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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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朝、目覚し時計が鳴った後、ラジオから聞こえてきたのは、

小林麻美「雨音はショパンの調べ」。

外は雨、寝床の中で聞く雨音はショパンの調べ?

クラッシックに疎いボクですから、

ショパンがどんなんか知らないものですから、

よくはわかりませんが、きっとこんなんなのでしょう。

えっ、なぜクラシックに疎いか、ですって?(誰も訊ねてないかもしれないけれど)

ボク、どうも長い曲は苦手なものですから。

この曲が流行った84年頃は、洋楽に興味を失っていた頃ですから、

この歌を小林麻美のオリジナルだと思って聞いていました。

10代で「初恋のメロディー」や「落葉のメロディー」を歌って、

もちろん、ボクのコレクションにもありますから、

このブログにも書きましたが、

そんな元アイドルの彼女が30歳になっての大ヒットなのですから、

ちょっぴりうれしくて、持っていたかった1枚なのです。

タイトルといい、歌詞といい、日本語詩を担当したユーミンの功績や大。

「I Like Chopin」、オリジナルはイタリアの歌手、ガゼボ。

イタリア、ドイツ、スイス、オーストリアでの№1なんですって!

雨がやんだ夜になって、あらためて聴く「I Like Chopin」、

ヨーロピアン・ポップスとしてはイイ感じですが、

雨にはそんなに似合わないような気もします。

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さて、渋谷で最初に行ったもうひとつの中古店は、

シングル盤は多くなく、そう500枚ぐらいしかありませんでした。

だから、すべてに目を通すことができたのですが、

目についた3枚を買うことにしました。

その中の興味深い1枚は、エヴァリー・ブラザーズの名曲、

58年全米・全英№1ソング「夢をみるだけ」のカバー。

演っているのはニッティー・グリッティー・ダート・バンド。

前にも書きましたが、彼ら松山に来たのですよ。

ボクは見にゆきました、そして感動しました、とても楽しいライヴでした。

そして、2枚組のライヴ盤LPを買いました、

「Stars And Stripes Forever...」、

邦題「星条旗よ永遠なれ!」。

ボクの記憶では、ライヴに行ったのは73年夏、

そして、このLPは会場で買った、と思っていたのですが、

調べてみたら、このLPの発売は74年。

とすれば・・・、

ボクがライヴに行ったのが74年夏だったのか?

それとも、このLPはその会場で買ったものではなかったのか?

