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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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ビルボード史上、二大アーティストと言えば、

誰迷うことなく、エルヴィス・プレスリーとビートルズということになる。

その二大巨匠がカバー・ヒットさせた曲のオリジナルを探った。

まずは、プレスリー。

56年8月から11週間も1位を続けた両A面、「冷たくしないで」の片割れ、

リーバー&ストーラーの「ハウンド・ドッグ」、

そのオリジナルは、53年、ビッグ・ママ・ソートンの大ヒット曲。

そして、ビートルズ。

64年ビルボード2位ながら、キャッシュボックスでは1位、

ミリオン・ヒットとなった「ツイスト・アンド・シャウト」、

そのオリジナルは、62年全米17位、アイズレー・ブラザーズ、

と、思っていたけれど、実はそうではなかったのです。

その前年の61年、デトロイト出身のデュオ、トップ・ノーツがB面リリース、

その上、プロデューサーは若きフィル・スペクター、アレンジャーはテリー・ランダッツォ、

なのですから、コレクターには涙もの。

しかし、どちらにしても、プレスリーやビートルズのバージョンを聴いてしまうと、

これらのオリジナルも色褪せて聞こえる、

少し申し訳ない気分で楽しんでしまいました。

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我が町にサーカスがやってきた。

と言っても、「Mr.サマータイム」がやってきたわけではない。

ちょっと仕事で関わっている関係で、

初日、満員の観客の中で見ることができた。

ボクが本物のサーカスを観るのは初めて、

パフォーマンスの凄さ、ショーの美しさはもちろんだけれど、

会場のお客さんと一体となった盛り上がりは最高!

とても楽しいひとときだった。

さて、この感動をブログに書かなくては・・・、

と、サーカスのレコードを探しました。

いやぁ、あるもんですね、ボクのコレクションも捨てたものではない。

もう覚えてもいませんでしたが、

♪~ 町にサーカスがやってきた ~♪

みなみらんぼうさんの詞はぴったりではありませんか。

木ノ葉のこ、「サーカス」、78年のレコードです。

上から読んでも“このはのこ”、下から読んでも“このはのこ”、

テレビでよく見た時期がありましたね。

さて、サーカス、ポップサーカス愛媛公演、もう1度行ってみようと思う。

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ボクのコレクションのキモのひとつは、60年代初頭のガールズ・ポップ。

それらの歌の多くは、恋に悩む女の子の情景を歌っている。

例えば・・・なんて、例をあげる気にもならないほど、枚挙にいとまない。

レコード棚をペラペラしていたら、

目に止まったのは“あいつ”の歌。

“あいつ”・・・・・・、“That Boy”である。

まずは、エリー・グリニッチ&ジェフ・バリーのレインドロップスのカバー、

彼らのLPからのピックアップは、

「That Boy Is Messin’ Up My Mind」。

63年、歌っているのは、ガールズ・グループ、オーキッズ。

このシングル、どちらがA面なのか定かではないけれど、

カップリングは、キング&ゴフィンの「The Harlem Tango」。

うれしくて、貴重な、豪華な1枚なのである。

もう1枚は、「That Boy’s Gonna Be Mine」。

64年、歌うのは、「渚の片想い」の一発屋、ダイアン・レイ。

何度も書きますが、ちょっとザンネンなアイドル・シンガーだけれど、

曲と歌声は最高、大好きなシンガーです。

オーキッズを取り上げるのは初めてですが、

ダイアン・レイ嬢の曲はもう何枚かアップしたのです。

興味ある方は、当ブログの左下方の“ブログ内検索”で、

“ダイアン・レイ”と入力の上検索してみてください。

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未整理だったレコード群の中から出てきたシングルをもう1枚。

モップス、終盤期の73年のリリース、「晴れ、時々、にわか雨」。

GSの時代は既に終わりを告げ、

アイドルGSとは距離をおいていた実力派のグループ、モップスが、

その意に反して、流行りのフォーク・ソングっぽい曲にチャレンジ、

タクローっぽい曲ですが、詞は阿久悠先生、曲は星勝。

“晴れ、ときどき・・・”とくれば、

避けては通れない「晴れ、ときどき殺人」。

“殺人”と書いて“キル・ミー”と読む。

84年、我が高校の後輩、井筒監督作品の角川映画の主題歌です。

映画自体は見たことがありませんが、

歌っているのは、この映画に主演した渡辺典子。

“殺人”なんてタイトル、ラジオなんかではかけにくいと思うのですが、

だからこその“キル・ミー”なのでしょうね。

原作本のタイトルは“さつじん”だと思うのですが、

作詞者・阿木燿子さんの配慮なのでしょうか?

