FC2ブログ

BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

img2870.jpg

「ストップ・ストップ・ストップ」に続いてのシングルは、

67年3月全英4位、5月全米11位の「恋のカルーセル麻紀」、

“麻紀”は余分だけれど、“カルーセル”とくればついつい口をつく。

Carouselは、回転木馬のこと、

珍しくグラハム・ナッシュのボーカルから始まる。

67年6月全英3位、8月全米9位は「キャリー・アン」。

この曲、最初はマリアンヌ・フェイスフルに捧げるつもりだったらしいけれど、

恥ずかしいので「キャリー・アン」にしたとかしないとか・・・。

やっぱりグラハム・ナッシュのコーラスから始まり、

クラーク、ヒックス、ナッシュの3人それぞれがソロ・パートをとっている、

ちょっとユーモラスな一曲です。

そして、ノンヒットながら日本でのみシングル・カットされたのは、

「Step Inside」、邦題「とび出せ初恋」。

3人のコーラスから始まるこの曲は、これまでとはガラリと雰囲気の違う一曲。

今日の3曲はすべてClarke-Hicks-Nash、

翌年の末にはグラハム・ナッシュが脱退することになる、

ボクにとっては“ナッシュのいないホリーズなんて・・・”、

というわけで、この3曲は“昼下がりのホリーズ”となる。

後に、クラークも脱退し、

クラークとナッシュからスタートしたホリーズは、

ヒックスのバンドとして、末永くライヴ活動を続けるのである。

img2871.jpg img2872.jpg
img2868.jpg

前回、「恋のレッスン」のことを書いていたら、

突然思い出したのが、小林麻美の3枚目のシングル。

72年8月5日リリースのデビュー曲は、有名な「初恋のメロディー」。

♪~ これが最後の口づけなのに

   あなたは何をためらうのかしら ~♪

の歌いだしが耳に残っています。

2枚目は、72年12月20日リリースの「落葉のメロディー」。

♪~ どうして人は 恋するのでしょう

   小さく胸を ふるわせながら ~♪

ボクの大好きなサビです。

そして3枚目が「恋のレッスン」、73年4月20日のリリースでした。

♪~ 早く私を むかえに来てね

   待ちくたびれないうちに シャラララララ 甘い恋の出来事 ~♪

のリフレインを覚えています。

このデビューから3曲が、橋本淳・筒美京平作品でした。

久しぶりに聴きましたが、なんか、いいですねぇ。

img510 img2869.jpg
img2865.jpg

数ヵ月前に、アリソンズやクリフ・リチャードの「レッスン・イン・ラヴ」のことを書きましたが、

ボクは以前、ジョニー・ソマーズの「恋のレッスン」も同じ曲だと思っていました。

持っているだけで聴いたことがない、というレコードが何枚もあるものですから、

こんなことは枚挙にいとまありません。

この曲、おまけに、映画『若さでブッ飛ばせ』の挿入歌だというのですから、

すっかり信じ切っていたのでした。

こんな思い違いもむべなるかな、

実はクリフの映画の邦題は『若さでぶつかれ!』で、

その挿入歌が「レッスン・イン・ラヴ」なのですから、

本当によくできた話なのです。

『若さでブッ飛ばせ』の原題は『The Lively Set』で、

主演はジェームス・ダーレン、64年の製作。

『若さでぶつかれ!』の原題は御存知『The Young Ones』で、

主演はクリフ、61年の製作。

ちょっと注意深くしていればすぐにわかることなのにね。

ジョニー・ソマーズの「恋のレッスン」は、原題「If You Love Him」、

作曲はボビー・ダーリン、日本でだけのヒット曲といっても過言ではありません。

これを1ヵ月遅れでカバーしたのが弘田三枝子さん。

“あなたは恋をしていますね、彼をトリコにする方法を教えてあげるわ”

の語りをイントロに、

一転ゴキゲンに“恋のてほどき”を歌い上げます。

ガールズ・ポップスの王道をゆく1枚なのです。

img2867.jpg img2866.jpg
img2863.jpg

昨日は孫の幼稚園の家族参観日で、幼稚園での孫の様子を知ることができた。

幼稚園児はいっぱいいたけれど、やっぱりうちの孫が一番可愛い!

