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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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アルヴィンとサイモン、セオドアの3匹のシマリス、チップマンクスは、

58年に「ウィッチ・ドクター」を№1ヒットさせたデヴィド・セヴィルのプロジェクト。

テープの速度を半分にして録音し、普通の速度で再生したら、

その声はカン高く、まるで小動物の声のようになることから、

彼はその手法で一大プロジェクトを作り上げた。

彼の本名はロス・バグダサリアン、

51年にローズマリー・クルーニーに「カモナ・マイ・ハウス」を提供した人。

そのことは11年6月に書いたけれど、

今日は、ステイ・アット・ホームを紛らわせるために、

彼らのコンパクト盤で、ビートルズのカバーを楽しんだ。

オープニング曲、「オール・マイ・ラヴィング」は、

デヴィド・セヴィル自身の呼びかけから始まる。

64年9月に発売されたビートルズのカバーLPからの抜粋、

続いて、「フロム・ミー・トゥ・ユー」、「ラヴ・ミー・ドゥ」、「シー・ラヴズ・ユー」、

こうして聴いているとそのLPが欲しくなる。

彼が「カモナ・マイ・ハウス」を作曲したのは32歳、

「ウィッチ・ドクター」をヒットさせたのは39歳、

そして、ビートルズをカバーしたのは45歳、

俳優志望だったためか、遅咲きのミュージシャンであった。

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♪~ 茜色の朝焼け雲 一つ千切れて

    ほころんだ空に 夢が紡がれる ~♪

大学3年生以来ずっとずっと、ボクの愛唱歌になっている

大滝さんの「それはぼくぢゃないよ」。

シングル「恋の汽車ポッポ」のカップリング、

72年、LP『大瀧詠一』、通称“ファースト”のA面2曲目。

ある日、オークション・サイトで見つけた飯田久彦さんのシングル、

タイトルは「茜空」、飯田さんのWikipediaにも載っていない曲。

61年から63年まで洋楽ポップスのカバーで名を馳せた彼の、

64年3月リリースのオリジナル・ソング。

前回書いたクール・キャッツを従えた歌なのではあるけれど、

カバーを卒業してオリジナルに転向しようとした・・・、ような。

ボクにとってはこれ以降の歌に興味がなかったけれど、

タイトルの「茜空」に触発されて落札、と相成った。

初めて針を落とすこの歌は、予想通りのベタベタの歌謡曲。

アメリカではビートルズが猛威を振るっていた頃、

日本ではボクのロマンが消えて行った。

72年から64年へ、そして2020年へ、

茜空、このワードが時空を超えてボクを楽しませてくれるのである。

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最近は本当に楽しいことがないですよね。

すべてはコロナウイルス禍で、

会社でも、家でテレビを見ていても、

いつも頭の中に憂いがあって、

まるで、靄のかかった春の雨の夜のよう。

そんな時によく似合うのはフランソワーズ・アルディの歌声。

日本でよく知られている「もう森へなんか行かない」や、

名曲「さよならを教えて」よりも以前の、

64年、65年の4曲入りのフランス盤EP。

一番のお気に入りは、65年の「Mon Amie La Rose」、

邦題は「バラのほほえみ」、

哀愁あふれた儚さ。

彼女のイメージ、生き方は自立する女、とちょっとかけはなれた感じ。

彼女の歌声はもちろん、

フランス語の響きが、アンニュイな抑揚が、そう感じさせるのかも。

明日、明後日はどこにも出かけず、Stay-at-Homeで。

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うちの会社でもコロナ対策は急務で、

感染拡大地域への出張禁止や夜間の繁華街への外出自粛やら、

交代制のリモートワークやら、と大忙し。

夜間の繁華街への外出自粛のために、5月のレコード・コンサートは中止。

生きがいのひとつがなくなりますが、まあ仕方ないね。

というわけで、うちで楽しもう!とばかりに、久しぶりのカルトGSです。

67年春、ヴァン・ドッグスのデビューは「熱い砂」。

このグループ、前身は59年結成のロカビリー・バンドで、

まあまあの実力派、この曲も典型的なGSサウンド。

音楽で勝負すればいいのに、ヴァンという名の犬を従えて・・・、

なんて、一気にキワモノGSになってしまった。

メンバーが年寄りだったものですから、

メンバー・チェンジを行いながら、

数枚のシングルと、GS曲や洋楽のカバーLPをリリースしている。

ちょっと揃える勇気はないので、コレクションはデビュー曲だけ。

でも、他のシングル、探しに行きはしませんが、出合ったら買うかも・・・。

カルトGSのシングル、まだあったかな?
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オールディーズの西の横綱、ポール・アンカ久々の登場。

