで即興で作ったという、第一弾「気ままに写そう編」。

この歌詞の初めには、当然の如く“フジカラー”なんて商品名が入っています。

あまりにいい曲でしたから、

この“フジカラー”の歌詞を“これから”とか“それから”に変えて、

レコード発売したのは、風鈴というグループ、その正体は知りません。

ボクが好きだったのは、第二弾「天然色写真編」。

♪~ 色っぽいということは エーことなんよ

   エーことは すすんでやってみるもんよ

   天然色写真を 写してみんさい

   僕らはもっともっと 色っぽいはずよ ~♪

タクローさんが、地元広島弁で遊んでしまいました。

72年、もう1枚のCMソノシートは「僕らの旅」。

こっちは、スバル・レックスのCMソングで、

珍しくスチール・ギターを使ってはいますが、

タクロー節が冴えるフォークソング・タッチの名曲です。

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レコード棚を整理していた時、まったく記憶のないレコードが出てきました。

レニー・レイの「ウィスパー・ウィスパー」、

オールディーズ好きのボクですが、レニー・レイも「ウィスパー・ウィスパー」も、

まったく思い出せませんし、記憶にもありません。

このレコード、いつ、どうしてボクの手元にあるのか、も覚えていません。

ジャケット裏面の高崎一郎さんのライナー・ノーツによると、

このレコードは64年の発売で、

レニー・レイは当時20歳、ナッシュビル出身のウェスタン・シンガーだとのこと。

早速聴いてみると、あれっ?どこかで聞いたようなメロディ、

あっ!そうだ、

今でもアルファベット26文字の順番を思い出す時口ずさむ「ABCの歌」だ。

♪~ Twinkle, twinkle, little star ~♪

アメリカ童謡の「キラキラ星」、「お星さま」のメロディ。

皆が知っている美しいメロディにのせて、彼女への愛の想いを歌っている、

いわば、アメリカ版の“かえ歌”なのでした。

このブログを書くために、「ABCの歌」や「お星さま」の入った

『みんなで歌おう英語の歌』というLPを入手しました。

(孫と一緒に聴けるから、そんなにムダにならないですよね)

B面は一転、ユーマ監獄の1号死刑囚が罪を悔い神の救いを求めている、歌。

この「悲しきプリズン」からすぐに連想してしまったのは「獄中の手紙」。

68年全米8位、全英1位、言わずと知れたビージーズのヒット曲です。

こちらは、一時間後に処刑される死刑囚が恋人への想いを歌った歌。

レニー・レイの「ウィスパー・ウィスパー」、

いつ、どこで手に入れたのかわからないレコードでしたが、

持っていて良かった、と思えた1枚でした。

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前回よりつづく・・・。

前回、フラワーズのことを書いていて、思い出してしまいました。

フラワーズが発展的に解消して、結成されたのがフラワー・トラヴェリン・バンド。

メンバーは、いずれもカルトGSの中で反発心をもっていた男たち、

アイドル志向の楽曲に飽き足らなくなっていた実力派の男たち。

フラワーズからの生き残りは、ドラムスの和田ジョージ、

リード・ギターは、“七色の音を出す男”、ビーバーズから石間ヒデキ、

ベースは、京都出身、タックスマンのリード・ギターだった上月ジュン、

ボーカルは、4・9・1(フォー・ナイン・エース)でくすぶっていたJoe、

城アキラ、後のジョー山中である。

プロデューサーは、内田裕也さんであった。

日本語ロック論争は、確か・・・、裕也さんが・・・、

“ロックは英語でなくっちゃ、日本語はロックに似合わない”

これがきっかけで、ファンを巻き込んだのだった、かな。

ターゲットのひとつは、ロックに日本語をのせた“はっぴいえんど”。

ボクの手元にあるシングル盤で比べれば、

英語派の1枚は、フラワー・トラヴェリン・バンドの「メイク・アップ」で、

日本語派の1枚は、はっぴいえんどの「風をあつめて」。

ボクはナイアガラーですが、一方的に日本語派に付こうというのではない。

当時もこの議論にはまったく興味ありませんでした。

どちらでも、いいものはいいね・・・、と玉虫色の結論で。

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カルトGSの範疇に入れてしまったら怒られるかもしれませんが、