なんて、どこの親やおジイちゃんやおバアちゃんも思っているのだろうね。

そういえば、ボクはうちの娘や息子の幼稚園の参観日に行った記憶がない。

あの頃はそれだけ忙しかったんだろうな、と思う。

さて、今夜は何を聴こうか!ってレコード棚を漁っていたら、

洋楽のハ行のコーナーで、

タイトルに“Rock And Roll”をフィーチャーした曲を2枚見つけた。

ゴキゲンにロックンロールしているのは、

フレディ・キャノン、62年全米67位の、

「If You Were A Rock And Roll Record」。

聴けば聴くほど、どこかで聞いたようなメロディがいっぱい、

“ハッピー・サウンド”と呼ばれる、とてもわかりやすいロックンロールである。

もう1枚は、かーるく明るくロックンロールしている、

ベイ・シティ・ローラーズ、76年全米28位、

「Rock And Roll Love Letter」。

こちらはやっぱりアイドル・ポップスだね。

2曲を交互に繰り返し聴いていたら、

フレディ・キャノンの他の曲を聴きたくなって、

LPの棚から『14 Booming Hits』という

彼のベスト盤を引っ張り出して・・・、

『半沢直樹・最終回』は録画することにして、

思いっきり楽しむことにした。

img2864.jpg LP60.jpg
img2831.jpg

ホリーズと言えば、誰もが知ってる「バス・ストップ」。

日本での知名度はこの曲によるところが大。

66年7月全英5位、9月全米5位、初めてアメリカで認められた曲といっても過言ではない。

ボクがホリーズを初めて知ったのもこの曲だったし、

初めて買ったホリーズのレコードもこの1枚だった。

しかし、B面を聴いてビックリ、

“ひと粒で2度おいしい”、大切な1枚となった。

B面「アイ・キャント・レット・ゴー」は衝撃的だった。

こちらは「バス・ストップ」に先んじてリリースされたもので、

66年3月全英2位、5月全米42位を記録した。

クラークのリード・ヴォーカル以上に衝撃を受けたのは、

グラハム・ナッシュの超高音のコーラスだった。

資料によると、

「アイ・キャント・レット・ゴー」で

ヘビーなベース・リフのイントロを聴かせてくれたエリック・ヘイドックは、この後解雇され、

「バス・ストップ」時のベースは臨時雇い、あのジャック・ブルースだったという。

そして、ボクが大好きな「ストップ・ストップ・ストップ」がリリースされる。

新しく加わったベーシストはヒックスの友人バニー・カルバート。

この曲のウリは、何と言ってもヒックスの弾くバンジョーに尽きる。

戦略的にシングルA面に自作曲をもってこなかったホリーズだったけれど、

この曲でその禁は破られた。

「ストップ・ストップ・ストップ」は66年11月全英2位、12月全英7位。

ボクにとってのホリーズの絶頂期“真昼のホリーズ”はこの3曲なのである。

img497
img2859.jpg

飲み会でメンバーの出欠をチェックする時、

アレッ!ひとり足りないぞ、誰かな?

なんて、いつもなぜか思い出してもらえない人がいる。

いわば・・・、ホリーズはそんなつい忘れられがちなグループである。

「バス・ストップ」と、グラハム・ナッシュが在籍していたこと、

それぐらいしか知らない人が多いと思う。

クラーク、ナッシュ、ヒックス、ヘイドック、エリオットとおなじみのメンバーでの

初シングルは「ステイ」、64年1月全英8位、ブレイクはここから始まる。

ボクのホリーズ好きは、「バス・ストップ」からだから、

このへんは後追い、すべてパーロフォン、イギリスからの輸入盤。

続いて、64年3月全英2位にして、初めて全米チャート登場、

5月全米98位は「ジャスト・ワン・ルック」。

初の全英1位は、65年6月「アイム・アライヴ」。

そして、65年10月全英4位、66年1月全米32位は、

「Look Through Any Window」、邦題「恋は窓から」。

ボクにとっての“夜明けのホリーズ”はこの4曲。

アラン・クラークがリードを歌い、

高音部をグラハム・ナッシュが、低音部をトニー・ヒックスが、

この3声ハーモニーこそがホリーズの大きな魅力となった。

img2860.jpg img2861.jpg img2862.jpg
img2858.jpg

女性ポップスシンガーで女優で・・・、と言えば、

まず頭に浮かんだのは、ソニーとシェールのシェールですが、

この人を忘れていやしませんか!