そんな疑問が芽生えてしまった次第。

とにもかくにも、NGDBは素敵だ、

カントリーに疎いボクでも好きになってしまう、

とてもカッコいい「夢をみるだけ」を楽しむことができました。

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先日、久しぶりに行った渋谷の中古店は、

一日限りの“まとめ買いセール”開催中で、シングル盤10,000枚大放出。

しかし、なのですよ、行ってみたらズラ~と並べられているだけで、

ジャンル別に整理されているわけでもなく、片っ端から見てゆくしかない状態。

家内を駅前で待たしているので30分ぐらいしか時間的余裕のないボクは、

任意でいくつかの列をチェックするしかありません。

せっかく来たのですから、探しているモノがなくても何か買うのが礼儀。

そんな時、前から持っていた71年全米9位アンディ・ウィリアムスの「ある愛の詩」の、

日本語盤を発見、2~3枚後に今度はペギー・マーチの英語・日本語カップリング盤が、

次の列をチェックしているとインスト盤が・・・、ルネ・クレールだけど。

この出合いも必然、まとめて買っておくか・・・、てな次第。

帰って調べたら、

アンディの英語盤リリースは71年1月、2月にルネ・クレール盤がリリース、

3月にペギー・マーチの英語・日本語カップリングがリリース、

アンディの日本語盤は4月のリリース、だったのです。

ペギーの日本語盤とアンディの日本語盤の歌詞はまったく同じ、岩谷時子。

アンディの英語盤のB面はジョージ・ハリソンの「サムシング」で、

アンディの日本語盤のB面もジョージの「マイ・スウィート・ロード」、

おもしろいですね。

“愛とは、決して後悔しないこと”、

“コレクションとは、ちょっぴり後悔すること”。

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当時は、タイガースよりテンプターズが好きだった。

松崎さんの“泣き節”と、ショーケンの“カッコよさ”の二本立て。

先日テレビのバラエティ番組でショーケンが語っていた、

ある時期からイヤでイヤでしょうがなかった、と。

イヤになったのはもう少し前からだとしても、

歌わされていた上に、ヒットが出なくなった69年末に、

実質的にはショーケンのソロといえるシングルがリリースされた。

日本初のメンフィス録音のLP発売に先駆けてのシングル、

「エブリバディ・ニーズ・サムバディ」。

外国人の作詞・作曲のオリジナルで、松崎さんが訳詞を担当、

バック演奏やコーラスはメンバーではなく、現地のミュージシャン、

もはや、テンプターズのかけらもなく、

ショーケンのカタカナ英語がちょっと笑える。

そして、70年春にはオーケストラと合唱団をバックに「復活」を歌い上げたが、

もはや、GSでもなく、“復活”とはならず、

続いて夏にはフルバンドをバックに「出来るかい?出来るかい?」なんて、

歌ってみたけれど、やっぱりなんにも“出来ず”に・・・、解散するしかなかった。

別にショーケンが望んだわけではないけれど、いろいろ足掻いてくれました。

解散後、ジュリーとツイン・ボーカルのスーパー・グループPYGでのソロ、

71年の「もどらない日々」でちょっぴりショーケンらしさを見せた、のかな。

さて、その後、幾多の変身や活躍や事件を経て、今なお健在、

同級生でもあることだし、ボクには今も、大好きなアーティストのひとりです。

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今年のバレンタイン・デーは・・・、土曜日?

東京で甥の結婚式でした。

渋谷駅ハチ公口から歩いてマルイシティ前へ、

♪~ シャラララ 素敵にキッス ~♪

どこかのアイドル・グループが、定番「バレンタイン・キッス」を歌っている。

何年たっても、バレンタイン・デーには、やっぱりこの歌が似合う。

重い荷物を持ちながらも、♪~今日は 特別 スペシャルデー~♪

口ずさみながら結婚式場へ。

そして今日15日は、久しぶりに原宿、竹下通りから表参道へ、ブラブラ、ショッピング。

続いて渋谷へ、これまた久しぶりに中古レコード屋さん巡り。

家内と一緒でしたから、あまりゆっくりもできませんでしたが、

そこはそれ、数枚を儀礼買い。

これらの紹介はまたの機会として、

今夜は、バレンタイン・デーとチョコレートの起源といわれているモロゾフからのプレゼント、

バレンタインデーの詩「2月14日のカレンダー」。

歌うは“ケンメリ”のバズ、青山六郎作詞・木田高介作曲の非売品ソノシート、

70年代の、2月14日が木曜日だった年の作品です。

さて、いつものように、義理とはいいながら、チョコをいただいた皆様に、

心より、ありがとうございます。

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小学生の頃、夏休みの宿題の絵日記に苦労したことがある。

終わり頃になってまとめて書こうとするものだから、

当日がどんな天気だったのかわからない。

いまでも絵日記の宿題ってあるのでしょうか?

洋楽のオールディーズで“日記”といえば・・・、

ニール・セダカの「恋の日記」と、バリー・ダーベルの「なみだの日記」。

ボクでしたら、ここに、あと2曲ほど加わります。

65年、フランス・ギャルの「涙のシャンソン日記」。

原題は「Attend Ou Va-t’en」、

“日記”とは少しも関係なく、“ここにいて、いいえ、行ってしまって”って意味、

カワイイ声で繰り返される、韻を踏んだ歌詞♪~アトゥン ウ ヴァトゥン~♪が印象的です。

「涙のシャンソン人形」の“2匹目のドジョウ”が「涙のシャンソン日記」だったのでしょう。

もう1曲は、61年、キャロル・コナーズの「マイ・ダイアリー」。

キャロル・コナーズはボクの日記(ブログ)に再々登場する大好きな歌手で、

スペクターのテディ・ベアーズの紅一点。

当時、彼女がソロ名義でリリースしたシングル・オンリーのレアな1枚。

ガールズ・ポップのお約束、シャララ・コーラスとセリフ入り、大好きです。

心に余裕のある夜はガールズ・ポップに限ります。

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07年12月、砥部焼の実用プロモーションのためニューヨーク出張したことがある。