今もさまざまな話題を提供してくれる人、

“永遠のロックンローラー”内田裕也さんの“寄り道”、フラワーズ。

本格的なサイケデリック・グループを目指して結成したはずだったのですが、

作詞・橋本淳、作曲・井上忠夫、編曲・筒美京平のデビュー曲、

「ラスト・チャンス」は、おなじみGS歌謡の趣。

麻生レミさんのボーカルは黛ジュンさんの声ソックリで、

逆に、ボクはとても好きでした。

イントロのギターに、目指したサイケの片鱗を感じることができるのも、Niceです。

B面の「フラワー・ボーイ」もA面同様のアイドル歌謡で、

このグループがアイドルGSとして長く続いていたとしたら、

モンキーズにおける「モンキーズのテーマ」のように、

フラワーズのテーマ・ソングになっていたことでしょう。

こちらは歌謡曲の黄金コンビ、橋本淳・筒美京平作品です。

フラワーズは、67年11月結成、69年1月レコード・デビュー、

そして、翌70年2月に発展的解消して、新たに結成したのが、

あの“スーパー・ロック・バンド”フラワー・トラヴェリン・バンドだったのですが、

この続きは、また別の日に・・・。

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ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴの作ったペンデルトーンズの「サーフィン」は、

61年12月8日にレコード・リリースされた。

レコードには、彼らのグループ名が“ビーチ・ボーイズ”とクレジットされていたが、

翌62年3月にビルボード最高位75位を記録した。

これが、我らがビーチ・ボーイズのデビュー・ストーリー。

諸説あるのですが、

そのデビュー・シングルは、CANDIXの301。

CANDIXは、60年8月から62年5月までしか存在しなかった小レーベルで、

わずか42枚のシングルしかリリースしていません。

CANDIXは、ウィルソン兄弟の父親の友人の会社だったという。

数年前に手に入れましたが、

ご覧のように、レーベル・センターはかすれてボロボロ、一部文字も読めません。

もちろん、レコードも傷だらけですが、なんとか聴ける状態。

もう1種類のX・Records盤ともども、

これらのオリジナル・シングルはとても高価で、200ドル以上もするのです。

こんな状態でも送料と合わせて36ドル49セントもしました。

まあとにかく、1枚ぐらいは持っていないとネ、てなわけで、

書画骨董の域と思えば安いものです。

曲そのもののキープは、いつもと逆に、国内盤を手に入れました。

この国内盤、

A面がカールの作ったインスト・ナンバー「サーフ・ジャム」だというのは、

どうなんでしょう。

誰が考えたって、A面は「サーフィン」でしょう!

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昔、好きな曲を聴きたくてラジオのスイッチを入れた。

シャララとかウォゥウォゥとかシンガリンガリンとかのメロディが、

私の心を揺れ動かした。

今、懐かしい曲を耳にすると、再びあの昔の感動が甦る・・・。

73年、そんな、オールディースのテーマソングのような曲がヒットした。

ビルボード2位、キャッシュボックス1位、「イエスタデイ・ワンス・モア」。

言わずと知れた、リチャードとカレンのカーペンターズである。

この「イエスタデイ・ワンス・モア」を、

「あのエエ頃、もっかい」というタイトルでカバーしたCDを手に入れた。

浪花可憐というグループの『涙の工務店』。

謎のグループではあるけれど、コミック・ソングではない、

歌詞が関西弁なだけで、本当に美しくカバーしている。

出色なのは、「世界のてっぺんで」と「郵便屋の兄ちゃん」。

4曲入りの1曲目、「世界のてっぺんで」、

おなじみ「トップ・オブ・ザ・ワールド」のイントロに続いて、

♪~ ほんまええ気分やわ 見るもん全部素敵やわ

   空ピーカンで お陽さんまぶしくて

   夢 言われても かまへんで ~♪

2曲目「好きやった、あんた」は「スーパースター」のカバー。

3曲目は「郵便屋の兄ちゃん」、

♪~ ちょー 待ちーな 郵便屋の兄ちゃん

   ちょー 待ち 郵便屋の兄ちゃん ~♪

そして最後が「あのエエ頃、もっかい!」、

♪~ あのシャラ・ラ・ラーちゅうコーラスんとこ ええわぁ

   あのシンガ・リンガリンちゅうイントロも 爽快! ~♪

過剰に関西弁に走ることなく、自然な感じが“いい感じ”なのである。

ここ数日、ボクは車の中で、このCDを繰り返し聴いては微笑んでいる。

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バリーとロビンとモーリスのビージーズ3兄弟には、歳の離れた弟がいた。

