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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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ニック・トッド、

彼は、アメリカのある偉大なスターの弟です。

兄貴が偉大すぎると弟は苦労しますね。

ボクにも弟がいますが、あいにく兄貴が偉大じゃなかったですから

そんなに苦労はしていないと思いますが。

オールディーズの世界で、偉大な兄貴の弟といえば、

以前に紹介したバーニー・ローレンス。

彼の兄貴は「悲しきあしおと」や「かなわぬ恋」のスティーブ。

ノン・ヒットではありますが、弟くんの「コレクティング・ガールズ」、

ボクは大好きでした。

さて、ニック・トッド、誰の弟でしょう?

彼の本名は、セシル・アルトマン・ブーン、

もうおわかりですね!

パット・ブーンの1歳下の弟くんです。

真実はわかりませんが、

兄貴の七光りで世に出ることをきっと拒否したのでしょう。

いくつかのヒットを記録しているようですが、

ボクはノン・ヒットの60年「ユア・ラヴズ・ゴット・ア・グリップ・オン・ミー」、

ものすごく好きな1曲です。

西武開拓史の英雄ダニエル・ブーンの子孫にふさわしい

その心意気や良し。

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前々回に書いた、ハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」、

今日は日曜日で何も予定がなかったものですから、

レコード棚を家探ししました。

そして、ようやく見つけました。

記憶の中にあったレコード・ジャケットのイメージで、

どこかにある、という自信はあったのですが、

男性・ソロのファイルになかった理由がわかりました。

このEP、ベラフォンテのレコードではなく、

『カリプソorロックンロール』というトップ・ヒット特集盤。

その1曲目が「バナナ・ボート」、

56年12月リリース、57年3月全米5位、

ハリー・ベラフォンテ最大のヒット曲。

♪~ Day-o day-o

    Daylight come and me wanna go home ~♪

ジャマイカの港湾労務者の労働歌が元歌。

と、思い出すのは、

♪~ Hide-o hide ei ei-o ~♪

ドジャースの背番号16、野茂英雄の応援歌。

そして、ハリー・ベラフォンテは社会運動家としても有名、

「ウィ・アー・ザ・ワールド」の提唱者として、

あのプロジェクトの陰の主役だったこと。

でも、あらためて、

浜村美智子さんの「バナナ・ボート」の秀逸さに感心しきりの午後です。

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♪~ あなたのいない渚は とっても淋しくて

    こらえきれずに 涙がこぼれる ~♪

いまでも歌える大好きな曲は、67年夏の「渚のうわさ」、

60年代の日本における洋楽カバーの女王、弘田三枝子さんの歌。

この曲は、日本のポップスの夜明けを告げるエポック・メイキングな曲であり、

後の大作曲家、筒美京平さんの最初期の曲であり、

27歳の彼が作曲した初のヒット曲であった。

高校2年生のボクは、弘田三枝子さんが大好きだったから、

この曲のすばらしさに気づいていなかったのだろうけれど、

その12年後、He-Story=ヒストリーというグループがカバー、

男声バージョンを聴いて、曲自体のすばらしさを確認した、

そんな想い出がある。

弘田三枝子さんの時にはまったく知らなかった筒美京平という名、

79年、彼らがこの曲をカバーした頃には、

押しも押されもしない有名な大作曲家。

そんな未来はつゆ知らず、ボクは「渚のうわさ」を口ずさんでいた。

いま想うと、少し鼻が高くなってしまうボクなのである。

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前回、ハリー・ベラフォンテのことを書いたから、

もう避けては通れない彼の大ヒット曲「バナナ・ボート」を。

と思って、レコード棚を探すが見つからない。

イベントか何かで使ってどこかへ収納したのか?

