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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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今月の初め、縁あって高知県立美術館に行ってきました。

『ボストン美術館ミレー展』の開展式でした。

ボクは、決して絵画に造詣が深いというわけではありませんが、

久しぶりに感動した美術展でした。

単にミレーの絵を集めたというのではなく、

ボストン美術館が所蔵するミレーの絵画を中心に、

19世紀中盤の農村の風景と人々の暮らしをコンセプトにしていたからです。

一点ずつ観て回るうちに、当時の人たちの暮らしぶりが想像でき、

ジーンと涙が溢れそうでした。

本当に、心豊かな充実した数十分間、

いい歌詞と情景豊かなメロディをもつ、そんな音楽に出合ったようでした。

というわけで、今夜の1枚は、

“フランスの巨匠”つながりで、ジョニー・アリデイです。

61年11月リリースのフィリップスからの3枚目のEP、

「電話でツイスト」をフィーチャーしたツイストもの。

フランス語を見事にロックのリズムに乗せています。

ジョニー・アリデイは、あいにく日本では、

元奥様のシルヴィ・バルタンほどの人気は出ませんでしたが、

自他ともに認めるフランス第一のロックシンガーです。
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と、書いたのは室生犀星ですが、

ボクも還暦を超えた頃から、中古レコードのセールで奈良関係のものを見つけたら、

その曲を聴いてみたくなり、ついつい買ってしまうようになりました。

そんな中の1枚、75年10月のナック「大和路」。

帰って聴いてみたら、聞き覚えのあるメロディでしたが、

この頃はもう社会人で、新婚の頃でしたから、

特別に郷愁なんて感じていなかったものですから、特別な歌でもなかったのでしょう。

♪~ 水もぬるむ頃の大和路は 小雨でゆれてる水景色

   花の咲き乱れる庭先に 緑の風が薫ります ~♪

これが春、“照りつける日差しの大和路は”で始まる夏、

秋は“赤く染まる頃の大和路は”、冬は“木枯らし吹く頃の大和路は”。

古き良きふるさと、奈良の四季の景色が目に浮かびます。

NACはニュー・アコースティック・コーラス・バンドの略で、

大阪出身の3人のフォーク・トリオ、作詞・作曲はメンバーの浜名くん。

ボクのコレクションの片隅には74年の「表参道」もありました。

「大和路」と同じ中古セールでみつけたもう1枚は「松山市の歌」。

第2のふるさとですから、これもまた買ってしまったのでした。

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59年2月3日“音楽が死んだ日”、ロックの歴史に刻まれた悲劇の日。

