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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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末っ子ジミーの日本での人気をきっかけに、

オズモンド・ブラザーズは日本でも人気者になった。

オズモンド兄弟は八男一女、長男と次男は別の道へ、

59年、三男アラン、四男ウェイン、五男メリル、六男ジェイで結成。

62年に4歳の七男ダニーを加えて、これが正式な“オズモンズ”なのです。

ですから、70年にウェインが日本語で歌った「シャ・ラ・ラ」では、

♪~シャ・ラ・ラ シャ・ラ・ラ~♪の合いの手で7歳の八男ジミーが加わったため、

そのクレジットは、ジミー・オズモンドとオズモンド・ブラザーズとなっている。

そして、ステージ衣装も違う。

B面「ヤング・ラヴ・スイング」はジミー不在、

本来のボーカリスト、メリルの日本語を楽しめる。

リード・ギターはアラン、サイド・ギターはウェイン、

ベースで主にリード・ボーカルをとるのがメリル、

ドラムはジェイ、ダニーはキーボード、と楽器もできる、

もちろんコーラスはお墨付きで、アンディ・ウィリアムスに可愛がられた。

彼らの中でソロとして最も成功するのはダニーで、

2歳下の長女マリーとのデュエットでも活躍するのである。

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“空気は運びたくない、一番高価な荷物だから。”

最初に勤めた広告会社の、師と仰ぐべき先輩、

彼が書いた、システム梱包会社の広告コピー。

彼は当時四国で一番のコピーライターであった。

アル中ではあったが、真摯な広告人で自由人、うらやましくもあった。

ボクにはマネはできなかったが、あんな生き方もありだな、と今になって思う。

彼が松山に転勤してきて、広告表現や販売促進の手法を学んだ。

しかし、その荒れた生活が原因でリタイアし、

ボクが彼の後釜として、営業マンから企画マンに転身した。

今夜、その広告会社の歓送迎会に出席していて、こんなことを思い出していた。

企画マンに転身した頃、街に流れていた曲は、

前年の暮れにリリースされたテレビ番組の挿入歌、

『欽どこ』、わらべののぞみ・かなえ・たまえの三つ子の姉妹が歌う「めだかの兄妹」。

有名なアーティストでなくても、歌が上手くなくても、

毎週繰り返し繰り返しテレビで流すのだからヒットしないはずはない。

その一年後には「もしも明日が・・・」がリリースされたが、

わらべの長女のぞみちゃんは“ニャンニャン事件”で番組を去り、

兄の見栄晴たちのサポートで歌うこととなった。

話の主題が変わってしまったけれど、懐かしく昔を思う夜である。

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♪~ ドライヴウェイに春が来りゃ イェエエエィエィ イェーイエイ

    プールサイドに夏が来りゃ イェエエエ イェイイェイエィ ~♪

あの、たどたどしさが魅力的だった彼女の日本語を

久しぶりに聞いた。

テレビCMで歌って踊る美しくてかわいい彼女を見たのは66年。

あれから5年、71年5月8日に来日した彼女は、

自ら望んで日本語の歌を歌いたかったのだという。

そして、この2曲がオーダーメイドされた。

レコーディングは5月24日と25日。

A面は「恋人時代」、作詞は山上路夫、作曲は村井邦彦、

アップテンポの明るい曲である。

B面は「女の時間」、作詞は安井かずみ、作曲は鈴木邦彦、

対称的に、しっとりとしたバラードである。

なんの予備知識もなしにこの歌たちを聞いたら、

きっと日本人の新人歌手が歌っている、と思えるほどの、

すごい日本語力である。

あの、レナウンのCMのシルヴィ・バルタンだとは気づかないような、

本当に上手な日本語である。

思ったほどヒットしなかったと記憶しているけれど、

ボクの中では、結構なヒットだったのです。

(まったく関係のない話ですが、あまりに懐かしくて、

 このシングルのRCAの内袋のデザインをアップしました)

