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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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4月のレコード・コンサートのテーマは“60年代の世界のアイドルたち”。

イタリアとフランスを中心にイギリスとアメリカをちょっと加えて、

多くの人がその名を知っているような、いわば“A級のアイドル”を、

との方向で、ピックアップを始めました。

でも、そこはそれ、少しは、みんなが知らないような、しかし曲がいい、

そんなアイドルの曲も入れなくては・・・。

というわけで、無事ピックアップ完了、準備は整いました。

そんな中で、香港から1枚をセレクトしました。

おなじみ、アグネス・チャンの香港発売のシングル、

71年の「スウィート・ドリームス」です。

どんな曲かと言えば、いかにも香港ウケしそうなすてきな曲、歌です。

ネタをあかせば、70年、由紀さおりさんの「生きがい」のカバー、

この頃から由紀さんは世界に通ずるアーティストだったのでしょう。

日本でのアグネスとは一線を画した、香港のアグネスを聴くことができます。

さて、レコード・コンサートですが、今、相棒のDJくんは入院中で、

今月はもうひとりのディスク・セレクターくんとツイン・セレクターでやってます。

彼の選曲は、そして彼のコレクションは、通好みで学術的で、

ボクとしてもたいへん勉強になります。

ボクのコレクションは多分にミーハー的で、

自分の好みを押し付けるワガママ選曲だと思います。

二人二様、楽しいプログラムになるといいですね。

DJくんの早い回復を祈っています。

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あの頃、3日に1日はマージャンをしていた。

いつものデザイン事務所で、部下たちの寮で、ラジオ局の宿直室で、

相撲茶屋の雀荘やセルフサービスの雀荘で・・・。

父親が亡くなったという連絡のあった夜も、相撲茶屋の雀荘で卓を囲んでいた。

夜中に奈良に帰ることもできないから、そのまま続けた。

大きく沈んでいたのに、父の訃報を聞いた途端にツキ始め、

結局は勝ってしまって、それから会社へ帰って仕事の引き継ぎをして、

翌朝帰省した。

そんなこともあったね、なんて思い出してしまったのは、

レコード棚にこんなレコードを見つけたから。

78年、シンガー・ソングライター阿部敏郎の「麻雀悲歌怒楽怒楽」、

「マージャン・エレジー・ドラドラ」と読む。

なぜこんなレコードがコレクションの中にあるのかは不明。

阿部敏郎といえば、あおい輝彦の「センチメンタル・カーニバル」の作者、

だから、このコミカルなノベルティ・タイプの曲こそ異色の存在なのです。

そういえば、マージャン、もう長らくしていない。

そんなにしたいとは思わないけれど、

コミュニケーションの手段としてならいいのかもしれない。

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既存の2曲をコンビネイトした曲、

例えば、ミッチ・ライダーとデトロイト・ホイールズの「悪魔とモリー」や、

フィフス・ディメンションの「輝く星座」は、

メドレーというだけでなく、その素晴らしさが際立っている、と思う。

1+1が3になっている。

では、この曲、ボビー・ヴィーの「マイ・ガール・ヘイ・ガール」はどうか?

テンプテーションズの、おなじみ「マイ・ガール」と、

キング&ゴフィンの名曲、フレディ・スコットの「ヘイ・ガール」を

コンビネイトした、というか、メドレーで歌ったという曲。

68年、ビルボード35位、キャッシュボックス17位だったものの、

いかにボビー・ヴィー大好きのボクでも、

1+1が2にもなっていない、なんて思ってしまう。

でも彼は、R&Bに走ることなく、

ポップス・シンガーとしてのプライドは守り通したと思う。

そこにちょっぴりうれしさがこみあげてくるボクなのである。

ボビー・ヴィー、24歳の春の歌声。

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ボクが大好きだった内藤洋子は、50年5月生まれの、北鎌倉育ち、

お父さんは確かお医者さんで、開業医だったと思う(芸能誌情報)。

うちの家内と同じ4人姉妹で、彼女は3女だったと思います。

あまり有名ではないのですが、

彼女の妹さんもレコードを出しているのですよ。

それが、この1枚、内藤圭子「マリーナ」、珍しいでしょ。

声はお姉さんそっくりで、まるで内藤洋子が歌っているようです。

なぜ、いつのまにか消えてしまったのでしょう?

いま、どうされているのでしょう?