って、声が聞こえたような気が。

あの「恋のダウンタウン」のペトゥラ・クラークを忘れていました。

ボクが今でも残念に思っていることは、

高校生の頃、何気なく観てしまった『フィニアンの虹』や『チップス先生さようなら』、

シンガーのペトゥラ・クラークは知っていたのに、

これらの映画に出ていた女優ペトゥラと結びつけて観ていなかったこと。

今となっては、それがなぜだったのかよくわからないけれど、

きっと、これらの映画を出演者への興味で観ていなかったのだと思います。

歌手ペトゥラ・クラークという意識でもう一度観てみようかな。

さて、その映画に出る前66年2月、

彼女の2曲目の№1ソングは、「マイ・ラヴ」。

この曲、彼女が初めてアメリカでレコーディングした曲として有名です。

彼女のレコード・プロデューサーのトニー・ハッチが、

アメリカへの機上、北極上空で曲を書き始め、

ロスに着陸した時には完成していたと言います。

ペトゥラ・クラークにとってのトニー・ハッチは、

ディオンヌ・ワーウィックにとってのバート・バカラック、

吉永小百合にとっての吉田正、といったところ。

歌い手のことを知り尽くしての曲づくりだったのでしょう。

img1010
img2857.jpg

「フジヤマ・ママ」、「イスラエルちゃん」に続いて、

3枚目の“こんな歌だったの?”シリーズ、

またまたまた、発見してしまいました。

歌はとても有名なゲール・ガーネットの「太陽に歌って」。

♪~ We’ll sing in the sunshine

   We’ll laugh everyday ~♪

こんな歌いだし、英語が苦手な人だって、

“私たちは太陽の光の下で歌い、毎日笑うだろう”、なんて感じの歌だってわかる。

希望に満ちた揚々とした明るい歌だって思ってしまいます。

なのに、

“私はあなたを愛してはいないけれど、1年間だけはつきあってあげるわ、

 そして1年が過ぎて私はあなたのところから去った、

 あなたは私のことを時々思い出して言うでしょう、

 私たちは太陽の下で歌い、毎日笑った、と”

なんて、クールな冷たい女性の歌だったようです。

最初の歌詞は、singやlaughだったのに、

最後の歌詞は、sangやlaughedと過去形になっている。

そういえば、彼女の声は少し男っぽく、

歌い方もちょっと沈みがち。

「太陽に歌って」って邦題のつけ方、ちょっと違うんじゃありませんか?

64年10月、ビルボード4位ながら、

キャッシュボックスでは№1に輝きました。
img2853.jpg

大阪の、いつも行く中古店で、持っていなかった資生堂レコードを見つけました。

行った限りは何か買う、は礼儀ですから、

しかも、同じコーナーに資生堂レコードと正規レコードが揃っていましたから、

とても好都合、安かったですしね。

これは77年春のキャンペーンですから、資生堂レコードの走りです。

♪~ あっ、気持が動いてる

   たったいま 恋をしそう ~♪

作詞・作曲・歌は尾崎亜美、当時20歳、

この1曲は彼女にとって出世作となりました。

キャンペーン・モデルは小林麻美、当時23歳。

72年にアイドル歌手として「初恋のメロディー」でデビュー、

この頃は、レコード・リリースが一段落した頃で、

この後、映画出演や歌手としてのカムバックを経て、

91年、所属事務所の社長でありスパイダースのリーダーだった田辺昭知さんと結婚、

引退してしまうのです。

このレコード、表面はややジミなデザインですが、

中面見開きには、麻美さんと亜美さんを選んだわけが紹介されています。

このスタイル、78年春にも引き継がれるのです。

img2854.jpgimg2855.jpg img2856.jpg

img2852.jpg

昨日金曜日の仕事は“キタ”の中之島でしたが、

今日土曜日は馴染みの“ミナミ”へ、元気な街の視察です。

難波で荷物を預けて、昼ご飯は慣例で立ち食いうどん。

戎橋筋から戎橋を渡って心斎橋筋へ、

Uターンして次はアメリカ村、

道頓堀へ戻って、千日前から難波へ帰るいつものルート。

靴屋と洋服屋は“財布の毒”なので極力パスして、

中古レコード屋は仕方なくちょっぴりハシゴ。

印象に残ったことは、まあ!人の多いこと(当たり前田のクラッカー)。

外国人が多いこと、すれ違いざまに聞こえるのは英語と韓国語と、大阪弁。

グリコの看板や、かに道楽のカニ、くいだおれ人形をバックに記念撮影する人、

道頓堀の街灯の下のベンチで白昼堂々ひる寝をする人、化粧をする人、

本当に自由な街ですね。

綺麗な女性はだいたいはひとりで歩いているか、女同士のカップルの傾向大。

足が棒のようになった4時間でした。

でも、とても有意義で楽しかったので、今夜の一曲は、

73年全英7位、全米12位、エルトン・ジョンの「土曜の夜は僕の生きがい」。

ギンギンのロックンロールといきましょう。

ph23.jpg ph24.jpg ph25.jpg
img2850.jpg

今更ですが、

ビートルズが、「チェインズ」や「ボーイズ」、

そして「ベイビー・イッツ・ユー」をカバーしたように、

(あっ!「プリーズ・ミスター・ポストマン」もありましたね)