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オールディーズのレコードをコレクションしていると、

避けては通れない議論があります。

それは、君はオリジナル派か?カバー派か?ってこと。

基本的に、カバーする人はオリジナルを聴いてから、

アレンジしたり、歌ったりするのですから、

より時代に合致したり、より洗練されてゆくわけですから、

よくなって当たり前、だと思うのですが。

あの大御所タツローさんはいろいろカバーしてますが、

自分では“オリジナル派”だって言っているのを聞いたことがあります。

63年12月から64年1月にかけて、

「ドミニク」と「ブルー・ファイアー」に阻まれて№1になれなかった、

“誇り高き№2”、キングスメンの「ルイ・ルイ」の国内盤ジャケットには、

この曲はリチャード・ベリー作詞・作曲のキングスメンのオリジナルだ、

って書いてますが、57年にベリー自身がレコードを出しているのですから、

やっぱり彼のレコードがオリジナル。

音源の状態がいいからというので迷った末選んだ再発盤で聴いてみました。

まるでフォーク・グループのようなジャケット写真のキングスメンですが、

その歌い方はR&Bタッチで黒っぽく、♪ァルワィルワィ♪って歌いだし。

同じ時期にカバーしたポール・リヴィア盤は、少し柔らかく♪ルイルイッ♪、

オリジナルのベリー盤は、もっとさわやかに、はっきりと♪ルイルイ♪。

この曲に限っては、ポップス・ファンのボクは、オリジナル派だと言えます。

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この歌手のこの曲は、絶対に初版の国内盤でなくては!

そんなこだわりがあるかと思えば、

ただレコード音源さえあればどんなレコードでもOK!

そんなこだわりの薄い曲もあります。

好きな歌手だから?そうでもない歌手だから?

好きな曲だから?そうでもない曲だから?

そんな一貫した理由ではなく、気まぐれなフィーリング、

その時々の気分、レコード・ジャケットの出来栄え、

そんな勝手な理由なのです。

eBayで偶然出合ったスー・トンプソンのオランダ盤は、

61年全米5位の「悲しきスクリーン」と、

62年全米3位の「ノーマン」、

そんな彼女のチャート・ヒット2曲が入っているEP盤。

レコード・ジャケットの魅力と、4曲入りなのに45回転、ってとこがお気に入り。

ですから、斜め座りの裏ジャケもアップしました。

彼女は26年生まれなので、この2曲は30代半ばの時のもの、

なのに、その声はまるで10代といっても過言ではないお気に入りのガール・ポップ。

大好きな「悲しきスクリーン」=「Sad Movies」は、

輸入盤シングルもコレクション・アイテム。

なぜなら、そのB面は「Nine Little Teardrops」、

ボクの好きなカウンティン・ソングにして、涙タイトルものなのですから。

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“知っちゅー?”とか、“頑張っちゅーきに”とか、

大学時代に聞き慣れた高知弁。

松山の大学には高知出身者も多く、友だちもたくさんいた。

ボクは奈良出身なのですが、柳生という奈良の“高地”の出身ということで、

毎年参加している高知県人会でも飛び交う懐かしい言葉。

といえば、思い出すのは南野陽子。

というわけで、比較的新しいアイドルで恐縮ですが、

彼女の10枚目のシングルにして、5枚目のオリコン№1ソング、

87年末の「はいからさんが通る」となるわけなのです。

♪~ 凛々しく恋してゆきたいんです 私

    傷つくことに弱虫なんて乙女が すたるもの

    ややこしいかけひきは苦手です 私

    晴れた 空が 好きーです ~♪

80年代アイドルはコレクションのサブ・ジャンルなのですが、

この曲はとても好きです。

彼女の曲、ついでにもう1枚ありました。

続いての11枚目のシングルで、彼女最大のヒット曲、「吐息でネット」。

88年春のカネボウのCM、♪~吐息ーでネット~♪、

覚えてます?

はい、そこしか覚えてません。

高知、今年こそ、日曜市で、さつまいものてんぷら食べたいぜよ。

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72年にラングラーの女性用ジーンズのCMで広まった“ギャル”は、

