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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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またまたフランス語のヒット・ソングを1枚。

69年6月6日にパリで発売されたエルベ・ビラールのヒット曲、

タイトルは「SAYONARA」。

8月には日本でもリリースされた。

当時はまったく知らなかったけれど、

2~3年後にラジオで聞いた。

誰もがそう思うように、日本向けの企画盤だと思ったけれど、

パリでそこそこヒットしたのだという。

日本で“グッバイ!”って言うように、

フランスで“さよなら”は通用するのだとラジオは言っていた。

フランス語の歌を聴いていたら、突然サビのところで

♪~ さーよぉーなら ~♪

なのですから、親しみやすいのは当然ですね。

曲調だって、日本の歌謡曲風で・・・。

すぐに買いに走ったけれど、手に入らず、

その後、やっぱり高円寺の中古店で見つけたのでした。
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当時はそんなに話題になったという記憶はないけれど、

ジュリーは、ソロ・デビューから4年目、

彼の最大のヒット曲「時の過ぎゆくままに」の少し前、

フランスでシングル・デビューした。

75年1月、「MON AMOUR.JE VIENS DU BOUT DU MONDE」、

直訳すると、「恋人よ、私は世界の果てからやってきた」、

邦題は「巴里にひとり」。

もうずっと前、高円寺の中古店で見つけて驚いた1枚、

フランスではまあまあヒットしたのだという。

彼のすごさは、フランス語で歌っていたとしても、

一聴してジュリーだとわかる、特徴のある声、大スターたる所以。

フランス盤リリースから遅れること4ヵ月、日本語盤が日本発売された。

そして彼は、その後77年までにフランスで5枚のシングルをリリースした。

なぜフランスで?