しかし、この悲劇が生んだ成功の物語もあった。

15歳のヴェリーン少年は、数日前に結成したバンドで、

ホリーの穴埋めの募集に応じた。

彼は、まもなくボビー・ヴィーと名乗り、

自らの作った、「ペギー・スー」に応答した曲「スージー・ベイビー」をリリース、

59年9月全米77位、テビュー・シングルとしては上々のヒットを記録した。

ボクは高校生当時からボビー・ヴィーが大好きだったけれど、

このレコードは持っていなかった。

最近、eBayで見つけた「スージー・ベイビー」はいずれも状態の悪いものばかり、

かつては、オリジナル初回盤をコレクションすることに価値観をもっていたけれど、

最近は、できるだけ状態のいい、音のいいものが欲しい、

というわけで、目をつけたのが再発盤。

カナダの“アンダーグランド・レコーズ”というのは、

既存のアナログ・レコードからマスターし、独自のカップリングで発売する

“Quasi-legitimate”、準合法的なシングル盤再発レーベル。

そのレーベルの「スージー・ベイビー」、カップリング曲は、

なんと、マン&ウェイルの68年全米22位作品、

マックス・フロスト&トゥルーパーズの「シェイプ・オブ・スィング・トゥ・カム」。

コレクション価値よりも実利を優先してこれをゲットした。

コレクターとしての堕落にちょっと後ろめたさを感じる1枚なのですが・・・。

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前にも書いたような気がするけれど、

高校へは柳生から京都府の笠置へバスで、そこからは汽車で加茂、木津を経て奈良へ、

そして、徒歩で奈良高校へ通っていた。

クラブ活動は陸上部だったから、

練習の後、6時20分頃の汽車に乗らなければ柳生へは帰れない。

冬には雪が降って、朝4時頃に起きて、膝までの雪の中を笠置まで歩いたこともあった。

だから、2年生からは奈良市内に下宿することにした。

下宿生活一番の楽しみは、深夜放送を聴くこと。

『オールナイト・ニッポン』の後は、ラジオ大阪の『夜明けまでご一緒に』。

火曜日の笑福亭仁鶴さんと金曜日の加藤ヒロシさんは欠かさずに聴いた。

このボクの記憶の裏づけをとりたくてネットサーフィンしてみるけれど、

加藤ヒロシさんが深夜放送のパーソナリティだった情報は見つからない。

ボクの記憶は確かなはずだと思うけれど、

こうなると自信がなくなってくる。

なにはともあれ、この加藤ヒロシさんがリーダーだったGSリンド&リンダース、

彼らの6枚目のシングル、待望の「ハ・ハ・ハ」をゲットした。

オリジナルはシカゴの白人5人のグループ、マウズ、

67年に日本でだけシングル発売されたもの。

これを68年8月に、見事に、本当に見事に、カバー、

訳詞は加藤ヒロシさん、作曲はオーティス・レディング、

なんて、ちょっと笑える。

このブログに書く、ボクの昔の思い出、勘違いや記憶違いがあるかもしれない、

ちょっと不安になる今日この頃です。

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68年9月発売の「リッスン・トゥ・ミー」はホリーズにとって記念の曲となった。

アーティストのメッセージや主張を重視しようとしたグラハム・ナッシュは、

ポップであることやバンドのイメージにこだわるヒックスらと対立し、

この曲を最後に、ついにグループを脱退することとなった。

この「リッスン・トゥ・ミー」のオリジネイターはバディ・ホリー、

ホリーの名の複数形をバンド名にしたグループでの

最後の曲が彼のカバーであったとは、

グループのリーダー的存在だったナッシュにとっては何かの因縁、

美しいハーモニーとメロディがなんとなく切なく聞こえるのはボクだけだろうか。

バディ・ホリーの歌う「リッスン・トゥ・ミー」は、58年全英16位、

死後3年経った62年にも再度全英48位のヒットを記録している。

この曲をカバーしたホリーズ盤は68年全英11位と、

順位だけではホリーを凌駕した。

ボクの手元にあるバディ・ホリーの「リッスン・トゥ・ミー」は、

珍しい三角センターの、CORALの72288、58年の初回盤、

音もなかなか、コンティションもグッド。

素朴な味わい、しかもセリフ入り、ホリーらしい1枚、自慢のコレクションです。

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ソチは毎日テレビにかじりついてオリンピックを観てるかな?