アンディ・ギブ、レコード棚の整理で彼の1枚が出てきた。

長男バリーとは12歳差、ロビンやモーリスとは9歳差である。

彼は、兄たちの協力を得て、兄たちが成し得なかった快挙を達成した。

顔も声もバリーによく似ていたアンディは、

77年、バリーが作った「恋のときめき」を皮切りに、

兄弟の中でただひとり、ソロで連続3曲を全米№1に引き上げた。

「恋のときめき」は、ビルボードHOT100に登場してから14週間かかって

1位の座に駈けあがった。

3週間№1を続けた後、2位、3位とダウンするも、

4週間後に再び1位の座に返り咲いたのである。

19歳で突然の絶頂期を迎え、3~4年間の活躍の後、

彼は30歳で急ぎ過ぎた人生を閉じた。

この兄弟たちのソロ・シングル、

03年に53歳で亡くなったモーリスのシングルは持っていないけれど、

昨年62歳で逝った名ボーカリスト、ロビンの大好きなシングルがある。

83年全米104位、全英94位ながら、

ドイツ、スイス、イタリアでは№1に輝いた「ジュリエット」。

当時テレビて見たビデオ・クリップで気に入り、最近eBayで手に入れた。

ビージーズ時代のロビンとはちょっと違う、彼の新しい一面が聴ける。

バリーのソロ・シングルも1枚、

84年全英95位の「シャイン,シャイン」。

ただひとり残った最後のビージーズ、バリーは現在66歳、

元気な姿を見たいと思いながら・・・、お皿は回る。

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いつの間にこんなに増えてしまったのだろう?

レコード・コンサートで持ち出したり、ブログで取り上げたりしたレコードの、

置き場所がチリチリバラバラになり、

何がどこにあるのか、いよいよ目も当てられない状態になってしまったので、

この前のお休みの日にレコードの整理整頓をした。

もちろんレコード棚は満杯で、アイドルものは上のガラス戸の中へ移動・・・、

などと、苦労の挙句なんとか無事完了。

あらためて整理してみると、ブログネタがいくつか出てきました、

まずは、ジュリーのベタなヒット曲メドレーから。

75年、彼の最大のヒット曲と思しき「時の過ぎゆくままに」。

♪~ あなたは すっかり 疲れてしまい

   生きてることさえ いやだと泣いた ~♪

いい詞ですね、阿久悠さん。

初のオリコン1位を獲得したのは73年の「危険なふたり」。

♪~ 今日まで ふたりは 恋という名の

   旅をしてきたと 言えるあなたは ~♪

これも詞がいいですね、こちらは安井かずみさん。

そして、レコード大賞受賞は、77年の「勝手にしやがれ」。

♪~ 壁ぎわに寝がえりうって 背中できいている

   やっぱり お前は 出てゆくんだな ~♪

すごい!作詞はやっぱり阿久悠さん。

恥ずかしながら、ボクも何度か帽子を飛ばしてしまいました。

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2週間ほど前のある朝、いつものようにメール・チェックすると、

eBayからの“New items that match”のメールが来ていた。

喜び勇んでクリックすると、“Save Search”していた

“four preps everlasting”がヒット、

もう何年間も待ち続けていた1枚の出品情報である。

その上、“Buy It Now”で、4.99$プラス送料12.00$、

ボクがこんなに待ち続けていた割には・・・この安さ!

ボクは嬉し恥ずかしカモネギ好都合、感謝感激雨あられ!、

でも世間はそんなに求めていなかったようだ。

この待望の1枚は、フォー・プレップスの「エヴァーラスティング」。

キャピトルのレコード番号から類推するに65年1月の発売、

フォー・プレップスがヒットチャートから忘れられて以後のリリースだった。

なぜ、レコードを探していたのか?

それは、これがバリー・マンの作品だったから!

彼には珍しい、まるでブラザース・フォーが歌うようなフォーク・タッチな作品。

その上、このレコード、作者名表記が“Kolbern-Mawn”となっている、

正しくは“Kolber-Mann”でなければならない。

ラリー・コルバーとバリー・マンの作品なのに、

どこかの町のキャッチフレーズのように、本当に“いい加減”だね、この頃は。

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誰からも“アンコール”の声はかかりませんでしたが、

レコード棚を整理整頓していたら、あと3枚見つかりました、

資生堂のCMソングの非売品レコードのコレクション。

広告会社で営業として活躍していたある日、

自分で企画書を書いていた、という理由だけで、突然企画室長を言い渡された年、

83年夏のCMソングは、ラッツ&スター「め組のひと」。

資生堂のCMソングを歌うのに“シャネル”はまずいだろ!

そんな理由からだったのか、

シャネルズからラッツ&スターに改名してのデビュー曲でした。

モデルは、前年の夏に引き続いてのトリー・メンドーサ。

次の年、84年の夏は、大沢誉志幸「その気×××(mistake)」。

キャッチフレーズは、“この夏、その気。サンフレアで夏を遊ぶ”、

モデルはセリナ。

そして、85年の夏は、石川セリ「いろ、なつ、ゆめ~彩・夏・夢」。

モデルは甲田益也子。

石川セリさんと言えば、御存知、陽水さんの奥さんで、

陽水さんが結婚前に彼女の気を引くために作ってプレゼントしたという曲、

「ダンスはうまく踊れない」はいい曲ですね。

資生堂の非売品レコード、本当にもうないのか?

