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BOTH SIDES NOW

レコードにA面とB面があるように、すべてのものには二つの面があります。人生の光と影、 ボクはどっちも大好きです。

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オールディーズの時代にはよくあったことなのですが、

アメリカやイギリスの現地では注目されなかった曲が、

日本では大ヒットしてしまった、

そんな曲がいくつかあり、ボクたちの自慢の種となるのです。

今更ながら、そんな曲をまたコレクションに見つけました。

59年にアメリカで発表されたのですが、シングル・カットされず、

62年に日本でシングル発売された曲、

パット・ブーンの「ブルー・ボビー・ソックス~悲しき女学生」。

スウィートでせつないメロディ、甘い歌声、

やはり、当時の日本人の琴線にふれたのでしょう。

パット・ブーンがビリー・ヴォーン楽団をバックに録音していた時期の作品。

ボビー・ソックスとは、50年代のロックンロール・ファッションのひとつで、

サドル・シューズに合わせて流行したもの、

アメリカの女子高生のトレードマーク、白いクルーソックスのこと。

ボビー・ソックスを履いた女子高生の悲しくてせつない歌、なのです。

これは珍しい!、62年、日本語のカバーは、

後に「東京流れ者」や「カスバの女」を歌った竹越ひろ子さん、

当時21歳、女学生らしからぬビジュアルにちょっと違和感がありましたが、

聴いてみたら立派なカバー・バージョン・ソングでした。

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ビルボードのトップ40チャートにたった一度だけシングルが登場した、