まあ、知ったからって、なんというわけでもありませんが・・・。

そして、内藤洋子の娘さんは、いま何かとかしましい話題の喜多嶋舞ちゃん。

もちろん、彼女もシングルを2枚出しています。

88年2月のリリースは、「ウィスパー」、

同じく6月リリースの「ディア・ダディ」。

彼女のダディは、ランチャーズの喜多嶋修さんで、

B面の「ラッキー・スター」の作曲者のひとりとして名を連ねています。

「ディア・ダディ」は詞・曲ともに矢野顕子さんの作品です。

そして、このレコードには名刺大のカードが付いていて、

写真のシールをはがすと、電話番号が書いてあって、

電話すれば舞ちゃんの声が聞こえるらしいです。

もちろん、ボクは電話しませんでしたよ、

ボクが好きなのは、彼女のお母さんなのですから。

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前回のフレディ・キャノン「冷たいティーン・クイーン」もそうでしたが、

61年から65年頃までの日本ビクター発売の洋楽シングルによくあるジャケットは、

ジュークボックスをフィーチャーしたワンパターンなもの。

ボクのコレクションにも10枚ほどはあるでしょうか。

一枚一枚オリジナル・ジャケットを創る手間を省いたのでしょうね。

今となっては、オールディーズ・マニアにはこれも一興、名物ジャケットなのです。

このジャケット写真の元ネタは、シャンテルズのLPジャケット、

57年全米71位「He’s Gone」、58年全米15位「Maybe」、

同じく全米40位「Every Night」、同じく全米42位「I Love You So」と、

初期のヒット曲を網羅したベスト盤。

で、今夜紹介するジュークボックス・ジャケの1枚は、

62年ビルボード、キャッシュボックスともに№1に輝いた曲、

ジーン・チャンドラーの「恋のスーパー伯爵」。

ドゥワップ・グループのデューケイズに入ったばかりのユージン・ディクソンは、

グループのリード・ボーカルとして「ナイト・アウル」という曲をレコーディングする時、

同じセッションで、ソロとして奇妙な歌を録音した。

デューケイズのレコード会社はこの曲が気に入らず、

この曲は別のレコード会社からリリースすることになった。

となれば、契約問題が立ちはだかり、ジーン・チャンドラーと名を替えてリリースした。

当の「ナイト・アウル」はビルボード73位止まりで、

「恋のスーパー伯爵」はあれよあれよという間にミリオン・セラーとなったのである。

ディクソンはこの曲を歌う時、袖なしのマントに山高帽・片めがねの公爵スタイルで、

挙句には、デューク・オブ・アールをアーティスト名としてLPまでリリースした。

などと、聞きかじりのウンチク、今夜はこの辺で。

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昔々、今は無き松山の梅津寺パークのジェット・コースターはそんなに怖くなかったけれど、

やはり今は亡き奈良ドリームランドのジェット・コースターは怖かった。

それ以来、楽しい遊園地に行っても、ジェット・コースターは遠慮している。

コーヒー・カップも目が回って酔うから好きになれない。

だから、遊園地ってそんなに好きな存在ではないけれど、

この曲は、ジェット・コースターに乗る楽しそうな歓声が入っていたりして、

ゴキゲンなロックンロールである。

62年全米3位、フレディ・キャノン「恋のジェット・コースター」。

原題は「Palisades Park」、

60年代にNYの対岸ニュージャージーにあった遊園地。

フレディ・キャノン、この曲に続いてリリースした次のシングルは、

62年全米92位、「冷たいティーン・クイーン」。

アメリカではそんなに大きなヒットにはならなかったけれど、

ボクは結構好きだ。

B面の「聖者の行進ツイスト」は、

おなじみ「聖者の行進」のツイスト・アレンジ。

バック・コーラスは、あのダニーとジュニアーズという代物。

このレコード・ジャケット“ジュークボックス・ジャケ”については、

次の機会に書こうと思う。

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テレビ番組『ケンミンショー』の大阪府民に街頭インタビュー、