ここまできたら、徹底的に探してみようかな。

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ボクにとって、6~7年前までは、渋谷は中古レコード店のメッカでした。

『レコードマップ』掲載の渋谷の地図をコピーして、出張かばんに常備し、

東京出張の折には、その中から数店をピックアップして廻っていました。

お気に入りの店舗は2店、

そのひとつは、ハチ公前からセンター街の北の通りを北西へ行ったところの

中古店密集エリアの中の一店で、国内盤が充実していました。

残念ながら、この店は今はもう閉店してしまったようです。

もうひとつは、ハチ公前から北へ上がった明治通り沿いにあります。

スタッフがアメリカへ行って直接仕入れてくるという輸入盤中心の店で、

ここのスタッフ出身の音楽評論家は多いと聞いています。

5~6回は訪れているけれど、とにかく選曲のセンスが抜群で、

今では、毎週送られてくる新着レコード・メールが楽しみ。

イギリスのデュオ、アリソンズの62年全英30位「レッスン・イン・ラヴ」も、

このお店の新着レコード・メールで教えていただいた曲。

おなじみクリフ・リチャードのカバーなのだけれど、

試聴すると、そのアレンジはすばらしく、ウキウキ・ポップスに仕上がっていました。

その時はオーダーするのを忘れていて、後になってeBayでゲットした、

本当にゴメンなさい、の一枚です。

クリフのオリジナル・シングルが欲しくて、探し回ってゲットしたのは、

タイでリリースされた6曲入りのシングル盤、

もちろん、「ヤング・ワン」のカップリングです。

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ビートルズのように、自らが曲を作り自らが演奏して自らが歌う、

そんな、グループサウンドの起源であり、礎を築いたのは、

以前に書いた通り、スパイダースの「フリフリ」で、65年5月のリリースでした。

これに遅れること3ヵ月、ブルコメに先んじること7ヵ月、

スパイダースに続いたのは、加瀬邦彦さんでした。

加瀬さんは、63年、僅か3ヵ月間のスパイダースを経て、

ご存知!エレキの草分け、寺内タケシとブルー・ジーンズに加入、

時に彼は22歳でした。

そして、65年8月にリリースしたのがこの「ユア・ベイビー」、

ブルー・ジーンズとしては珍しい歌入りのレコードだったのです。

寺内タケシとブルー・ジーンズは、現在“GS”のカテゴリーではなく、

“エレキ・グループ”というカテゴリーに分類されています。

というわけで、GSの歴史の中ではついつい見逃されがちなのですが、

この曲は、このレコードは紛れもなく“GS”でしょう。

加瀬さんは、

66年来日したビートルズの前座としてオーダーを受けたブルー・ジーンズに、

“同じ舞台に出演したらビートルズのステージを見られない”

という理由で脱退し、この年にワイルド・ワンズを結成したのでした。

そして、デビュー曲「想い出の渚」のB面に収めたのが、

この懐かしの「ユア・ベイビー」だったのです。

もちろん、ワイルド・ワンズの曲としてリメイクして・・・。

“波乱盤上”??、波乱万丈、加瀬邦彦物語・第一巻の終わりです。

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同じ楽曲でも、

カバー盤からオリジナル盤へ、CDからレコードへ、LPからシングルへ、

などなど、コレクションはしだいに進化して、

ボクの場合は、国内発売のシングル盤がその最終形となります。

身近な人たちからは、“同じ歌なのになぜ何枚も?もったいない!”なんて、

非難を浴びることもありますが、

あなたもコレクターなら、この心理をわかっていただけますよね。

さて、

ナンシー・シナトラがアメリカでブレイクする前、

なぜか日本でブレイクしてしまった“フルーツ・シリーズ”、

既に揃えた、レモンと、イチゴと、フルーツ・カラー、

そして、ついにリンゴを手に入れることができました。

原題は「Think Of Me」、邦題「リンゴのためいき」、

最初はCDアルバムでした、そして、輸入盤シングルと進化して、

この国内盤シングルにたどり着いたのでした。

もう1枚は、

コニー・フランシスの「Whatever Happened To Rosemarie」、

邦題は「悲しき西風」。

最初は輸入盤シングルでした、そして、程なくして国内盤シングルをゲット、

コレクションの進化は完成した、と思いきや、

この度、コニー・フランシスが日本語で歌う「悲しき西風」をゲットしたのです。

こんな調子で、ボクの現在のコレクションはまだまだ進化の過程、

コレクションなんて、永遠に完成しないからおもしろいのでしょう。

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