“殺人”タイトルといえば、ベンチャーズの「10番街の殺人」を思い出しました。

“天気予報”タイトルなら、久保浩さんの「雨のち晴」を思い出しました。

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“何故、動物の世界だけ雄が雌よりも派手に着飾っているのだろうか?

 この素朴な疑問が、このレコードの発想点です。

 ライオンの堂々たるたてがみ、おしどりやキジのすばらしい色彩等は、

 すべてオスの所有するものであり、この動物界の法則の典型が、

 ピーコック、即ちくじゃくというわけです。

 われわれ人間もこれからはどんどん美しく着飾ろうではありませんか。”

このレコードのライナーノーツに書かれた考え方が、

68年当時、ファッション界で“ピーコック革命”といわれ、

それに便乗した形でデビューしたのがこのピーコックスだった。

そのデビュー・シングルがこの「レッツ・ゴー・ピーコック」。

今まで聞いたことがないくじゃくの鳴き声のようなコーラスだけが

印象的で、特筆すべき価値の歌で、

ボクはB面の「恋のピーコック」が欲しくて買った、と記憶している。

未整理だったレコード群の中から最近出てきてちょっと嬉しかった1枚、

早速、一年ぶりのカルトGS特集と相成りました。

ドラマーの北原譲二の甘く歌い上げるエレキ青春歌謡、

小林亜星作詞・作曲の「恋のピクニック」、

久しぶりに頬をゆるめながら楽しむことができました。
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もう老い先も短いし、そんなに裕福でもないのだから、

レコード・コレクションもホドホドに・・・、

なんて、神の声も聞こえてきそうな今日この頃ですが、

ある一定の曲に出合ったら、ボクの“欲しがり病”が頭をもたげるようです。

それは、“似た曲”。

まったく知らなかった曲なのに、

何かの拍子に聞いた曲、ふと出合った曲が、あの有名なオールディーズに似ていたとしたら、

それはもう、そこからボクのコレクションのターゲットとなるのです。

ボクのコレクションには不可欠、という使命感に燃えるのです。

まずは、63年全米14位、ディッキー・リーの「I Saw Linda Yesterday」、

邦題「いとしのリンダ」。

これは61年の№1、ディオンの「悲しい恋の物語(浮気なスー)」に似ている。

他にもよくあるパターン、トリビュート・ソングなのですね。

次の1枚はちょっと違うパターン。

どこで聞いたのかは忘れてしまったけれど、そのイントロに耳が止まった、

あれ?これどこかで聞いたことあるぞ!

そのイントロは、60年全米11位、ジョニー・バーネットの「Dreamin’」、

邦題は「夢にみる恋」。

歌っている人も曲名もわからず、いやぁ長い間探しました。

探し当てたその曲は、アニタ・カーターの「Stop (Being Mean To Your Baby)」。

アニタは、いにしえのカントリー・バンド、カーター・ファミリーの三人娘の末っ子で、

マザー・メイベル&カーター・シスターズとして活躍したカントリー・シンガーです。

やっと探し当てたものの、この曲の詳しいデータは手に入りませんでしたが、

マーキュリー・レーベルのレコード・ナンバーから、

64年秋から65年夏の間にリリースされたものだと推定できます。

カントリーに詳しい人の情報をお待ちしています。

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ちょっぴり暇なお休みの日には、妙に聴きたくなるアルバムがある。