そのプロデュースをお願いした世界的なアートディレクターの先生が、

砥部に来られている、というので、喜び勇んで砥部へ。

あれからもう7年も経つのですね。

それからも数回、東京や、松山や、砥部でお会いしているけれど、

今回は3年ぶりかな?

余談ですが、あの時泊めていただいたご自宅は、

マンハッタンからフリーウェイを3時間程北に行ったところ、

キャッツキルという自然豊かな山の中にあった。

敷地の中を川が流れ、夏には釣りも楽しめるというけれど、

ボクたちがお伺いしたのは12月、

朝目覚めたら一面雪景色で、

道には動物や鳥の足跡が残っていたことを思い出す。

さて、今日、砥部からの帰り道、ボクの頭の中に流れていた曲は、

81年全米№1、クリストファー・クロス「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」。

原題は「Arthur’s Theme」、映画『ミスター・アーサー』のテーマ曲。

どんな映画だったかは知らないけれど、バート・バカラックのメロディと、

クリストファー・クロスの顔に似合わない高くやさしい歌声は覚えている。

ああ、また、ニューヨークへ行きたいね。

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ここにある1枚の輸入盤、

John Mobleyの「Tunnel Of Love」、

A面は(Part1)で、B面は(Part2)。

62年のリリースで、迫力抜群のロックのようなドゥワップのような曲。

しかし、このジョン・モブリーという人が何者なのか、

このレコードが、いつ、どういう経緯でボクの手元にあるのか、

珍しく、まったく思い出せない。

しかし、もちろん、ボクの好きなテイストの曲である。

“Tunnel”は、中学生の時“タンナロ”と発音するのだと習った。

日本では“トンネル”なのにね。

ダイナマイツの「トンネル天国」は、♪~トンネルぬけて、トンネルぬけて~♪で、

♪~タンナロぬけて、タンナロぬけて~♪ではおかしいものね。

先日、リバプールあたりでは、英語の発音はローマ字読みに近い発音なんだと聞いた。

とすれば、Tunnelはさしずめ、“チュンネル”なのだろうか?なんて、

そんなことを思いながら、パート1とパート2、とても楽しめました。

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こんな聞いたこともない曲のレコードはいらないのですが、

中古レコード・セールで見つけて思わず買ってしまいました。

74年、しのづかまゆみの「パパはもうれつ」。

一時(いっとき)ものまね歌合戦で“ものまね女四天王”のひとりとして人気を博した

あの篠塚満由美、実は『スター誕生』のグランドチャンピョン、

阿久悠・中村泰士という大物による彼女のデビュー曲なのでした。

なぜ買ってしまったかと言うと、

ボクの娘と息子がまだ幼稚園児だった頃、

働き盛りのボクが目指していたのが、“もうれつ社員で、マイホーム・パパ”になること。

そんなことを思い出して思わず・・・という次第。

先日、孫娘の幼稚園の運動会に行った時、ゆっくり考えてみたら、

ボクには子供たちの運動会やクリスマス会に行った記憶はまったくない。

家内に言わせれば、なんのことはない、ただの“もうれつ社員”だったことを確認。

人間の記憶なんて、自分の都合のいいように変わってしまうのだなあ、

と、笑って済ませたのであります。

この歌、実際に聴いてみたら、

娘に干渉しすぎるパパ、だけどダイスキ!なんて曲。

娘は可愛がったけれど、

彼女の結婚式で泣かなかった冷静なボクとはちょっと違うシチュエーション。

それにしても・・・ボク、マイホーム・パパじゃなかったのかなぁ~。