マンフレッド・マンも、エクサイターズの「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」をカバーして、

64年全米№1になりました。

これに味をしめたわけでもないのでしょうが、

続いてのシングルは、シレルズをカバーしたものでした。

シレルズの「シャ・ラ・ラ」は64年4月に全米69位、

マンフレッド・マンは同じ64年10月にカバー・リリースし、

65年1月、全米12位までこの曲を押し上げたのでした。

「ボーイズ」といい、「ベイビー・イッツ・ユー」といい、

「シャ・ラ・ラ」までも、

シレルズの楽曲は、イギリスのバンドに気に入られたわけです。

まずは、シレルズの図太い女声の「シャ・ラ・ラ」を聴いて、

男声ながら、やさしくポップなマンフレッド・マンの「シャ・ラ・ラ」を聴く。

バックの演奏さえゴキゲンにポップだ、

本当に魅力的にアレンジしたものだと思う。

やっぱり、この時代のイギリスのバンドは最高ですね。

img726 img2851.jpg
img2848.jpg

ハプニングス・フォーと双璧、後の“めんたいロック”の草分け的存在、

それが、里見洋率いるGS、レオ・ビーツである。

グループ名は、もちろん西鉄ライオンズからきている。

67年秋、デビュー曲は橋本淳・すぎやまこういちの「霧の中のマリアンヌ」。

イントロはまるで「マシュケナダ」、突然歌謡曲っぽい歌が始まり、

♪~マリアンヌ~♪のコーラスが・・・、

まさに陰りゆくカルトGSの面目躍如。

当然レコードの売れ行きはさっぱりだったけれど、

演奏はなかなかの実力派、ということで、

木の実ナナや奥村チヨなどのバックバンドとしても活躍した。

この里見洋さんはその後幾度もメンバーチェンジを繰り返す。

その中のひとつ、71年の里見洋と一番星に加わったのは、絵川たかし、

彼は“カルトGS、その6”で紹介したヤンガーズのボーカル窪孝。

というわけで、彼のボーカルが映えるヤンガーズのセカンド・シングルを聴きたい。

デビュー曲「マイラブ・マイラブ」から一転して、明るくハッピーなポップス、

橋本淳・筒美京平の「恋をおしえて」。

ボクの好きな、アイドルGSの趣、なのに人気が出なかったのは時代のせい。

B面「野菊のようなあの娘」はライブでの定番、いわば“ヤンガーズのテーマ”らしい。

これも、いかにもGSらしいノリのいい軽快なナンバーである。

このカルトGSのシリーズ、まだ少し続きます。

img2849.jpg
img2846.jpg

♪~ ああ もう恋などしない

   誰にもつげず ただ波の音だけ さみしく聞こえる ~♪

学生の頃は、夏休みが終わったら、夏が終わるけれど、

社会人になると、夏の終わりがわかりにくい。

カレンダーを見たらすぐわかる、なんて情緒のないことを言わないでほしい。

“ひと夏の恋”なんて、経験した記憶はないけれど、

よく歌に歌われるのだから、きっと世の中にはよくあることなのでしょう。

74年、新社会人になった夏、

解散間近いキャロルのバラード、「夏の終り」。

矢沢永吉作詞・作曲、キャロルの、ヤザワの、魅力いっぱい、

ずっと好きな歌である。

もう1枚は、“雨の日と月曜日はイヤになっちゃう”という歌。

71年全米2位、カーペンターズの「雨の日と月曜日は」。

ここ2~3日の雨は明日も続きそうだし、明日は月曜日、

本当に今夜の気分のような歌なのです。

確かに、ボクは無類のいい天気好きだし、

月曜日がイヤだなあ、と思った頃もありました。

でも、歳を重ねるにつれて、月曜日はそんなにイヤな曜日ではなくなりました。

仕事は楽しいことばかりではありませんが、

定年で仕事をしなかった2ヵ月間は毎日が日曜日、そんなに楽しくありませんでした。

仕事は、睡眠と同じくらいの時間を過ごす人生の大きな部分なのですから、もっと・・・、

なんて、小難しく語るのはこのくらいにして、

何はともあれ、明日は“雨の月曜日”になりそうです。

img2847.jpg