バナナを手渡して“あなたの好きな人に電話してください”なんてフルと、

バナナを受話器がわりに、“あっ、もしもし・・・”、“これ、電話ちゃうやん!”、

なんて、必ずノリツッコミしてくれる。

そんなアホな、と思うかもしれないけれど、ボクには実感がある。

そんな、目立ちたがり精神と、親しみやすさが醸成された町だ。

そんな大阪愛のつまった歌、81年12月発売の「好っきやねん」。

歌っているのは、ミス花子、という男、

本名は鍵谷和利、53年奈良は吉野生まれのシンガーソングライター。

ボクが奈良にいた頃、

大阪ミナミへ出る時は、近鉄奈良線終点上六で降りて、歩いて日本橋、難波へ、

キタへ行く時は、鶴橋で国鉄環状線に乗り換える。

そんな近鉄奈良線、生駒駅までは奈良県で、石切駅からは大阪府、

この大阪の東の地方を河内(カワチ)という。

“そうでしょう、あなた”を意味する“ソやんけワレ”で有名な河内弁、

汚い言葉、口の悪い奴の代表みたいに言われるけれど、

シャイな、心やさしい地方なのである。

ミス花子、76年8月のリリースは「河内のオッサンの唄」。

80万枚も売り上げたヒット・ソングだったけれど、

きっと、東京では流行らなかっただろうな。

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長い間探していたレコードをようやく手に入れました。

アメリカでは女優、コメディアンとして結構有名なのに、

日本ではまったくといっていいほど知られていないシンガー、ダミタ・ジョー。

彼女の60年の「I’ll Save The Last Dance For You」。

そうです、ドック・ポーマスとモート・シューマンの名作、

60年全米1位、ドリフターズの「Save The Last Dance For Me」、

「ラスト・ダンスは私に」のアンサー・ソングなのです。

歌いだしの、♪~You can dance every dance with the guy~♪は、

♪~If I dance every dance with the guy~♪に。

最後の♪~So darlin save the last dance for me~♪は、

♪~So I’m saving the last dance for you~♪に。

歌詞を女性から男性への返歌として歌うという当たり前のパターンですが、

そこここにあるアンサー・ソングと違うのは、

その歌の完成度と、作品としての独立性にあると思うのです。

このシングル・レコード自体は比較的簡単に入手できるのですが、

探していたのはピクチャー・スリーブ付のシングルで比較的状態のいいものでしたから、

なかなか見つからなかったのです。

この1枚は、デンマークはコペンハーゲンの西方のTaastrupからの贈り物、

それもわずか送料込14$なのでした。

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特定の町や地域をタイトルや題材にした歌、

歌謡曲、特に演歌に多いですね、枚挙にいとまありません。

もちろん、洋楽、特にオールディーズにもいっぱいあるのです。

そんな視点でコレクションしたことはないのですが、

ボクのコレクションからピックアップすることなんて、

きっとお茶の子さいさい、簡単なことでしょう。

今日のテーマ曲を紹介しようと思った時、

瞬間的に頭に浮かんだ言葉が“ご当地ソング”でした。

67年7月、日本でのみシングル・カットされたのは、

ポール・リヴィアとレイダース、「ニューオリンズ」。

まさにニューオリンズという町のすばらしさを、力いっぱい歌っています。

リードは、いつものマーク・リンゼイではなく、

御大ポール・リヴィアという珍しい1枚です。

プロデュースは、ボクの大好きなテリー・メルチャーなのですから、

悪かろうはずがありません。

“この曲、どこかで聞いたような・・・”、と思ったら、

フィンガー5「学園天国」なのですよ。

やっちゃいました井上忠夫さん。

「ニューオリンズ」、オリジナルはゲイリー・U.S.ボンズ、

60年全米6位、名曲です。

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前回、酒井和歌子さんのことを“2番目に好きな青春スター”と書いた。

どこからもツッコミはなかったけれど、

1番好きな人は、内藤洋子。

高校2年生の時、下宿しているのをよいことに、

三条通りにあった映画館へ何度も何度も同じ映画を見に行った。

舟木一夫と内藤洋子の『その人は昔』。

ボクの人生で、映画館で複数回見た映画は後にも先にもこれだけ。

この映画には挿入歌がいっぱい、

何と言っても最大の話題、最大のヒットは「白馬のルンナ」。

酒井和歌子さんの声は独特の魅力があるが、

内藤洋子の声は、カワイイ、とてもカワイイ、

ただひたすらにカワイイのである。

♪~ ルンナ! ~♪ この一声だけでやられてしまった。

このB面「雨の日には」を大好きなことはすでに書いた。

その他にも、舟木一夫さんとのデュエット、

「恋のホロッポ」と「今度の日曜日」。

舟木一夫さんの歌う、「心をこめて愛する人へ」と「じっとしてると恋しい」。

彼女がテレビで「白馬のルンナ」を歌ったのを見たことがない、

そんな映画に対するストイックさも好きだった。

やっぱり、あの頃、時間がゆっくり流れていたのだなあ、と思う。

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“楽しいかい?” “とっても!”

