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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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今月の初め、PYGのことを書いた時に思い出したバンドがあります。

それは、PYGの弟バンドと言われていたグループ、ロック・パイロット。

このバンドの曲、ボクは結構好きだったのです。

なぜなら、彼らはニュー・ロックを気取っていたけれど、

少し前に消えてしまったGSの生き残りが如き趣。

そのデビュー曲は、「ひとりぼっちの出発」。

71年1月25日、ジュリーがPYGに参加する一週間前にリリースされました。

なぜここでジュリーが登場するのかというと、

この曲、作詞は安井かずみ、作曲は沢田研二、編曲は井上堯之という代物。

B面の「ゆりになった少年」も、作詞は安井かずみ、作・編曲はかまやつひろし、と、

後ろ髪ひかれるGSといった塩梅なのです。

彼らのシングル、もう1枚、どうしても欲しくて、ようやく手に入れたものがあります。

4枚目にして最後のシングル、71年12月の「レマンのほとり」。

作詞は片桐和子、作曲は加瀬邦彦、なのですが、

ボクがどうしても欲しかったのはこのB面、

作詞・安井かずみ、作曲・かまやつひろしの「おんぼろ車でぶっとばせ!」。

どこから聴いても、スパイダースのノベルティ・ソング・タッチで、

かまやつさんらしい1曲です。

ボクが手に入れたのは、あいにく見本盤で、

レコード・ジャケットが付いていなかったので、画像を探し出してアップしました。

このジャケット写真、ちょっと変だと思いませんか?

脱退したメンバーの顔を塗りつぶしたのでしょうか・・・。

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七夕の夜に、思わせぶりに予告したフォー・ラヴァーズのもう1枚、

昨日の日曜日、レコード棚の上の収納棚を家探しして、

ついに見つけ出しました。

やっぱりありました、ボクの記憶はまだ確か、

その意味でもホッと一安心。

タイトルは「Jambalaya」、

「ジャンバラヤ」、あの52年のハンク・ウィリアムスのカバーです。

フォー・シーズンズの前身、このフォー・ラヴァーズのカバーは56年、

フランキー・ヴァリをフィーチャーした「ジャンバラヤ」って、

さてどんなんなんでしょうね。

昔、1回ぐらいは聴いたとは思うのですが、どんなんだったかまったく記憶になく、

昨夜、ワクワクしながらレコード・プレーヤーに乗せました。

あのウェスタン・ソングを、こんなドゥワップにするなんて、

特に、最初と最後の部分のアレンジは特徴的なのです。

なのにレコード・センターにアレンジャーやディレクターの表示はなく、

まったくもってあっさりとしたシンプルなもの。

56年当時ってきっとこんなんだったんでしょうね。

オリジナルのハンク盤に始まり、

ニッティ・グリッティとカーペンターズに続いて4枚目の「ジャンバラヤ」、

ゆっくりと楽しむことができました。

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誰もが一度は野原で四つ葉のクローバーを探したことがあると思います。

ボクも、昔そんなこともあったし、

数ヵ月前だって公園の野原で孫娘と一緒に探しましたよ。

さて、つい先日、ウェイン・ニュートンの「ドリーム・ベイビー」のB面に、

「I’m Looking Over A Four Leaf Clover」という曲を見つけました。

邦題「四つ葉のクローバー」、

よくよく調べてみたら、1927年の曲で、多くのアーティストがリリースしている。

そして、なぜか48年にも多くの人がリリースし、

ビルボード・ベスト・セラーズの1位、7位、11位、13位と競作ヒットを記録している。

もちろんその後も多くのアーティストにカバーされている。

ウェイン・ニュートンは64年にカバーし、最高位全米123位だった。

「四つ葉のクローバー」といえば、ボクたちには71年のかまやつさんの歌。

今あらためて聴いてみると、まるでガロの曲のような感じで、

それもそのはず、デビュー前のガロがバック・コーラスを担当していた。

“四つ葉”の象徴するものは、日本では、希望・誠実・愛情・幸運だとされているが、

アメリカでは、太陽の光・雨・通路で育つバラ、4枚目は敬慕する誰か、

この歌の歌詞はそう語っている。

こんなウンチクもレコード・コレクションの楽しみなのです。

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昨日までの三連休、姪の結婚式で2泊3日、大阪に行ってました。

ボクたち夫婦と娘夫婦と孫娘と、

一日目の夜、泊まったホテルの隣りの超高層ビル、

高さ173m、地上40階の空中庭園展望台へ。

この高さから見る大阪の夜景はとてもきれいで、

360度周遊できる、まさに空中散歩の気分。

ゆかた姿のカップルが多く、ボクの頭の中を懐かしい曲がかけめぐった。

58年全米16位、ダンリールズの「One Summer Night」、

あいにく、月が出ていたかどうか覚えていないけれど、

ある夏の夜、月の下で恋におちたふたりを歌う、

胸キュンのロマンチックなドゥワップ・バラードである。

なぜか、夏の夜にはメロウなバラードが似合う。

今思い出したもう1枚の夏の歌、

61年、マーシー・ジョー嬢の「What I Did This Summer」。

内容的には、過ぎ行く夏を惜しみながら聴きたい曲なんだけれど、

あの有名な、63年ロビン・ワードの「ワンダフル・サマー」と並ぶ、

ガールズ・ポップの名曲です。

さて、肝心の結婚式、

リング・ガールとして大活躍した我が孫娘の可愛さの記憶とともに、

姪の幸せを祈るボクなのでありました。

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シンプルなロックンロールを聴きたくなったら彼の名前を思い出す。