家内は羽生くんに夢中ですが、

ボクはそれほどではありません。

ボクが冬のオリンピックで思い出すのは、

68年、高校生の時熱狂したグルノーブルのジャン・クロード・キリーと、

72年、大学生の時好きだった札幌女子フィギュアの銀カレン・マグヌセン。

キリーは、滑降、回転、大回転のアルペンの三冠王でカッコよかったし、

マグヌセンは、ショートヘアーで笑顔が可愛かった。

尻もちをついたジャネット・リンにばかり人気は集中していたけれど、

ボクはマグヌセンの方が好きだった。

冬のオリンピックと言えば、すぐに浮かんでくるのは、

“フランスの13日間”グルノーブルの非公認記録映画のテーマ、

フランシス・レイの「白い恋人たち」。

そして、札幌オリンピックのテーマソングは、

トワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」、

「空よ」とカップリングの再発盤を持っていました。

そして、キリーより前のアルペン三冠王はトニー・ザイラー。

彼はスキーヤーでもあり、俳優でもあり、歌手としても活躍しました。

日本で爆発的にヒットしたのは59年の「白銀は招くよ」。

テレビは、日本人が出る種目ばかり放送しているけれど、

BSで観るタイムを競うアルペン競技の魅力に取りつかれているボクなのです。

“黒い稲妻”トニー・ザイラーと、“王者キリー”ジャン・クロード・キリー、

アルペン三冠王はこのふたりしかいない。

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遅ればせながら、バレンタイン・デーの報告です。

ここ数年、ボクのバレンタイン・デーは固定しています。

家内と家内の友だちと、娘と、

もう20年以上もずっと贈ってくれる昔の会社の部下と、

今の会社の女性たちからの義理チョコ。

糖尿の身には禁断の甘いものですが、

一週間ぐらいかかって完食させていただきます。

というわけで、探し出したバレンタイン関係のレコード。

80年、彼女のセカンド・シングル、

まだまだバリバリのアイドル時代、柏原よしえ「毎日がバレンタイン」。

もう1枚ありました。

こちらはまったくテイストの違う歌です。

88年全米80位ジェイムス・テイラー「ネバー・ダイ・ヤング」のB面、

「バレンタイン・デー」。

日本では、バレンタイン・デーは女性が男性にチョコレートを贈って愛を告白する日、

広告の業界では、販売促進策の成功例として語り継がれている。

ジェイムス・テイラーが歌っているバレンタイン・デー、

アメリカでは果たしてどんな解釈なのか、新しい研究課題ができた。

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♪~ むかし むかし その昔 ~♪

(ダーク・ダックス「花のメルヘン」より)

粉末の“ワタナベのジュースの素”を手の平にのせて舐めていた頃、

粉末のコーラというものに出合ったのが、コーラとの初めての出合い。

家に帰るなり、母は

“コーラちゅうのを初めて飲んだけど、なんにも美味ない、葛の根みたいやわ”

と言っていた。

ボクは好奇心の強い少年、早速水を注いで、この異様な色の飲み物をひと口、

すぐにペッペッ、“ワタナベのジュースの素”の粉で口直し。

そんないい印象のないコーラとの出合いだったけれど、

高校生になって、加山雄三さんのCMの頃には自分からすすんで飲むようになっていた。

そんな、コカコーラの思い出を語りたくなった今夜の1枚は、

1945年にヒットしたというアンドリュース・シスターズの、

「ラム・アンド・コカ・コーラ」。

オリジナルはトリニダードの伝統音楽カリプソで、

トリニダードにやってきた米軍兵士が、

ラム酒を飲む時のチェイサーとしてコカコーラを飲んでいたことから生まれた歌だという。

だから、決してコカコーラのCMソングというわけではない。

アンドリュース・シスターズについて調べてみたら、

彼女たち3人は本当の姉妹で、

リード・ボーカルの末っ子パティは昨年の1月に94歳で亡くなったという。

ラム酒はいうまでもなく、

コーラだって最近は久しく飲んだことがないボクなのである。

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最近のボクの“通勤のお伴”はサイモン&ガーファンクルの『セントラル・パーク・コンサート』、

81年9月19日、53万人を集めた再結成コンサートのライヴ盤です。

ライヴ盤というやつは、比較的に、個々の楽曲の完成度はイマイチですが、

コンサートの臨場感が伝わること、レコードで聴けないレア音源があること、

そんな点で、普通のレコードとは一味違う別の魅力があります。

このアルバムでは、まずは“これが僕たちのルーツです”の「リトル・スージー」、

もちろんエヴァリーズの「起きろよスージー」のカバーでS&G初のレコード化。

次に、二人で歌う「僕のコダクローム」から「メイベリン」へと続く・・・、

この陽気なメドレーから、「明日に架ける橋」へとつながるクライマックス。

アンコール前、コンサートの締めはボクの大のお気に入り「ボクサー」。

というわけで、こんな名曲を忘れていたのは誰だ?“ボクサー!”

何度聴いても飽きない、英語の歌、難解な歌詞、なのに一緒に歌える、

♪~ Lie-la-lie

   Lie-la-lie la lie-la-lie ~♪

なんて、誰でも歌える、あわよくばハモれる。

「明日に架ける橋」はあえて輸入盤を買った、

日本盤のレコード・ジャケットが気に入らなかったから。

LPやEPのレコード・ジャケットはステキなのにね。

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前回に続いて、バリー・ホリーのオリジナルをカバーしたアーティストの巻。