“歩こうか!” “歩きたい!”

こんなセリフから始まる「大都会の恋人たち」。

歌うは、江夏圭介と酒井和歌子。

酒井和歌子さんは、高校時代ボクが2番目に好きな青春スターだった。

とは言うものの、彼女が出演する映画で見たのは『兄貴の恋人』だけ。

何よりも、彼女の独特の声が大好きだった。

続いてのシングルは「青春通り」、

レコード・ジャケットには、

東京映画・東宝配給作品『大都会の恋人たち』挿入歌、とあるが、

結局この映画は製作中止になった・・・と記憶している。

歌は決して上手とは言えないけれど、青春スターの歌はこれでいい、と思う。

最近のアイドルとはまったく違う、

チャラチャラしていない、上品なのである。

いわゆる“雰囲気をもっている”のである。

こんなことを語るようになるとは、ああボクも歳をとったものだ、

などと思いながらも、懐かしい歌声に酔いしれている。

もう1枚、70年の「水玉もようの雨」もなかなかイイ。

一緒のファイルから出てきた石坂浩二さんと浜田光夫さんと3人が

詩を朗読しているソノシートは『女学生の友』2月号の付録らしいから、

きっと家内の持ち物だと思う。

それにしても・・・、

この頃の時代は、時がゆっくり流れていた。

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物語はヴィッキーの1枚のシングル・レコードから始まった。

ヴィッキー・ヴァンシリキー・レアンドロス・パパサナシューという長い本名、

ギリシャ生まれのヴィッキーは17歳で日本デビュー、

「恋はみずいろ」「待ちくたびれた日曜日」に続いての

68年、3枚目のシングル「朝まで踊って」で、

これまでとはちょっと違う一面を見せてくれた。

そして時は過ぎ行き、80年代に入った頃のある日、

戯れにB面を聴いてみると、あれ?どこかで聞いたような曲、

「サンシャイン・ボーイ」、作者表示はPiopelle-Roberds-Macleod、

この3人は、「Sunshine Girl」というただ一曲のヒットをもつ

パレードというグループのメンバー。

「サンシャイン・ボーイ」は、

67年全米20位、パレードの「サンシャイン・ガール」のカバーだったのです。

ただし、正しくはPiopelleではなくRiopelle、

このジェリー・リオペルは、

フィル・スペクターに雇われた最初で最後のプロデューサーだったという人。

ボクが10年2月12日に書いた「シングズ・アー・チェンジング」を

スペクターの代わりにプロデュースした人なのです。

物語はここで終わらない。

2007年になってリリースされた大滝さんの『ナイアガラCMスペシャルvol.1』の

30周年アニバーサリーのCDの中に、

この「サンシャイン・ガール」のカバーとして作られたCM、

「透明ガール」(サイダー’79)を見つけたのです。

CMモデルに予定されていたのはブルック・シールズだったそうですが、

諸事情あってこのCMソングともどもオクラ入りとなったそうです。

67年から2007年まで40年かけた長~い物語、

ボクにとってはうれしい発見、楽しい楽しいものだったのです。

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言葉で言えるよりもっと、君を愛してる。

そんなロマンチックな曲「More Than I Can Say」、

5年ぐらい前まではボビー・ヴィーがオリジナルだと思っていた。

この曲を一躍有名にしたのはレオ・セイヤー、

80年12月、ビルボード2位、キャッシュボックスでは1位に輝いた。

邦題は「星影のバラード」。

ボビー・ヴィーは、61年に、

「Stayin’ In」=「恋のダブル・パンチ」のB面としてリリース、

A面は全米33位、「モア・ザン・アイ・キャン・セイ」は全米61位。

ところが、実はこのオリジナルがクリケッツだった。

バディ・ホリーの死後、59年にレコーディング、

翌60年にリリース、全英42位を記録している。

もっと早く、Curtis-Allisonという作者に注目していたら、

それが、以前バディ・ホリーと同じグループにいて彼の死後クリケッツに加入した

ソニー・カーティスと、クリケッツのジェリー・アリソンだと分かったはずなのに。

聴き比べると、さすが80年代だけあってレオ・セイヤー盤は充実している。

しかし、もしボクが、

星空の下で、彼女を目の前にして、弾き語りで歌うとしたら、

きっとクリケッツ盤を選ぶだろう。

オリジナルや恐るべし!、なのである。

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