フレディ・キャノン、本名はFrederick Anthony Picarielloというからイタリア系か。

59年、彼のデビュー・ヒットは「タラハシー・ラッシー」、全米6位&全英17位。

Tallahasseeは都市の名前、フロリダ州の州都である。

人口15万人、63,000世帯の都市だというから、

新居浜市より少し大きく、今治市より少し小さい、と考えればわかりやすい。

Lassieは、“名犬”ではなく、スコットランドの方言でお嬢さん、娘、少女、のこと。

訳してしまうと身も蓋もないが、語呂がよく韻を踏んでいる言葉遊びか?

そして、60年全米31位は「チャタヌガ・シュー・シャイン・ボーイ」。

チャタヌガはテネシー州の都市の名前。

そのB面は「ボストン・マイ・ホーム・タウン」。

まさに、こ当地ソングの王様!

お前は水森かおりか!の世界なのである。

少し落ち着いて、60年全米83位は「ハッピー・シェイド・オブ・ブルー」、

少しポップスっぽくなったのかな?

やっぱりイイね、フレディ・キャノン。

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ここ最近、早く帰った日は、夕食後6時半過ぎから9時まで、

CATVの時代劇チャンネルにハマっている。

まずは、『吉宗評判記・暴れん坊将軍』の最後の部分を見て、

7時からは、最近スタートした『桃太郎侍』。

その昔、まだ娘が赤ちゃんの頃、

“ひとぉつ 人の世生き血をすすり・・・”のセリフが始まった途端、

うつぶせのまま顔を上げてニッコリ、そんな娘の笑顔を思い出す。

ところで、この数え歌が如きセリフは、番組が始まった頃はまだ使われていなかった。

27話から使われ出したのだという。

今時代劇チャンネルで見ている『桃太郎侍』ではまだ登場していない。

さて、その主題歌は、76年リリース、三波春夫先生の「桃太郎侍の歌」。

数年前に中古セールで見つけて思わず買ってしまった代物。

『桃太郎侍』の高橋英樹もイイけれど、

ボクの最も好きな時代劇俳優は、8時から登場、

『大岡越前』の加藤剛さん。

この人は本当に二枚目だと思う。

最近は現代劇でもよく見かけるけれど、やっぱり時代劇がよく似合う。

今は亡き、竹脇無我さんや、大坂志郎さん、松山英太郎さん、和田浩治さんもなつかしい。

時々は録画してまで見てしまう。

民放がどの局も同じような番組ばかりでおもしろくなくなったことや、

ボク自身が歳をとってしまったせいもあるかもしれないけれど、

まだまだ当分、時代劇チャンネルを楽しみたいと思う。

“ひとぉつ 人の世生き血をすすり

 ふたぁつ 不埒な悪行三昧

 みぃっつ 醜い浮世の鬼を 退治てくれよう桃太郎”

このセリフが登場する日が楽しみである。
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ビートルズがアメリカを席巻する64年を境に、

オールディーズの世界が大きく様変わりしたことは何度も述べてきました。

ボクのレコード・コレクションのキモは、

まさに“ビートルズ前夜”、60~63年を中心とする英米のポップス。

ジャンル呼称は、“ティーン・ポップ・コレクション”&“ガールズ・コレクション”。

そして、これらのコレクションの醍醐味は、

ヒット・チャートに昇ったことのない“イイ曲”を見つけること。

ここで言う“イイ曲”とは、ボク好みの曲のこと。

ティーン・ポップ・コレクションとは、

ドリーミーで、単純明快な、親しみやすい、ノー天気な、ティーンズたちの歌、

ということにでもなるのでしょうか。

この長い長い前フリは、この2枚を紹介したいがため。

まずは、イギリスの“アメリカン・ポップ・シンガー”マーク・ウィンター、

62年、19歳の「エンジェル・トーク」。

女性コーラスがからむ、定番ティーン・ポップなのです。

次の1枚は、後にラスベガスでのショー25,000回を達成する“ミスター・ラスベガス”こと、

ウェイン・ニュートン21歳の時の歌、64年リリース「ドリーム・ベイビー」。

ボビー・ダーリン作、タイトル通りドリーミーなティーン・ポップです。

この2枚、いずれも“タイトル買い”したもの、

AngelやDreamという単語の入っている曲には必ず手が出てしまうボクなのです。

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キング・オブ・ヨーデルとして有名なウイリー沖山さんの弟子だった菊地正夫は、