ビッグ・ネームによるカバーを紹介します。

まずは、64年のビートルズ、「ワーズ・オブ・ラヴ」。

ホリーが57年にクリケッツをバックにレコーディング、

ライターはバディホリー自身。

彼のシングル盤は万円台なのであえて手を出していません。

ビートルズは、64年『フォー・セール』の中でカバーしたのですが、

このシングル盤を見つけるのに四苦八苦、メキシコ盤で発見しました。

タイトルは「Palabras De Amor」、スペイン語です。

もう1枚は、64年のローリング・ストーンズ、「ノット・フェイド・アウェイ」。

イギリスでは「リトル・バイ・リトル」とカップリングで全英3位、

アメリカでは「彼氏になりたい」とカップリングで全米48位のヒット。

ホリーは57年クリケッツをバックにレコーディング、クリケッツ名義でリリース、

ライターのNorman Pettyはプロデューサー、

Charles Hardinはバディ・ホリーの本名です。

「オー・ボーイ」のB面としてのリリースでしたが、

ストーンズ以外にも多くのアーティストによってカバーされています。

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前回の続きです。

今回は、バディ・ホリーのオリジナルをカバーした人たち、曲たち。

ホリーは22歳で他界しましたが、彼のフォロワーは多く、

もちろんカバーもたくさん存在します。

そんな中から、ボクの手元にあるシングルを数枚紹介します。

まずは、「True Love Ways」=「二人の恋は」。

バディ・ホリー、58年の録音、

オーケストラをバックに、サム・テイラーのサックスをフィーチャーしたこの曲を、

彼の死後3ヵ月後にシングル・リリース、全英25位(シングルは持っていませんが)。

これをカバーしたのは、ピーターとゴードン、

65年に全英2位、全米14位のヒット曲に仕上げました。

♪~ 時にはため息をつき 時には泣き出す

   それがなぜだか 君は知っているよね

   だって 君と僕とは 真実の愛を知っているんだよ ~♪

そんな感じのロッカ・バラードです。

もう1枚は、「エブリデイ」、

ホリーの原曲は57年、クリケッツをバックにレコーディング、

「ペギー・スー」のB面だったためにチャート・インしていませんが、

本当に多くの人にカバーされたホリーの代表曲です。

そんな中から、「アメリカン・パイ」のドン・マクリーンのカバーは、

73年全英38位を記録しました。

と、本日はここまで。

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毎月恒例のレコード・コンサート、忙しさにかまけて準備を忘れていました。

明日のテーマは“音楽が死んだ日”。

59年2月3日、バディ・ホリーとリッチー・ヴァレンスとビッグ・ボッパーの

3人の偉大なロックンローラーが飛行機事故で亡くなった日、

その周辺の特集なのです。

さっきまで急いで整理して、リストアップ完了。

その中から、まだ紹介していなかったものを引っ張り出しました。

今夜は、バディ・ホリーが他人の楽曲をカバーしたシングルを1枚。

チャック・ベリーの「Brown-Eyed Handsome Man」と、

ボ・ディドリーの「Bo Diddley」のカバーのカップリング。

諸説ありますが、ボクの資料によると、録音は56年、ニューメキシコ、

バックは、ドラムがクリケッツのジェリー・アリソン、その他は不明。

ホリーが亡くなった4年後の63年にイギリスでリリースされ、

「茶色の目をしたイカシタ奴」は4月全英3位、

「ボ・ディドリー」は7月全英4位。

このポートレイト・ジャケット盤は83年の再発盤なのです。

などなど、なんとかプログラムになるくらいの枚数は確保できました。
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先日NHKBSプレミアムで放送されたタイガースの復活ライヴを見た。

昨年末の武道館コンサート、1月24日オンエアー、家内が録画しておいてくれたもの。

一昨年末の松山でのコンサートとは違って、

デビュー当時のメンバーで、バックアップ・メンバーなしの意気やよし。

第1部の洋楽カバー、選曲はすばらしいものの、

原曲を知っているだけに心もとなく聞こえる、

こっちがヒヤヒヤしながら見てしまった。

そして、第2部はこの曲でスタートした。

「十年ロマンス」、作詩・阿久悠、作曲・沢田研二。

81年、ピーなき同窓会の第一弾、

トッポがいてこその一曲、ツイン・ボーカルが映える。

さすがに、オリジナル中心の第2部は声もよく出て、安心して聴けた。

67年2月デビュー、69年3月トッポ脱退、シロー加入、

71年1月解散、81年ピーなき同窓会、2011年トッポなき復活ライヴ。

そして、今回は体調の悪いシローもちょっぴり顔見せのコンプリートだ。

ボクの大好きな「白夜の騎士」は歌わなかったものの、

昔の仲間が集まって・・・って、いいですね。

録画を見ながら、家内が“私、トッポの語りのソノシート当たったことがある”、

ボクのレコード棚にありました、トッポ「ノアの箱舟」だって!

聞くのは別の日にしましょう。

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