57年6月、15歳でのレコード・デビューは、

9月全米2位の大ヒットは、オールディーズの定番曲む「ダイアナ」。

今日取り上げた1枚は、20歳の時、61年7月全米10位「涙のダンス」、

♪僕の好きな娘は知らない男と踊っているけれど

  なぜ僕から離れていったの? 僕も君と踊りたい・・・♪

というポール・アンカお得意のラヴソング。

そして、B面は「恋のお電話」、

♪恋人たちがみんなそうしているように僕も君と電話で話して

  僕は君に恋したことを知ったんだ 君が想像もできないほどにね♪

という、やっぱりお得意のロッカ・バラード。

ここからはボクの想像なんだけど、

この「恋のお電話」が、次にリリースされるヒット曲の呼び水となった。

61年9月全米35位の定番曲「デンワでキッス」のね。

そんなことを想いながら、そんなことを語りながら、

日本ではあまり有名じゃないオールディーズを楽しむのも一興、

そんな心休まる1枚です。

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今月のレコード・コンサートのテーマは、ボクのコレクションの原点、

飯田久彦さんの洋楽カバー曲とそのオリジナル曲をかける、というもの。

もう何度か語りましたが、ボクがコレクションを始めたきっかけ、

TV番組『ザ・ヒットパレード』で日本語カバーされていた曲の原曲と、

その日本語のカバー・バージョンを揃えることを思い立ったこと。

その中でも、漣健児さんの詞がすてきな、

とても特徴的な甘い声に魅せられて、飯田久彦さんの歌が大好きだった。

61年から63年まで、彼が19歳の時からわずか3年間、

ボクが集めたカバーは12枚、そのほとんどは紹介済みですが、

63年の未紹介の1枚をアップします。

(初代)ジャニーズのライバル・グループ、クール・キャッツをコーラスに、

飯田久彦さんがカバーしたのは「レツト・ミー・ビー」。

すぐには原曲が思い浮かばないと思いますが、

雨の歌永遠の超定番、カスケーズの「悲しき雨音」のB面ソング、

そんなマイナーな曲に日本語の歌詞をつけた2分13秒。

その12年後にはビクターのディレクターとして、

松崎しげる、岩崎宏美、ピンク・レディ、キョンキョンをサポートし、

36年後にはテイチクエンターテイメントの社長となる、

そんな飯田久彦さん集大成の90分でした。

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4月、いくらレコードを語るブログだといっても、

世界中を席巻する大騒動に触れないわけにはいきません。

新型コロナウイルスの蔓延。

人々の日々の暮らしにも、ビジネスにも、恐れと憂鬱と悩みを引き起こしています。

家族の健康はもちろん、会社の部下たちの健康、立場上会社の業績、

そんないろいろな事柄に重大な影響を与えています。

ボクたちは自己防衛するしか方法はありませんが、

いくら気をつけても災いに遭遇するかどうかは運次第。

海外渡航はいうまでもなく、東京・大阪へさえ移動できず、

人と集うこともダメ、近づくこともダメ、まさに四面楚歌な状況。

これはもう、静かなテロ、

戦争を知らないボクたちにとってはまさに未曽有な出来事ですね。

と、レコードのブログですから、何か1枚を・・・、

と見つけたのは、

何者かよくわからないけれど、イラスト・ジャケットがステキな、

なんとなく、皮肉にも今をイメージさせるようなタイトル、

「嘆きのシェイク・ハンド」、62年、コディー・ブレナン、

いわば、ウェスタン・ポップス?ってところ。

B面だって、「悲しきハネムーン」、今、海外へは行けませんもの。

業績もダウン、イベントもなくなって、出張もなくなって、

こんな時代はボクの人生に無かった、そんな今日この頃です。