60年、バンドを離れソロ歌手としてデビューした。

デビュー・シングルは「ひとりぽっちで」、

これはカントリー&ウェスタン歌手とは思えない歌だったからか、

話題になったのは、B面の方言丸出しの民謡ロック「スタコイ東京」だった。

この曲の作詞作曲は実兄の北原じゅん先生。

いまひとつヒットに恵まれなかった彼は、

66年、心機一転、何を思ったのか、その名を変えて再デビューした。

♪~ 生きぃてるぅ限りは どこぉまぁでぇもぉ ~♪

その名は城卓也、大ヒットしたこの曲は「骨まで愛して」。

まこともって彼らしくない大演歌であった。

さすがにこのレコードはボクのコレクションにはない。

ところが、本来の自分らしいヒットが欲しかったのか、

67年にリリースした「トンバで行こう」は、

ヨーデルっぽさあり、カントリー&ウェスタン歌手としての面目躍如、

ボクは大好きですよ。

さて、師匠のウイリー沖山さんのヨーデルは、

ソノシート4枚組『山の呼び声』の中で聴くことができる。

あいにくボクは乳製品は苦手なのですが、この「アルペンミルクマン」最高です。

でも、そんなウイリーさんにも歌謡曲時代があったことは、

59年のフランク永井「夜霧に消えたチャコ」のB面、

「そうなんだ」で聴くことができるのであります、クスン(涙)。

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今さら、“秘蔵盤”だなんて言うのも恥ずかしいのですが、

大のお気に入りの1枚を引っ張り出しました。

ドゥワップ好き、コーラス好き、ファルセット好きには避けて通れない1枚、

そして、フォー・シーズンズ好き、フランキー・ヴァリ好き、とくれば尚更。

2007年11月20日『スター誕生物語』として書いた「シェリー」の前の、

実質的には、彼らにとって最初のチャート・ヒット曲を引っ張り出しました。

56年、フォー・ラヴァーズの全米62位、

「You’re The Apple Of My Eyes」。

久しぶりに聴きましたが、やっぱりステキです。

ところで、“My Eyes”で思い出すのは、

フランキー・ヴァリの67年全米2位のソロ・ヒット曲、

「Can’t Take My Eyes Off You」、「君の瞳に恋してる」。

なんか“因縁”ですかね。

さて、話は戻りますが、

カップリングの「The Girl In My Dreams」も、ものすごくイイ。

このフォー・ラヴァーズのレコード、実はもう1枚持っているはず、なのですが、

なかなか見つかりません。

さて、どんな曲か・・・、見つけたら、また掲載します。

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スパイダースから、井上さんと大野さん、

タイガースから、ジュリーとサリー、

テンプターズから、ショーケンと大口くんが集結。

GSブームが過ぎ去った後の71年、

“スーパー・グループ”=PYG(ピッグ)は誕生した。

ファースト・シングルは、作詞・岸部修三、作曲・井上堯之の「花・太陽・雨」。

この豪華なメンバーと、本格的ロック・バンド誕生というフレコミ、

GSファンのボクとしては当然買いに走りましたよ。

GS時代の華やかさを期待するボクにはその魅力がわからなかった。

そして、セカンド・シングル「自由に歩いて愛して」、ちょっといいかな。

この後、結成から半年で、大口くんは去り、

ジュリーはPYGとして活動しながらも、ソロ・シングルを出した。

1年余り後には、ショーケンは『太陽にほえろ』で俳優として活躍。

72年、「遠いふるさとへ」、「初めての涙」を置き土産に、

いつ解散したのかもわからないまま、その名を聞かなくなった。

アーティストの自由がない時代、商業主義に支配された時代、

そんな時代に翻弄されたとも言えるグループであった。

その後、メンバー全員はそれぞれの生き方、活動の場を確立した。

大口くんは亡くなったけれど、今もボクは彼らのファンなのである。

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63年6月、坂本九ちゃんが「スキヤキ」で全米1位に輝く直前の1位で、

「スキヤキ」が1位だった3週間、2位の座に留まっていたのは、

17歳のレスリー・ゴーア歌う「涙のバースデイ・パーティ」。

ということで、我がブログは逆に九ちゃんからレスリー・ゴーアへバトンタッチ。

ビルボードの記録を見ると、

彼女のHOT100チャートイン19曲のうち、10代でのヒット曲は16曲、

トップ10ヒットの4曲はいずれも17歳の時。

いわば“尻すぼみ”のアイドル・シンガーだったのですが、

今夜紹介するのは、一度興味を失ったボクの元へ彼女が戻ってきてくれた、

19歳の時の2曲なのです。

これがまた奇遇なのですが、この2曲いずれも羅列型タイトル。

65年8月全米13位は、「Sunshine,Lollipops and Rainbows」、

邦題は「サンシャインとレインボー」。

ちょっと舌っ足らずな声が魅力のウキウキ・ソングです。

続いてチャートインしたのは、同10月全米32位、「My Town,My Guy And Me」、

邦題はそのまま「マイ・タウン・マイ・ガイ・アンド・ミー」。

作者陣には彼女自身の名前もクレジット、

これまたボク好みのアイドル・ソングなのです。

一般論として、音楽的には評価の低いガールズ・ポップですが、

ヒットチャートの徒花、きれいに咲いた徒花だと主張するボクなのであります。

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