そんなアーティストのことを“ワンヒット・ワンダー”という。

今夜はそんな、愛すべき“一発屋”の1枚にスポットを当てる。

兄と一緒に作った、アップテンポでカントリー・タッチの、

ゴキゲンなポップスで62年全米11位に駆け上がったのは、

ラリー・フィネガンの「Dear One」、邦題は「イカス娘」。

B面の「キャンディー・リップス」もフィネガンの甘い歌声が映える。

この、一発屋の彼が、65年にリリースした珍品、珍シングルがある。

最近やっと手に入れた1枚は「ジ・アザー・リンゴ」。

64年末の全米1位、ローン・グリーンの「リンゴー」をモチーフにしたもの。

『ボナンザ』の父親役、ローン・グリーンの「リンゴー」は、

実在のガンマン、リンゴ・キッドのことを歌った(語った)ものだが、

フィネガンのはビートルズのリンゴ・スターのことを語ったもの。

というわけで、タイトルは「The Other Ringo」。

まったく注目されなかったが、ボクたちには心揺さぶられる1枚、

持ってることがとてもうれしい1枚なのである。

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先日、筒美京平さんの訃報に際して、

彼の代表曲のひとつとして、テレビで流された「また逢う日まで」。

その、尾崎紀世彦、

久しぶりのカルトGSシリーズは、彼が在籍していたワンダースである。

分類上はGSとされているけれど、

厳密にはスタンダード志向のボーカル・グループで、

TVドラマの主題歌やCMソングを歌ったり、

NHKに出演したりと重宝されていた。

彼らの楽曲で最もヒットした曲が67年10月発売の「霧と恋」、

橋本淳・すぎやまこういち作で、

まるでウォーカー・ブラザーズのようなイントロ、

ティンパニーやピアノが大げさな歌謡曲、歌の上手さが光る。

尾崎紀世彦は、ワンダースを結成する前は、

ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズに居た。

余談だが、このグループ、

尾崎が加入する以前、60年前後には、

後にドリフターズに加入することになる碇矢長一(いかりや長介)、

ドンキー・カルテットとして身を立てる吉田一男(ジャイアント吉田)、

そして、エレキの大御所、寺内タケシも在籍していた。

いうまでもなく、日本のウェスタンの草分けジミー時田さんのバンドである。

なにはともあれ、「霧と恋」、持っていたけれど今夜初めてゆっくり聴いた。

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前回に引き続き、“涙”のタイトルを探し出しました。

あの、ミル・マスカラスの登場曲でおなじみの「スカイ・ハイ」を

75年全米3位に引き上げたジグソー、

その直前にリリーした「Baby Don’t Do It」の邦題は

「涙の願い」。

「スカイ・ハイ」とはイメージがちょっと違う甘く切ないメロディ。

YouTubeで見たら、ドラマーがリード・ボーカルのグループでした。

お次は、62年全米№1の「ジョニー・エンジェル」のシェリー・フェブレー、

63年の「I Left A Note To Say Goodbye」、

邦題は「涙のスーツ・ケース」、

国内盤も出ているのですが、なかなか手にはいらないのです。

レコード・ジャケットに書かれたこの曲のキャッチフレーズは、

許してね、パパとママ、いつかわかって下さるわ。

というわけで、“私はさよならを言うためのメモを残した”、というわけなのです。

B面は「Ronnie,Call Me When You Get A Chance」、

邦題は「気まぐれデート」。

ボクはこっちの曲の方が好きなのですが・・・。

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“涙”のタイトルソングをチェックしていたら、

ちょっと気になったタイトルが目に留まりました。

73年全米99位と、かろうじてトップ100に留まった曲、

パートリッジ・ファミリーとして最後のデビッド・キャシディー歌う

「涙の片想い」、原題は「Friend And A Lover」。

君にとって僕は友だち、僕は恋人になりたいのに・・・、

って、高校生の頃よくあったパターン。

その逆もあったと思うけれど、今ではいい思い出ですね。

ゆっくり考えてみると、

ボクたちの若い頃は、友だちと恋人の定義がよくわかっていなかった、

と、思います。

ずっとずっと男女共学だったしは、男女の区別なくみんな友だちだった、

ようにも思うのです。

だから、噂になって、冷やかされた相手が恋人だと錯覚していたような、

そんな気がしますね。

あれ?掲出済のレコードをチェックしていたら、

このレコード、すでに掲出していたことに気が付きました。

だから、未掲出の“涙”のタイトルソングをもう1枚紹介します。

ボクの大好きなボビー・ヴィー、

61年全米63位、「ハウ・メニィ・ティアーズ」。

キング&ゴフィンで、プロデューサーがスナッフ・ギャレット、

全米ナンバー1になった「サヨナラ・ベイビー」直前の曲で、

この曲が引き金になって大ヒット曲が生まれたのかもしれませんね。

リストでちょっと数えてみたら、これまでに掲出した“涙”のタイトルソング、

“涙”から始まるものだけでも和洋合わせて61曲もありました。

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トランペット奏者であり、コンポーザー、アレンジャー、プロデューサー、

バンドのリーダー、そして、A&Mレコードの創始者でもある、

彼の名は、ハーブ・アルパート。

そんな彼が、キャリアをスタートしたシングルがあると知った。

ティーン・ポップスのシンガーとしての1枚があるなんて、

なんて夢のような話なんだ!

62年、27歳になってはいたけれど、

ドア・アルパート名義での「Tell It To The Birds」。

小鳥のさえずりをSEに、可愛いいガール・コーラスを従えて、

大成功の1枚です。

ソロ・シンガーとしての成功は、

68年の「ディス・ガイ」まで待たねばならなかったけれど、

ティーン・ポップス好きのボクにとっては、これは至極の1枚です。

この年62年、彼は、

日本でも人気の「マルタ島の砂」や「ビター・スウィート・サンバ」の

ティファナ・ブラスを結成し、

ジェリー・モスとふたりでA&Mレコードを創設するのである。

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61年5月全米3位の大ヒット「I’ve Told Every Little Star」、

邦題「星に語れば」でおなじみのリンダ・スコットの、

62年3月17日全米60位「イエスサリー」のカップリング曲は、

「涙の街角」、原題は「Town Crier」、直訳すると“街の悲鳴”。

ちなみにこのレコード、アメリカと日本ではAB面逆収録、

どちらもセンチメンタルな失恋の歌なのですが、

きっと「涙の街角」の方が日本ウケするという判断だったのでしょう。

ボクは「イエスサリー」の方が好きですけどね。

さて、本題はそんなことではなく、「涙の街角」という邦題。

すぐに頭に浮かぶのは、69年3月全米56位の「涙の街角」、

ピーターが抜けて3人になったモンキーズの曲です。

もう何回かこのブログにも紹介しましたね。

原題は「Tear Drop City」、こっちの方が「涙の街角」にジャストフィット。

ついでに、3つめの「涙の街角」は、

95年オリコン14位、高橋真梨子さん自身の作詞曲。

このブログのためにCDシングルを見つけてきました。

いずれにしても、「涙の街角」、好きなフレーズのひとつです。

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9月になって、韓国のグループBTSがビルボート№1になった。

これは、アジアのアーティストが全米1位に輝いた2番目の曲だ、って、

ニュースで取り上げられることとなった。

最初の曲は、もちろん坂本九ちゃんの「スキヤキ(上を向いて歩こう)」、

遡ること57年前、63年6月15日付から3週間№1に輝いた。

61年10月15日に日本で発売されたこの曲を最初に世界に紹介したのは、

イギリスのジャズマン、ケニー・ポール、

「スキヤキ」のタイトルで63年1月全英10位。

アメリカではワシントンのDJリッチ・オズボーンがオリジナル盤をオン・エアー、

ワシントン州から火がつき、全米中に大ヒットしたのである。

今夜は、そのスカンジナビア・グラモフォンからリリースされた

珍しいスウェーデン盤のジャケットを紹介する。

今頃の若い人たちが知らないだろうこんな昔の曲に

あらためてスポットライトを当ててくれたニュースであった。

ついでにもう1枚、

「上を向いて歩こう」が全米1位になる少し前の5月に発売された

九ちゃんのもうひとつの名曲「見上げてごらん夜の星を」。

こちらは永六輔・いずみたく作品であった。

ボクたちには聞き慣れたふたつの曲、

あらためて針を落としてみる夜である。

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