平たく言えば“Girl”、女の子のことなのですが、

今使うとダサイ人のように思われてしまう。

当時は最先端のカッコイイ言葉だったのに、ああ!もったいないね。

そんな“ギャル”の魅力をいっぱいに漂わせたフランスの女の子、

だからってわけでもないのでしょうが、フランス・ギャル。

本名は、イザベル・ジュヌヴィエーヴ・マリ・アンヌ・ギャルですから、

山本さんが、山本日本という芸名で歌うようなものなのでしょうか。

♪~ 夢に見た王子様 白い馬に乗って

    宮殿の森をぬけ 迎えに来たの ~♪

なんて、童話の世界のような日本語詩は安井かずみさん。

「すてきな王子様」、66年7月にフランス語のオリジナル盤が発売されて、

すぐに中尾ミエさんが日本語カバーして、

8月にはフランス・ギャルの日本語盤が発売されたのでした。

他の外国人歌手とまではいきませんが、まあまあ流暢な日本語は、

彼女独特の声で、メルヘンな歌詞の内容と相俟ってとてもカワイイ。

1年前の65年9月の「夢みるシャンソン人形」の日本語盤と比べたら、

飛躍的な成長ぶりですね。

外国人が歌う日本語カバー、ボクの大好きなコレクション・ジャンルです。

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さて、今夜は何を聴こうか?なんて、

未整理だった邦盤をめくっていると、“こんなん出てきました”。

大好きなモコ・ビーバー・オリーブが「わすれたいのに」を歌っている頃、

やたらと暗い歌を歌う女性DJがいた。

時々しか聞かない深夜放送『走れ歌謡曲』のDJだった兼田みえ子、

この歌だけが印象に残っていて、ずっと後になって中古セールで買った。

69年の「私もあなたと泣いていい?」。

せつない、というか、なんとなく悲しい気持ちになる歌で、

今となってはそんなに聞きたくもないけれど、

深夜にラジオから流れてくるというシチュエーションでは、

聴き入ってしまうような不思議な歌であった。

そんな悲しい歌を歌った女性DJがもうひとりいる。

モコ・ビーバー・オリーブのビーバーのソロ・シングル。

モコがソロ・シングルをだし、オリーブが「夢で逢えたら」でブレークする間の、

76年に密かに?リリースされた「悲しい女の物語」。

本当にあの『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』のビーバー?って、

当時驚いたことを覚えている。

このレコード、あまり多く世に出ていないはずなのに、

オークションに出てきても案外安い、

そんな意味でも、“悲しい女の物語”、なのかもしれません。

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3月3日、ひなまつり、

もう娘が大きくなった今は特別なことはしませんが、

娘の家では孫娘のためにお祝いをしたようです。

さて、ひなまつりともなれば、ボクたちの合言葉は、

“ひなまつりの日には、ガール・ポップを聴こう”。

まだ出していないレコードで、ひなまつりっぽいガールものはないのか?

いやぁ、探しました。

そして、見つけました、ぴったりな1枚を。

66年4月の発売、シェイラ、日本での2枚目のシングル、

「口笛で恋しよう」。

まさに、ひなまつり向けのレコード・ジャケットです。

B面の「夢みるアメリカ」にちなんだウェスタン・ルックのシェイラ。

66年1月の「いつも青空」と、66年7月発売の「夢みるハワイ」、

この2枚に挟まれて、ラジオなどでもかからない曲です。

口笛のイントロで始まるこの曲は、

♪~ 道端で仲間に会ったら 早速口をつくのは口笛の音

    自分たちで街に流行らせたメロディー

    それが仲間同士の口笛なのよ ~♪

いつも書きますが、口笛が苦手なボクにはうらやましい限り。

軽快でリズミカルな、とても楽しい歌ですよ。

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この男たちが既存の2曲をつなぎ合わせた「悪魔とモリー」で、

66年11月に全米4位を達成したことは前に書いた。

まさに、1+1が3になることがあるのを証明したのである。

今夜紹介するのは、彼らのデビュー曲である。

チャック・ウィリスの「シー・シー・ライダー」と、

リトル・リチャードの「ジェニ・ジェニ」、

このふたつの曲をつなぎ合わせて「Jenny Take A Ride」、

邦題「ジェニ・ジェニ・No.2」は、

66年1月に全米10位、3月に全英33位のヒットを記録した。

57年全米12位、R&Bチャート1位の「C.C.Rider」で始まり、

57年全米14位、R&Bチャート2位の「Jenny Jenny」をシャウトし、

もう一度繰り返す、この単純にして魅力的な1+1は大成功だった。

このEPのB面1曲目「リトル・ラテン・ループ・ルー」は、

彼らの2曲目のヒットで、66年4月全米17位、

63年ライチャス・ブラザースのカバーだった。

話は戻るが、「Jenny Take A Ride」は、その後もう一度日の目をみる。

71年、映画『C.C.ライダー』のサウンドトラック盤として、

邦題「C.C.ライダー」のタイトルで注目されることとなった。

Ryderの歌うRider、これも何かの因縁。

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