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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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このレコードは持っているけれど、

昔テレビで歌っているのを見たもうひとりの歌手のレコードが欲しい。

なかなか手に入らないものだから、

頭の中でだんだん膨らんで、ものすごくすばらしい歌唱に育つ・・・。

そんな競作の1枚は、「悲しき願い」。

♪~ だぁれのせいでもありゃしない みんなオイラが悪いのか ~♪

である。

当時から持っていた1枚は、65年7月の尾藤イサオ。

頭の中で膨らんだのは、65年11月のケン・サンダース。

ようやく手に入れることができた。

期待に胸ふくらませて・・・、聴いてみたら・・・、

頭の中で育て上げたホドでもなかった感じ・・・。

ケン・サンダースの黒っぽい雰囲気がこの歌には似合う、

そんな思い入れ、先入観の為せる業、

ナセルはアラブの大統領(古い!)・・・、なんてね。

そもそも「悲しき願い」は、64年のニーナ・シモン、

それをカバーしてメジャーにしたのは、65年1月のアニマルズ。

原題「Don’t Let Me Be Misunderstood」、

私に誤解させないで・・・、悲しき願い・・・。

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約2ヵ月の御無沙汰でした、

GSといってもガソリンスタンドではない、

が定番のカルトなシリーズも、回を数えてゾロ目の33回。

例によってGSブームが潰えようとしていた69年夏のデビュー、

ピーターズの「愛のセレナーデ」。

このグループの売りはアイドルのようなルックス、

ボーカルはジャケット写真センターのブーケを持ったキー坊、

17歳、彼の可愛さがセールス・ポイントだった。

「愛のセレナーデ」は叙情あふれるバラード、

B面「キャンディ・ガール」は一転バブルガム・ポップ。

本来の彼らの音楽はB面だったのだろうけれど、

アイドルとして売り出したいがためのA面だったと想像できる。

ボーカルのキー坊とリード・ギターの矢部(右下)は、

後に“遅れてきたGS”ロック・パイロットに加入するのである。

(ロック・パイロットについては、14年7月31日に書いた)

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今月のレコード・コンサートでサーチャーズの「ピンと針」をかけた時、

このイントロ、よく似た曲があったぞ!なんて、思い出してしまいました。

バーズ、ってことは思い出したのですが、

はてさて、何という曲だったのか?

はたまた、どっちが先だったのか?

早速、ボクのコレクションの中から、

バーズのレコードを聴いてみた。

ボクはバーズ初期のファンですから、

彼らのレパートリーをいっぱい持っているわけではありません。

超有名な「ミスター・タンブリン・マン」と「ターン・ターン・ターン」は除外、

そのふたつに挟まれたヒット曲、「オール・アイ・リアリー・ウォント」は?

違うね!

そのカップリング、実はA面、「I’ll Feel A Whole Lot Better」、

コレだ!

このレコードは65年6月のリリース、

メンバーのジーン・クラークの作品、全米103位だったようです。

もちろん、「ピンと針」は63年12月のリリースですから、

バーズのメンバーはサーチャーズのことを知っていたのでしょうか?

「I’ll Feel A Whole Lot Better」、

この邦題同様、あぁこれで「すっきりしたぜ」。

ついでですから、サーチャーズの国内盤を2枚アップします。

「Needles And Pins」、

最初に付けられた邦題は「ピンと釘(くぎ)」、

そして、「ピンと針」として有名になったからか、

その後にB面として密かにリリースされた「ピンと針」。

釘って、英語ではNailだから、

Needleを釘って訳した奴、なぜ?責任者出てこい!

本当に出てきたらどうするんや?