『フォークル大百科事典』、

収録の14曲でフォークルの歴史がわかる、かどうかはあやしいものだけれど、

平和だった高校時代に浸れる。

フォーク・クルセダーズは、

おなじみの加藤、北山に加えて、平沼、芦田の4人でスタート、

芦田がヨーロッパ無銭旅行のために抜け、その解散コーサートで世に出た。

残った平沼はデビューすることを拒否したため、

端田を加えて、期限付きのプロ・デビューとなったのである。

このLPでは、芦田の歌声や平沼のピアノも聴くことができる。

さて、A面7曲目「フォークル節」の歌詞はこのLPのライナーノーツにはない。

また、歌詞の最後は、♪~ゲゲゲの鬼太郎 ご登場~♪なのに、

ここで終わっている。

そこで、コンパクト盤EPの登場となる。

「フォークル・ハレンチ口上~フォークル節」から「ゲ・ゲ・ゲの鬼太郎」へ。

歌舞伎の口上から始まり、「ラ・バンバ」や番場の忠太郎の寸劇、

マンガ・トリオの漫才のコントを挟んでの「フォークル節」、作詞は永六輔さん。

語ればまだまだ長くなりそうなので、今夜はこの辺で。

ついでに、フォークルのコンパクト盤をもう1枚楽しみました。

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♪~ In my room, way at the end of the hall ~♪

トッカータとフーガ・ニ短調、重々しいパイプ・オルガンのイントロに続いて、

スコットの憂いを帯びた低音、

いままでにいったい何度この歌いだしを真似ただろう。

ボクが高校生の頃、日本中にブームを巻き起こしたウォーカー・ブラザーズ、

その一番のきっかけとなった楽曲、「孤独の太陽」。

66年8月にリリースされたLP『ポートレイト』の1曲目で、

イギリスやアメリカではシングル・カットされなかったのに、

この1ヵ月後には、日本でのみシングル発売された。

しかし、この曲にもオリジナルがあった。

66年1月にリリースされ、全米62位を記録したヴァーデル・スミス盤。

ウォーカーズ日本盤のライナーノーツにもこれがオリジナルだと書かれている。

しかし、同じ1月にもう1枚「In My Room」がシングル発売されている。

そのアーティストはあのコニー・スティーヴンス、

キング&ゴフィンの「Don’t You Want To Love Me」のB面として。

さて、どっちがオリジナルなんだ?

A面ヒットしたヴァーデル・スミスか、それともコニー・スティーヴンスか・・・?

レコード・センターの作者表示は少し違うけれど・・・。

原曲は、Prietoによって書かれたスペインの歌だというから、

その表示がしっかりしているヴァーデル・スミスが少し有利なようですね。

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日本では“誰もが”・・・、というのは過言ですが、

この曲を、いや、この手拍子と掛け声を初めて聞いたのは、

ベンチャーズの演奏だったのではないでしょうか。

ベンチャーズがコンパクト盤をリリースしたのは65年秋、

ボクが買ったのは高校生の頃ですから、67年だったと思います。

Let’s Go!

今や完全に日本語化した応援のフレーズ、「レッツ・ゴー」。

オリジナルは、62年全米19位、ルーターズ。

このルーターズ盤は、輸入盤だったせいもあるのでしょうが、

ベンチャーズのそれとは迫力が違ってびっくりしたことを覚えています。

今あらためて聴き比べても、その印象は強く、

手拍子と掛け声とドラミングが印象的です。

比べて、ベンチャーズ盤はギターが目立っている感じです。

昔、何かの雑誌で読んだのですが、

ルーターズはスタジオ・ミュージシャンで録音したもので、

ドラムはハル・ブレイン、ピアノはレオン・ラッセル、というおなじみのメンバーで、

“なら、むべなるかな”、って思ったことも覚えています。

ボクは音痴ですから、

なかなかこの手拍子、合わせられないんです。

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ブリティッシュ・インベイジョンの時代のイギリスのグループのヒット曲には