仕方なしに、この歌を日本で大ヒット曲にした浜村美智子さん盤を。

オリジナル・ジャケットは1万円以上するからと、

再発盤で持っていたものですから、カップリングは「ダーク・ムーン」。

というわけで、急遽テーマを「ダーク・ムーン」に変更。

いやはや節操のないこと、などと自分でも反省しながら、

57年全米5位と、この歌をヒットさせたゲール・ストーム盤を。

これこそが正調「ダーク・ムーン」です。

この曲を創ったネッド・ミラーは、遅れること4年61年にセルフ・カバー、

彼のバージョンは少しポップスしていて、ダークじゃなくてボクは好き。

この曲、プレスリーをはじめとても多くの人にカバーされましたが、

やっぱり日本でのカバーは浜村美智子さん。

ところで、ハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」、

見つかったらまた書くことにして、今夜はこれにて。

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♪~ 戦後 女とくつ下が 強くなったというけれど

    本当にどっちが強いのか くらべましょう ~♪

一年に2回くらい聴きたくなるLP『フォークル大百科事典』、

「帰って来たヨッパライ」に続く2曲目は、「女の娘は強い」。

この曲が洋楽のカバーだと知ったのはずっと後のことでした。

そして、ハリー・ベラフォンテの「マン・スマート」を手に入れたのは

それからまたずっと後のことでした。

57年、「Man Smart (Woman Smarter)」、

ネットの歌詞の日本語訳によると、

♪~ 男と女を比べてみて どっちかかしこいかハッキリさせよう

    男だって言う奴もいるけれど 僕は違うと思う ~♪

こんな感じのオリジナルを日本語の歌詞にしたのは北山修氏。

あらためて聴き比べて、

選曲のセンスも、アレンジも、素敵だと思いました。

ついでにLP全部をかけて、

ああ、青春時代がよみがえる。

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日本の4人組の女性コーラス・グループといえば?

思い浮かぶのは、たぶんSPEED、あの時代一世を風靡しましたね。

でも、ボクが思い浮かんだのは、キューティ・Q。

あまり有名じゃないですよね。

60年代後半から71年にかけて10枚のシングルをリリースしています。

大好きなカバー曲「そよ風にのって」は既に紹介しました。

彼女たちのシングル、探しているのですがなかなか市場に出てこない。

ボクが今持っているもう1枚は、69年の「月夜にコマンタレブ」。

コマンタレブー、昔はよく聞きましたね、

フランス語で、ご機嫌いかがですか?

ハワイアン・スタイルのポップスです。

彼女たちに続いてデビューしたのは、70年デビューのゴールデン・ハーフ。

厳密には、最初5人組だったのですが、すぐに4人になりました。

既に何枚か紹介済みですが、

今夜は、デビューから3枚のシングルからピックアップしたコンパクト盤。

「黄色いサクランボ」、「ケ・セラ・セラ」、「バナナ・ボート」、「レモンのキッス」。

そして、初めて紹介するのは、シュークリーム、

あのねのねの清水さんと結婚するクーコさんやホーン・ユキさんのグループ。

71年、「恋の五ヶ条」と「ホットパンツのお嬢さん」のカップリング。

久しぶりに聴いてみましたが、

キューティ・Qの欲しいシングル、もう1枚あるんですよね。

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雨の日曜日、久しぶりにプレーヤーの前でゆっくり過ごしています。

こんな日にはクラシック・ドゥワップを聴きたい、って思い立ったけれど、

まだ掲出していなかったグループってあったかなぁ?

♪~ ダン ダンダンダン ダンドゥビ~ ♪

フリートウッズも、ボビー・ヴィーも、ディオンも、ビーチ・ボーイズも、

新しくはケニー・ロギンスもカバーしていた超有名な曲がありました。

57年全米5位、「カム・ゴー・ウィズ・ミー」、

歌うのはデル・ヴァイキングス。

おっと、この曲は最後に楽しむことにして、

まずは、57年のノンヒット曲「アイム・スピニング」から。

いいね、レコードのアーティスト名は、

クリップ・ジョンソン(「ウィスパーリング・ベルズ」のリードシンガー)、

ってなっている。

だからお次は、遡ってその「ウィスパーリング・ベルズ」、

これは彼らの2枚目のヒット曲、57年全米9位。

さて、最後はデビュー・ヒット、「カム・ゴー・ウィズ・ミー」、

心が洗われるような歌声、コーラス。

ボクの「カム・ゴー・ウィズ・ミー」はドット・レーベルで、

その上再発のゴールデン・カップリング。

迷ったうえで音質を優先してしまいましたが、

本当はデビュー盤の56年のフィービー・レーベルが欲しい。

この頃のレコードは権利関係やなんかの関係で

とてもコレクター泣かせなのです。

いつか、状態のいいフィービーの「カム・ゴー・ウィズ・ミー」を

紹介できるといいのですが・・・。

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