あやまったらエエやん。

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戯れにヤフー・オークションでいろいろ検索していたら、

懐かしのテレビ番組の主題歌のシングルがザクザクと出ていた。

奈良は柳生での少年時代、テレビっ子だった身としてはとても懐かしく、

次々と応札、それらすべてが上がる上がる、どんどん上がる、

ついにはそのほとんどが1万円越え。

そんな中、幸運にも5,000円未満で落札できた1枚は、

待望の「快傑ハリマオの歌」。

歌うは我らが三橋美智也御大、

♪~ まっかな太陽 燃えている

    果てない南の 大空に

    どどろきわたる 雄叫びは ~♪

まさに、轟き渡るのである。

『快傑ハリマオ』は、60年から61年の放映、

というからボクは9歳~10歳、

たった1年余りの間の放映なのに、

こんなに記憶に残っているのは、きっとこの主題歌の強烈さのおかげ。

ボクは3番まで歌えるし、

中学生の時の修学旅行のバスの中での持ち歌であった。

今考えると、その舞台が東南アジアというのも異例、

でも、今見るときっと当時ほどの面白さは感じないのだろうナ。

あの頃の純真な心は、幸せな時代は、

いったいどこにいってしまったのだろう。

懐かしの2枚組LPを久しぶりに楽しんいる今宵である。

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もう旧聞に属する話ですが、

今月のレコード・コンサートは、

60年代のブリティッシュ・バンドのカバーとそのオリジナルの聴き比べ。

その中でも特筆すべきバンドはサーチャーズです。

彼らのヒット曲の多くはカバー、

用意した曲をすべてはかけきれませんでしたが、

その中からまだブログで取り上げたことのない1曲を・・・。

64年、「ピンと針」に続いてのヒット・シングル「心がわりはやめとくれ」。

このバラード、原題は「Don’t Throw Your Love Away」、

5月に全英1位、7月に全米16位にランクされました。

オリジナルは、女性3人+男性1名の黒人グループ、

「ワ・ワットゥシ」のヒットを持つオーロンズ、63年のリリース。

聴き比べは個人の好みが反映されるのは当然ですが、

一様にブリティッシュ・バンドの方がポピュラーになっています。

ついでに、サーチャーズのカバーを楽しむ一夜となり、

「スウィーツ・フォー・マイ・スウィート」、「ピンと針」、「恋の特効薬」、

「ウォーク・イン・ザ・ルーム」、「テイク・イット・オア・リーヴ・イット」・・・、

なんと楽しい夜です。

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長い間求めていたウォーカー・ブラザーズのデビュー曲を入手した。

65年2月の「プリティ・ガールズ・エブリウェア」。

この時はジョンとスコットのデュオで、

ふたりともリーゼントで、ギターを持って歌っていた。

ユーチューフで見ることができる。

入手したのは「ダンス天国」とのカップリングのスウェーデン盤。

彼らの初チャート・ヒットはセカンド・シングルで、

65年6月全英20位の「ラヴ・ハー」、バリー・マン&シンシア・ウェイル。

彼らはアメリカのグループでありながら、イギリスで認められた、

ボクの中では彼らはイギリスのグループなのである。

アメリカでのチャート・ヒットは僅か3曲。

3枚目のシングル、65年9月全英1位、同12月全米16位、

「涙でさようなら」、バート・バカラックとハル・デイヴィッド。

そして、66年1月全英3位、同2月全米63位、

「僕の船が入ってくる」。

最後は、彼らの最大ヒット曲、66年3月全英1位、同5月全米13位、

ご存知「太陽はもう輝かない」、フランキー・ヴァリのカバー。

この2曲、国内盤では贅沢なカップリングとなった。

以後、イギリスでは6曲のチャート・ヒットを記録するが、

アメリカのヒット・チャートに載ることはなかった。

今夜はユーチューブでウォーカーズ三昧となりそうな気分、

高校時代がよみがえる夜である。

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小学生の頃、ボクのヒーローは背番号3だった。

“大きくなったら何になりたい?”-“長嶋選手!”

野球選手、ではなく、長嶋茂雄、なのである。

大人になって、いつのまにかヒーローと呼べる存在はいなくなった。

そのときどきに、身近に目標とする先輩はいたけれど、

憧れとは違う、現実的な目標でしかなかった、と思う。

またまたいつものフリで、

今夜の1曲目は、スー・トンプソン、62年「マイ・ヒーロー」。

この時彼女は36歳、36歳とは思えないような可愛い歌声、

ボクにとってこの声こそが、彼女最大の魅力で、

この曲がなぜヒットしなかったのか、信じられない気持ちなのである。

ヒーローついでに、2曲目は、

76年、ベイ・シティ・ローラーズ「イエスタデイズ・ヒーロー」。

オーストラリアの歌手のカバーで、

♪~Take a look at me,I’m a yesterday’s hero.~♪

と歌うオリジナルの歌詞を、

♪~We don’t wanna be a yesterday’s hero.~♪

と変えて歌ったのは“時のヒーロー”のプライドだったのか。

その彼らも、まもなくしてイエスタデイズ・ヒーローになってしまうという皮肉。

ついでにもう1枚、日本でヒーローといえばこれ!

78年、Kai Bandの「HERO(ヒーローになる時、それは今)」。

広告会社時代、憧れの企画マンだった先輩のカラオケ持ち歌だった曲、

今はもう亡くなってしまったけれど・・・。

ああ、懐かしいね。

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ボクの昼食は必ず外食です。

40年前の結婚当初にホンの少しの間弁当を持って行ったことはありますが、

営業という仕事柄、ちょうどお昼に社外に居ることが多く、

それ以来ずっと外食が当たり前になりました。

クライアントや協力会社の方とのコミュニケーションや、

週刊誌や情報誌に目を通したり、

そんな意味でもとても有意義な時間だと思います。

先週は久しぶりに会社の近くでひとりごはんで、

早く食べ終わったものですから、

会社の近くにある中古レコード店を覗いてみました。

このお店に限らず最近は、欲しいアイテムが店頭に出ていることが少なく、

ずっと足が遠のいていたのですが、

昔のようにシングル・レコード・コーナーを漁ってみました。

その時間そのものが、ボクにとっては懐かしく心おちつくひとときで、

そこで見つけた2枚のレコードを買わせていただきました。

1枚は、14年2月10日に書いた

サイモンとガーファンクル、81年『セントラル・パーク・コンサート』の

ライヴ盤からのシングルカット、

彼らのルーツ、エヴァリーズのカバー「リトル・スージー」。

こんなシングルがリリースされていたのですね。

もう1枚は、パートリッジ・ファミリー終盤の73年全米99位、

「涙の片想い」、原題は「Friend And A Lover」。

この頃の曲には興味を失っていたのですが、これはもうタイトル買い。

レコードそのものよりも、昼休みのひとときこそが有意義なのでした。

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