カバー・ソングが多い。

あまりに魅力的にアレンジし、歌い上げるものですから、

彼らのバージョンがアメリカでもヒットしてしまうものですから、

いつの間にか、彼らのバージョンがまるでオリジナルかと思われてしまう。

そんな曲のひとつが、ホリーズの「アイ・キャント・レット・ゴー」。

66年3月全英2位、5月全米42位なのに、

日本では次のヒット曲「バス・ストップ」のB面に甘んじてしまった不運な曲。

この、グラハム・ナッシュの高音が見事なヒット曲にもオリジナルがある。

作者のひとりチップ・テイラーは、

66年全米1位、トロッグスの「恋はワイルド・シング」の作者としてもおなじみ。

オリジナル・シンガーは、アメリカのシンガー・ソングライター・ギタリスト、エヴィー・サンズ。

65年、BLUE CAT レーベルからのリリースでした。

そして、ホリーズの「アイ・キャント・レット・ゴー」をカバーしたのは、

オールディーズのリヴァイヴァルがお得意のリンダ・ロンシュタット、

80年全米31位のヒットとなりました。

「I Can’t Let Go」、“君を手放したくない”とでもいう意味なのでしょうか。

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アイドル・竹内まりや、7枚目のシングルは、81年4月、「イチゴの誘惑」。

彼女のアイドル・ソングの中でボクが最も好きな1枚です。

見てください、このレコード・ジャケット、

見事にアイドルです。

そして、聴いてください、その歌詞とメロディ、

見事に60年代ガールズ・ポップです。

作詞は松本隆、作曲と編曲は林哲司。

B面「悲しきNight&Day」、作詞・作曲は竹内まりや、編曲は山下達郎、

聞きようによっては、タツローへのラブレター・ソングでした。

8枚目は81年9月、竹内まりや&タツローの「スペシャル・デリバリー」、

B面「Crying All Night Long」、まりやの英詩と伊藤銀次が作・編曲。

9枚目は81年12月、まりや自作の英詩CMソング「ナチュレ」、

B面はNHKみんなの歌、加瀬邦彦作曲「アップル・パップル・プリンセス」。

これが独身最後のシングルとなり、82年4月に結婚、ソングライター・専業主婦生活に。

そして、84年4月3年ぶりのシングルはタツローのムーン・レコードから。

作詞・作曲、竹内まりや、編曲、山下達郎の“まりや節”の名曲をリリース。

A面はテレビドラマの主題歌「もう一度」。

B面はCMソングとしての「本気でオンリー・ユー」、

この曲は、副題(Let’s Get Married)の如く、

今も変わらぬ結婚ソングのスタンダードとなるのである。

こうして、彼女はシンガー・ソングライター・専業主婦として今日に至るのであった。

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ずっーと、ずっーと欠かさずに聴いていた『サンデー・ソングブック』でしたが、

ここしばらくはご無沙汰していました。

ですが、ここ2週は久しぶりに聴けることとなり、

日曜午後2時、FMにチューニング、すると“夫婦放談”でした。

竹内まりやがデビューした当時は、

後にこんなにすごいシンガー・ソングライター・専業主婦になるとは夢にも・・・。

タツローの奥様になるなんてことも・・・。

ボクの中ではアイドル枠の歌手で、

コレクション棚には、天地真理、アグネス・チャン、松田聖子、渡辺満里奈と並んで、

シングル・レコードが集約されています。

デビューは78年11月、紹介済みの「戻っておいで・私の時間」。

時系列で・・・、と思ったのですが、

やっぱり9月ですから、3枚目79年8月の「セプテンバー」から。

松本隆・林哲司、コーラスはEPOですが、

B面「涙のワンサイデッド・ラヴ」は、詞も曲も自作で、アレンジとコーラスは山下達郎。

翻って、79年2月2曲目は「ドリーム・オブ・ユー」、竜真知子・加藤和彦。

B面「すてきなヒットソング」はやっぱり作詞・作曲は竹内まりや。

4枚目、紹介済みの「不思議なピーチパイ」を挟んで、

5枚目は80年7月の「二人のバカンス」、竹内まりや作詞、作・編曲は林哲司。

B面はやっぱりまりや作詞・作曲でした。

6枚目は80年12月「スウィーテスト・ミュージック」、

LA録音、全部英詩という大変化球、B面「モーニング・グローリー」は山下達郎。

ふたりが結婚するまではまだ少しの年月が必要でした。

続きは近々。

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