特にフランスに縁があったとは思えないけれど、

ボクが曲解するに・・・、

タイガース時代にアダモの「ヘイ・ジュテーム」をカバーしたことが、

そのきっかけだったのではないだろうか?なんて。

本当のところは、プロダクションの戦略だったのだろうけれど、

いろんな説を唱えて楽しむのも、ボクたちの特権。

彼のフランス語盤、全部集めよう、なんて思いませんよ。

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小さい頃から、ボクが嫌いなものは乳製品。

幼稚園の給食の牛乳はまったく飲めなかったし、見るのも嫌。

広告会社の時、乳業メーカーの担当になった時も、

訪問した際に出していただく牛乳を女性の社員さんにお願いして

ボクだけコーヒー牛乳にしてもらって、無理して飲んでいたのです。

相変わらず、いちごにかける練乳は許せないし、牛乳は絶対にダメだけど、

ここ最近、ソフトクリームや白くまも食べれるし、

フランスパンにバターを塗って食べたりもできるし、

ピザに至っては大好物。

いったいどうなってしまったのでしょう。

というわけで、今夜のレコードは、

59年、ノーマン・フォックスとロブ・ロイズの「ピザ・パイ」。

リズミカルで楽しいノベルティ・タイプのドゥワップです。

カップリングは一転ドリーミーなドゥワップ・バラード「ドリーム・ガール」。

ロブ・ロイズは56年にニューヨークで結成されたドゥワップ・グループで、

彼らの最大ヒット曲は、57年の「テル・ミー・ホワーイ」、

どこかで聞いた曲と思いきや、

後にベルモンツがカバー、61年全米18位のヒットを記録したのです。

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大学生の頃、ラジオの深夜放送で、

ペドロ&カプリシャスの歌をドイツ語で歌っているのを聞いた。

てっきりカバーだと思ったが、実はカプリシャスの方がカバーだった。

ウド・ユルゲンス、67年のヒット曲「夕映えのふたり」。

あまり興味あるジャンルの歌ではなかったから、ボクは知らなかった。

「夕映えのふたり」、ウド・ユルゲンス自身の作曲だけれど、

オリジナルのドイツ語のタイトルは「Was Ich Dir Sagen Will」、

作詞はヨーヒム・フクスベルガー、訳すると“君に言いたいことは”。

ウドのもう片面(実はA面)は英語バージョン、

作詞はマイク・ホーカー、

タイトルは「The Music Played」、“音楽は鳴っていた”。

そして、71年、ペドロ&カプリシャスのカバーは「別れの朝」、

作詞はなかにし礼。

未練のある別れ、というテーマは同じだけれど、

歌詞のストーリーは微妙に違う。

語学に堪能な方ならばもっと語れると思いますが、

まあ、ボクにはこんなところ。

先日の中古セールで「別れの朝」を見つけて、

ようやくブログへの登場となった一曲でした。

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GS華やかなりし頃、

GSをバックに従えて歌う女性シンガーが続々と登場しました。

既に紹介した黛・ジュンや泉アキ、中村晃子、小畑ミキ、

挙句の果てには大御所美空ひばりさんまで、といった次第。

そんな中で、異色の女性シンガーは、前田美波里さん。

今でこそ、”ビバリ”といえば、ビッグコミック『黄金のラフⅡ』の

主人公草太のキャディをつとめる張場美波里(はりばびばり)ですが、

ボクたちの青春時代には前田美波里さんだったのです。

66年の資生堂のポスターは今でも脳裏に浮かびます。

その彼女が、67年、シャープ・ファイヴをバックに歌ったのですから、

ちょっとした話題でした。

ジャケットは二つ折りで、長身の彼女の足の長さは驚き、

シャープ・ファイヴの皆さんの足の短さも驚きでした。

「ふたりの浜辺」、シャープ・ファイヴの演奏とコーラスにのって、

19歳の美波里さんのイメージとは違うかわいい声が・・・。

曲だけ聴いたら、歌っているのが誰か、きっとわからないと思います。

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今日、奈良ドリームランドの跡地売却のニュースに出合った。

閉園以来9年間、甲子園8個分の広大な跡地は廃虚と化していた。

ドリームランドには数回しか行ったことがないし、

ジェットコースターが怖かった印象しか残っていないが、

ボクが通っていた高校の裏山にあったから、

陸上部のトレーニングでドリームランドを周回した思い出や、

アルバイトで看板屋さんをしていた時、

正面ゲートの向いに出来たモーテル黒髪山の内装をしたことなど、

いろんなことを思い出してしまった。

松山に住んで45年経った今でも、

奈良のニュースには聞き耳を立ててしまう。

さて、あのドリームランドの跡地がどんな姿に変わるのか、

ちょっと楽しみ。

というわけで、“ドリーム”もののレコードを探す。

65年、モンキーズに入る前19歳のデイビーが歌う、

「虹のドリーム・ガール」。

“ハッスル”のヴァン・マッコイが作ったと思えないような、

アイドルチックで、シンプルな、ティーン・ポップである。

B面はマン&ウェイル、ポール・ピーターセンの「マイ・ダッド」。

この国内盤のリリースは、モンキーズ以後の67年であった。
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カルトGSのコーナーで紹介したラブストーリーのB面曲「さすらいのギター」、

この曲のオリジナルは、フィンランドのグループ、サウンズ。

しかし、この曲には原曲がある。

原曲は、ロシア民謡「満州の丘に立ちて」、

日本でも“うたごえ喫茶”でよく歌われている。

このワルツを4ビートにしたのが、63年、サウンズの「さすらいのギター」。

彼ら以来、インスト曲の定番として、71年にはベンチャーズがカバー、

スプートニクスや寺内タケシさんのバージョンもある。

「さすらいのギター」、原題は「Mandschurian Beat」、

満州のビート、なのである。

そして、日本でこの曲を有名にしたのは、何と言っても小山ルミ、

♪~ あなたにすべてを奪われたわたし ~♪

千家和也さんの詞を粘っこく歌って、まったく違うヒット曲にしてしまった。

71年以来、「さすらいのギター」は小山ルミの歌になってしまったのである。

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まだ法政大学にいらっしゃるのだろうか、社会学者の稲増先生。

先生はGSのシングル・コレクターとしても有名な方です。

先生によるとGSが残したシングル・レコードの総枚数は429枚。

先生は全枚数お持ちだそうです。

ボクなんか好きなものだけ持っているだけですから、

数えたことはありませんが、その半分ぐらいでしょうか。

そんな中から、今夜もまたまったくヒットしなかった“悲しき楽曲”を。

69年春にリリースされたラブの「イカルスの星」。

アウト・キャストを脱退した藤田さんが結成したGSですが、

この1枚をリリースしただけで1年ももたずに消えてしまいました。

「イカルスの星」は岩谷時子さん作詞、作曲は越路吹雪さんの旦那様。

越路吹雪さんとの競作という異色のデビューだったのに・・・。

有名GSが歌謡曲化してゆく中にあって、

「イカルスの星」は往年のGSらしいいい曲だったのですが、

それもこれも時期が悪かったのでしょう。

衰退期を迎えたGSブームを止めることはできませんでした。